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片想いしている親友に関するうわさを聞きました
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「本条朝陽、あれは近々結婚かなあ」
勤務先の廊下を歩く八代香奈枝の足を止めたのは、不意に耳に入ったそんな言葉だった。
「あ、堀内さんもそう思いましたか? 実は私も、そうじゃないかって思ってたんですよ」
エレベーターホールで繰り広げられる会話に、香奈枝はこっそり耳をそばだてる。あの声はおそらく、朝陽さんが連載を担当している男性向け情報誌の編集担当だ、と。
「お店のチョイスの仕方が明らかに、って感じじゃないですか。今までとは違ってきてて、やっぱり彼女さんの影響ですかねぇ」
「どうだろうね。まああの様子じゃ、うちではそろそろ切らないと、だろう」
「残念ですけどね」
ポーン、というエレベータの音とともに、二人の会話は香奈枝の耳には届かなくなった。
本条朝陽は、人気の若手フードライターだ。主に独身男性向けの記事を得意としている。いわゆる男飯や女性をデートに誘うのにぴったりなレストランの紹介で人気を博しており、雑誌での連載はもちろん、テレビやSNSなど様々なメディアで活躍している。加えて、女性の目を引く端正な顔立ちとモデル並みのスタイルの持ち主のため、女性人気が非常に高い。男女両方から支持を集めているのが、朝陽の強みだ。
そんな朝陽に香奈枝が恋心を抱くようになったのは、ごくごく自然な流れだった。
女性ファッション誌の編集者である香奈枝は、数年前に仕事を通じて朝陽と知り合った。彼女が当時担当したデートスポット特集のページに、朝陽がゲストとしておすすめのカフェやレストランを紹介したのがきっかけだ。共に店へ取材に行った際、二人はすっかり意気投合。
それからというもの、香奈枝と朝陽は毎日のように連絡を取り合うようになった。香奈枝が多忙なため、日々のやり取りは文字が中心だが、日常の些細なことから重要な相談まで、なんでも話せる朝陽の存在は彼女にとって重要だった。
そんな彼女が朝陽との交流で最も楽しみにしているのは、食事を共にすることだった。仕事柄、朝陽が良い店を知っているから、ではない。確かに、朝陽が時折見せる真剣な表情に胸がときめくのは事実だ。しかし、彼女が一番嬉しいのは、食事という彼にとって大切な時間を共に過ごせるという事実、そして何より、彼と顔を合わせて会話できるその瞬間だった。
朝陽を魅力的だと思うのは、簡単だ。香奈枝自身、会う前から彼を魅力的だと思っていた。初めて直接会ったときにも、彼の外側の魅力に魅了された。整った顔立ちが時折見せるチャーミングな表情には、誰しもが胸を撃ち抜かれることだろう。
けれども、それ以上に、彼の気さくな性格や物事の考え方、そして何より彼の自然な優しい態度に、彼女の心はガッツリと掴まれてしまった。会えば会うほど、共に過ごす時間が長くなればなるほど、香奈枝の朝陽への想いが深まっていった。
そんな彼女に、今しがた耳にしたニュースは衝撃だった。
朝陽の結婚が近いだなんて話は寝耳に水だった。思い返してみても、彼がそんなそぶりを見せたことはなかっただけに、衝撃は大きかった。
出会ったばかりの頃は、彼から女性の話を聞くことも少なくなかった。新しく出会った美女とのやりとりについて、深夜に相談を受けた時には、壁に頭を打ち付けたくなる気持ちを抑えながら返信したのを覚えている。けれども、思い返せば最近はそのような話題もとんとなくなっていた。そのせいですっかり油断してしまっていたが、朝陽はとにかくモテる。独り身なら女性が放っておかないだろうし、恋人がいることはごく自然なことだ。
