Boundary Balance ー世界を量る少女は教室ではよくしゃべるー

おぼろ藍

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誰もいない部屋

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天井の角に、二匹は貼りついていた。
 壁紙の継ぎ目に爪を引っかけ、尾をゆるく揺らす。咲夜の部屋は昼間でも薄暗い。カーテンが半分だけ閉じられているからだ。
 
(主、いない)
 
 小さい方が、ガラス窓の方を見ながら言う。
 
(匂いは残ってる。甘い紙と、インクと、砂糖菓子)
 
(砂糖菓子は昨日だ。受付の差し入れ)
 
 少し大きい方が訂正する。尾の先が、ぴくりと動いた。
 
 机の上には、本が何冊も重なっている。
 その隣。
 
 布を敷いた台座に、天秤が置かれていた。
 
 金属はくすんでいる。
 だが皿の縁だけ、妙に新しい。
 
(あれ、今日も置いてある)
 
(あれはいつも置いてある)
 
 沈黙が落ちる。
 
 外から、文化祭のざわめきが遠く聞こえた。
 校庭のスピーカーが、かすかに笑い声を運んでくる。
 
 
 そのとき。
 
 カタン。
 
 
 二匹の腹が、同時に床側へ沈んだ。
 
 天秤の片皿が、ゆっくりと下がる。
 
 
(……風?)
 
(窓、閉まってる)
 
 
 皿は止まらない。
 じわり、と角度がつく。
 
 反対側の皿が、わずかに浮き上がる。
 
 
(主、触ってない)
 
(主は、今、人間の遊び場にいる)
 
 
 小さい方が、首を伸ばして覗き込む。
 瞳孔が細くなった。
 
(……匂い、違う)
 
(どっちの)
 
(前の)
 
 
 大きい方の尾が、ぴたりと止まる。
 
 
(前って)
 
(前の主じゃない。もっと前)
 
 
 天秤が、さらに傾く。
 
 金属が擦れる音が、部屋に細く響いた。
 
 
(割れた匂いがする)
 
(……破片)
 
 
 小さい方が、天井から少しだけ位置をずらす。
 慎重に、壁を横移動する。
 
 
(これ、つぎはぎ)
 
 
 台座の縁を見下ろす。
 
 装飾の継ぎ目。
 均一ではない彫り。
 
 
(皿の重さ、揃ってない)
 
(揃ってないのに、いつも真っ直ぐだった)
 
 
 カタン。
 
 
 今度は、反対へわずかに戻る。
 
 だが完全には戻らない。
 
 
(迷ってる)
 
 
 その言葉に、空気がわずかに冷える。
 
 
(天秤が?)
 
(違う)
 
 
 小さい方が、じっと見つめる。
 
 
(中にいるのが)
 
 
 沈黙。
 
 
 外で、太鼓の音が鳴った。
 文化祭の催しが、次の時間帯へ移った合図だ。
 
 
(主、気づいてない)
 
(主は鈍い)
 
(主は優しい)
 
(優しいと鈍いは近い)
 
 
 二匹は、同時に尾を揺らした。
 
 
 天秤の皿が、わずかに震える。
 
 
(……呼ばれてる)
 
 
 小さい方が、呟く。
 
 
(誰に)
 
 
 返事はない。
 
 
 その代わり。
 
 金属の奥から、かすかな軋みが鳴る。
 
 
 まるで。
 
 どこか閉じ込められた歯車が、ゆっくり動き出したみたいに。
 
 
(前の、残ってる)
 
 
 大きい方が、低く言う。
 
 
(前の主、まだ量り終わってない)
 
 
 その瞬間。
 
 天秤が、ぴたりと止まった。
 
 
 完全に斜めのまま。
 
 
 文化祭の歓声が、遠くで膨らむ。
 脱出ゲームの呼び込みが、校舎の廊下に反響している。
 
 
(……戻ってくる)
 
 
(主が?)
 
(違う)
 
 
 小さい方が、尾を巻く。
 
 
(選択が)
 
 
 二匹は、それ以上言わなかった。
 
 ヤモリは、人間の運命には触れない。
 
 ただ。
 
 境界が動いたときだけ、
 壁にしがみついて見ている。
水槽のメダカは一匹だけ、
弱々しく岩の影で息をしていた。
仲間たちは集まって反対側の隅に集まっている。
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