灰かぶり姫の落とした靴は

佐竹りふれ

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4. 白とコーヒー

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「コーヒー、奢ってくれませんか?」

 目の前に立つなりおもむろにそう訊ねる背の高い救世主に、私は満面の笑顔で頷いた。風でひらりと舞う白のロングカーディガンは、まるではためくマントのようだ。
 転びかけたところを助けてくれただけでなく、蔓のように絡み付こうとしたあの腕の持ち主たちからも救ってくれた。そんな彼は、大袈裟に言ってしまえば白馬に乗った王子様のようなものだ。そんな彼にコーヒーを奢るなんて、むしろ安すぎるぐらいだ。

「勿論です」

 笑顔で答えれば、彼は少し照れ臭そうに微笑み返してくれる。その表情に、胸の奥がくすぐったくなる。背中に刺さるいくつもの視線を無視しながら、手頃な店はないか、と周囲を見渡す。

「じゃあ、そこで良いですか?」

 彼が指差したのは、珍しくも深夜まで営業している喫茶店で。気取らない彼の口ぶりに、自然と心が解れていく。

「はい」

 言いながら頷けば、彼も満足そうに頷いて。そのまま、当たり前のように右手をまっすぐに差し出してきた。その手はどういう意味なんだろう? 疑問に思いながら彼の顔を見上げる。

「手、繋いでも良いですか? なんか、危なっかしいから」

 初対面の人といきなり手を繋ぐ。その発想に私は思わず目を見開いてしまった。こういうこと、慣れてる人なんだろうか。心のざわつきを押さえようとしながら、彼を見上げると、彼の耳がこれでもか、というぐらいに赤くなっていた。その初々しい反応に、先ほど浮かんだ疑念は瞬時に消える。照れた彼の表情がなんだかとても愛らしく思えて、ついつい口許が緩んでしまう。

「じゃあ、遠慮なく」

 言いながら、私はそっと彼の手をとった。添える程度の優しい力で包み込まれた私の手は、私の足元を気遣うように、ゆっくりと引かれていく。
 喫茶店に入る頃には心の奥がじんわりと温まっていて。都合の良い私の脳みそは今日の出来事など、すべて忘れ去ってしまった。

 店内を見渡せば、ぽつり、ぽつり、とお客さんが座っている程度で、人はまばらだった。私たちは壁際のソファ席に腰を下ろした。ブースに滑り込もうとした刹那、またもかかとでバランスを崩す私の肩を、彼が後ろから優しく支えてくれた。

「すみません」

 恥ずかしさから今度は私の頬が赤くなるのを感じながら、苦笑いぎみに謝る。今日はこんなことの連続で、本当に気が滅入ってしまう。そんな気持ちを明るくするみたいに、私の失態などまるで意に介さない、彼の優しい微笑みが心に染みた。
 私が無事に着席したのを見届けた彼は、安心したように正面に腰を下ろした。

「どれにしますか?」

 彼に向けてテーブルに置かれたメニュー表を差し出しながら、問いかける。

「んー、ブレンドかな。中谷さんは?」
「私は……」

 メニューを覗き込みながら、唇を噛み締めた。これは、私の優柔不断さ以前の問題だ。
 私は、普段からコーヒーをよく飲む訳ではない。だからこそ、純喫茶然としたこの店のメニューには、馴染みのない言葉がちらほらと出てきて少しばかり厄介だ。
 こういう時、何を頼めば相手に好印象を与えられるのだろう? いきなりブラックコーヒーなんて飲めないから、何かミルクが混ざったもの……。そう思った私の目が、生クリームの乗ったコーヒーの写真に引き寄せられた。
 
 ウィンナーコーヒー。
 
 でも、飲んだことも、それがなんなのかも大して理解していない。ただの直感でいきなり頼むのは、気が引ける。これが大失敗につながったら、どうすれば良いのか分からない。私はこっそりと頭を抱えた。

 初めての相手とお店にはいる時、私はいつも異様に緊張してしまう。特に、嫌われたくない相手の時は。私の優柔不断さ加減は、群を抜いている。いつまで経っても答えを出さない私にイラついて愛想を尽かしていった人は、数知れない。「こんな簡単なことすら決められないなんて、おかしい」なんて捨てぜりふは耳馴染んでしまっている。かといって、ここでいつものルーレットアプリをいきなり使い始めたら、それもまた変に思われるはずだ。

 早く、決めないと。
 おかしいと思われる前に、早く。
  
 そう自分の尻を叩けば叩くほど、決断力が鈍っていく。手にじっとりとかいた汗が、私の焦りを示している。

「もしかして、迷ってます?」

 ふわり、とかけられた言葉に、私は慌てて顔を上げた。
 目の前の彼の表情には、苛つきも不快さもなくて。不思議と私は素直に頷いた。彼の持つ何かが、私を素直にさせたのだ。

「おれとしては、好きなだけ待ってあげたいんですけど」

 そんな言葉に続いてゆっくりと動く彼の視線の先を追うと、注文を取りに来るタイミングを今か今かとうかがっている店員さんと目が合った。音を立てない程度に、小刻みに床を踏みつける足の動きに、苛立ちを感じ取った。

「なので、決めるのお手伝いしてもいいですか?」

 小首をかしげる仕草に、胸が高鳴った。
 この人は、全部分かってやっているのだろうか。どんな自分の言葉が、どんな自分の表情が、どんな自分の仕草が、相手の心を掴むのか、全て分かってやっているのだろうか。
 これが全て計算なのだとしたら、彼は相当な策士かもしれない。反対にこれが全て天然なのだとしたら、それはそれで厄介だ。どう足掻いたって、打ち勝つことが出来ないのだから。

