24 / 48
第一部
三章(2)
しおりを挟む
――じゃあ、またあとで。
「はい、クラリス様。必ずお一人にはならないようにしてください。一曲目が終わり次第、すぐに向かいます」
そう言ってルークはゆっくりと頭を下げると、一足早く舞踏会の会場へ向かった。パタリと扉が閉じられ、クラリスはちらりと周囲を見回す。
王族が会場へ入場する前に待機する部屋だった。まだ父と母は来ていないため、部屋にいるのはクラリスとエッタ、そして数人の侍女だけである。衛兵たちは部屋の外で警護に当たっていた。
クラリスはソファーに腰掛けたまま、そっと目を閉じる。遠くからざわめきが聞こえていた。舞踏会の参加者や、問題が起こらないように働く使用人たち、巡回する兵。彼らの声が、立てる音がここまで届き、鼓膜を震わせる。
ふぅ、と息をついた。緊張は未だ拭いされていない。けれど初めての舞踏会なのだからそれも当然なのだと思うようにして、緊張も受け入れ、ある意味この状況も楽しもうとしていた。会場はどんな風になっているのだろうとか、親しい友人ができるだろうか、とか、そんなことに思いを馳せる。……なかなか心の底からは楽しめないけれど。
そんなことを思っていると、しばらくして両親がともに部屋に入ってきた。クラリスは立ち上がり、エッタがこちらを見ているのを確認すると手話で挨拶をする。エッタがたどたどしくクラリスの言葉を音にした。緊張がありありと伝わってくる。
(そういえば……エッタが通訳をしたことがあるのは、侍女たち相手のときだけだったわね)
それなりの人と会うときはいつもルークがいたから、エッタの出番はなかった。それなのにいきなり国王夫妻相手に話さなければならないのだから、これだけ緊張してしまっても仕方ないだろう。もう少し彼女のことに気を配ってやるべきだった、と後悔しつつ、クラリスは表情を取り繕って両親と久しぶりに会話をした。この数ヶ月は、それまでずっとしていなかったダンスの練習をひたすらしていたため、会う機会なんてほとんどなかったのだ。しかもその時間も短く、じっくりと会話をすることもできていなかった。
父が、どこか感慨深けに呟く。
「クラリスは……本当に大きくなったな」
「もう社交界デビューだものねぇ……。本当に、短い十五年間だったわ」
母が頬に手を当て、おっとりと笑う。二人に嬉しそうに見つめられるのが恥ずかしくて、思わず視線を逸らした。頬が熱っぽい。
和やかな雰囲気が部屋に満ちていると、コンコン、と扉がノックされた。国王の側近が一旦外に出て、そしてすぐに戻って来ると、クラリスたちに向けて言う。
「入場が終わったそうです」
父は頷いて鷹揚に立ち上がり、母に向けて手を差し伸べる。母がエスコートを受けて立ち上がるのを見て、クラリスも慌てて腰を上げた。これから王族の入場だ。やかましくなってきた鼓動を必死でなだめる。緊張で、指先に力が入らない。
「では行くぞ」
父の言葉に、家族は三人揃って会場へ向かった。部屋を出て短くない距離を進むにつれ、徐々にざわめきが大きくなっていく。
会場に着くと、王族専用の扉の前に控えていた衛兵がすぐさま扉を開けた。「王族方のおなりです」と、それほど声を張っているわけではないのによく通る声が聞こえる。両親は一切動じることなく扉をくぐり抜けていった。
(え、心の準備をさせて……!)
