声なし王女と教育係

白藤結

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第一部

二章(10)

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 秋になった。窓の外ではカラカラ、と枯葉が可愛らしい音を立てて王城の庭園を転がっている。
 そんな光景を横目に、ルークは王城の廊下を歩いていた。時刻は十時前で、今日も教育係として王女――クラリスの部屋へ向かうところだった。相も変わらず王族のプライベートスペースには人通りが少なく、時折巡回の衛兵とすれ違うくらいで、シン、とした人を拒絶するような静けさが横たわっている。

 そんなことを思いながら歩いていると目的地についた。手に持った本を抱え直し、「失礼します」と言いながら扉を開け――目に飛び込んできた部屋の惨状に、またか、とため息をつく。
 侍女たちが助けを求めるように「ルーク様!」と駆け寄ってきた。最初のころこそ〝自分のような〟者に敬称を付けられるのはどこかむずがゆがったが、それも今では慣れてしまっていた。なにせ、もっと大変なことがあるのだから。

 ルークはゆっくりと部屋を見回す。部屋の中はまさしく本にまみれていた。多くの書物が開かれた状態で机の上に並べられ、あろうことか床の上にまで置かれている。
 そしてその中心にクラリスはいた。王女としてあるまじきことに床に膝をつきながら、様々な文献を見比べており、時折別の本を参照しては、なにか発見したのか目を輝かせていた。あたかも子供のように。

 はぁ、と思わず息がこぼれる。この数ヶ月ほど、彼女はこのような状態だった。
 初めて城の外に連れ出したあと、様々な学問に興味を持ち、吸収しようと頑張ってくれたことは、まぁ良いことだろう。むしろ存分に褒めたいし、その変化が微笑ましい。

 しかし、しかしだ。その分元から興味のあった言語系に関してもさらに耽溺し、王女であるにも関わらず床に膝をついて文献を参照するほどになったのは、正直あまりよろしくないことだ。しかもルークもよくやることだから注意がしづらい。やはりいくつもの文献を同時に見比べるのならば、机では狭すぎるのだ。その気持ちはよくわかる。わかるが……

 そう思いながらも、ルークは本を踏まないよう慎重にクラリスに近づき、申し訳ないという気持ちを押し殺して「クラリス様」と呼びかけた。彼女は文献に目を落としたまま手で尋ねてくる。――なに?

「侍女たちが困っております。そろそろ講義の時間ですし、片づけますよ」
 ――今いいところだから、もうちょっと……
「ダメです。ほら、栞も挟まず勝手に閉じてしまいますよ。いいのですか?」

 そう言えば、クラリスはむっ、と顔を顰めながらもしぶしぶと顔を上げた。恨みがましそうにエメラルドの瞳が見上げてくる。しかしそんなことなど気にせず、ルークは「早くなさってください。講義が始められません」と口にする。この数ヶ月間、目の前の彼女――王族から睨まれるという経験をしすぎたせいで、心臓が強くなった。こんなことくらいでは譲るものか。

 不満げな表情を浮かべたまま、しかし決して動こうとしないクラリスを見下ろす。沈黙があたりに満ちた。
 ……やがて、根負けをしたのはクラリスのほうだった。彼女はため息をつくと、ゆっくりと、億劫げに手を動かす。

 ――わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば。
「ええ、お願いしますね。持ち運びくらいはします」
 ――お願い。

 クラリスは頷くや否やすぐさま片付けに入った。ルークは丁寧に閉じられた本を何冊か受け取ると、とりあえず机の端にまとめて置く。あまり高くなるとまた読むときに取り出すのが苦労するので、五冊までしか積み上げず、あとは一定の間隔を保ちながら横に置いていった。

 そうして机がほとんど本で埋め尽くされるころ、やっと片付けが終わった。
 ルークはふぅ、と息をつきながら、しかしあまり気を抜くことはなく、すぐに「講義を始めますよ」とクラリスに言う。彼女は依然不満げな表情を浮かべつつも、大人しく隣の書斎へ行った。いつもそこで講義をしているのだ。

 ルークはその扉が閉じられるのを見ると、部屋にいる侍女たちを見回した。彼女らは皆一様にほっとしているようで、「ありがとうございます、ルーク様」と、言われた。「わたくしどもでは、王女殿下は話を聞いてくれないもので……」
 その言いように、はぁ、と思わずため息をこぼす。

「そんなわけないでしょう? あなた方が手話を解さないから、クラリス様の意思を汲み取れないだけです。必ずエッタをそばにつけるよう、確かに言いましたよね?」
「そ、そうですけど……彼女にも仕事がありますから」

 そう言う侍女の表情は貼り付けたような笑顔だった。ルークはそっと心の中で息をつく。だから王城は嫌なのだと、改めて思った。効率的に考えればそちらのほうが良いのに、身分やらプライドやらがそれを遮る。

「では、あなたたちが手話を覚えてください」
「……わたくしどもにも仕事がありますから」
「仕事のある中でも、エッタは覚えましたよ」

 そう口にすれば、先ほどまでとは別の侍女がふんっ、と鼻を鳴らした。嘲るような瞳をこちらに向けてくる。

「何よ偉そうに。子爵家の次男風情が、伯爵令嬢であるわたくしたちに命令しないでくれる? ここにいる侍女は全員あなたよりも身分が上よ」

 ため息をつきたくなるのをなんとかこらえた。本当に煩わしい。仕事をしないくせに身分に任せて命令しやがって、と、心の中で毒づく。それくらいは許されるだろう。

(果たしてどうするべきか……)

 今回の件は、ルークがここにいるほとんどの侍女よりも身分が下だから起こっていることだ。それならばより上位の者に協力を頼めばなんとかなるだろう、というのは簡単に思いつく。が、その上位の者を誰にするのかが問題だった。一番身近なのはクラリスだが、正直この陰謀渦巻く王城で珍しく素直な彼女にはあまり知らせたくない。となると、次に上位の者といえば……

(……それとなく、ヘクター様に頼むか)

 国王の側近である彼の言うことならば、彼女たちだって従うだろう。「上の人に告げ口するなんて!」とあとで言われる可能性もあるが、個人的な伝手だって武器の一種だ。有効に活用させていただこう。
 そんなことを思いながら、「申し訳ございません」と、心にもない言葉を口にして頭を下げる。どうやら侍女はそれで満足したようで、「わかればいいのよ、わかれば」とぶっきらぼうに言った。

「では、失礼します」

 ルークはそう言って、クラリスのあとを追って書斎へと入っていった。
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