「お願いします」

 完全に彼の術中にはまった私には、おずおずとそう答えるのが精一杯だった。なのに、そんな言葉にもパッと顔を輝かせてくれる彼は、なんだかとても、ズルい。

「何で迷ってます? もう、目星ついてたりしますか?」

 私の方へと向きを変えられたメニューに、再び目を落とす。

「えーっと、カフェ・オ・レとか、マキアートとかが無難なのかなって、思うんですけど」

 ぽつり、ぽつり、と言葉を紡ぐ。ちらり、と視線をあげれば、そっと私の言葉を受け入れてくれる優しい瞳とかち合う。なんだろう、この安心感。

「けど?」

 続きの言葉を促す彼の言葉が、私の心を惑わせた。口を開きかけてから、声を出さずに唇をそっと噛み締める。

「ど、どっちの方が良いですかね?」

 取り繕うように顔を上げれば、じっと私を見据える瞳に捕らえられた。まるで私の心を見透かすかのような瞳に、先ほどまでとは異なる意味でドキリとした。出会ったばかりなのに、なんだかこの人には嘘が通じないような気がして。

「んー、カフェ・オ・レとマキアートと、他に飲みたいのは?」

 彼の問いかけに、私は目を見開いた。
 
「え?」
「カフェ・オ・レとマキアート以外にも、迷ってるものがあるんじゃないですか?」

 優しいのに、どこか逃がしてくれなさそうな、不思議な力を感じさせる口調に、私は思わず彼から視線を逸らした。

「……もしかして、ウィンナーコーヒーとか?」

 彼は本当に人の心が読めるんじゃないだろうか。驚いて思わず顔を上げれば、ご褒美をもらった子供みたいな満面の笑みに迎えられた。

「当たりました?」

 撃ち抜かれたかのような衝撃が、私の胸を通りすぎた。邪気のない彼の問いかけに頷けば、小さくガッツポーズを決める。彼の純粋な喜びの表現に、グルグルと思い悩んでいた自分がバカらしく思えた。

「中谷さん、さっきからチラッチラこの写真見てるんですもん。分かりますよ」

 白くて細長い指が、トントン、とメニューの写真を叩く。

「気になるなら、これにすれば良いじゃないですか」
「でも、私ウィンナーコーヒーなんて飲んだこと無くて」
「ならなおさら、試してみたら良いじゃないですか。どんなことにも初めてって、つきものですよ?」

 ね? と笑顔で念を押されて、いつの間にか私の口は「そうですね」なんて返事をしていて。
 
 気付けば、目の前にブレンドコーヒーとウィンナーコーヒーが仲良く並んでいた。

 漆黒のコーヒーに浮かぶ、真っ白な生クリーム。とりあえず、とスプーンで生クリームをすくって口許に運べば、あ、と咎めるように彼は私を指差した。

「え?」

 スプーンを加えたまま、私は固まった。

「まずはそっと、生クリームの隙間からコーヒーを飲むんです。で、高さがある程度下がったところで、生クリームとコーヒーを混ぜる。生クリームが蓋になってくれるから、コーヒーの温度はすぐに下がらないので安心してください」
「ああ、そういうものなんですね」

 覚えておかないと、と感心しながら、私はあることを思い出した。

「でも私、猫舌なんですけど……」

 飲めるぐらいの温度に下がるまで、時間かかっちゃいますよね? と言いながら頭を抱える。
 やっぱり、無難なものを頼んでおけば良かった。
 いきなりの挑戦を後悔している私なんてお構いなしに、彼は愉しそうに声を上げて笑った。

「じゃあ、冷めるのを待つ分だけ、中谷さんとこうやって過ごせる時間が長くなるってことですね」

 なら良かった、と嬉しそうに言われて、私の胸は何度目か分からない高鳴りを覚えた。頬が熱くなるのを誤魔化すように、私は俯きながら新しい話題を探す。

「そういえば、私の名前」
「あ、もしかして間違ってました?」

 視線だけ上げれば、彼は慌てたように口許を手で覆っていて。もともと大きな丸い瞳が、これでもかと大きく見開かれている様は、なんだかマンガのようにコミカルで。思わずクスリ、と笑みが溢れた。

「合ってます。合ってるんですけど、私、名乗りましたっけ?」

 何でもないことのように、軽い口調で訊ねてみる。その問いを頭の中で反芻するように、彼の瞳はどこか遠くを見つめた。かと思えば、カアッと耳から順に顔が赤く色づいていく。彼は口許を押さえたまま、今度は大きな瞳をキョロキョロと左右に彷徨わせる。

「いや、あ、そう、ですよね。連れの方がそう呼んでらっしゃったの聞いて、それで、って言っても、あの、気持ち悪いですよね、いきなり知らない男が馴れ馴れしく、そんな」

 アタフタとしばらく腕をバタつかせる彼に、私は落ち着いてください、と声をかけた。

「気持ち悪くないです。私は気にしてないので、大丈夫です」
「本当に?」
「本当に」

 首を何度か縦に振れば、彼は落ち着いたように椅子に座り直し、コーヒーを口に運ぶ。

「でも、フェアじゃないですよね?」

 彼がカップをテーブルに置くタイミングに合わせて、私は口を開き問いかけた。ん? と顔を上げる彼の顔に、私はニッコリと微笑む。

「私の名前だけ知られてるのって、フェアじゃないと思うんです。だから、名前を教えてください」
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