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3話 アルルとリンネ
唾液味? それとも胃液味?
しおりを挟むどれだけ走ったのかは分かりません。
このトンネル、一体どこまで続いているのやら。
「はひ、はひ」
体力の限界を迎え、情けなくも遅れ始めた私を見かねて、リンネさんはようやく巨大スライムを仕留めてくれました。
息一つ上がっていません。
化け物かこの人……。
「まあ冒険者ですから」
「私だって、幼い頃から野山を駆け回っていた方だというのに……」
狭いトンネルの中、壁を背にしてへたり込みます。
職業柄、逃げ足には自信があったのです。
過信に過ぎないことが証明されてしまいました。
「それにわたしの場合、栄養補給も滞りなく行えますし」
リンネさんは、ぺろりと舌で唇を拭います。
「ずるい……」
私の方は喉を潤すことさえできません。準備不足もいいとこ。
だって、こんなことになるとは思いもしませんでしたし。
「さて。こうなってしまった以上仕方ありません。先に進みましょう」
リンネさんは意気揚々とランタンを翳して先を見つめます。
私と違って気力体力ともに準備満タンなようで。
最初からこういう状況に陥ることを想定していたようにも見えます。
「先にも言いかけましたが、こうなることは予想していました」
「だったら、なんでそれをギルドに言わなかったの?」
「可能性の一つとして話は通しました。その上で今回の調査依頼が組まれたのです。不測の事態に対応できるよう、適する人材が最少人数でパーティーを組み、事に当たろうと」
つまり、本来はスライムイーターことリンネさん一人で行うクエストであったと。
私、完全にお荷物……。
「それならそれでちゃんと事前に言っといてよ……。私、何の準備もしてないんだけど?」
おかげで手を引いて引っ張り起こしてもらう始末です。
新調した上衣の袖で浮き出る汗を拭い、軽い口渇を訴え始めた唇を舐めます。
満足な装備もなしに初めての洞窟探索だなんて、冒険者人生ハードモードが過ぎる……。
「お腹は空くし、喉だって渇くし。行方不明者を見つけるどころか、遭難者が一名追加される展開待ったなしじゃない」
「食料と水をご所望ですか。ならば」
「え、何か当てがあるの?」
それは助かると期待した矢先、澄んだ色をした瞳がすぐ近くにありました。
「失礼」
柔らかな唇を押し当てられます。
「んぐっ?」
何事かと驚くよりも早く、どろりとした感触が口内に侵入し、一気に満たしました。
堪らずごくりと飲み込むと、濃密なゼリー状の液体が何の抵抗感もなく喉奥を滑り落ち、胃の中に収まりました。
「ん……っ、こほ、けほ。……な、何なの、いきなり」
三十秒の熱い接吻を経て解放されます。
私、初めてなのに……。
「一体何を流し込んで?」
聞かずとも、何となく答えが予想できました。
「先程捕食したスライムです」
ああ、やっぱりぃ……。
「ご心配なく。アルル様の臓腑が溶け落ちるようなことはありませんから」
「え。そうなの?」
目を白黒させて、慌てて隅っこで嘔吐く私。その背をさすりながら、リンネさんは得意げに胸を張ります。
「わたしの消化器官はとても優秀なので」
「どういう理屈だ……」
「スライムの酸力は核から離れた時点で霧散します。今しがた、あなた様に流し込んだ体液は食料として安全です」
いろんな言葉が迷子です。
「そういえば、中和する効果があるんだっけ。つまり、リンネさんは一度捕食したスライムを無毒化して吐き出したということ? え、リンネさんはれっきとした人間なの?」
「見ての通りです」
見た目から判断してはいけない存在が目の前で澄ましていました。
女神に仕える神官がスライムを捕食し、自在に吐き出す。
不敬もいいとこ。
もうそろそろついていけなくなりそうです。
「いや、そもそもスライムを食料にするって考え方がもはや末期」
「口渇も空腹も一度に解決したでしょう?」
「それはそうだけど」
欲を言えばもう少し何とかならないものかと。
ビジュアル的に、深層心理的に、受け入れがたいものがあります。
まだあのドロッとした感触が口内にへばりついており、先程まで空っぽだった胃にはずっしりとした重みを感じます。
何となくの不快感に口をもごもごさせ、頬の内側や歯列の間に舌を這わせます。
「お味の方はいかがでしょう?」
「何だろう、不思議な感触……。それにほんのり甘くて……。なにこれ、リンネさんの唾液味? それとも胃液味?」
「スライム本来の味です」
これは意外、美味でした。
鼻から抜けるような薄い甘味がほんのり広がり、私好みと言えなくもありません。
粉寒天を溶かして固めた和菓子に似ているかも。
「スライムの味は生息する環境によって変わります。一概に言えませんが、肉食スライムは基本美味しいです。この先もスライムが豊富そうですし、これで食料と水の問題は解決ですね」
「解決としてしまっていいのかな」
甚だ疑問ですが、さておきとしましょう。
喉とお腹が満たされ、少々心に余裕が出てきました。
仕方ありません、諦めましょういろいろを。
「おや、腹を括りましたか」
「どうせこのまま引き返したところで、今度はトンネルの調査を依頼されるのがオチだし」
ならば、行けるところまで行ってみましょう。
「その意気です。共に美味なるスライムを探す冒険の旅へ」
「そろそろいい加減にしときなさいよ?」
「失礼、場を和ませようと思いまして」
「純粋な食欲でしょうに」
私たちはトンネルの奥に向かって進み始めました。
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