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第一部
エピローグ
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「この二週間、クラリス様のおかげでとても有意義な時間を過ごすことができました。ありがとうございます」
――こちらこそ、ともにいられて楽しかったです。ありがとうございました、ジェラード様。
クラリスの自室で、二人はにこにこと微笑み合いながらそんな会話をしていた。けれどジェラードの瞳は相変わらずギラギラとしていて、やっぱり彼のことは苦手だ、と心の中でこっそりと思う。
ジェラードがこの国へやって来てから二週間が経っており、滞在期間は今日で終わりだ。午前中にも彼はこの王城を発ち、まずは馬車でシャールフの港まで行き、そこから船でラウウィスに帰るらしい。
そのことにやっとつらい生活から解放されるとクラリスは喜んでいたのだが、大広間での国王とジェラードの挨拶の直前、なぜか彼はクラリスの自室へと寄ってきたのだ。さすがに無下にすることはできず、今はこうして向かい合って会話をしている。
(早く帰ってくれてもいいのに……)
内心そんなことを思っていると、ジェラードが「そういえばクラリス様」と呼びかけてきた。――何でしょう? と尋ねれば、彼の視線が一瞬クラリスの背後に立つルークへと向く。そのことから彼に言われる内容を察して、クラリスは表情を取り繕いながらもげんなりした。
そんな思いをよそに、ジェラードは言葉を紡ぐ。
「近くに置く者はよくよく吟味したほうがよろしいですよ。クラリス様の評判に関わりますから」
――ご忠告、痛み入ります。ですけれど大丈夫ですから。
そう伝えれば、ジェラードは「そうですか」と言っていっそう笑みを深めた。
ルークを手話通訳士に戻して以来、数日のことだったが、ジェラードからはこのようにその判断を咎めるようなことを言われていた。おそらく彼からしたら王位を目指しているはずのクラリスがこのような行動を取ることは不可解なのだろう。それは仕方ないとは思うが、会うたびにそのようなことをひたすら言われ続けているのでもううんざりしていた。
こっそりため息をつきつつ、当たり障りのない会話をする。彼がやって来た二週間の間に出会った人々のことが主であったが、正直誰が誰なのかよく把握していないため、半分近くクラリスは――そうですね、と同意することしかできなかった。
やがてジェラードについていた使用人が「そろそろお時間です」と発言をする。そう言われて部屋の隅にあった背丈ほどの高さの置き時計を見れば、確かに大広間へと向かわなければいけない時間となっていた。
ジェラードは肩をすくめると、「では、ここまでにしましょうか」と言って立ち上がった。そして長ったらしい挨拶を述べると、「またお会いできる日を楽しみにしています」と言って部屋を去っていく。
彼がいなくなり、クラリスはふぅ、と息をついてソファーの背もたれにもたれかかった。もう二週間も彼と関わったから少しは慣れたものの、やはりあのような会話は疲れる。
そんなことを思っていたら、「クラリス様」とルークに注意をされた。
――少しくらいいいじゃない。
「そうですが、もう間もなく移動しなければなりませんから。髪型が崩れたりしても直す時間はございませんよ」
そのことを少し不満に思ったが、正論なので、クラリスはしっかりと背筋を伸ばして体勢を立て直した。よろしい、と頷く気配が斜め後ろから感じる。
……今なら顔を見ずに会話をしても不自然ではないだろう。そう判断すると、ふっ、と短く息を吐いてクラリスは手を動かした。
――ねぇ、ルーク。
「はい、何でしょう?」
――……あなたは、女王にならないと決めたわたしを軽蔑する?
ルークの顔を見る勇気はなかった。もしその通りだと表情から少しでも感じてしまえば、立ち直れないだろうと容易に察せられたから。
それでもやはりルークが自身に対してどう思っているのかは気になっていて、尋ねはするのだけれど。しかし顔を見ることさえしなければ、もしルークがその通りだと思っていても、きっと優しい言葉をかけて慰めてくれるだろうから。それならまだ、大丈夫。そう判断しての問いかけだった。
ふっ、と笑う気配がして、「クラリス様」と呼びかけられた。「こちらを見てください」
その声にどきりとしながらおそるおそるルークのほうを向けば、彼は優しげに目を細めて微笑んでいた。
「そんなこと思いませんよ。むしろ感情と周囲に板挟みになりながらも、きちんと自分が正しいと思える決断をしたクラリス様を、私は尊敬します」
――……ありがとう。
そう言って、クラリスは安堵の息をついた。緊張から解放されて、どっと疲労が押し寄せてくる。けれど気力を回復するための時間は残されていなくて。
トントン、と扉が叩かれた。「王女殿下、お時間です」
「さて、行きましょうか」
そう言って手を差し伸べられた。何度も何度も取ってきた手。クラリスを導いてくれた手。
――ええ。
今日も、クラリスはその手を取ったのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
数時間後。馬車に揺すられながら、ジェラードは小さく息をついた。
「結局一番の目的は果たせず、か……」
窓枠に肘を乗せて外の景色をつまらなさそうに眺めながら、そう小さく呟く。
彼がシャールフを訪れたのにはいくつかの理由があった。国家間の交換留学の推奨や、貿易の拡大など、ラウウィスの代表として行わなければならないことのためでもあれば、彼個人の目的のためでもあった。大部分の目的は達成されたものの、彼自身の一番の目的は果たすこと叶わず、今こうして帰路へとついている。
はぁ、とため息をついたが、すぐに「まぁ、いい」と口にした。
「種はまけた。あとは芽吹くのを待つだけなのだからな」
そう言いながら窓の外に広がっていたのどかな田園風景を、カーテンを閉めることによって見えないようにする。ふぅ、と息をついて背もたれに体を預け――ふと思いついた。
「あの男のことをあいつに言ったら、どんな反応をするんだろうな」
安心したようにするのか、はたまた寂しそうにするのか、後悔をするのか。大っ嫌いな相手の反応に思いを馳せ、ジェラードはくつくつと笑った。
馬車は走っていく。港へ――ラウウィスへと向かって。
ジェラードの来訪。このときから様々な思惑が動き始めていたとクラリスたちが知るのは、もう少し先のことだった。
――こちらこそ、ともにいられて楽しかったです。ありがとうございました、ジェラード様。
クラリスの自室で、二人はにこにこと微笑み合いながらそんな会話をしていた。けれどジェラードの瞳は相変わらずギラギラとしていて、やっぱり彼のことは苦手だ、と心の中でこっそりと思う。
ジェラードがこの国へやって来てから二週間が経っており、滞在期間は今日で終わりだ。午前中にも彼はこの王城を発ち、まずは馬車でシャールフの港まで行き、そこから船でラウウィスに帰るらしい。
そのことにやっとつらい生活から解放されるとクラリスは喜んでいたのだが、大広間での国王とジェラードの挨拶の直前、なぜか彼はクラリスの自室へと寄ってきたのだ。さすがに無下にすることはできず、今はこうして向かい合って会話をしている。
(早く帰ってくれてもいいのに……)
内心そんなことを思っていると、ジェラードが「そういえばクラリス様」と呼びかけてきた。――何でしょう? と尋ねれば、彼の視線が一瞬クラリスの背後に立つルークへと向く。そのことから彼に言われる内容を察して、クラリスは表情を取り繕いながらもげんなりした。
そんな思いをよそに、ジェラードは言葉を紡ぐ。
「近くに置く者はよくよく吟味したほうがよろしいですよ。クラリス様の評判に関わりますから」
――ご忠告、痛み入ります。ですけれど大丈夫ですから。
そう伝えれば、ジェラードは「そうですか」と言っていっそう笑みを深めた。
ルークを手話通訳士に戻して以来、数日のことだったが、ジェラードからはこのようにその判断を咎めるようなことを言われていた。おそらく彼からしたら王位を目指しているはずのクラリスがこのような行動を取ることは不可解なのだろう。それは仕方ないとは思うが、会うたびにそのようなことをひたすら言われ続けているのでもううんざりしていた。
こっそりため息をつきつつ、当たり障りのない会話をする。彼がやって来た二週間の間に出会った人々のことが主であったが、正直誰が誰なのかよく把握していないため、半分近くクラリスは――そうですね、と同意することしかできなかった。
やがてジェラードについていた使用人が「そろそろお時間です」と発言をする。そう言われて部屋の隅にあった背丈ほどの高さの置き時計を見れば、確かに大広間へと向かわなければいけない時間となっていた。
ジェラードは肩をすくめると、「では、ここまでにしましょうか」と言って立ち上がった。そして長ったらしい挨拶を述べると、「またお会いできる日を楽しみにしています」と言って部屋を去っていく。
彼がいなくなり、クラリスはふぅ、と息をついてソファーの背もたれにもたれかかった。もう二週間も彼と関わったから少しは慣れたものの、やはりあのような会話は疲れる。
そんなことを思っていたら、「クラリス様」とルークに注意をされた。
――少しくらいいいじゃない。
「そうですが、もう間もなく移動しなければなりませんから。髪型が崩れたりしても直す時間はございませんよ」
そのことを少し不満に思ったが、正論なので、クラリスはしっかりと背筋を伸ばして体勢を立て直した。よろしい、と頷く気配が斜め後ろから感じる。
……今なら顔を見ずに会話をしても不自然ではないだろう。そう判断すると、ふっ、と短く息を吐いてクラリスは手を動かした。
――ねぇ、ルーク。
「はい、何でしょう?」
――……あなたは、女王にならないと決めたわたしを軽蔑する?
ルークの顔を見る勇気はなかった。もしその通りだと表情から少しでも感じてしまえば、立ち直れないだろうと容易に察せられたから。
それでもやはりルークが自身に対してどう思っているのかは気になっていて、尋ねはするのだけれど。しかし顔を見ることさえしなければ、もしルークがその通りだと思っていても、きっと優しい言葉をかけて慰めてくれるだろうから。それならまだ、大丈夫。そう判断しての問いかけだった。
ふっ、と笑う気配がして、「クラリス様」と呼びかけられた。「こちらを見てください」
その声にどきりとしながらおそるおそるルークのほうを向けば、彼は優しげに目を細めて微笑んでいた。
「そんなこと思いませんよ。むしろ感情と周囲に板挟みになりながらも、きちんと自分が正しいと思える決断をしたクラリス様を、私は尊敬します」
――……ありがとう。
そう言って、クラリスは安堵の息をついた。緊張から解放されて、どっと疲労が押し寄せてくる。けれど気力を回復するための時間は残されていなくて。
トントン、と扉が叩かれた。「王女殿下、お時間です」
「さて、行きましょうか」
そう言って手を差し伸べられた。何度も何度も取ってきた手。クラリスを導いてくれた手。
――ええ。
今日も、クラリスはその手を取ったのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
数時間後。馬車に揺すられながら、ジェラードは小さく息をついた。
「結局一番の目的は果たせず、か……」
窓枠に肘を乗せて外の景色をつまらなさそうに眺めながら、そう小さく呟く。
彼がシャールフを訪れたのにはいくつかの理由があった。国家間の交換留学の推奨や、貿易の拡大など、ラウウィスの代表として行わなければならないことのためでもあれば、彼個人の目的のためでもあった。大部分の目的は達成されたものの、彼自身の一番の目的は果たすこと叶わず、今こうして帰路へとついている。
はぁ、とため息をついたが、すぐに「まぁ、いい」と口にした。
「種はまけた。あとは芽吹くのを待つだけなのだからな」
そう言いながら窓の外に広がっていたのどかな田園風景を、カーテンを閉めることによって見えないようにする。ふぅ、と息をついて背もたれに体を預け――ふと思いついた。
「あの男のことをあいつに言ったら、どんな反応をするんだろうな」
安心したようにするのか、はたまた寂しそうにするのか、後悔をするのか。大っ嫌いな相手の反応に思いを馳せ、ジェラードはくつくつと笑った。
馬車は走っていく。港へ――ラウウィスへと向かって。
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