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出会う一年前
目覚め
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パチリと目が覚めると、そこは見慣れた私室の天井だった。
いやだわ、塗装が剥がれて色が斑な天井だなんて。
思わず顔を顰めて、その私室が嫁いだ公爵家ではなく生まれ育った子爵家の天井だったことを思い出す。
なぜここにいるの?
公爵家で用意された私室の天井は塗装なんてされてなかったわ。
むくりと体を起き上がらせると、体の軽さに驚き二、三度、瞬きを繰り返した。
あの日よりもずっと前から、公爵家に嫁いでから、こんなに体の調子が良かったときがあっただろうか?
下女がするような下働きをこなし、満足に用意してもらえない食事を喉へ流し込み、お風呂さえも入れず冷たい水で体を拭き、薄い毛布にくるまって眠る生活。
疲労がたまり、痩せ細り骨が浮き出てゴツゴツとした体、伸ばし放しの艶のない髪。
恐る恐る自分の体に触って確かめる。
「どういうことなの?」
手も多少荒れてはいるものの、爪はキレイに切りそろえてあり、腕もそれなりに肉が付いていた。
やっぱりここは、公爵家ではないわね。
グルリと部屋の中を見渡しても、懐かしい家具や見慣れた小物ばかりで、公爵家の豪奢な調度品でもなく私室としてあてがわれた粗末な部屋の造りでもない。
「私……たしか、雨の中、山に逃げて……」
崖から足を滑らせて落ちたはず。
あの人からの手を払いのけ、ただ復讐することを誓い、崖下へと落ちた。
たとえ、奇跡的に助かったとしても、騎士たちが点けた火で屋敷は燃えて残っていない。
――この部屋に帰ってくることなどできない。
無意識にペンダントを握りこむ。
コンコン。
「お嬢様? 開けますよ」
部屋の主の返事を待つことなく扉が勢いよくバタンと開け放たれた。
「まあ! 元気そうで安心しましたわ。熱は下がりましたか? 食欲は?」
「…………リーズ?」
遠慮なくズカズカと部屋に入ってきたのは、私が公爵家に嫁ぐまで世話をしてくれた母親代わりの家政婦のリーズだった。
「あらまあ。まだお熱があるのかしら? もうすぐ、サミュエル様が薬湯をもってきてくださいますからね」
「お、お兄様が?」
サミュエルとは兄の名だ。
あの、王城の広場で無残にも首を切られ処刑された、私の最愛の家族……サミュエル・アルナルディ。
「ええ。いやですわ、サミュエル様は学園に入られても週末にはお戻りになられていますでしょ。昨日お屋敷に帰られてお嬢様が熱を出して寝ていると知ると、すぐに薬湯を作ってくださったのですよ」
兄の作る、よく効くけれど不味い薬湯を、昨日は熱で意識が朦朧としている私に、リーズが苦心して飲ましてくれたらしい。
だから、こんなにも体が軽くスッキリとしているのか。
「サミュエル様も、いくら王都からこの子爵領地が馬車で半日の距離だからといって、頻繁に帰られるのはどうかと思いますが。サミュエル様が育てられている薬草もありますし。お嬢様も寂しくないでしょうしね」
「……そうね」
リーズのからかうような口調に私は懐かしさを覚えて、穏やかに微笑んだ。
本当ならここで「子供扱いしないで!」とプンプン怒り出すところだが、公爵家に嫁いだ年数が私を淑女、いいえ老婆のような心に変えてしまっていた。
「まあ、本当に大丈夫ですか? お嬢様がそんな殊勝な態度だと、リーズは心配してしまいます。すぐに薬湯とお食事をお持ちしますね、今日一日は休んでいてください」
リーズは顔色を変えてパタパタと小走りに部屋を出て行った。
「ふふふ」
懐かしいわ……リーズの笑顔、世話焼きで騒がしいところ、すべてが懐かしく愛おしいわ。
優しく懐かしい私室のベッドの中でぼんやりと物思いに耽っていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
「はい」
ゆっくりと開かれたドアからは、兄が……サミュエル・アルナルディがひょいと顔を覗かせた。
「気分はどうだい? シャルロットが熱を出すなんて珍しいこともあるもんだね」
うっとおしいほどに伸ばした前髪で顔がほとんど見えないが、かろうじて見える口元は弧を描き、片手に薬湯のコップを乗せたお盆を持ってベッドまで歩いてくるのは、間違いなくあの日観衆の前で処刑された兄だった。
「お……お兄様っ」
その在りし日のままの兄に、生きている兄の姿に複雑な思いがこみ上げてきた。
ボロボロと涙が両目から溢れだし、こらえ切れない嗚咽が口から漏れ出す。
「シャ、シャルロット?」
私の取り乱しように驚いた兄は、サイドテーブルにお盆を置くと、ベッドの端に腰を下ろし優しく私の肩を抱き寄せた。
「どうしたんだい? シャルロット、体が辛いのかな?」
私はこの思いを言葉にすることができずにただ頭を横に振るだけ。
そのうち、リーズが泣き伏す私に驚いて叫び声をあげ、その声に驚いた執務中の父と執事のモーリスまでが私のところへと馳せ参じ、子爵邸は騒がしくその日の朝を終えた。
気持ちが落ち着いた私が、慎重に聞き出した情報から導き出した答えは、私はあの日崖から落ちて死に、そして死に戻ったこと。
私は兄が処刑される七年前、公爵家に嫁ぐ二年前に戻ってきたのだ。
今の私はまだ、結婚した相手、モルヴァン公爵家嫡男のイレール様とは出会っていない。
いやだわ、塗装が剥がれて色が斑な天井だなんて。
思わず顔を顰めて、その私室が嫁いだ公爵家ではなく生まれ育った子爵家の天井だったことを思い出す。
なぜここにいるの?
公爵家で用意された私室の天井は塗装なんてされてなかったわ。
むくりと体を起き上がらせると、体の軽さに驚き二、三度、瞬きを繰り返した。
あの日よりもずっと前から、公爵家に嫁いでから、こんなに体の調子が良かったときがあっただろうか?
下女がするような下働きをこなし、満足に用意してもらえない食事を喉へ流し込み、お風呂さえも入れず冷たい水で体を拭き、薄い毛布にくるまって眠る生活。
疲労がたまり、痩せ細り骨が浮き出てゴツゴツとした体、伸ばし放しの艶のない髪。
恐る恐る自分の体に触って確かめる。
「どういうことなの?」
手も多少荒れてはいるものの、爪はキレイに切りそろえてあり、腕もそれなりに肉が付いていた。
やっぱりここは、公爵家ではないわね。
グルリと部屋の中を見渡しても、懐かしい家具や見慣れた小物ばかりで、公爵家の豪奢な調度品でもなく私室としてあてがわれた粗末な部屋の造りでもない。
「私……たしか、雨の中、山に逃げて……」
崖から足を滑らせて落ちたはず。
あの人からの手を払いのけ、ただ復讐することを誓い、崖下へと落ちた。
たとえ、奇跡的に助かったとしても、騎士たちが点けた火で屋敷は燃えて残っていない。
――この部屋に帰ってくることなどできない。
無意識にペンダントを握りこむ。
コンコン。
「お嬢様? 開けますよ」
部屋の主の返事を待つことなく扉が勢いよくバタンと開け放たれた。
「まあ! 元気そうで安心しましたわ。熱は下がりましたか? 食欲は?」
「…………リーズ?」
遠慮なくズカズカと部屋に入ってきたのは、私が公爵家に嫁ぐまで世話をしてくれた母親代わりの家政婦のリーズだった。
「あらまあ。まだお熱があるのかしら? もうすぐ、サミュエル様が薬湯をもってきてくださいますからね」
「お、お兄様が?」
サミュエルとは兄の名だ。
あの、王城の広場で無残にも首を切られ処刑された、私の最愛の家族……サミュエル・アルナルディ。
「ええ。いやですわ、サミュエル様は学園に入られても週末にはお戻りになられていますでしょ。昨日お屋敷に帰られてお嬢様が熱を出して寝ていると知ると、すぐに薬湯を作ってくださったのですよ」
兄の作る、よく効くけれど不味い薬湯を、昨日は熱で意識が朦朧としている私に、リーズが苦心して飲ましてくれたらしい。
だから、こんなにも体が軽くスッキリとしているのか。
「サミュエル様も、いくら王都からこの子爵領地が馬車で半日の距離だからといって、頻繁に帰られるのはどうかと思いますが。サミュエル様が育てられている薬草もありますし。お嬢様も寂しくないでしょうしね」
「……そうね」
リーズのからかうような口調に私は懐かしさを覚えて、穏やかに微笑んだ。
本当ならここで「子供扱いしないで!」とプンプン怒り出すところだが、公爵家に嫁いだ年数が私を淑女、いいえ老婆のような心に変えてしまっていた。
「まあ、本当に大丈夫ですか? お嬢様がそんな殊勝な態度だと、リーズは心配してしまいます。すぐに薬湯とお食事をお持ちしますね、今日一日は休んでいてください」
リーズは顔色を変えてパタパタと小走りに部屋を出て行った。
「ふふふ」
懐かしいわ……リーズの笑顔、世話焼きで騒がしいところ、すべてが懐かしく愛おしいわ。
優しく懐かしい私室のベッドの中でぼんやりと物思いに耽っていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえる。
「はい」
ゆっくりと開かれたドアからは、兄が……サミュエル・アルナルディがひょいと顔を覗かせた。
「気分はどうだい? シャルロットが熱を出すなんて珍しいこともあるもんだね」
うっとおしいほどに伸ばした前髪で顔がほとんど見えないが、かろうじて見える口元は弧を描き、片手に薬湯のコップを乗せたお盆を持ってベッドまで歩いてくるのは、間違いなくあの日観衆の前で処刑された兄だった。
「お……お兄様っ」
その在りし日のままの兄に、生きている兄の姿に複雑な思いがこみ上げてきた。
ボロボロと涙が両目から溢れだし、こらえ切れない嗚咽が口から漏れ出す。
「シャ、シャルロット?」
私の取り乱しように驚いた兄は、サイドテーブルにお盆を置くと、ベッドの端に腰を下ろし優しく私の肩を抱き寄せた。
「どうしたんだい? シャルロット、体が辛いのかな?」
私はこの思いを言葉にすることができずにただ頭を横に振るだけ。
そのうち、リーズが泣き伏す私に驚いて叫び声をあげ、その声に驚いた執務中の父と執事のモーリスまでが私のところへと馳せ参じ、子爵邸は騒がしくその日の朝を終えた。
気持ちが落ち着いた私が、慎重に聞き出した情報から導き出した答えは、私はあの日崖から落ちて死に、そして死に戻ったこと。
私は兄が処刑される七年前、公爵家に嫁ぐ二年前に戻ってきたのだ。
今の私はまだ、結婚した相手、モルヴァン公爵家嫡男のイレール様とは出会っていない。
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