香奈枝だってバカではない。平凡、いやむしろ平凡以下な自分を、朝陽が恋愛対象として見ていないことは分かりきっていた。彼にとって自分はあくまでも、ただの親しい友人の域を出ないことなど、分かっていた。納得した上で、その関係を続けていたはずだった。それでも、彼が結婚するかもしれないと聞けば、胸は痛むし気分だって落ち込む。
さらに、朝陽の連載が打ち切られるかもしれない。
彼がどれだけの情熱をもって仕事に取り組んでいるかを、香奈枝は知っている。その1つを失うという可能性に、彼女はたいそう胸を痛めた。
そもそも、出会いのきっかけとなった仕事もこの男性向け情報誌での連載が縁だった。この連載のために彼はこの出版社に多く立ち寄っていたし、それが二人で食事を共にする機会にもつながっていた。連載がなくなってしまえば、おのずと会う回数は減っていくだろう。
まあ、結婚すればどのみち二人で食事に行くことも自然と減っただろうけれども。
香奈枝は深い溜息をつく。
唐突に訪れた朝陽を失うかもしれないという現実に、何とも言えない喪失感を覚える。
そんな心境でも、香奈枝の仕事が無くなるわけではない。次から次へと湧いてくる仕事を、彼女は必死にこなしていく。撮影スケジュールの調整を終え、休憩だと言わんばかりにプライベート用のスマートフォンを取り出す。
ぼんやりと通知を眺めていると、朝陽からメッセージが届いていることに気づく。緩む口角に気づかぬまま、香奈枝は慌てて通知をタップしてメッセージを開く。
『今日もそっちで編集担当と打ち合わせ。終わったら一緒に夕飯を食べよう!』
シンプルなメッセージでも、香奈枝を喜ばせるには十分だ。香奈枝は頭の中で今日のスケジュールを確認する。特段繁忙期ではないし、今日中に終わらせなければいけない仕事は多くない。いける!
香奈枝がすぐさま快諾の旨を返信すれば、彼女の返信を待ちわびていたかのように、『仕事終わったら連絡して』と返信が届く。今朝、耳にした会話を思い出し、胸の奥が切なく疼くのを自覚しながらも、香奈枝は早く仕事を片付けよう、といつも以上に気合を入れて目の前の業務に取り組むことにした。
終業後、香奈枝はついつい頬が緩んでしまうのを抑えながら、エレベーターで朝陽の待つ地上階に向かう。
エレベーターを降りてすぐに、香奈枝は朝陽を視界に捉えた。朝陽の際立ったスタイルは否が応でも人目を引くが、香奈枝がいつだってすぐに彼を見つけられるのは、恋心がなし得る技だ。まだ彼女の存在に気づいていない朝陽の元へと少しずつ距離を縮めていく。
そんな彼女の足が、前を行く女性社員の会話でピタリと止まる。
「マジでムカつくわ、八代香奈枝。なんで編集長に気に入られてるのか、謎過ぎるし」
「ホント、ホント。あの体型でファッション誌の編集って。自分の担当してる雑誌に載ってる服、着られないくせに」
無遠慮な言葉たちが、ロビーに響き渡る。その内容が自分のことだなんて、恥ずかしすぎる。香奈枝は頬を赤く染めながら俯いた。
確かに、二人の言葉には頷ける部分もある。香奈枝自身、同じ疑問を抱くことはしょっちゅうだ。どうして自分のような見た目の人間が女性ファッション誌の編集をしているのだろう、と数え切れないほど自分に問いかけてきた。
キラキラとしたモデルの笑顔は眩しいが、その体型は自分のそれとはかけ離れている。鏡を見るたびにため息が漏れるし、体重計に乗るのは考えうる最悪の悪夢の1つだ。そのうえ、身長は低いし、童顔な地味顔。実年齢より幼く見られることは、しょっちゅうである。
この雑誌を自分が担当するのは正しいことなのか、たびたび自分に問いかけている。けれども、いつも同じ答えにたどり着く。
チャンスがある限り、自分にしか作れない誌面を読者に届けたい。
それが、香奈枝なりの編集者としての心持ちだった。だからこそ自分の作ってきた誌面は、どれも胸を張って読者に提供できるものばかりだ。全ては、こんな自分を受入れて編集者としての才能を見いだし、認めて能力を高めてくれた編集長のおかげだ。
何も恥じることなんてない。
いつものように心のなかで強く自分に信じ込ませながら、香奈枝はゆっくりと顔を上げ背筋を伸ばした。
「ファッション誌の編集のくせに、いつまで経っても垢抜けないし」
「どんなに磨いても石ころのままの石だって、あるってことよ。かわいそうにね」
クスクスと癪にさわる笑い声をあげながら盛り上がる二人に、スッと人影が近づいた。
「あの、もう少し声を落としていただけませんか?」
朝陽の澄んだ声が、ロビーに静かに響き渡る。
どうして彼は、いつだって自分にとってのヒーローになってくれるのだろう。
自身の悪口で盛り上がる女子社員の前に立つ彼を見つめながら、香奈枝は心の中で呟いた。
「恥ずかしげもなくそんな大声で話されたら、嫌でも耳に入るじゃないですか。ただでさえ不快な内容なのに」
物腰やわらげに、しかしながらきっぱりと主張をする朝陽の言葉は、香奈枝に勇気を与えるのに十分だった。
こうやって自分の肩を持ってくれる人がいる。自分の味方をしてくれる人がいる。その存在が、どれだけありがたいことか。
香奈枝は心の奥が、ギューッと掴まれる感覚をかみしめた。
「申し訳ないですけど、あなたたちのことは知りません。でも、八代香奈枝さんのことはよく知ってます。僕は彼女の仕事のファンです。彼女は常に信念を持って、読者により良い誌面を届けようと日々身を粉にして働いています。そんな彼女のことをよく知りもしないで、ギャーギャーと勝手なこ」
だんだんと朝陽の口調が熱を帯びてきたのに気づき、香奈枝は慌てて彼の目の前まで駆け寄った。
先ほどまで無関心だったロビーの人々が、徐々に朝陽に注目し始めたからだ。こんなところで注目を浴びるのも、ひと悶着起こすのも香奈枝の本意ではない。
「朝陽さん、お待たせ。早く行こう?」
言いながら彼女が軽く彼の腕を引けば、先ほどまで吊り上がっていたはずの彼の眼が一気に優しく垂れ下がり、満面の笑みへと変わっていく。心を許しきったかのようなその表情はいつだって香奈枝を赤面させる。
「香奈ちゃんお疲れ様」
極上の笑顔で放たれるその言葉は、まさに香奈枝にとっては疲れを一発で吹き飛ばしてくれる最上級の特効薬だ。この笑顔さえあれば、エナジードリンクなんて不要だと香奈枝はいつも思う。
「朝陽さんも打ち合わせお疲れ様」
香奈枝は朝陽に笑顔を向けてから、改めてくるり、と女子社員の方へと体の向きを変えた。
「お二人も、本日の業務お疲れさまでした」
ニコリ、と効果音がしそうなほどの作り笑いを向けてから、香奈枝は朝陽の腕を引いて社屋を後にする。
「あの二人、もうちょっと何か言ってやっても良かったんじゃないの?」
香奈枝の隣を歩きながら、朝陽は不満げに口を尖らせた。
「いいの。あの二人に付き合うだけ労力と時間の無駄」
それに、彼の連れが私だと知ったあの二人の顔ったら。驚きと悔しさが一瞬で広がるあの表情を見るに、それだけで十分な仕返しになっただろう、と心の中で香奈枝は独り言ちた。
「で、今日ご紹介いただけるお店はどちらでしょうか?」
いつもの調子で、冗談めかして香奈枝は問いかける。
「えー、本日紹介するお店は、新しくオープンした注目の中華料理屋さんです。少し歩くけど大丈夫?」
