Boundary Balance ー世界を量る少女は教室ではよくしゃべるー

おぼろ藍

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裏の動き

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高瀬一斗・視点
 咲夜の足音が、庭の奥へ消えていく。
 完全に聞こえなくなるまで。  一斗は動かなかった。
 街灯がひとつ瞬く。
「……甘い」
 誰に向けた言葉でもない。
 ポケットの中で、微かな震えが伝わる。
 指を差し入れると、黒いヤモリが腕に這い上がってきた。
 個体識別符号《三》。
 鉄律に属する式神。
 冷たい鱗が制服の袖に触れる。
「報告」
 ヤモリは首を持ち上げる。
 当然、言葉はない。
 だが。
 尻尾の振動が、一定の間隔で刻まれる。
 一斗は目を閉じ、数える。
 三回。  間。  二回。  長い停止。  一回。
「……移動済みか」
 研究棟の方を見る。
 窓は暗いまま。
 しかし。
 気配は、ある。
 人間のものではない、密度の揺れ。
「ノクス側の接触確認」
 ヤモリがわずかに顎を上下させる。
 肯定。
 一斗は本を開く。
 分厚い法典。  だが、その中には紙の栞が何本も挟まれている。
 あるページを開く。
 そこには。
 手書きの記録。
 整いすぎて、逆に冷たい文字。
 《観察対象:月代湊》
 《接触経路:校内地下配線》
 《関与勢力:推定ノクス系統》
「……予測より、早い」
 ページをめくる。
 別の記録。
 古いインク。
 色がわずかに褪せている。
 一斗の指が止まる。
 そこに書かれていたのは。
 《前代天秤・判断遅延》
 《施設消失事案》
 ほんの一瞬だけ。
 視線が固まる。
「……同じ軌道だ」
 ヤモリが、彼の手首を一周する。
 警戒を示す動き。
「分かっている」
 一斗は本を閉じる。
「だから」
 静かに言う。
「今回は切る」
 風が強く吹く。
 研究棟の屋上で、何かが軋んだ。
 一斗は歩き出す。
 正面玄関ではない。
 建物の側面。  施錠された非常口。
 ヤモリが、先に壁を登る。
 その動きに合わせて。
 一斗は、ポケットから小さな金属板を取り出した。
 校章に似た意匠。
 だが中心に刻まれている紋様は、五角の輪。
 扉の電子錠に触れさせる。
 沈黙。
 次の瞬間。
 わずかな作動音。
 ロックが外れる。
「……学園側も、まだ完全には気付いていない」
 扉を開ける。
 暗い廊下。
 埃の匂い。  使われていない空気。
 一斗は迷わず進む。
 足音が、やけに響く。
 途中で立ち止まる。
 天井の監視カメラ。
 赤いランプが消えている。
「切断済み」
 ヤモリが、壁の配線口を指し示す。
「湊の仕事か」
 答えはない。
 だが。  可能性は高い。
 廊下の奥。
 地下へ続く階段。
 一斗は、手すりに触れる。
 金属が冷たい。
 その瞬間。
 脳裏に、別の光景が過る。
 燃える研究区画。  崩れ落ちる防壁。  通信越しの、焦った声。
 ――まだ証明が……
 そこで記憶は止まる。
 一斗は、手を離す。
「……証明など」
 小さく呟く。
「結果のあとで十分だ」
 階段を降りる。
 一段。  二段。
 ヤモリが突然、体を強張らせる。
 尻尾が鋭く振れる。
 警戒信号。
 一斗は足を止める。
 空気が、変わる。
 湿度が一瞬だけ上がる。
 そして。
 微かな足音。
 下層から。
 人のもの。
 だが、軽すぎる。
 子供のように。
 それでいて。
 気配だけが、異様に重い。
「……複数勢力」
 一斗の目が細まる。
「面倒だな」
 ヤモリが肩に移動する。
 一斗は、制服のボタンを一つ外す。
 動きを制限しないための癖。
「最悪の想定に合わせる」
 そう呟いた瞬間。
 地下から、微かな光が揺れた。
 青白い。
 人工灯ではない。
 一斗は、静かに息を吸う。
「――接触を確認」
 誰に向けた報告でもない。
 だが。
 鉄律の法典としての宣言だった。
 そして彼は。
 躊躇なく、闇の階段を降りていった。
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