名もなき春に解ける雪

天継 理恵

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春の章 遠くに咲く花1

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 初めて彼女を見た時、思ったの。
 ——人って、こんなに綺麗なんだって。



 春の章 遠くに咲く花



 高校生になった春は、どこか特別だった。

 憧れのセーラー服を着て、何駅も離れた学校に通い出した私は、電車に乗って学校に行くってだけで大人になった気がしてた。
 中学は徒歩圏内だったから、通学に乗り物を使う必要なんてなくて。だからこそ入学初日は、「電車通学」って響きにワクワクしてた。
 「初日くらい車で送ろうか」ってお母さんに言われたけど、「もう高校生なんだから」って気取ってみたりして。
 ちょっと大人ぶりたかっただけなんだけど……朝の満員電車に押しつぶされた途端、そんな気持ちは一気に萎んで消えちゃった。

 これ、あと三年も繰り返すの?

 そう思ったらゲンナリして、高校生って思ったより辛い!ってすぐに思い直した。……あまりに早すぎる絶望だと思うけど。

 それでも私は、女子高生になった。
 今日から通うのは、「私立聖上女子高等学院しりつせいじょうじょしこうとうがくいん」っていう歴史ある女子校。その門を、私はちょっとだけ澄ました顔でくぐった。
 周りはみんな女の子。女子校なんだから当たり前なんだけど、中学までは共学だったから、なんだか不思議な光景だ。

 昇降口で真新しい上靴に履き替えて、正面の廊下へ向かう。入ってすぐのところにクラス割は貼り出されてて、そこには入学したばかりの子たちで人だかりができてた。
 私は頑張ってその中に身を滑り込ませて、みんなと一緒にクラス表をのぞき込んだ。六組まであるから、自分の名前を探すの大変そうだなぁって思ったけど、あっさり見つけてちょっと拍子抜けしちゃった。

 「桜井 羽澄さくらい はずみ

 一組に並ぶ名前の、十番目に書かれた私の名前。私以外の三十七の名前は、今日からクラスメイトになる人の名前だ。
 たくさんの知らない名前が並ぶ、白くて大きな張り紙を見つめる。期待と不安がせめぎ合ってて、自分でもどんな気持ちなのか、なんだかよくわからなかった。

 中学とは違う環境、人間関係。
 一新されて嬉しい部分もあるけど、同時に、ちょっと怖さもある。

 ——私、みんなと上手くやっていけるのかな。

 中学のクラスで、シカトされていた女子のことを思い出す。
 川田さんはちょっと変わった子で、世界史の授業の途中、先生の話を遮って、習っていたオスマン帝国について熱く語り出した。
 クラスみんながドン引きした。私も、正直ビックリした。けど、たったそれだけで、クラスの空気と川田さんという子に対する見方が変わった。

 「アイツ、ちょっとおかしいだろ」
 「オスマン帝国ガチ勢って、キモくない?」

 彼女のいないところで、ヒソヒソと陰口は触れ回っていた。そして気がつけば、彼女はクラスの中で孤立していた。

 ——可哀想と思いながらも、思ってしまった。
 私は、あんな風になりたくないって。

 元々、私は目立つのが好きじゃなかった。って言っても、顔も成績も運動も全部普通だし、そもそも目立てるようなものは何もないんだけど。
 でも、川田さんの時みたいに、人の目は急に変わるから。そうならないためにも、目立ったり変なこと言わないようにって気をつけて、みんなの輪の中で一緒に笑い合うようになってた。

 だから私は、教室に一歩足を踏み入れた瞬間、大きく息を吸った。場に馴染むための第一歩は、いつだって緊張する。
 たくさんの子が、もう席についている。周りを見回せばすでに交流を始めている子たちがいて、席の前後で自己紹介し合う子、すでに知り合いなのか、嬉しそうに同じクラスを喜び合う子たちがいた。そんなグループが、すでにチラホラと見え始めてる。
 乗り遅れちゃいけない。ちょっと焦って席に着くと、私はすぐに後ろの子に挨拶した。

「初めまして。私、桜井羽澄っていうの。今日からよろしくね!」

 明るく笑顔を作って声を弾ませれば、相手は受け入れてくれる。第一印象は大事だってテレビでよく言ってるし、特に笑顔は重要だって聞くから、私はいつもそれを意識してる。

 それだけじゃない。
 会話の選び方、流行りの知識、髪の色や制服の着こなしまで。周りをリサーチして、そこに合わせられるようにって、常に探りまくっていた。
 
 そんな努力の甲斐もあって、私は、入学初日からすぐにクラスメイトの輪に溶け込むことができた。

 声をかけてくれたのは、席の後ろに座っていた子、下田美樹しもだみき
 その周りには、美樹の中学から繋がりのある山根優里やまねゆうり秦野凛はたのりん高橋真由香たかはしまゆかの三人が揃ってた。

 その輪に入れてもらえた私は、すごくラッキーだった。美樹たちとワイワイおしゃべりできて、ひとりにならずに済んで……正直、すごくホッとした。
 こういうのって、ホントに最初が肝心だよね。

 でも、ふと教室の隅に目を移すと、まだ輪に入れていないひとりぼっちの子もいる。

 ——人付き合いが苦手なのかな。ひとりで寂しかったり、不安だったりしないのかな。

 そんなことを思ったけど、美樹に名前を呼ばれて、すぐにその子から目を逸らした。そしてまた、目の前の友達にだけ笑顔を向けた。

 満員電車はやっぱり苦行だけど、友達も出来たし、高校もそれなりに楽しいかも。
 そう思い始めた頃、クラスの最初の苦手イベントはやってきた。

 クラスの委員を決める、ロングホームルーム。
 みんなのやりたくない空気で教室が静まる、地獄のような時間。
 
 私は何年経験しても、この委員決めが苦手だった。
 まだよく知らないクラスメイトの腹を探り合いながら、「誰かやってよ」、「早く決まってよ」なんて、押し付け合うような空気が居た堪れなくて。
 決まるまでいつまでも終わらないし、司会の子は困り果てるし、みんなは知らん顔で帰りたそうな顔をするし。

 ——だから、私はいつも、そんな空気に負けちゃうんだ。

「……はい。私、図書委員やります」

 無言の圧力に耐えきれなくなって、おずおずと手を挙げてしまう。
 ひとりは早々に決まったけど、もうひとり分の枠がいつまでも空いたままだった図書委員。そこに、私は仕方なく名乗りをあげた。
 司会の子があからさまにホッとして、「桜井さんで決まりました!」って宣言する。書記の子が、黒板の下の余白に私の名前を書いていく。

 「図書委員会 桜井羽澄」

 ……ああ。書かれちゃった。決まっちゃった。
 
「じゃあこれでホームルームは終わりなー」

 教室の片隅で黙って見てた担任が、パンッと大きく手を叩いた。終わりの仕切りをしだした先生に、クラスの緊張は緩んでく。

「ようやく帰れるね」
「時間めっちゃ押してんじゃん」
「マジ長かったー」

 ガヤガヤとみんなが愚痴りだす。美樹は後ろの席から私をつついて、「ガンバ~」ってヘラっと笑ってる。

 ——愚痴を言いたいのは、私の方だよ。

 自分で手を挙げたくせに、ちょっとだけ損した気分になって。美樹に笑顔を返しながらも、私はひとり、賑やかな教室の隅でため息をついていた。

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