「大丈夫! わー、中華好きだから嬉しいな」
フフフ、と笑いながら軽やかに歩く香奈枝の背中を見つめながら、朝陽の口元は自然と弧を描いた。
勤務先の廊下を歩く八代香奈枝の足を止めたのは、不意に耳に入ったそんな言葉だった。
「あ、堀内さんもそう思いましたか? 実は私も、そうじゃないかって思ってたんですよ」
エレベーターホールで繰り広げられる会話に、香奈枝はこっそり耳をそばだてる。あの声はおそらく、朝陽さんが連載を担当している男性向け情報誌の編集担当だ、と。
「お店のチョイスの仕方が明らかに、って感じじゃないですか。今までとは違ってきてて、やっぱり彼女さんの影響ですかねぇ」
「どうだろうね。まああの様子じゃ、うちではそろそろ切らないと、だろう」
「残念ですけどね」
ポーン、というエレベータの音とともに、二人の会話は香奈枝の耳には届かなくなった。
本条朝陽は、人気の若手フードライターだ。主に独身男性向けの記事を得意としている。いわゆる男飯や女性をデートに誘うのにぴったりなレストランの紹介で人気を博しており、雑誌での連載はもちろん、テレビやSNSなど様々なメディアで活躍している。加えて、女性の目を引く端正な顔立ちとモデル並みのスタイルの持ち主のため、女性人気が非常に高い。男女両方から支持を集めているのが、朝陽の強みだ。
そんな朝陽に香奈枝が恋心を抱くようになったのは、ごくごく自然な流れだった。
女性ファッション誌の編集者である香奈枝は、数年前に仕事を通じて朝陽と知り合った。彼女が当時担当したデートスポット特集のページに、朝陽がゲストとしておすすめのカフェやレストランを紹介したのがきっかけだ。共に店へ取材に行った際、二人はすっかり意気投合。
それからというもの、香奈枝と朝陽は毎日のように連絡を取り合うようになった。香奈枝が多忙なため、日々のやり取りは文字が中心だが、日常の些細なことから重要な相談まで、なんでも話せる朝陽の存在は彼女にとって重要だった。
そんな彼女が朝陽との交流で最も楽しみにしているのは、食事を共にすることだった。仕事柄、朝陽が良い店を知っているから、ではない。確かに、朝陽が時折見せる真剣な表情に胸がときめくのは事実だ。しかし、彼女が一番嬉しいのは、食事という彼にとって大切な時間を共に過ごせるという事実、そして何より、彼と顔を合わせて会話できるその瞬間だった。
朝陽を魅力的だと思うのは、簡単だ。香奈枝自身、会う前から彼を魅力的だと思っていた。初めて直接会ったときにも、彼の外側の魅力に魅了された。整った顔立ちが時折見せるチャーミングな表情には、誰しもが胸を撃ち抜かれることだろう。
けれども、それ以上に、彼の気さくな性格や物事の考え方、そして何より彼の自然な優しい態度に、彼女の心はガッツリと掴まれてしまった。会えば会うほど、共に過ごす時間が長くなればなるほど、香奈枝の朝陽への想いが深まっていった。
そんな彼女に、今しがた耳にしたニュースは衝撃だった。
朝陽の結婚が近いだなんて話は寝耳に水だった。思い返してみても、彼がそんなそぶりを見せたことはなかっただけに、衝撃は大きかった。
出会ったばかりの頃は、彼から女性の話を聞くことも少なくなかった。新しく出会った美女とのやりとりについて、深夜に相談を受けた時には、壁に頭を打ち付けたくなる気持ちを抑えながら返信したのを覚えている。けれども、思い返せば最近はそのような話題もとんとなくなっていた。そのせいですっかり油断してしまっていたが、朝陽はとにかくモテる。独り身なら女性が放っておかないだろうし、恋人がいることはごく自然なことだ。
