声なし王女と教育係

白藤結

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第一部

四章(1)

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 クラリスが社交界デビューを迎えてからはやひと月が経った。
 その間にも多くの貴族の屋敷で晩餐会や舞踏会が開かれ、その招待状もかなりの数受け取っていたが、クラリスはそのほとんどに参加していなかった。クラリスを推薦する派閥の者とはいえ、傀儡にしたい者もいるため油断はできず、今は本当に信頼できる者を探している最中だったのだ。

(シュペリア公爵は派閥の筆頭だけれど……あんまりなのよね。考えが読めないから怖いわ)

 珍しく研究書を開くことなく書斎で大人しくルークを待ちながら、クラリスはそんなことを思った。はしたないと自覚しながらも、暇なため足をぶらぶらと揺らして遊ぶ。

 教育係とは一般的に未成年の者につけられるため、クラリスの正式な社交界デビューとともにルークは教育係を外されて専属の『手話通訳士』となったが、今でも以前と同じように教育係として様々なことを教えてもらっていた。というのもクラリスの教育は今までのことから少々遅れており、知識も偏っていて、教育係が必要だったからだ。まだエリオットほど知識はつけられていないのが現状なため、もっと頑張らなければならない。

 と、そんなことを考えていると、コンコン、と扉が叩かれた。おそらくルークだろう思いつつ、クラリスは「どうぞ」と告げる代わりに机の上を軽く叩く。
 扉が開き、やはり入ってきたのはルークだった。しかしその表情は硬く、険しいもので、手に持っている資料も何故かいつもとは違うものだ。クラリスは首を傾げながら――どうしたの? と尋ねる。

「やっかいな事態になりました」
 ――やっかい?
「はい。今日の朝議で伝えられたことですが、どうやらラウウィスの第二王子がやってくるそうです」

 ラウウィス。シャールフとの交流も多い、すぐ隣の国だ。国境には山脈があるため大昔はあまり行き来がなく交流もなかったそうだが、海運業が発達してからは両国の南にある海を通じて、船で物資を運ぶことによって交流が行われている。
 交換留学も行われており、いつだったか忘れたが、確かルークもそれに参加したことがある、と聞いたことがあった。

 そんな国の王子がやって来るという。自然とクラリスの表情も引き締まった。
 クラリスはこの国の王族だ。国の代表とも言える。そのためしっかりと無礼なことをせず、丁寧に出迎えなければ、この国の名に泥を塗ることになるのだ。緊張が全身に行き渡る。

 ――期間は?
「三週間後から二週間です。歓迎の宴などの手配は王妃様がなさるそうで、クラリス様は期間中、王子をもてなすのが役目となります」
 ――わかったわ。……頑張らないといけないわね。

 とりあえずラウウィスについて学ばなければ。いくつかの慣習やら言語の違いやらは知っていたが、きちんと学んでいるわけではないため知らないことのほうが多い。この三週間で学べるだけのことを学び、機嫌を損ねるような行動をしないように気をつけ、満足して帰っていただけるようにしなければならない。それがクラリスにできるせめてものことだ。

 気合いを入れるように強く頷くと、ルークがわずかに目を細めた。口元を緩めながら「そう言うと思っていました」と声を発して、今日持ってきた参考書を机の上に置く。ところどころボロボロになっているものばかりで、タイトルには『ラウウィスの風習』『各国の政治』などシャールフの言葉で書かれたものもあれば、『これ一冊で大丈夫! 社交界のマナー(基礎編)』とシャールフのものとは少し違うラウウィスの言葉で書かれているものもあった。

 ――これは?
「私がラウウィスへ留学することが決まった際に取り寄せ、勉強に使った本です。少し古いですが、それほど大幅な変化はないはずですのでこれで十分でしょう」

 へー、と心の中で感嘆の声を上げながらクラリスはまず一冊手に取り、パラパラと全体を眺めた。ところどころ書き込みがされており、ルークがかなり必死に勉強していたことが見て取れる。
 そこでふと思った。

 ――そういえばルークって何歳なの?

 それはなかなか尋ねる機会がなく、今まで質問できていなかったことだった。舞踏会で見た彼の弟――確かめたことはないがおそらくそう――がクラリスと同い年だったし、見た目からして二十代というのはなんとなく判別できるが、正確な年齢は聞いたことがないため知らない。
 素朴な疑問が予想外だったのかルークは目をぱちくりさせると、やがてふっ、と微笑む。

「別に聞いても面白くないと思いますが……二十二ですよ」
 ――えっ、待って。ということはわたしと会ったときは二十? あなた学院卒業したのはいつよ!?

 クラリスは衝撃の事実に思わず瞠目しながら尋ねた。
 この国での学院は十五になると通うことができるようになる。できるようになるだけで強制ではないが、ほとんどの貴族の子息は箔付けのために一度は入学試験を受け、通うのが普通だ。入学試験ごときを突破できなければ未来の貴族として不適格だという烙印を押されることになるからだ。

 しかし卒業できる者は少ない。学年が上がるごとに難易度も格段に跳ね上がる講義についていけなくなる者が多いからだ。そのため入学試験を突破したものの入学を辞退する者が大半らしい。入学したものの講義についていけず退学になるのは貴族として盛大な汚点になるが、入学しなければ「卒業するくらいの実力はある、ただ入学しなかっただけ」と言えるからだ。
 クラリスは、それでは結局実力がないと言ってるだけではないか、と思うが。

 とにかくそんな学院だからこそ、留年する者は多い。というかほとんどがそうなってしまう。そのため学院自体は四年生までしかないが、卒業できるのは一般的に二年留年しての二十一だ。職に就くのが遅れる代わりに、学院の卒業生はそれだけでどの職場でも優遇されるし、王城でもそれなりの地位からのスタートとなる。

 そんな中、ルークは二十歳のときにはすでに王城で働いていたという。となると学院卒業時は十九か二十で……
 ルークは肩をすくめて言った。

「十九のときですよ。留年を一度でもしたら学費を支払わないと、親に言われていたので」

 その表情はどこか苦しげで、寂しげで、自嘲しているようで。
 クラリスは思わず顔を顰めた。

 ――それはあまりにも厳しくないかしら? 大抵の人は留年するっていうのに……
「……まぁ、もう過ぎ去ったことですから。気にしないでください」

 そう言って彼が浮かべた、拒絶の色を含んだ作り笑いに、クラリスは何も言えなくなって。
 そっと目を伏せる。こんなにも近くにいるのに、長い間ともにいたのに、まだ彼の心に触れられない。話してもらえないことがある。それが……少し、さみしかった。
 オリオンの言葉が耳によみがえる。

 ――あなたがルークのことを本当に大切に思っているのなら、今すぐに教育係を辞めさせてください。こんなの、あいつの傷をえぐっているだけだ。

(わたし、は……)

 そのとき。重苦しい雰囲気を払うかのように、ルークがパン、と手を打つ。ハッ、として顔を上げれば、彼はにっこりと笑っていた。

「この話はもう終わりにしましょう。さぁ、勉強を始めますよ」
 ――……ええ、わかったわ。

 クラリスは何とかして笑みを浮かべて、そう答えた。
 ――日常の終わりは、ひたひたと近づき始めていた。
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