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第一部
五章(4)
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扉を開けてくれた衛兵に一礼をしつつ、クラリスはエッタを連れて部屋の中に入った。
国王である父の執務室。豪奢でありながらも物が少なく機能的な部屋の一番奥で、父はこちらを見つめていた。柔らかな金髪がシャンデリアに照らされて薄く輝いていて、エメラルドの瞳が柔らかな光を帯びている。
「クラリス」と呼ばれた。
「話とは?」
――その前に挨拶を……
「そういうのは不要だ。家族だし、時間もないしな」
――わかりました。
確かに国王となるとかなり忙しいのだろう。周囲の人々も優雅さは失っていないが、どこか慌ただしい様子で書類をチェックしたりしていた。
その様子に、もしエリオットに何も言われないまま女王になったりしていたら――その前に彼は何かしらの動きを見せそうだけれども、あくまで仮定として、だ――、おそらくこの国は大変なことになっていただろう、と考える。こんな何の覚悟もできていない自分が女王になってしまえば、仕事をまともに果たせず、父から受け継いだ国を衰退させてしまうに違いない。
そんな未来を考えふっ、と自嘲気味に笑うと、クラリスは手を動かした。
――父さま、わたし、女王にはなりません。
そう言えば、しかし父はあまり驚いていないようだった。優しい光を帯びた双眸はそのままに、真摯にこちらを見つめてくる。おそらく予想されていたのだろう。
何もかもお見通しだったんだ、と思うとどうしてだか笑えてきて、小さく唇が弧を描いた。それほど嫌な気分ではなく、自分でも理解できないものの、どこか安心するような気持ち。
そのことを不思議に思いながらも、クラリスは手の動きを止めない。
――わたし、いろんな人に支援されているのだから女王にならないといけないって思っていたんです。そのためにルークも手話通訳士から解任しました。だけど先ほどエリオットに……
「叱られた?」
――はい。こんな気持ちで女王になろうとするのは間違いだって。わたしもそうだと思いましたし、何よりエリオットならこの国を任せられる。だからわたしは王位継承権を返上することにしました。
そう言えば、「そうか」と言って父は満足げに笑った。「それが、其方の選択か」
――はい。
クラリスは力強く頷く。
今まで、もし間違えてしまったら……とおそろしくて、決めることができていなかった未来。それをクラリスは初めて自分で選んだ。
もしかしたらこの選択は間違っているのかもしれない。クラリスが女王になってエリオットが補佐する形になるほうが良いのかもしれない。そのほうが王位継承権としては順当だからだ。けれど――今はこの選択が正しいと思ったから、後悔はしていなかった。
すると父はまた「そうか」と口にする。その瞳は柔らかく細められており、少しだけこそばゆかった。
「クラリス」と呼ばれる。
――何でしょう?
「それならばルーク・アドランを其方の手話通訳に戻そう」
――……え?
話のつながりが見えてこず、クラリスは首を傾げた。どうして王位継承権を返上することが、ルークを手話通訳に戻すことになるのだろう? ルークを戻したところで何も変わらないのでは?
そんなことを思っていれば、「実はだな……」と父が声を発した。
「元々、其方が女王となるのをやめる、というときを考慮して彼を教育係としたのだ。――さすがにいきなり王位継承権を返上するのはよろしくないことだからな。ある程度根回しが必要となる。けれどその間に其方の勢力が強くなっては困るから……〝汚点〟となる経歴を持つ彼をつけたのだ」
そのころから父がクラリスのために手を打っていたことに驚きつつも、ルークを戻しても良いということに嬉しくなる。
と、そのとき。ふと何か違和感を感じて首を傾げた。脳内で父のセリフを、今までの出来事を思い返して……気づく。
――〝汚点〟ってどういうことでしょう?
父の言葉の中にあった単語で、確かジェラードもそのようなことを言っていた気がする。けれどクラリスの知る限り、学院を首席で卒業していたり、末端とはいえ王城勤めをしていたりと、彼の経歴は輝かしいものだ。……オリオンが家を勘当されたと言っていたから、そのことだろうか? 有り得るが……成人済みならば親の派閥から抜け出すために家を出ることも、ごく稀にあるから、〝汚点〟というほどではない気がする。
そう思っていると、父が目を細めた。
「それは……いつか本人から聞きなさい。話しても良いと思えたのならば、おそらく話してくれよう」
となると、ルークにはまだクラリスの知らない過去があるのだろうか?
