声なし王女と教育係

白藤結

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第一部

二章(9)

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 再び沈黙に満ちた馬車の中で、「……申し訳ありませんでした」とルークが言った。突然の謝罪に思わず首を傾げる。何を謝ることがあるのだろうか? それが不思議でたまらなかった。
 ルークはこちらから視線を逸らし、そっと口を開く。

「リリーの元へ連れて行って、不快な思いをさせてしまい……」

 その面持ちは沈鬱そうで、悲しみに暮れていて。クラリスはゆるりと首を横に振った。

 ――あなたのせいじゃないわ。
「ですが……」
 ――別にわたしに対してどう思うのかなんて、人それぞれの自由だもの。気負う必要なんてないわ。

 自らに言い聞かせる意味合いも込めてそう手を動かしたけれど、ルークの表情が晴れることはなかった。どうやらかなり参ってしまっているらしく、多少顔色が良くなったとはいえ、普段のものとはほど遠かった。
 クラリスはそっと息をつく。他人の思考を読み取るなんてことは誰にだってできやしないのだから、彼がリリーの考えに責任を負う必要なんてこれっぽっちもないのだ。けれどそうは思わないのか、ルークは頑なに自分を責め続けている。まるで自傷行為だ。

(どうしよう……)

 考えるが、あまり良い案は思い浮かばなかった。今の彼なら、どう声かけしても気持ちを変えてくれなさそうで。
 とりあえず話題を変えようと、クラリスは再度手を動かした。

 ――城の外って、結構残酷なのね。

 その言葉に、ルークはきょとん、と首を傾げた。突然の話題転換に、この言葉。どうやら意味が通じていないらしい。

 ――だってそうじゃない。リリーの生活は苦しいものだったわ。だけどわたしみたいに、何もしなくても彼女の手の届かない物に手を伸ばせる人もいる。そんなふうに、何もしていないのに楽な暮らしをしている人と、頑張っているのに苦しい生活を送る人がいるのは……残酷だなって思ったのよ。
「……そうですか。ではクラリス様はどのような社会になれば良いと思いますか?」

 そう尋ねてくるルークの表情は。
 ひどく真面目で、真摯で、先ほどまでとは打って変わって〝教育係〟のものになっていた。講義でクラリスに意見を求めてくる際に浮かべる顔。
 突然理想を訊かれ、クラリスは目をまばたかせた。理想の社会。慌てて思考をめぐらせる。

 ――そう、ね……なるべくその人の努力が認められるような社会、かしら?
「では、そのためにはどのような政策が有効だと思いますか?」
 ――せ、政策……? えっと、その……

 政策のことなんて考えたことなくて、クラリスは視線をさまよわせながら、時間稼ぎをするように手を動かした。政策。どのような。いろいろと考え始めるけれど、そもそも社会のことをあまり理解できていないから、どうしようもなかった。
 あたふたとしていれば、……やがて、ルークがくつくつと笑い声を上げ始めた。楽しげで、陽気な。口元を押さえて肩を震わせている。

 ――ルーク!
「すみません……す、少し待って、くださ……ふふ」
 ――もう! 笑うなんてひどいじゃない!

 そう言えばルークは謝罪を口にしたけれど、笑いは一向におさまらないためむくれるしかなかった。
 馬車に、ルークのこらえきれない笑い声が満ちる。
 ……しばらくしてようやっとおさまると、ルークははぁー、とまるで疲れたかのような息をついた。そして顔を上げると、そこにいたのは〝教育係〟である彼だった。真剣な双眸がクラリスを射抜く。

「こういうふうに政策を考えたりする際に、経済学などの多くの学問が必要なのです。もちろん調べることもできますが、議会での内容は多岐にわたります。一々基礎的なことまで調べていられないから、頭に叩き込まなければなりません」

 その言葉に、ハッ、と息を呑んだ。もしかして……と今更ながら気づく。この外出には何か目的があるのだろうとは思っていたが、これを伝えるために、ルークは城の外に出してくれたのだろうか。クラリスに現状を理解させて、やる気を出させるために。
 そのことに少し申し訳なく思いながら、クラリスは――ありがとう、と、手を動かした。ルークは意味がわかってないのか不思議そうな表情を浮かべていたが、気にすることなく次の言葉を紡ぐ。

 ――そういうことだったのね。……わたし、きちんと頑張るわ。
「それならば良かったです」

 そう言って、ルークは満足げに微笑んだ。どこか安堵したようにも見える表情。
 そのときちょうど馬車がゆっくりと速度を落とし始めた。王城に着いたのだろう。
 ……外出が終わってしまう、と思うと、少し寂しかった。おそらく今後、クラリスがこんなふうにほかの者と混ざって街を歩くということはないだろう。今日が特別だったのだ。だからこそ、今日という一日が終わってしまうのが、つらい。悲しい。
 そっと目を伏せたままでいると、馬車が完全に停まった。立ち上がろうとすれば、その前にルークの手が差し伸べられた。薄い唇が動く。

「行きましょう、〝王女殿下〟」

 その、呼び名に。
 どうしてだかクラリスは泣きたくなって、胸が張り裂けそうになった。理由はわからないけれど、ひどく悲しくなって……

 ――『クラリス』って、名前で呼んで。

 そう、思わず手で伝えれば、ルークは困惑したように視線を揺らした。「ですが……」と、迷いを多分に含んだ声。
 彼がためらう理由が見当つかず、クラリスは首を傾げた。エッタだってクラリスのことを名前で呼んでいるのだから、何も問題はないだろう。
 それなのに願いを叶えてくれないのは、もしかして……

(そう、よね……わたしはずっと怠惰に過ごしてて……。そんなわたしを嫌いになるのは普通だわ……)

 リリーに言われた通り、クラリスは今まで死んだほうが良い人間だったのだ。嫌いになるのは当然。そうわかっていても、理解していても、どうしても悲しみが膨れ上がって、悲壮感が心を占めて。
 じんわりと視界が滲んできた。子供っぽいからこらえなきゃ、とは思うけれど、どうしようもなくて。
 ルークの慌てる気配が伝わってきた。

「えっと、その………………クラリス、様」

 ためらいがちに呼ばれた名前。だけど無理やり呼ばせたのだと思うと心苦しくて、――なに? と、手で返した。

「……どうして泣くのですか?」
 ――だって、ルークは、わたしのこと、嫌いなんでしょ?
「そんなはずありません」
 ――うそ。
「本当ですよ。ただちょっと……名前を呼ぶのは、決意が必要だっただけで。嫌いなわけではありません。それだったらクラリス様のために今回の外出を企画したりなどはしませんよ」

 慰めるかのように、そっと手の甲を撫でられた。「クラリス様」と、優しく呼びかけられる。
 そうされていると、だんだんと気持ちが落ち着いてきて。

 ――本当?
「はい、本当です」

 じんわりと、ルークの言葉が胸に染み込んできた。ゆるりと口元をほころばせながら、クラリスは手を動かす。

 ――もう大丈夫よ。行きましょう。
「はい、クラリス様」

 クラリス様。その響きは心地よくて。
 クラリスは小さく頷くと、彼の手を取って馬車を降りていった。
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