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第一部
四章(8)
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夜、とある貴族の屋敷で開かれた舞踏会にて。ジェラードとダンスを踊っているクラリスを見て、ルークは首を傾げる。
ルークが所用で休んだ次の日から、クラリスの様子がおかしくなった。何かに迷っているように苦しげで、悲しげで、顔色はメイクをしていなくとも青白く、どこか儚げな雰囲気を漂わせていた。何かを憂いているような雰囲気、とも言える。とにかくいつもと違って闊達な様子はなく、明らかにつらそうだった。
いったい何があったのかと、その前日はずっとクラリスに張りついていたはずのエッタに尋ねたのだが、彼女は無言で首を振るだけだった。おそらく言うのを止められているのだろう。
それが、ルークには心苦しかった。二年以上の時を彼女のそばで過ごした。信頼されていると、思っていた。それなのに悩みを打ち明けてもらえないということは、それらが錯覚で、実はまだエッタほど信用されていないということであって……
そのとき曲が終わりに向かい始めた。くるくると回っていた人たちも少しずつその動きを緩やかにしていく。ルークはクラリスたちが最後にいるであろう場所を予測すると、ホールの隅を歩いてなるべくその場所に近づいていった。
その途中で曲が終わり、余韻もまた少しして消え去る。途端、会場はざわめきに包まれることとなった。
ルークはほかの人と同じように何かをクラリスに向けて喋っているジェラードを見て、少し足を早める。急がなければ隣国の第二王子に返事をすることができなかったからと、悪意のある者によってクラリスが責められることとなるからだ。それだけは絶対に避けなければならない。
二人の元に着くと、どうやらちょうどジェラードが話し終わったところらしく、口を閉じ、クラリスが手を上げた。ルークはそれを見て、言葉にする。
「わかっております。……もう少し、お待ちください」
そう発しつつ、いったい何の話をしていたのだろう? とルークは内心首を傾げた。まったく話が見えてこない。あとでクラリスに尋ねたらいいのだろうが……もしそれが近ごろの不調に関わることであったら?
(傷口をえぐるような真似はしたくないし……)
黙って見守っていたほうが良いだろう。そもそもルークはクラリスに従う者なのだ。アドバイスなどあまりでしゃばった真似をしては、離れてしまったあとが大変だろう。
――彼女のそばに、永遠にいられるはずなどないのだから。いずれ離れなければならない。
それなのに。そうなることは理解しているのに。
どうしてだかルークの胸はキリキリと締め上げられ、悲鳴をあげていて。
思わずぐっ、と手を握りしめると、「そうですか」というジェラードの声が降ってきた。
「――ですが、気をつけてくださいね。クラリス様の体は、クラリス様だけのものではございませんから」
その物言いにルークはとっさに表情筋を引き締めた。
そういう言葉はあまり好きではなかった。クラリスだって人間で、彼女の意志が、望みがある。しかしその言葉はそれらを否定し、ただ王族としてあれというようなもので。
ちらりと彼女の方を見れば、見るからに落ち込んだ様子でそっと目を伏せていた。どうして、と思う。そんなことを言われたのに、どうして彼を咎めない。あなた様はそれでいいのですか?