香奈枝だってバカではない。平凡、いやむしろ平凡以下な自分を、朝陽が恋愛対象として見ていないことは分かりきっていた。彼にとって自分はあくまでも、ただの親しい友人の域を出ないことなど、分かっていた。納得した上で、その関係を続けていたはずだった。それでも、彼が結婚するかもしれないと聞けば、胸は痛むし気分だって落ち込む。
さらに、朝陽の連載が打ち切られるかもしれない。
彼がどれだけの情熱をもって仕事に取り組んでいるかを、香奈枝は知っている。その1つを失うという可能性に、彼女はたいそう胸を痛めた。
そもそも、出会いのきっかけとなった仕事もこの男性向け情報誌での連載が縁だった。この連載のために彼はこの出版社に多く立ち寄っていたし、それが二人で食事を共にする機会にもつながっていた。連載がなくなってしまえば、おのずと会う回数は減っていくだろう。
まあ、結婚すればどのみち二人で食事に行くことも自然と減っただろうけれども。
香奈枝は深い溜息をつく。
唐突に訪れた朝陽を失うかもしれないという現実に、何とも言えない喪失感を覚える。
そんな心境でも、香奈枝の仕事が無くなるわけではない。次から次へと湧いてくる仕事を、彼女は必死にこなしていく。撮影スケジュールの調整を終え、休憩だと言わんばかりにプライベート用のスマートフォンを取り出す。
ぼんやりと通知を眺めていると、朝陽からメッセージが届いていることに気づく。緩む口角に気づかぬまま、香奈枝は慌てて通知をタップしてメッセージを開く。
『今日もそっちで編集担当と打ち合わせ。終わったら一緒に夕飯を食べよう!』
シンプルなメッセージでも、香奈枝を喜ばせるには十分だ。香奈枝は頭の中で今日のスケジュールを確認する。特段繁忙期ではないし、今日中に終わらせなければいけない仕事は多くない。いける!
香奈枝がすぐさま快諾の旨を返信すれば、彼女の返信を待ちわびていたかのように、『仕事終わったら連絡して』と返信が届く。今朝、耳にした会話を思い出し、胸の奥が切なく疼くのを自覚しながらも、香奈枝は早く仕事を片付けよう、といつも以上に気合を入れて目の前の業務に取り組むことにした。
終業後、香奈枝はついつい頬が緩んでしまうのを抑えながら、エレベーターで朝陽の待つ地上階に向かう。
エレベーターを降りてすぐに、香奈枝は朝陽を視界に捉えた。朝陽の際立ったスタイルは否が応でも人目を引くが、香奈枝がいつだってすぐに彼を見つけられるのは、恋心がなし得る技だ。まだ彼女の存在に気づいていない朝陽の元へと少しずつ距離を縮めていく。
そんな彼女の足が、前を行く女性社員の会話でピタリと止まる。
「マジでムカつくわ、八代香奈枝。なんで編集長に気に入られてるのか、謎過ぎるし」
「ホント、ホント。あの体型でファッション誌の編集って。自分の担当してる雑誌に載ってる服、着られないくせに」
無遠慮な言葉たちが、ロビーに響き渡る。その内容が自分のことだなんて、恥ずかしすぎる。香奈枝は頬を赤く染めながら俯いた。
確かに、二人の言葉には頷ける部分もある。香奈枝自身、同じ疑問を抱くことはしょっちゅうだ。どうして自分のような見た目の人間が女性ファッション誌の編集をしているのだろう、と数え切れないほど自分に問いかけてきた。
キラキラとしたモデルの笑顔は眩しいが、その体型は自分のそれとはかけ離れている。鏡を見るたびにため息が漏れるし、体重計に乗るのは考えうる最悪の悪夢の1つだ。そのうえ、身長は低いし、童顔な地味顔。実年齢より幼く見られることは、しょっちゅうである。
この雑誌を自分が担当するのは正しいことなのか、たびたび自分に問いかけている。けれども、いつも同じ答えにたどり着く。
チャンスがある限り、自分にしか作れない誌面を読者に届けたい。
それが、香奈枝なりの編集者としての心持ちだった。だからこそ自分の作ってきた誌面は、どれも胸を張って読者に提供できるものばかりだ。全ては、こんな自分を受入れて編集者としての才能を見いだし、認めて能力を高めてくれた編集長のおかげだ。
何も恥じることなんてない。
いつものように心のなかで強く自分に信じ込ませながら、香奈枝はゆっくりと顔を上げ背筋を伸ばした。
「ファッション誌の編集のくせに、いつまで経っても垢抜けないし」
「どんなに磨いても石ころのままの石だって、あるってことよ。かわいそうにね」
クスクスと癪にさわる笑い声をあげながら盛り上がる二人に、スッと人影が近づいた。
「あの、もう少し声を落としていただけませんか?」
朝陽の澄んだ声が、ロビーに静かに響き渡る。
どうして彼は、いつだって自分にとってのヒーローになってくれるのだろう。
自身の悪口で盛り上がる女子社員の前に立つ彼を見つめながら、香奈枝は心の中で呟いた。
「恥ずかしげもなくそんな大声で話されたら、嫌でも耳に入るじゃないですか。ただでさえ不快な内容なのに」
物腰やわらげに、しかしながらきっぱりと主張をする朝陽の言葉は、香奈枝に勇気を与えるのに十分だった。
こうやって自分の肩を持ってくれる人がいる。自分の味方をしてくれる人がいる。その存在が、どれだけありがたいことか。
香奈枝は心の奥が、ギューッと掴まれる感覚をかみしめた。
「申し訳ないですけど、あなたたちのことは知りません。でも、八代香奈枝さんのことはよく知ってます。僕は彼女の仕事のファンです。彼女は常に信念を持って、読者により良い誌面を届けようと日々身を粉にして働いています。そんな彼女のことをよく知りもしないで、ギャーギャーと勝手なこ」
だんだんと朝陽の口調が熱を帯びてきたのに気づき、香奈枝は慌てて彼の目の前まで駆け寄った。
先ほどまで無関心だったロビーの人々が、徐々に朝陽に注目し始めたからだ。こんなところで注目を浴びるのも、ひと悶着起こすのも香奈枝の本意ではない。
「朝陽さん、お待たせ。早く行こう?」
言いながら彼女が軽く彼の腕を引けば、先ほどまで吊り上がっていたはずの彼の眼が一気に優しく垂れ下がり、満面の笑みへと変わっていく。心を許しきったかのようなその表情はいつだって香奈枝を赤面させる。
「香奈ちゃんお疲れ様」
極上の笑顔で放たれるその言葉は、まさに香奈枝にとっては疲れを一発で吹き飛ばしてくれる最上級の特効薬だ。この笑顔さえあれば、エナジードリンクなんて不要だと香奈枝はいつも思う。
「朝陽さんも打ち合わせお疲れ様」
香奈枝は朝陽に笑顔を向けてから、改めてくるり、と女子社員の方へと体の向きを変えた。
「お二人も、本日の業務お疲れさまでした」
ニコリ、と効果音がしそうなほどの作り笑いを向けてから、香奈枝は朝陽の腕を引いて社屋を後にする。
「あの二人、もうちょっと何か言ってやっても良かったんじゃないの?」
香奈枝の隣を歩きながら、朝陽は不満げに口を尖らせた。
「いいの。あの二人に付き合うだけ労力と時間の無駄」
それに、彼の連れが私だと知ったあの二人の顔ったら。驚きと悔しさが一瞬で広がるあの表情を見るに、それだけで十分な仕返しになっただろう、と心の中で香奈枝は独り言ちた。
「で、今日ご紹介いただけるお店はどちらでしょうか?」
いつもの調子で、冗談めかして香奈枝は問いかける。
「えー、本日紹介するお店は、新しくオープンした注目の中華料理屋さんです。少し歩くけど大丈夫?」
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