そのことに少しだけもやもやしつつ、クラリスは――わかりました、と頷いた。彼にだって話したくないことはあるだろう。クラリスの本心のように。
そこまで考えて〝あること〟に思い至り、クラリスはさっ、と顔を青ざめさせた。あの夜、彼はクラリスのために「解任してください」と申し出ることにした、と語っていたが、はたしてそれは本当なのだろうか? 彼の本心だと断言できるのだろうか? それが嘘で、現実はただクラリスが嫌いになったからであったら……。そんなことを思ってしまい、胸が苦しくなる。どうしよう、という単語で脳内が埋め尽くされる。
もしそうだったならばクラリスは彼に迷惑をかけることになるのだ、と気づき、ひどく申し訳ない気持ちになった。というかそんな現実を突きつけられたら立ち直れなくなる自信がある。
(どうしよう……)
彼が戻って来るのならば、嬉しい。けれど彼がもしそれを嫌がっていたら……と思うとひどく不安で。
そのとき背後の扉が突如開き、部屋の中に誰かが入って来た。父と同じ年頃の男性で、彼は父のすぐ傍にまで行くと耳に手を当てて何かを報告する。すると父は「そうか」と言ってクラリスのほうを向いた。
「ルーク・アドランには今日の午後三時に応接室へ来るよう伝えた」
その言葉が信じられず、クラリスは思わず固まった。王位継承権を返上すると伝えたのは、ほんのつい先ほどだ。それなのにもうルークに伝達が行っているなんて、おかしい。早すぎる。
そう思っているのが伝わったのだろう。父は苦笑しつつ、「予想できていたことだからな」と何気ない様子で言った。……いったい父の頭の中はどうなっているのだろう。少なくともクラリスよりは多くのことが見えていて、そのために様々なことを考えているに違いない。
「では、クラリス、頑張れ」
――あ、ありがとうございます……
未だ衝撃が抜けずどこか呆然としたままクラリスはそう告げると、昼にもかかわらず仕事に戻った父にお辞儀をして部屋を出た。そして数歩進み……顔を覆う。
(ああ、そういえばどうしよう……)
父のおかげでルークと会う日程が組まれてしまった。さすがにそれをすっぽかすのはまずいだろう。しかし――まだ不安が胸の内にあって、彼と顔を合わせる勇気はなかった。
国王である父の執務室。豪奢でありながらも物が少なく機能的な部屋の一番奥で、父はこちらを見つめていた。柔らかな金髪がシャンデリアに照らされて薄く輝いていて、エメラルドの瞳が柔らかな光を帯びている。
「クラリス」と呼ばれた。
「話とは?」
――その前に挨拶を……
「そういうのは不要だ。家族だし、時間もないしな」
――わかりました。
確かに国王となるとかなり忙しいのだろう。周囲の人々も優雅さは失っていないが、どこか慌ただしい様子で書類をチェックしたりしていた。
その様子に、もしエリオットに何も言われないまま女王になったりしていたら――その前に彼は何かしらの動きを見せそうだけれども、あくまで仮定として、だ――、おそらくこの国は大変なことになっていただろう、と考える。こんな何の覚悟もできていない自分が女王になってしまえば、仕事をまともに果たせず、父から受け継いだ国を衰退させてしまうに違いない。
そんな未来を考えふっ、と自嘲気味に笑うと、クラリスは手を動かした。
――父さま、わたし、女王にはなりません。
そう言えば、しかし父はあまり驚いていないようだった。優しい光を帯びた双眸はそのままに、真摯にこちらを見つめてくる。おそらく予想されていたのだろう。
何もかもお見通しだったんだ、と思うとどうしてだか笑えてきて、小さく唇が弧を描いた。それほど嫌な気分ではなく、自分でも理解できないものの、どこか安心するような気持ち。
そのことを不思議に思いながらも、クラリスは手の動きを止めない。
――わたし、いろんな人に支援されているのだから女王にならないといけないって思っていたんです。そのためにルークも手話通訳士から解任しました。だけど先ほどエリオットに……
「叱られた?」
――はい。こんな気持ちで女王になろうとするのは間違いだって。わたしもそうだと思いましたし、何よりエリオットならこの国を任せられる。だからわたしは王位継承権を返上することにしました。
そう言えば、「そうか」と言って父は満足げに笑った。「それが、其方の選択か」
――はい。
クラリスは力強く頷く。
今まで、もし間違えてしまったら……とおそろしくて、決めることができていなかった未来。それをクラリスは初めて自分で選んだ。
もしかしたらこの選択は間違っているのかもしれない。クラリスが女王になってエリオットが補佐する形になるほうが良いのかもしれない。そのほうが王位継承権としては順当だからだ。けれど――今はこの選択が正しいと思ったから、後悔はしていなかった。
すると父はまた「そうか」と口にする。その瞳は柔らかく細められており、少しだけこそばゆかった。
「クラリス」と呼ばれる。
――何でしょう?
