Boundary Balance ー世界を量る少女は教室ではよくしゃべるー

おぼろ藍

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聖光の冠 月代湊

夜の屋上は、静まり返っていた。
寮の灯りが遠くに滲み、雲に覆われた月が、世界を鈍い銀色に染めている。
湊はフェンスにもたれていた。
開いたノートのページが、風に小さく揺れる。
背後で、足音が止まる。
「……来ると思ってた」
振り返らずに言う。
「噂、あるんだよ」
ゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは、
白いベールを纏った少女だった。
輪郭だけが月光に浮かび、表情は光の奥に沈んでいる。
湊は目を細めた。
「五大賢」
わずかに息を吐く。
「……その中の誰か、だよね」
少女は答えない。
ただ、一歩近づく。
「《聖光の冠》」
柔らかく、それでいて揺らがない声。
湊の肩が、ほんのわずかに強張る。
「……本当にいるんだな」
灯は、湊の正面で止まった。
三歩分の距離。
越えれば干渉。
留まれば均衡。
「月代湊」
名を呼ぶ。
「あなたに確認を行います」
「確認?」
「はい」
静かな頷き。
「あなたは現在、ノクス側の計画に関与しています」
湊は、すぐには否定しなかった。
風が吹き抜け、フェンスが微かに鳴る。
「……仮に、そうだとしたら?」
灯は、迷いなく続ける。
「あなたは、その流れに加担しますか」
短い沈黙。
「それとも、離脱しますか」
湊の眉がわずかに動く。
「随分、単純に言うね」
「単純です」
灯は言い切る。
「複雑に見えるだけで、分岐は二つです」
湊は、苦く笑う。
「……猶予とか、ないの?」
「ありません」
即答だった。
屋上の空気が、一瞬だけ凍る。
「判断は、今ここで行ってください」
湊は灯を見つめる。
ベールの奥を覗き込むように。
「それが五大賢のやり方?」
「いいえ」
灯は小さく首を振る。
「これは、《聖光の冠》としての判断です」
湊の視線が、少しだけ鋭くなる。
「……導く役割、だったよな」
「はい」
「これ、導き?」
灯は答える。
「光は、待ちません」
その声は穏やかだった。
だが、逃げ道を一切残さない静けさを持っていた。
湊は、ノートを閉じる。
「俺がノクスに関わってる理由、聞かないんだ」
「必要ありません」
「へぇ」
「理由は、選択を正当化します」
灯は続ける。
「ですが、結果は変わりません」
湊は視線を逸らす。
「……冷たいな」
「中立です」
風が、ベールを揺らす。
「あなたがどちらを選んでも、私はそれを確定として扱います」
湊は、空を見上げる。
雲の切れ間から、月が覗く。
「もし」
小さく呟く。
「両方、拒否したら?」
灯は、わずかに沈黙する。
それは、迷いではなく、測定のようだった。
「その場合」
静かに告げる。
「あなたは、均衡を崩す存在として扱われます」
湊の瞳が揺れる。
「……つまり」
「保護対象ではなくなります」
沈黙。
遠くで、夜のチャイムが鳴った。
湊は拳を握る。
爪が掌に食い込む。
「……一つ聞く」
「はい」
「俺が離脱した場合」
湊は、まっすぐ灯を見る。
「ノクスは止まる?」
灯は、すぐには答えなかった。
数秒。
やがて。
「いいえ」
静かに言う。
「ですが、進行は変化します」
湊は、目を閉じる。
長い呼吸。
風が通り過ぎる。
そして。
「……分かった」
ゆっくり、目を開く。
その瞳には、決意と、わずかな迷いが混ざっていた。
「俺は――」
言葉が、夜に落ちる。
空気が、ほんのわずかに変わる。
灯は、静かに頷いた。
「確認しました」
それだけ。
安堵も、賞賛もない。
ただ、確定。
「あなたの選択は記録されます」
湊は、苦笑する。
「怖い言い方」
「事実です」
灯は一歩下がる。
「ただし」
その声が、ほんの少しだけ柔らぐ。
「あなたの立場は、より不安定になります」
「覚悟してる」
湊は言った。
「……多分」
灯は、わずかに視線を伏せる。
「月代湊」
名を呼ぶ。
「道を見失った場合」
少し間を置く。
「光は、必ずどこかにあります」
湊は、何も答えない。
灯は背を向ける。
そのまま、階段へ歩き出す。
ベールが、月光の中に溶けていく。
屋上に残された湊は、ゆっくりとノートを開いた。
描きかけの設計図。
そこに、一本だけ線を引く。
まるで。
進路を、書き換えるように。
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