まさか気持ちを整える時間が一切ないとは思っておらず、クラリスは動揺しながらも、それを出さないよう必死に抑えて両親に続いて入場した。そして、目に飛び込んできた光景に思わず息を呑む。
いくつもの豪奢なシャンデリアがあちらこちらに飾られており、その光に照らされて多くの人々がいた。色彩鮮やかなドレスを着た女性たちに、燕尾服の紳士たち。ところどころ使用人たちが隅に控えており、おそらく彼らは飲み物を交換したりするのだと思われる。
あまりにも絢爛豪華な光景に目を奪われているが、すぐに立ち止まっていてはいけないと、両親の背を追って歩き出す。父が立ち止まったので一歩後ろに下がった場所で止まれば、すぐに父が大勢に向かって話し始めた。
父の話を聞き流しつつ、クラリスはこっそりあたりを見回した。この人混みの中に、ルークがいるはずなのだ。あとで合流しやすくするためにも見つけていたほうが良いはず……と思ったのだが、やはり成人済みの貴族がほぼ全員集まっているだけあって、なかなか見つからない。
目を皿のようにして探している間に父の話は終わり、楽団の音楽が響き始めた。今日社交界デビューする人も緊張せず踊れるように、という配慮だろうか、最初は簡単なワルツだった。目の前に立っていた父が母をエスコートして中央へと向かい、踊り始める。くるりくるりと翻る裾には宝石があちらこちらに縫い付けられており、キラキラと輝いていた。
「クラリス」
しばらく見惚れていれば、急に声をかけられた。ハッ、と我に返れば、エリオットがエスコートをするようにこちらに手を差し伸べている。そろそろ踊らなければならないのだろう。もしここでモタモタしていたら、下手したら下級貴族たちがこのワルツを踊れなくなってしまうかもしれない。慌てて彼の手を取り、クラリスは中央へと向かった。緊張しながら、エリオットのリードに身を任せてステップを踏む。
瞳とはまた違った色合いの黄緑色のドレスが揺れた。その合間合間に、クラリスはルークを探す。緊張でドキドキとやかましい心臓も、いつも一緒にいたルークを見つければ落ち着くかもしれなかったから。
そのときだった。「クラリス」と、穏やかな声がすぐ近くから降ってくる。顔を上げれば、エリオットが笑みを浮かべながら――しかしどこか真剣そうな瞳でこちらを見ていた。
いつものように手話で――なに? と訪ねようとして、そういえばダンスの途中だからできないことに気づく。そもそも彼は手話がわからないのだから、会話のしようがなかった。
あたふたとしていると、「そのまま聞いて」と、掠れた声で言われる。
「今後こうして話す機会なんてないだろうからね……率直に言わせてもらうよ」
すっ、と息を吸う音。見上げる彼の顔の後ろにはシャンデリアがあって、眩しい。思わず目を細めた。
声量を抑えた声が耳朶を打つ。
「君はもっと自分というものを持ったほうがいいし、自分の中にある一番譲れないものを明確化しておいたほうがいいよ。そうじゃなきゃ、この世界では生きていけない」
その言葉の意味はさっぱりわからなかった。何か警告をしてくれているのはわかるし、それが真にクラリスのことを思ってというのは、なんとなく伝わってくる。けれどその意図をクラリスはひと匙も汲み取れなかった。
それがエリオットもわかったのだろうか、小さく苦笑をする。クラリスはじっ、と見つめたが、彼はそれ以降一切口を開くことはなかった。
「はい、クラリス様。必ずお一人にはならないようにしてください。一曲目が終わり次第、すぐに向かいます」
そう言ってルークはゆっくりと頭を下げると、一足早く舞踏会の会場へ向かった。パタリと扉が閉じられ、クラリスはちらりと周囲を見回す。
王族が会場へ入場する前に待機する部屋だった。まだ父と母は来ていないため、部屋にいるのはクラリスとエッタ、そして数人の侍女だけである。衛兵たちは部屋の外で警護に当たっていた。
クラリスはソファーに腰掛けたまま、そっと目を閉じる。遠くからざわめきが聞こえていた。舞踏会の参加者や、問題が起こらないように働く使用人たち、巡回する兵。彼らの声が、立てる音がここまで届き、鼓膜を震わせる。
ふぅ、と息をついた。緊張は未だ拭いされていない。けれど初めての舞踏会なのだからそれも当然なのだと思うようにして、緊張も受け入れ、ある意味この状況も楽しもうとしていた。会場はどんな風になっているのだろうとか、親しい友人ができるだろうか、とか、そんなことに思いを馳せる。……なかなか心の底からは楽しめないけれど。
そんなことを思っていると、しばらくして両親がともに部屋に入ってきた。クラリスは立ち上がり、エッタがこちらを見ているのを確認すると手話で挨拶をする。エッタがたどたどしくクラリスの言葉を音にした。緊張がありありと伝わってくる。
(そういえば……エッタが通訳をしたことがあるのは、侍女たち相手のときだけだったわね)
それなりの人と会うときはいつもルークがいたから、エッタの出番はなかった。それなのにいきなり国王夫妻相手に話さなければならないのだから、これだけ緊張してしまっても仕方ないだろう。もう少し彼女のことに気を配ってやるべきだった、と後悔しつつ、クラリスは表情を取り繕って両親と久しぶりに会話をした。この数ヶ月は、それまでずっとしていなかったダンスの練習をひたすらしていたため、会う機会なんてほとんどなかったのだ。しかもその時間も短く、じっくりと会話をすることもできていなかった。
父が、どこか感慨深けに呟く。
「クラリスは……本当に大きくなったな」
「もう社交界デビューだものねぇ……。本当に、短い十五年間だったわ」
母が頬に手を当て、おっとりと笑う。二人に嬉しそうに見つめられるのが恥ずかしくて、思わず視線を逸らした。頬が熱っぽい。
和やかな雰囲気が部屋に満ちていると、コンコン、と扉がノックされた。国王の側近が一旦外に出て、そしてすぐに戻って来ると、クラリスたちに向けて言う。
「入場が終わったそうです」
父は頷いて鷹揚に立ち上がり、母に向けて手を差し伸べる。母がエスコートを受けて立ち上がるのを見て、クラリスも慌てて腰を上げた。これから王族の入場だ。やかましくなってきた鼓動を必死でなだめる。緊張で、指先に力が入らない。
「では行くぞ」
父の言葉に、家族は三人揃って会場へ向かった。部屋を出て短くない距離を進むにつれ、徐々にざわめきが大きくなっていく。
会場に着くと、王族専用の扉の前に控えていた衛兵がすぐさま扉を開けた。「王族方のおなりです」と、それほど声を張っているわけではないのによく通る声が聞こえる。両親は一切動じることなく扉をくぐり抜けていった。
(え、心の準備をさせて……!)