「それならばルーク・アドランを其方の手話通訳に戻そう」
――……え?
話のつながりが見えてこず、クラリスは首を傾げた。どうして王位継承権を返上することが、ルークを手話通訳に戻すことになるのだろう? ルークを戻したところで何も変わらないのでは?
そんなことを思っていれば、「実はだな……」と父が声を発した。
「元々、其方が女王となるのをやめる、というときを考慮して彼を教育係としたのだ。――さすがにいきなり王位継承権を返上するのはよろしくないことだからな。ある程度根回しが必要となる。けれどその間に其方の勢力が強くなっては困るから……〝汚点〟となる経歴を持つ彼をつけたのだ」
そのころから父がクラリスのために手を打っていたことに驚きつつも、ルークを戻しても良いということに嬉しくなる。
と、そのとき。ふと何か違和感を感じて首を傾げた。脳内で父のセリフを、今までの出来事を思い返して……気づく。
――〝汚点〟ってどういうことでしょう?
父の言葉の中にあった単語で、確かジェラードもそのようなことを言っていた気がする。けれどクラリスの知る限り、学院を首席で卒業していたり、末端とはいえ王城勤めをしていたりと、彼の経歴は輝かしいものだ。……オリオンが家を勘当されたと言っていたから、そのことだろうか? 有り得るが……成人済みならば親の派閥から抜け出すために家を出ることも、ごく稀にあるから、〝汚点〟というほどではない気がする。
そう思っていると、父が目を細めた。
「それは……いつか本人から聞きなさい。話しても良いと思えたのならば、おそらく話してくれよう」
となると、ルークにはまだクラリスの知らない過去があるのだろうか?
そのことに少しだけもやもやしつつ、クラリスは――わかりました、と頷いた。彼にだって話したくないことはあるだろう。クラリスの本心のように。
そこまで考えて〝あること〟に思い至り、クラリスはさっ、と顔を青ざめさせた。あの夜、彼はクラリスのために「解任してください」と申し出ることにした、と語っていたが、はたしてそれは本当なのだろうか? 彼の本心だと断言できるのだろうか? それが嘘で、現実はただクラリスが嫌いになったからであったら……。そんなことを思ってしまい、胸が苦しくなる。どうしよう、という単語で脳内が埋め尽くされる。
もしそうだったならばクラリスは彼に迷惑をかけることになるのだ、と気づき、ひどく申し訳ない気持ちになった。というかそんな現実を突きつけられたら立ち直れなくなる自信がある。
(どうしよう……)
彼が戻って来るのならば、嬉しい。けれど彼がもしそれを嫌がっていたら……と思うとひどく不安で。
そのとき背後の扉が突如開き、部屋の中に誰かが入って来た。父と同じ年頃の男性で、彼は父のすぐ傍にまで行くと耳に手を当てて何かを報告する。すると父は「そうか」と言ってクラリスのほうを向いた。
「ルーク・アドランには今日の午後三時に応接室へ来るよう伝えた」
その言葉が信じられず、クラリスは思わず固まった。王位継承権を返上すると伝えたのは、ほんのつい先ほどだ。それなのにもうルークに伝達が行っているなんて、おかしい。早すぎる。
そう思っているのが伝わったのだろう。父は苦笑しつつ、「予想できていたことだからな」と何気ない様子で言った。……いったい父の頭の中はどうなっているのだろう。少なくともクラリスよりは多くのことが見えていて、そのために様々なことを考えているに違いない。
「では、クラリス、頑張れ」
――あ、ありがとうございます……
未だ衝撃が抜けずどこか呆然としたままクラリスはそう告げると、昼にもかかわらず仕事に戻った父にお辞儀をして部屋を出た。そして数歩進み……顔を覆う。
(ああ、そういえばどうしよう……)
父のおかげでルークと会う日程が組まれてしまった。さすがにそれをすっぽかすのはまずいだろう。しかし――まだ不安が胸の内にあって、彼と顔を合わせる勇気はなかった。
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