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3話 ゆかりさんとわたしと、校舎裏にて
あなたがみぃちゃん?
しおりを挟む「ゆかりさん」
呼び掛けに、閉じられていた瞼が薄く開いて、わたしを見つけて、
「…………」
どこか不思議そうな顔をしました。
誰だろうという、初めて出会う人に向ける素朴な疑問の表情。
ほんのわずかな戸惑いの気持ち。
それがわたしに向けられています。
わたしはきゅっと唇を結び、それだけで何とか堪えてベッドの脇に椅子を持ってきて腰掛けます。
それからゆかりさんの顔を覗きこもうとすると、同時にゆかりさんは上半身を起こそうとします。
「あ、無理したら」
慌てて止めようとするわたしを制して身を起こし、ゆかりさんはわたしの方に顔を向けてじっと見つめてきました。
改めて、霊体のゆかりさんと比べてみると両者にはまったく違いがなく。
長い睫も流れるような黒髪も瓜二つ。
当然です、だってもとは同じひとつの〝ゆかりさん〟であるのですから。
ただ、こちらのゆかりさんは病弱ながらもしっかりとしていて、顔の輪郭が揺らいで光に溶け込んでしまいそうなことはありませんでした。
「あの、聞いてもいいかしら」
お互いに言葉もなく見つめ合うことしばし。
ゆかりさんは薄く唇を動かしました。
いつも通りの高く澄んだ声。今のゆかりさんは、惜しみなく声を乗せて言葉を紡ぐことができるのです。
「えっと、なにかな?」
「あなたがみぃちゃん?」
「ゆっ、ゆかりさん! わたしのこと……っ」
確かめるような問いかけに、驚きと嬉しさで思わず立ち上がりかけたわたしでしたが、
「ごめんなさい」
ゆかりさんは静かに首を横に振り、きっぱりと否定しました。
「検査をしてくれた看護師さんから名前を聞いていただけなの」
「そ、そっか……。うん、そうだよね……。その看護師さんってゆかりさんのお母さんだよ」
「そうらしいわね」
浮いた腰を下ろしたわたしに呟くようにそう言った後、ゆかりさんはため息を漏らすようにもう一度、ごめんなさいと繰り返しました。
覚えていなくてごめんなさい、と。
「友達も、親のことも……。自分の名前すら分からなくて……。頭に霧がかかったみたいにぼんやりとしているの」
「ずっと眠っていて起きたばかりなんだから仕方ないよ、落ち込まないで」
申し訳なさそうに項垂れてしまうゆかりさん。
何とか励まそうと、わたしは努めて明るい声を作ります。
ゆかりさんは顔を上げ、静かな瞳でわたしを見つめて、
「良かったら教えてくれないかしら。あなたのこと」
「わたしの?」
「そう。友達、だったのよね?」
「うん。わたしにとってゆかりさんは一番の友達だよ」
「一番の? こんな私と?」
「……うん、そうだよ」
ゆかりさんは悲しげに、それでもどこか諦めたような達観した表情で自虐的なことを言います。
記憶に障害が出ていても、きちんと自身の置かれている状況を把握できているのでしょう。
病弱で、ほとんど病院から出たことがなくて、学校にも通っていなくて。
それでも友達だというわたしの存在を、素直に受け入れられないのです。
分かっていました。
前にも同じことがあったから。
同じことを聞かれたから。
その時はショックで言葉が出なくて、目覚めたばかりのゆかりさんを酷く困惑させてしまいましたが、今は大丈夫。
わたしはひとつ頷いて、それからきちんとゆかりさんと向き合いました。
にっこりと、笑顔で。
「わたしにとってゆかりさんは、とっても大切な人なの」
それからわたしは、ゆかりさんに語りました。
出会いからこれまでの楽しかった思い出を。
二人で一緒に過ごした日々を。
限られた短い時間の中で、それでも精一杯。わたしの想いが伝わるように。
そんな風に言葉にしてふと思い返せば、そうです。あの時のことがきっかけでした。
ゆかりさんが深い眠りに就いてしまってから初めて目を覚ました日。
嬉しさのあまり病室に飛び込んできたわたしを見て、素朴に首を傾げて。
「あなたはだあれ?」
静かな声で、そう訊ねられた時。
その言葉に撃ち抜かれたわたしは、それ以来彼女のことを〝ゆかりさん〟と呼ぶようになりました。
再びゆかりさんが霊体となってあの古風な家に帰ってきた後も、いつの間にか〝ゆぅちゃん〟とは呼べなくなってしまいました。
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