18 / 48
第一部
二章(10)
しおりを挟む
秋になった。窓の外ではカラカラ、と枯葉が可愛らしい音を立てて王城の庭園を転がっている。
そんな光景を横目に、ルークは王城の廊下を歩いていた。時刻は十時前で、今日も教育係として王女――クラリスの部屋へ向かうところだった。相も変わらず王族のプライベートスペースには人通りが少なく、時折巡回の衛兵とすれ違うくらいで、シン、とした人を拒絶するような静けさが横たわっている。
そんなことを思いながら歩いていると目的地についた。手に持った本を抱え直し、「失礼します」と言いながら扉を開け――目に飛び込んできた部屋の惨状に、またか、とため息をつく。
侍女たちが助けを求めるように「ルーク様!」と駆け寄ってきた。最初のころこそ〝自分のような〟者に敬称を付けられるのはどこかむずがゆがったが、それも今では慣れてしまっていた。なにせ、もっと大変なことがあるのだから。
ルークはゆっくりと部屋を見回す。部屋の中はまさしく本にまみれていた。多くの書物が開かれた状態で机の上に並べられ、あろうことか床の上にまで置かれている。
そしてその中心にクラリスはいた。王女としてあるまじきことに床に膝をつきながら、様々な文献を見比べており、時折別の本を参照しては、なにか発見したのか目を輝かせていた。あたかも子供のように。
はぁ、と思わず息がこぼれる。この数ヶ月ほど、彼女はこのような状態だった。
初めて城の外に連れ出したあと、様々な学問に興味を持ち、吸収しようと頑張ってくれたことは、まぁ良いことだろう。むしろ存分に褒めたいし、その変化が微笑ましい。
しかし、しかしだ。その分元から興味のあった言語系に関してもさらに耽溺し、王女であるにも関わらず床に膝をついて文献を参照するほどになったのは、正直あまりよろしくないことだ。しかもルークもよくやることだから注意がしづらい。やはりいくつもの文献を同時に見比べるのならば、机では狭すぎるのだ。その気持ちはよくわかる。わかるが……
そう思いながらも、ルークは本を踏まないよう慎重にクラリスに近づき、申し訳ないという気持ちを押し殺して「クラリス様」と呼びかけた。彼女は文献に目を落としたまま手で尋ねてくる。――なに?
「侍女たちが困っております。そろそろ講義の時間ですし、片づけますよ」
――今いいところだから、もうちょっと……
「ダメです。ほら、栞も挟まず勝手に閉じてしまいますよ。いいのですか?」
そう言えば、クラリスはむっ、と顔を顰めながらもしぶしぶと顔を上げた。恨みがましそうにエメラルドの瞳が見上げてくる。しかしそんなことなど気にせず、ルークは「早くなさってください。講義が始められません」と口にする。この数ヶ月間、目の前の彼女――王族から睨まれるという経験をしすぎたせいで、心臓が強くなった。こんなことくらいでは譲るものか。
不満げな表情を浮かべたまま、しかし決して動こうとしないクラリスを見下ろす。沈黙があたりに満ちた。
……やがて、根負けをしたのはクラリスのほうだった。彼女はため息をつくと、ゆっくりと、億劫げに手を動かす。
――わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば。
「ええ、お願いしますね。持ち運びくらいはします」
――お願い。
クラリスは頷くや否やすぐさま片付けに入った。ルークは丁寧に閉じられた本を何冊か受け取ると、とりあえず机の端にまとめて置く。あまり高くなるとまた読むときに取り出すのが苦労するので、五冊までしか積み上げず、あとは一定の間隔を保ちながら横に置いていった。
そうして机がほとんど本で埋め尽くされるころ、やっと片付けが終わった。
ルークはふぅ、と息をつきながら、しかしあまり気を抜くことはなく、すぐに「講義を始めますよ」とクラリスに言う。彼女は依然不満げな表情を浮かべつつも、大人しく隣の書斎へ行った。いつもそこで講義をしているのだ。
ルークはその扉が閉じられるのを見ると、部屋にいる侍女たちを見回した。彼女らは皆一様にほっとしているようで、「ありがとうございます、ルーク様」と、言われた。「わたくしどもでは、王女殿下は話を聞いてくれないもので……」
その言いように、はぁ、と思わずため息をこぼす。
「そんなわけないでしょう? あなた方が手話を解さないから、クラリス様の意思を汲み取れないだけです。必ずエッタをそばにつけるよう、確かに言いましたよね?」
「そ、そうですけど……彼女にも仕事がありますから」
そう言う侍女の表情は貼り付けたような笑顔だった。ルークはそっと心の中で息をつく。だから王城は嫌なのだと、改めて思った。効率的に考えればそちらのほうが良いのに、身分やらプライドやらがそれを遮る。
「では、あなたたちが手話を覚えてください」
「……わたくしどもにも仕事がありますから」
「仕事のある中でも、エッタは覚えましたよ」
そう口にすれば、先ほどまでとは別の侍女がふんっ、と鼻を鳴らした。嘲るような瞳をこちらに向けてくる。
「何よ偉そうに。子爵家の次男風情が、伯爵令嬢であるわたくしたちに命令しないでくれる? ここにいる侍女は全員あなたよりも身分が上よ」
ため息をつきたくなるのをなんとかこらえた。本当に煩わしい。仕事をしないくせに身分に任せて命令しやがって、と、心の中で毒づく。それくらいは許されるだろう。
(果たしてどうするべきか……)
今回の件は、ルークがここにいるほとんどの侍女よりも身分が下だから起こっていることだ。それならばより上位の者に協力を頼めばなんとかなるだろう、というのは簡単に思いつく。が、その上位の者を誰にするのかが問題だった。一番身近なのはクラリスだが、正直この陰謀渦巻く王城で珍しく素直な彼女にはあまり知らせたくない。となると、次に上位の者といえば……
(……それとなく、ヘクター様に頼むか)
国王の側近である彼の言うことならば、彼女たちだって従うだろう。「上の人に告げ口するなんて!」とあとで言われる可能性もあるが、個人的な伝手だって武器の一種だ。有効に活用させていただこう。
そんなことを思いながら、「申し訳ございません」と、心にもない言葉を口にして頭を下げる。どうやら侍女はそれで満足したようで、「わかればいいのよ、わかれば」とぶっきらぼうに言った。
「では、失礼します」
ルークはそう言って、クラリスのあとを追って書斎へと入っていった。
そんな光景を横目に、ルークは王城の廊下を歩いていた。時刻は十時前で、今日も教育係として王女――クラリスの部屋へ向かうところだった。相も変わらず王族のプライベートスペースには人通りが少なく、時折巡回の衛兵とすれ違うくらいで、シン、とした人を拒絶するような静けさが横たわっている。
そんなことを思いながら歩いていると目的地についた。手に持った本を抱え直し、「失礼します」と言いながら扉を開け――目に飛び込んできた部屋の惨状に、またか、とため息をつく。
侍女たちが助けを求めるように「ルーク様!」と駆け寄ってきた。最初のころこそ〝自分のような〟者に敬称を付けられるのはどこかむずがゆがったが、それも今では慣れてしまっていた。なにせ、もっと大変なことがあるのだから。
ルークはゆっくりと部屋を見回す。部屋の中はまさしく本にまみれていた。多くの書物が開かれた状態で机の上に並べられ、あろうことか床の上にまで置かれている。
そしてその中心にクラリスはいた。王女としてあるまじきことに床に膝をつきながら、様々な文献を見比べており、時折別の本を参照しては、なにか発見したのか目を輝かせていた。あたかも子供のように。
はぁ、と思わず息がこぼれる。この数ヶ月ほど、彼女はこのような状態だった。
初めて城の外に連れ出したあと、様々な学問に興味を持ち、吸収しようと頑張ってくれたことは、まぁ良いことだろう。むしろ存分に褒めたいし、その変化が微笑ましい。
しかし、しかしだ。その分元から興味のあった言語系に関してもさらに耽溺し、王女であるにも関わらず床に膝をついて文献を参照するほどになったのは、正直あまりよろしくないことだ。しかもルークもよくやることだから注意がしづらい。やはりいくつもの文献を同時に見比べるのならば、机では狭すぎるのだ。その気持ちはよくわかる。わかるが……
そう思いながらも、ルークは本を踏まないよう慎重にクラリスに近づき、申し訳ないという気持ちを押し殺して「クラリス様」と呼びかけた。彼女は文献に目を落としたまま手で尋ねてくる。――なに?
「侍女たちが困っております。そろそろ講義の時間ですし、片づけますよ」
――今いいところだから、もうちょっと……
「ダメです。ほら、栞も挟まず勝手に閉じてしまいますよ。いいのですか?」
そう言えば、クラリスはむっ、と顔を顰めながらもしぶしぶと顔を上げた。恨みがましそうにエメラルドの瞳が見上げてくる。しかしそんなことなど気にせず、ルークは「早くなさってください。講義が始められません」と口にする。この数ヶ月間、目の前の彼女――王族から睨まれるという経験をしすぎたせいで、心臓が強くなった。こんなことくらいでは譲るものか。
不満げな表情を浮かべたまま、しかし決して動こうとしないクラリスを見下ろす。沈黙があたりに満ちた。
……やがて、根負けをしたのはクラリスのほうだった。彼女はため息をつくと、ゆっくりと、億劫げに手を動かす。
――わかったわよ。やればいいんでしょ、やれば。
「ええ、お願いしますね。持ち運びくらいはします」
――お願い。
クラリスは頷くや否やすぐさま片付けに入った。ルークは丁寧に閉じられた本を何冊か受け取ると、とりあえず机の端にまとめて置く。あまり高くなるとまた読むときに取り出すのが苦労するので、五冊までしか積み上げず、あとは一定の間隔を保ちながら横に置いていった。
そうして机がほとんど本で埋め尽くされるころ、やっと片付けが終わった。
ルークはふぅ、と息をつきながら、しかしあまり気を抜くことはなく、すぐに「講義を始めますよ」とクラリスに言う。彼女は依然不満げな表情を浮かべつつも、大人しく隣の書斎へ行った。いつもそこで講義をしているのだ。
ルークはその扉が閉じられるのを見ると、部屋にいる侍女たちを見回した。彼女らは皆一様にほっとしているようで、「ありがとうございます、ルーク様」と、言われた。「わたくしどもでは、王女殿下は話を聞いてくれないもので……」
その言いように、はぁ、と思わずため息をこぼす。
「そんなわけないでしょう? あなた方が手話を解さないから、クラリス様の意思を汲み取れないだけです。必ずエッタをそばにつけるよう、確かに言いましたよね?」
「そ、そうですけど……彼女にも仕事がありますから」
そう言う侍女の表情は貼り付けたような笑顔だった。ルークはそっと心の中で息をつく。だから王城は嫌なのだと、改めて思った。効率的に考えればそちらのほうが良いのに、身分やらプライドやらがそれを遮る。
「では、あなたたちが手話を覚えてください」
「……わたくしどもにも仕事がありますから」
「仕事のある中でも、エッタは覚えましたよ」
そう口にすれば、先ほどまでとは別の侍女がふんっ、と鼻を鳴らした。嘲るような瞳をこちらに向けてくる。
「何よ偉そうに。子爵家の次男風情が、伯爵令嬢であるわたくしたちに命令しないでくれる? ここにいる侍女は全員あなたよりも身分が上よ」
ため息をつきたくなるのをなんとかこらえた。本当に煩わしい。仕事をしないくせに身分に任せて命令しやがって、と、心の中で毒づく。それくらいは許されるだろう。
(果たしてどうするべきか……)
今回の件は、ルークがここにいるほとんどの侍女よりも身分が下だから起こっていることだ。それならばより上位の者に協力を頼めばなんとかなるだろう、というのは簡単に思いつく。が、その上位の者を誰にするのかが問題だった。一番身近なのはクラリスだが、正直この陰謀渦巻く王城で珍しく素直な彼女にはあまり知らせたくない。となると、次に上位の者といえば……
(……それとなく、ヘクター様に頼むか)
国王の側近である彼の言うことならば、彼女たちだって従うだろう。「上の人に告げ口するなんて!」とあとで言われる可能性もあるが、個人的な伝手だって武器の一種だ。有効に活用させていただこう。
そんなことを思いながら、「申し訳ございません」と、心にもない言葉を口にして頭を下げる。どうやら侍女はそれで満足したようで、「わかればいいのよ、わかれば」とぶっきらぼうに言った。
「では、失礼します」
ルークはそう言って、クラリスのあとを追って書斎へと入っていった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
年増令嬢と記憶喪失
くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」
そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。
ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。
「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。
年増か……仕方がない……。
なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。
次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。
なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……
ベルガー子爵領結婚騒動記
文月黒
恋愛
その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。
何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。
ちょっとだけ(当領比)特殊な領地の強面領主に嫁いで来たのは、王都の男爵家の末娘・マリア。
だが、花嫁は領主であるベルンハルトの顔を見るなり泣き出してしまった。
最悪な顔合わせをしてしまったベルンハルトとマリア。
慌てるベルンハルトの腹心の部下ヴォルフとマリアの侍女ローザ。
果たしてベルガー子爵領で彼らは幸せを掴めるのか。
ハピエン確定のサクッと読めるギャグ寄り恋愛ものです。
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる