Boundary Balance ー世界を量る少女は教室ではよくしゃべるー

おぼろ藍

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ヤモリの異変

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夜の学園は、昼よりも整いすぎて見える。
 私は寮を抜けて、中庭へ降りた。
 理由はない。  ……多分。
 部屋にいると、妙に息が詰まった。
 石畳を歩く音が、乾いた円を描く。  昼は生徒で埋まるこの場所も、今は静かだった。
 中央の円形花壇。  季節ごとに植え替えられる花が、きちんと区切られている。
 私はその縁に腰を下ろした。
「……脚本、どうしよ」
 空を見上げる。
 雲がゆっくり流れている。  星は、半分だけ覗いていた。
 ポケットから、折りたたんだメモを取り出す。
 ――2。
 指先で文字をなぞる。
「灯ちゃん……これ、どういう意味」
 答えは、当然ない。
 風が吹く。  花壇の花が、波みたいに揺れた。
 そのとき。
 石の隙間から、小さな影が這い出た。
「……あ」
 ヤモリだった。
 白に近い体が、街灯の光をやわらかく弾いている。
「来てたんだ」
 小さく笑う。
 ヤモリは、いつも通り何も返さない。
 でも。
 今日は止まらなかった。
 花壇の縁を、一定の速さで進む。  円をなぞるように。
「……どこ行くの」
 私は立ち上がる。
 ヤモリは、花壇の中央で止まった。
 そこは、色の違う花が境目で交わる場所だった。  季節が混ざるように見える、小さな円。
 ヤモリは、その境目の上に乗る。
 動かない。
 じっと、空を見上げる。
 私は隣にしゃがみ込む。
「……境目、好きだよね」
 ぽつりと呟く。
 赤い花と、白い花が風で触れ合う。  混ざらないまま、触れている。
 灯の仕草。  地下審議室。  湊の夢。
 全部が、静かに重なっていく。
 ヤモリの尾が、ぴくりと揺れた。
 その瞬間。
 遠くの校舎の窓が、一瞬だけ光った。
 私は顔を上げる。
 旧研究棟。
 夜は基本、立ち入り禁止のはずの場所。
 光は、すぐ消えた。
「……」
 胸の奥が、ざわつく。
 私は立ち上がる。
 でも、足が動かない。
 五大賢としてなら、すぐ確認に行く。
 でも。
 今ここにいるのは、演劇部で脚本に悩んでいるだけの女子生徒。
 拳を握る。
「……観察」
 小さく呟く。
「まだ、観察」
 自分に言い聞かせるみたいに。
 ヤモリが急に走った。
 境目を離れる。  花壇の縁を素早く駆ける。
 その進む方向は。
 旧研究棟へ続く小道だった。
「……え」
 私は一歩踏み出す。
 ヤモリは振り返らない。  止まらない。
 まるで、時間が押しているみたいに。
 私はメモを握りしめる。
 ――2。
 喉が乾く。
「……待って」
 私は小走りになる。
 ヤモリの影が、街灯の下で伸びる。
 細い影は、どこかへ繋がる線みたいだった。
 途中で、私は立ち止まる。
 旧研究棟へ続く角。  そこから先は、監視の死角になる。
 息を整える。
 鼓動が、やけに大きい。
「……もし」
 言葉が、途切れる。
「もう始まってるなら」
 風が吹く。  木の葉が擦れる音が、夜に溶ける。
 私は視線を落とす。
 ヤモリは、すでに角を曲がって消えていた。
 私は目を閉じる。
 数秒。
 深く息を吸う。  吐く。
その頃。
 校舎の地下。  記録室の封鎖扉が、無音で解錠されていた。
 それを。
 咲夜は、まだ知らない。
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