声なし王女と教育係

白藤結

文字の大きさ
42 / 48
第一部

五章(2)

しおりを挟む
 ぱらり、とページをめくる。つい先日まではすらすらと脳に入ってきていた文字も、今はただ目が滑るだけでちっとも内容を理解できなかった。
 クラリスははぁ、とため息をつきながら本を閉じ、執務机の隅に置いた。そうして椅子の背にもたれかかると、ぼんやりと宙を眺める。

 気分はいつだって晴れなかった。何をしていても、どんなときだって――あまり良くないが舞踏会で誰かと話している最中も――ルークのことは脳裡から離れることはなく、クラリスは彼のことについてばかり考えてしまっていた。今は何をしているのだろう? 陰口とか言われて苦しんでいないだろうか? それともすぐに気持ちを切り替えて、クラリスがしようとしていたように研究に打ち込んでいる? ……なんとなく当たっているような気がする。

 ルークはいつだって感情の制御が上手だった。それこそあの夜のように、何を考えているのか時折まったくわからなくなるくらい、すごく……
 胸がいっぱいいっぱいになって思わず顔を顰めると、そのまま机に突っ伏しった。いつもならルークが注意してくれるだろうけれど、彼はもうここにはいない。さらに侍女の誰にもこの部屋に入らないよう言っていたから、注意する人は今現在周囲にはいなかった。

 瞼を閉じれば鮮やかに浮かび上がるのはあの夜のこと。もう苦しくて、悲しくて、クラリスは必死にその映像を消そうとする。が、それが消えることは決してなかった。
 ……クラリスが最後に見た、ルークの姿だから。
 大切な人のことを、忘れたくなくて。思い出せばつらいからきれいさっぱり忘れ去りたいのに、そんなことはしたくなくて。
 矛盾していることはわかっていたけど、それでもこの感情はどうしようもできなかった。

 ふっ、と、顔を伏せたままわらう。オリオンと約束をしていたのに、結局こうして未練タラタラに彼のことを思っている。本当に――情けない有り様だった。
 大きなため息をつき、クラリスは体を起こすと椅子から立ち上がった。そのまま窓のそばにまで行き、空を眺める。
 今にも雨の降り出しそうな雲に覆われた空が、あたかもクラリスの心情を反映したかのようにそこにはあった。



 その夜もジェラードにエスコートされての舞踏会だった。クラリスは憂鬱な気分のまま、けれど何とか笑顔を取り繕って会場に入場する。
 今日は名前もよく知らない伯爵の主催する舞踏会だった。ルークが教えてくれた重要な貴族リストの中にはなかったはずだから、おそらくエリオットの派閥の者で、会場にいるのも彼の派閥の者ばかりだろう。視線がものすごく痛い。

 当たり前のことだが、敵対派閥の長が別の者への案内――と言えるのかは微妙な状況だが、一応そういったことになっている――として舞踏会に乗り込んできたのならば、何か裏があると考える。おそらくクラリスもそれを疑われて、ない腹を探られている状況なのだろう。……本当にジェラードに連れて来られただけなのに。

(ジェラード様も、そこらへんに気を使ってほしいんだけど……)

 心の中でそっとため息をつく。他国とはいえエスコートする者を敵対派閥の舞踏会へ連れて行くというのは、あまりにも常識外れな行動だった。こういうのはやめていただきたい。切実に。
 そんなことを思っていても、クラリスには何もできないのだが。というより注意する勇気がない。

(ルーク……)

 ぽつりと、心の中で呼びかける。少し前までは別に対立派閥のところへ連れて行かれたって、まったく気にもならなかった。
 いつだって隣に彼がいたから。
 二年間ずっと背中を見せてくれていて、クラリスが何か失敗しかけたときもどうにかして助けてくれる彼がいたから。彼さえいればクラリスは、たとえ対立派閥の者ばかりの場所でも初めての城の外でも、どんなところだって行けたのだ。それくらい、彼は必ず自分を守ってくれると、信じていたから。

 けれど彼はもう隣にはいない。
 去ってしまった。
 ――永遠に。
 その事実に改めて打ちひしがれていると、「どうかしましたか?」という声とともにぬっ、と視界に顔が映り込んだ。思慮深い――ただしルークとは違って冷淡な碧の双眸。ジェラードだ。

 クラリスは思わず目をぱちくりさせながら、――いえ、なんでも、と手話で伝える。エッタの声を聞き、ジェラードは「そうですか」と言って微かに表情を動かした。どこか悲しげな雰囲気を帯びているが、瞳の冷たさは変わっておらず、肌に刺さる視線が気持ち悪い。
 それを表情に出さないよう必死に取り繕っていると、そっと肩に手を回された。

「いつか話そうと思えたならば話してくださいね。私はクラリス様の味方ですから」

 その言葉に、ぞくりと背筋を悪寒が伝った。
 ルークからも似たような言葉を言われたことがある。そのときはその優しさが心地よくて安心したけれど、ジェラードのは違った。ひどく不快で、気持ち悪くて、おぞましい。思わず顔が引きつってないか不安になるほど。
 ――……ありがとうございます、とクラリスは何とかして伝えると、さりげなく彼の手を振り払おうとした。そのとき。

「王女殿下!」

 どこか聞き覚えのあるようなないような大声が聞こえ、クラリスは一瞬動きを止めるとそちらを振り返った。
 そこには赤茶色の髪を持つ、そこそこ体格の良い男性がいて、こちらに向かって近づいてきているところだった。一瞬誰だかわからず首を傾げかけたものの、その深い蒼の瞳を見て思い出した。ルークの〝自称〟ライバルでエリオットの派閥の人。確か名前は――

 ――こんばんは、ニール・ファービア殿。
「ああ、お久しぶりです、王女殿下!」

 相変わらずの大声で思わず耳を抑えたくなるのをこらえながらクラリスは手話を紡ぐ。彼はルークのライバルらしいから、十中八九学院の卒業生なのだろうが……正直こんな様子を見ては本当にそうなのか疑わしくなる。ルークも言葉にはしなかったものの彼のことをそれなりに認めているようだったから――そうでなければあれほど親しげな、オリオンに対するような態度を向けたりはしないだろう――成績は良いのだろうが……

 そんなことを思っていると、ニールは何やらポケットをゴソゴソと漁っていた。しかしなかなか見つからないようで「お?」とか「あ?」とか言いながら、かなりの時間全身のポケットというポケットに手を突っ込んで何かを探していた。
 どうしたのだろう? と不思議がっていれば、「見つけた!」と子供のように大声を出してジャケットの裏のポケットから純白の封筒を取り出し、クラリスに渡してきた。

「部屋で開いてください、とのことです。では!」

 それだけ言って、用は果たしたとばかりにニールはさっさか歩いていった。相変わらず嵐のような人だ、と思いながら封筒をひっくり返し、宛名を見て――思わず凍りつく。
 そこには「エリオット・ハルディア」と、流麗な字で書かれていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

年増令嬢と記憶喪失

くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」 そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。 ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。 「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。 年増か……仕方がない……。 なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。 次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。 なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……

ベルガー子爵領結婚騒動記

文月黒
恋愛
その日、王都より遠く離れたベルガー子爵領は、俄かに浮き足立っていた。 何せ、ついに領民一同が待ち望んでいたベルガー子爵の結婚相手がやって来るのだ。 ちょっとだけ(当領比)特殊な領地の強面領主に嫁いで来たのは、王都の男爵家の末娘・マリア。 だが、花嫁は領主であるベルンハルトの顔を見るなり泣き出してしまった。 最悪な顔合わせをしてしまったベルンハルトとマリア。 慌てるベルンハルトの腹心の部下ヴォルフとマリアの侍女ローザ。 果たしてベルガー子爵領で彼らは幸せを掴めるのか。 ハピエン確定のサクッと読めるギャグ寄り恋愛ものです。

今宵、薔薇の園で

天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。 しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。 彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。 キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。 そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。 彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。

完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました

らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。 そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。 しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような… 完結決定済み

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

処理中です...