ふと冷静さをかいてしまっていることに気づき、ゆっくりと呼吸を意識して行う。それだけで少しずつ鼓動は落ち着いていき、いつものように視野が広がって客観的に見られるようになった。
そもそもジェラード自身には、言葉にそんな意味合いを含ませたつもりはないのかもしれないのだ。言葉とは曖昧なもので、状況を正確に認識していなければ言葉の真意を汲み取ることができないこともある。ルークがいないときに二人は会話していたようだから、今回もそれに当たるのかもしれない。
……それでも警戒しておくに越したことはないが。
そう思い、ちらりとジェラードを見れば、にっこりとした笑顔がこちらに向けられた。しかし、その双眸は一切笑っていなくて。
――〝あの子〟とは全然違う。
とろりとした蜂蜜色の髪は同じでも、顔立ちもよく似ていても、その瞳の色は、内包された感情はまったくの別物だ。
(いや……でも、あれから何年も経っているのだし……)
〝あの子〟も、このような瞳をするようになったのかもしれない。ルークのせいで。
そんなことを思いつつ、しかし小さく頭を振って思考を切り替える。今はそのようなことを考えている場合ではない。〝あの子〟のことは、もう、ルークには関係のないことなのだから。
そのとき、ジェラードがルークから視線を外し、にっこりとクラリスに笑いかけた。「では、そろそろ行きましょうか」と言ってエスコートのために手を差し出す。クラリスは――はい、と手話でそう答えて、そっと手を重ねた。これから二人で挨拶回りだ。本当はシャールフのことをよく知らないであろうジェラードをクラリスがリードするはずだったのだが、その関係は最初のころから崩れてしまっている。
(国王陛下も、気にしているだろうな……)
おそらくクラリスにジェラードの案内を任せたのは、彼女に実績を上げさせて王位に一歩近づけるためだろうから。
そんなことを考えながらルークは二人の数歩後ろをついて行き、彼らが立ち止まるとそっとクラリスの横に控えるようにする。二人が――というよりは主にジェラードが対応する者は本当に様々だ。公爵から果ては子爵まで。派閥もクラリス派、エリオット派、中立派関係なくにこやかに挨拶をしている。親しくする相手も派閥など一切気にしていないようだった。……少なくともそう見える。
ルークはすっ、と目を細めた。彼の目的はいったい何なのだろう。ラウウィスの者だから派閥など知らない? ……そんなはずはない。ということは彼が親しくする人には何かしら共通点があるはずだ。しかしそれがまったく見えてこず、ルークはいつもひっそりと頭を悩ませていた。
クラリスが成人をし、派閥間の対立が激しくなるこの時期に彼が来訪したのには、きっとなにか目的があるのだろう。しかしそれが、まったく見えてこなくて。
はぁ、と思わず心の中でため息をつく。彼の目的がわからないのは国王も一緒らしく、側近のヘクターにそれとなく探るよう言われていたのだ。しかし成果は芳しくなく、ただいたずらに時間が過ぎるばかりだった。
そんなふうに考えながらも作り笑いを浮かべながらクラリスの手話通訳をしていると、「すみません」と声をかけられた。
ルークが所用で休んだ次の日から、クラリスの様子がおかしくなった。何かに迷っているように苦しげで、悲しげで、顔色はメイクをしていなくとも青白く、どこか儚げな雰囲気を漂わせていた。何かを憂いているような雰囲気、とも言える。とにかくいつもと違って闊達な様子はなく、明らかにつらそうだった。
いったい何があったのかと、その前日はずっとクラリスに張りついていたはずのエッタに尋ねたのだが、彼女は無言で首を振るだけだった。おそらく言うのを止められているのだろう。
それが、ルークには心苦しかった。二年以上の時を彼女のそばで過ごした。信頼されていると、思っていた。それなのに悩みを打ち明けてもらえないということは、それらが錯覚で、実はまだエッタほど信用されていないということであって……
そのとき曲が終わりに向かい始めた。くるくると回っていた人たちも少しずつその動きを緩やかにしていく。ルークはクラリスたちが最後にいるであろう場所を予測すると、ホールの隅を歩いてなるべくその場所に近づいていった。
その途中で曲が終わり、余韻もまた少しして消え去る。途端、会場はざわめきに包まれることとなった。
ルークはほかの人と同じように何かをクラリスに向けて喋っているジェラードを見て、少し足を早める。急がなければ隣国の第二王子に返事をすることができなかったからと、悪意のある者によってクラリスが責められることとなるからだ。それだけは絶対に避けなければならない。
二人の元に着くと、どうやらちょうどジェラードが話し終わったところらしく、口を閉じ、クラリスが手を上げた。ルークはそれを見て、言葉にする。
「わかっております。……もう少し、お待ちください」
そう発しつつ、いったい何の話をしていたのだろう? とルークは内心首を傾げた。まったく話が見えてこない。あとでクラリスに尋ねたらいいのだろうが……もしそれが近ごろの不調に関わることであったら?
(傷口をえぐるような真似はしたくないし……)
黙って見守っていたほうが良いだろう。そもそもルークはクラリスに従う者なのだ。アドバイスなどあまりでしゃばった真似をしては、離れてしまったあとが大変だろう。
――彼女のそばに、永遠にいられるはずなどないのだから。いずれ離れなければならない。
それなのに。そうなることは理解しているのに。
どうしてだかルークの胸はキリキリと締め上げられ、悲鳴をあげていて。
思わずぐっ、と手を握りしめると、「そうですか」というジェラードの声が降ってきた。
「――ですが、気をつけてくださいね。クラリス様の体は、クラリス様だけのものではございませんから」
その物言いにルークはとっさに表情筋を引き締めた。
そういう言葉はあまり好きではなかった。クラリスだって人間で、彼女の意志が、望みがある。しかしその言葉はそれらを否定し、ただ王族としてあれというようなもので。
ちらりと彼女の方を見れば、見るからに落ち込んだ様子でそっと目を伏せていた。どうして、と思う。そんなことを言われたのに、どうして彼を咎めない。あなた様はそれでいいのですか?
ふと冷静さをかいてしまっていることに気づき、ゆっくりと呼吸を意識して行う。それだけで少しずつ鼓動は落ち着いていき、いつものように視野が広がって客観的に見られるようになった。
そもそもジェラード自身には、言葉にそんな意味合いを含ませたつもりはないのかもしれないのだ。言葉とは曖昧なもので、状況を正確に認識していなければ言葉の真意を汲み取ることができないこともある。ルークがいないときに二人は会話していたようだから、今回もそれに当たるのかもしれない。
……それでも警戒しておくに越したことはないが。
そう思い、ちらりとジェラードを見れば、にっこりとした笑顔がこちらに向けられた。しかし、その双眸は一切笑っていなくて。
――〝あの子〟とは全然違う。
とろりとした蜂蜜色の髪は同じでも、顔立ちもよく似ていても、その瞳の色は、内包された感情はまったくの別物だ。
(いや……でも、あれから何年も経っているのだし……)
〝あの子〟も、このような瞳をするようになったのかもしれない。ルークのせいで。
そんなことを思いつつ、しかし小さく頭を振って思考を切り替える。今はそのようなことを考えている場合ではない。〝あの子〟のことは、もう、ルークには関係のないことなのだから。
そのとき、ジェラードがルークから視線を外し、にっこりとクラリスに笑いかけた。「では、そろそろ行きましょうか」と言ってエスコートのために手を差し出す。クラリスは――はい、と手話でそう答えて、そっと手を重ねた。これから二人で挨拶回りだ。本当はシャールフのことをよく知らないであろうジェラードをクラリスがリードするはずだったのだが、その関係は最初のころから崩れてしまっている。
(国王陛下も、気にしているだろうな……)
おそらくクラリスにジェラードの案内を任せたのは、彼女に実績を上げさせて王位に一歩近づけるためだろうから。
そんなことを考えながらルークは二人の数歩後ろをついて行き、彼らが立ち止まるとそっとクラリスの横に控えるようにする。二人が――というよりは主にジェラードが対応する者は本当に様々だ。公爵から果ては子爵まで。派閥もクラリス派、エリオット派、中立派関係なくにこやかに挨拶をしている。親しくする相手も派閥など一切気にしていないようだった。……少なくともそう見える。
ルークはすっ、と目を細めた。彼の目的はいったい何なのだろう。ラウウィスの者だから派閥など知らない? ……そんなはずはない。ということは彼が親しくする人には何かしら共通点があるはずだ。しかしそれがまったく見えてこず、ルークはいつもひっそりと頭を悩ませていた。
クラリスが成人をし、派閥間の対立が激しくなるこの時期に彼が来訪したのには、きっとなにか目的があるのだろう。しかしそれが、まったく見えてこなくて。
はぁ、と思わず心の中でため息をつく。彼の目的がわからないのは国王も一緒らしく、側近のヘクターにそれとなく探るよう言われていたのだ。しかし成果は芳しくなく、ただいたずらに時間が過ぎるばかりだった。
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