まさか気持ちを整える時間が一切ないとは思っておらず、クラリスは動揺しながらも、それを出さないよう必死に抑えて両親に続いて入場した。そして、目に飛び込んできた光景に思わず息を呑む。
いくつもの豪奢なシャンデリアがあちらこちらに飾られており、その光に照らされて多くの人々がいた。色彩鮮やかなドレスを着た女性たちに、燕尾服の紳士たち。ところどころ使用人たちが隅に控えており、おそらく彼らは飲み物を交換したりするのだと思われる。
あまりにも絢爛豪華な光景に目を奪われているが、すぐに立ち止まっていてはいけないと、両親の背を追って歩き出す。父が立ち止まったので一歩後ろに下がった場所で止まれば、すぐに父が大勢に向かって話し始めた。
父の話を聞き流しつつ、クラリスはこっそりあたりを見回した。この人混みの中に、ルークがいるはずなのだ。あとで合流しやすくするためにも見つけていたほうが良いはず……と思ったのだが、やはり成人済みの貴族がほぼ全員集まっているだけあって、なかなか見つからない。
目を皿のようにして探している間に父の話は終わり、楽団の音楽が響き始めた。今日社交界デビューする人も緊張せず踊れるように、という配慮だろうか、最初は簡単なワルツだった。目の前に立っていた父が母をエスコートして中央へと向かい、踊り始める。くるりくるりと翻る裾には宝石があちらこちらに縫い付けられており、キラキラと輝いていた。
「クラリス」
しばらく見惚れていれば、急に声をかけられた。ハッ、と我に返れば、エリオットがエスコートをするようにこちらに手を差し伸べている。そろそろ踊らなければならないのだろう。もしここでモタモタしていたら、下手したら下級貴族たちがこのワルツを踊れなくなってしまうかもしれない。慌てて彼の手を取り、クラリスは中央へと向かった。緊張しながら、エリオットのリードに身を任せてステップを踏む。
瞳とはまた違った色合いの黄緑色のドレスが揺れた。その合間合間に、クラリスはルークを探す。緊張でドキドキとやかましい心臓も、いつも一緒にいたルークを見つければ落ち着くかもしれなかったから。
そのときだった。「クラリス」と、穏やかな声がすぐ近くから降ってくる。顔を上げれば、エリオットが笑みを浮かべながら――しかしどこか真剣そうな瞳でこちらを見ていた。
いつものように手話で――なに? と訪ねようとして、そういえばダンスの途中だからできないことに気づく。そもそも彼は手話がわからないのだから、会話のしようがなかった。
あたふたとしていると、「そのまま聞いて」と、掠れた声で言われる。
「今後こうして話す機会なんてないだろうからね……率直に言わせてもらうよ」
すっ、と息を吸う音。見上げる彼の顔の後ろにはシャンデリアがあって、眩しい。思わず目を細めた。
声量を抑えた声が耳朶を打つ。
「君はもっと自分というものを持ったほうがいいし、自分の中にある一番譲れないものを明確化しておいたほうがいいよ。そうじゃなきゃ、この世界では生きていけない」
その言葉の意味はさっぱりわからなかった。何か警告をしてくれているのはわかるし、それが真にクラリスのことを思ってというのは、なんとなく伝わってくる。けれどその意図をクラリスはひと匙も汲み取れなかった。
それがエリオットもわかったのだろうか、小さく苦笑をする。クラリスはじっ、と見つめたが、彼はそれ以降一切口を開くことはなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
年増令嬢と記憶喪失
くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」
そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。
ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。
「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。
年増か……仕方がない……。
なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。
次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。
なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……
ベルガー子爵領結婚騒動記
文月黒
恋愛
その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。
何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。
ちょっとだけ(当領比)特殊な領地の強面領主に嫁いで来たのは、王都の男爵家の末娘・マリア。
だが、花嫁は領主であるベルンハルトの顔を見るなり泣き出してしまった。
最悪な顔合わせをしてしまったベルンハルトとマリア。
慌てるベルンハルトの腹心の部下ヴォルフとマリアの侍女ローザ。
果たしてベルガー子爵領で彼らは幸せを掴めるのか。
ハピエン確定のサクッと読めるギャグ寄り恋愛ものです。
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる