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第5部 厳しさにこめられた優しい想い
2-3どんなに凄い人でも昔は一杯失敗してたんだね
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早朝の五時半ごろ。先ほど、アパートの一階の流しに行って、顔を洗ってきたところだ。普段なら、目覚ましが鳴ったあと、床に転げ落ちて、強引に目を覚ましている。でも、今朝は、自然にパッチリ目が覚めた。
時計を見たら、まだ五時だったけど、特に眠くはないので、起きてしまった。たぶん、体力があり余っているんだと思う。
ここのところ、ずっと部屋にこもって、勉強してたからねぇ。仕事に行ってた時の、三分の一ぐらいしか、体力を使っていない。まぁ、精神力は、ゴリゴリ消費してたけど……。
一応、ライセンスは復活したんだけど、あと三日間、営業停止期間が残っている。『安全飛行講習』も終わって、完全にやることが、なくなってしまった。
さて、どうしようかなぁ――?
部屋で大人しく、勉強をしているのが、一番だとは思う。でも、さすがに、朝から晩までは無理だ。少しは外に出ないと、息が詰まってしまう。講習も、何だかんだで、いい刺激や気分転換に、なってたんだよね。
しかし、いざ考えてみると、何もやる事が思い浮かばない。以前から、休みの日って、得にやることがないんだよね。
休みの日に、やってることって、買い出しや洗濯ぐらいだ。それに、エア・ドルフィンに乗れないと、空の散歩もできないし。
むー、やっぱり、空を飛べないのは物凄く痛い。よくよく考えてみたら、空を飛べないと、何もやることないじゃん……。休みの日って、いつも適当に、空を飛び回ってたからね。
ライセンスは、無事に元に戻った。でも、私はまだ、エア・ドルフィンには、指一本ふれていない。
ちゃんと、リリーシャさんに、報告とお詫びをして、許可をもらってから乗ろうと思うからだ。あれだけ、迷惑と心配をかけてしまったのだから、これは、最低限の筋だよね。
それに、出社前に、また何か事故でも起こしたら、シャレにならない。昔から、割とトラブルは起こしやすいので。しばらく、空を飛ぶのは、自重しようと思う。
「よし、まずは、準備運動しよう! やることがない時は、運動。これ、基本だよね」
何もやることが、思い浮かばなかったので、アパートの庭にでて、体を動かすことにした。
階段を静かに降りて、アパートの前の庭に出ると、大きく深呼吸をする。そのあと、頭の中で、ラジオ体操の音楽を思い出しながら、体を動かす。やってる内に、だんだん乗ってきて、気分がスッキリしてきた。一通り終ると、再び深呼吸をする。
「うーん、やっぱ、外の空気は、爽やかでいいよねぇー!」
私が満足感に浸っていると、
「お前、朝っぱらから、何やってんだ?」
振り向くと、腕組みしながら、こちらをジーッと見つめている、ノーラさんがいた。
「あ、ノーラさん、おはようございます。って、見てたんですか?」
「ずいぶんと暇そうだな、お前。講習は、終わったのか?」
「はい、無事に終了して、ライセンスも復活しました。でも、営業停止が、まだ三日間あるので、やることなくて――」
安全飛行講習は大変だったけど、何だかんだで、充実感があったんだよね。色々と勉強にもなったし。いざ終わってしまうと、ちょっと、物足りなく思ってしまう。
「なら、祭に行ってくりゃいいだろ? もしくは、適当に遊んでくるとか」
「ダメですよ。営業停止処分が終わるまでは、自重することに決めてるんです」
「お前、変なところで真面目だな。お馬鹿なくせに」
「んがっ……。お馬鹿と反省は、別問題ですよう!」
いくら馬鹿だって、反省ぐらいするもん。というか、リリーシャさんに、これ以上の心配は、掛けたくない。人の多いところに行って、また何かトラブルに巻き込まれたりしたら、大変だ。だから、家で大人しくしてた方がいい。
とはいえ、体力が、超あり余ってるしなぁー。ん、そうだ……。
「ノーラさん、アパートの掃除しても、いいですか?」
「は――?」
「庭掃除とか、廊下のモップ掛けとか。何でもやりますよ!」
体力が余っている原因の一つが、朝の掃除をしていないからだ。足を怪我する前は、毎朝じっくり時間を掛けてやっていた。掃除も、結構いい運動になるんだよね。
「何だ、唐突に? 言っとくが、やっても何も出ないぞ」
「構いません。単に、私がやりたいだけですから」
「なら、好きにしな」
「はい、ありがとうございます」
私は、一階の廊下の奥の、用具入れのロッカーに行くと、ほうきと塵取りを取り出した。そのまま、小走りで庭に向かうと、はき掃除を始める。隅から丁寧にはいて行く。アパートの庭掃除は、初めてだけど、会社でやる時と、基本は変わらない。
庭掃除が終わると、今度はモップを取りに行き、廊下の端から端まで、モップ掛けをする。廊下が長いので、中々やりごたえがあった。こんなに、やりごたえのある掃除は、中学以来だ。
最初は、ゆっくりだったけど、段々のってくると、早足になってきた。思いっ切り走りたいけど、まだ、足の包帯が取れてないので、そこはぐっと我慢。一階が終わると、二階に移動する。どんどん上の階に移動しながら、廊下の掃除を続けていった。
結構、時間は掛かったけど、ちゃんと五階の廊下まで、全てモップ掛けを終わらせる。私は、とてもスッキリした気分になり、満足しながら一階に降りて来た。
いやー、いい仕事だったー。体も動かせて、満足満足。
掃除の充実感に浸っていると、ノーラさんが、外から入って来るところに、ちょうど出くわした。
「お前、全部の階の掃除をしたのか?」
「はい、バッチリです! 隅々まで、綺麗になりましたよ」
「ふむ。じゃあ、片付けが終わったら、手を洗って表に来な」
そう言うと、再び庭に出て行った。
なんだろう? 掃除の行き届いてないところでも、あったのかな? ちゃんと、隅から隅まで、やったはずだけど――。
私は、モップをかたずけ、手を洗って庭に向かう。すると、青色のエア・カートが停まっていた。中には、ノーラさんが乗っている。これって、以前『ノア・マラソン』の当日に、送って行ってもらった時の機体だ。
「さっさと乗りな」
私は、言われるままに、助手席に乗り込んだ。
「どこに行くんですか?」
「朝飯にいくぞ。流石に、あれだけやらせて、タダって訳にも行かないからな」
「別に、そんなつもりで、やった訳では……。でも、助かります」
実は、結構、お腹が空いていた。凄く集中してたし、会社よりも、はるかに掃除する部分が広いので。
私が乗り込むと、スーッと機体が上昇していく。そのまま、北のほうに向かって飛んで行った。
「ノーラさんも、外食するんですね? 自炊しか、しないんだと思ってました」
「まぁ、自炊が多いが、外食だってするさ。今は、ずっと家にいるから、自炊が多いが。昔は、外食のほうが、多かったからな」
「大人気のシルフィードだと、忙しいですもんね」
「別に、そういうんじゃなくて。仕事で、あっちこっちに移動するから、見つけた店で済ませたほうが、早いんだよ」
毎日、リリーシャさんを見ていれば、よく分かる。忙しくて、食事がとれないことも有るぐらいだ。スカイ・プリンセスで、あの忙しさなんだから。シルフィード・クイーンともなれば、とんでもなく忙しかったと思う。
ほどなくして、大きな駐車場に、機体がゆっくりと降りて行く。メインストリートを脇にそれた、細い道の先にある場所だ。まだ、朝早いので、駐車場には、他の車は停まっていない。
大きな敷地の中には、ポツンと小さな建物があった。看板には『定食 風見鶏』と書かれている。でも、店内には、お客さんが誰もいないし、灯もついていない。まだ、八時前なので、さすがに、やってないと思う。
「まだ、営業してないんじゃないですか? 普通は、九時か十時に、開店ですよね?」
「店は九時からだが、仕込みは、早朝からやってるんだよ」
ノーラさんはそう言うと『準備中』の札が下がっている扉を、何の迷いもなく開けて中に入る。私も少し後ろから、恐る恐るついて、中に入って行った。
「じいさん、いるかー?」
「あぁ、ノーラちゃんか。なんだい、今日は、偉く早いな」
ノーラさんは、マナ・イルミネーションのスイッチを勝手に押し、店内の照明をつけた。そのあと、カウンターの、中央の席に座る。
「って、営業前に、いいんですか?」
「いいんだよ。お前も、早く座れ」
私が小声で尋ねると、ノーラさんに、すぐ横の席に座るように指示された。
「じいさん、あれ作れるか?」
「まぁ、材料はあるから、作れるけど。朝っぱらから、食べるのか?」
「こいつが、先日、事故っちまって。ちょいと、景気づけにさ」
「あぁ、そういう事かい。なら、ちょっと待ってな。まだ、仕込み中だから、ちょっと時間が掛かるぞ」
二人のこなれた会話を見ていると、かなり親しい感じだ。営業時間前に、勝手に入って来るぐらいだから、相当な常連だよね?
「こんな所に、お店があるとは、全く知りませんでした。ノーラさんは、よく来るんですか?」
「昔は、割と来てたな。最近は、たまにだが」
店の厨房からは、食材を切る、トントンという、軽快な音が聞こえてくる。
「学生時代は、ほとんど毎日、来てたよな」
「学生時代からって、超常連じゃないですか?」
「たまたま、家から近かっただけだ」
大将の言葉に、ノーラさんは、ぶっきらぼうに答えた。
「物凄くやんちゃで、豪快に飯を食う姿は、今でもよく覚えてるよ」
「えっ、やんちゃって――?」
「たまに、体にあざを作って来たりとかさ。まさか、そんな子が、シルフィードになるとは、ビックリさ」
「体にあざって……?」
私がそっと、ノーラさんの顔を見ると、
「時には、体を張る必要があるんだよ」
険しい表情で、睨み返して来た。
ひえっ?! 凄い眼力で、一瞬ひるんだ。
怖い人だとは思ってたけど、十代のころって、どんな感じだったんだろう? やんちゃって、アレだよね。レディースとか、ヤンキーみたいな?
しばらくすると、揚げ物の匂いと、甘い香りが漂ってきた。大将は、無駄のない動きで、手際よく厨房内を動いている。
うーん、すっごくいい香り。でも、どことなく、懐かしい感じのする匂いだ。なんか昔、実家のそばの定食屋で、こんな匂いをかいだ記憶がある。
そういえば、何を頼んだのか聴いてなかったけど、揚げ物かな? 匂いをかいでいたら、すっごくお腹がすいてきた。ノーラさんは、ただ黙って、ジッと厨房のほうを眺めている。
ほどなくして、
「はいよ、お待ちどう。付け合わせは、ちょっと待ってな」
目の前に、ふたの付いた、陶器のどんぶりが置かれた。
続いて、みそ汁のおわんと、漬物の小皿が置かれる。いかにも、定食屋のメニューといった感じだ。
「ところで、これって何ですか?」
「開けりゃ、分かるだろ」
私は言われるままに、そっとふたを開けてみた。すると、ブワーっと白い湯気が立ち昇る。
「おぉー-!! これはっ!」
感動のあまり、思わず大きな声が出てしまった。見慣れた料理だけど、物凄く久しぶりだったからだ。
「こっちの世界にも、かつ丼って、あったんですね」
「じいさんは、向こうの世界の料理が、大好きだからな。それより、さっさと食え」
「はい、いただきますっ!」
味噌汁を一口飲んだあと、丼の上の、トロトロの半熟卵が絡んでいるかつを、箸でつかむ。物凄く厚切りの肉だ。ガブっとかみつくと、口の中一杯に、タレと卵と肉のうまみが、一気に広がった。
うーん、肉柔らかっ!! タレも甘くて美味しい! 衣にも玉ねぎにも、タレがよくしみ込んでる。これって、私がよく知っている、かつ丼の味だ。しかも、向こうで食べたのよりも、ずっと美味しい!
あまりの美味しさに、夢中になって、手が止まらなかった。肉とご飯を交互に、どんどん口に放り込んで行く。
「どうだ、ちっとは、元気が出たか?」
「はい、お陰さまで。滅茶苦茶、元気が出ました! 事故で、ちょっと落ち込んでたんで、助かります」
無事に講習も終わり、ライセンスも復活したけど。やっぱり、事故に遭ったショックは、まだ引きずっていた。でも、美味しい物を食べると、今の状況に関係なく、凄く元気が出て来るよね。
「事故なんて、空飛んでりゃ、付きものだ。そんな、つまんないことで、一々くよくよすんな」
「ノーラちゃんは、常連だもんな」
大将は、笑いながら声をかけて来る。
「えぇっ?! ノーラさんでも、事故に遭ったりするんですか? あんなに操縦が上手いのに」
「昔は、地元の若いもんと、スピードを競い合って、よくぶつけてたよな。で、むしゃくしゃすると、うちに飯食いに来てたんだ」
さっき言ってた『体を張る』って、そういう意味だったんだ。
「じいさん、余計なこと言うなよ。それより、デービスって、まだ〈飛行教練センター〉にいるのか?」
「あぁ、センター長さんですよね? 最終日の講師でした。超厳しかったですよ。お知り合いですか?」
「昔、安全講習を受けに行った時も、あいつが最終日でよ。うるさいのなんの」
あぁー、そっか。ノーラさんも『安全飛行講習』に、行ってたんだ。色んな意味で、私の大先輩だよね。
どんなに上手い人でも、最初から上手かったわけじゃないし。事故だって、遭う時は遭うよね。まぁ、ノーラさんの場合、相当、無茶な運転してたみたいだけど。
でも、自分だけが、事故に遭ったんじゃないと知って、少し安心した。遭わないに越したことないけど、起きちゃったこと、くよくよしてても、しょうがないよね。
かつ丼食べて、元気も出たし。気持ちを入れ直して、胸を張って仕事に復帰しよう。
よし、これからもシルフィードの仕事、全力で頑張りまっしょい!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『ありがとうを伝えるのって意外と照れくさいよね』
生きていたい…ありがとうを言うために…
時計を見たら、まだ五時だったけど、特に眠くはないので、起きてしまった。たぶん、体力があり余っているんだと思う。
ここのところ、ずっと部屋にこもって、勉強してたからねぇ。仕事に行ってた時の、三分の一ぐらいしか、体力を使っていない。まぁ、精神力は、ゴリゴリ消費してたけど……。
一応、ライセンスは復活したんだけど、あと三日間、営業停止期間が残っている。『安全飛行講習』も終わって、完全にやることが、なくなってしまった。
さて、どうしようかなぁ――?
部屋で大人しく、勉強をしているのが、一番だとは思う。でも、さすがに、朝から晩までは無理だ。少しは外に出ないと、息が詰まってしまう。講習も、何だかんだで、いい刺激や気分転換に、なってたんだよね。
しかし、いざ考えてみると、何もやる事が思い浮かばない。以前から、休みの日って、得にやることがないんだよね。
休みの日に、やってることって、買い出しや洗濯ぐらいだ。それに、エア・ドルフィンに乗れないと、空の散歩もできないし。
むー、やっぱり、空を飛べないのは物凄く痛い。よくよく考えてみたら、空を飛べないと、何もやることないじゃん……。休みの日って、いつも適当に、空を飛び回ってたからね。
ライセンスは、無事に元に戻った。でも、私はまだ、エア・ドルフィンには、指一本ふれていない。
ちゃんと、リリーシャさんに、報告とお詫びをして、許可をもらってから乗ろうと思うからだ。あれだけ、迷惑と心配をかけてしまったのだから、これは、最低限の筋だよね。
それに、出社前に、また何か事故でも起こしたら、シャレにならない。昔から、割とトラブルは起こしやすいので。しばらく、空を飛ぶのは、自重しようと思う。
「よし、まずは、準備運動しよう! やることがない時は、運動。これ、基本だよね」
何もやることが、思い浮かばなかったので、アパートの庭にでて、体を動かすことにした。
階段を静かに降りて、アパートの前の庭に出ると、大きく深呼吸をする。そのあと、頭の中で、ラジオ体操の音楽を思い出しながら、体を動かす。やってる内に、だんだん乗ってきて、気分がスッキリしてきた。一通り終ると、再び深呼吸をする。
「うーん、やっぱ、外の空気は、爽やかでいいよねぇー!」
私が満足感に浸っていると、
「お前、朝っぱらから、何やってんだ?」
振り向くと、腕組みしながら、こちらをジーッと見つめている、ノーラさんがいた。
「あ、ノーラさん、おはようございます。って、見てたんですか?」
「ずいぶんと暇そうだな、お前。講習は、終わったのか?」
「はい、無事に終了して、ライセンスも復活しました。でも、営業停止が、まだ三日間あるので、やることなくて――」
安全飛行講習は大変だったけど、何だかんだで、充実感があったんだよね。色々と勉強にもなったし。いざ終わってしまうと、ちょっと、物足りなく思ってしまう。
「なら、祭に行ってくりゃいいだろ? もしくは、適当に遊んでくるとか」
「ダメですよ。営業停止処分が終わるまでは、自重することに決めてるんです」
「お前、変なところで真面目だな。お馬鹿なくせに」
「んがっ……。お馬鹿と反省は、別問題ですよう!」
いくら馬鹿だって、反省ぐらいするもん。というか、リリーシャさんに、これ以上の心配は、掛けたくない。人の多いところに行って、また何かトラブルに巻き込まれたりしたら、大変だ。だから、家で大人しくしてた方がいい。
とはいえ、体力が、超あり余ってるしなぁー。ん、そうだ……。
「ノーラさん、アパートの掃除しても、いいですか?」
「は――?」
「庭掃除とか、廊下のモップ掛けとか。何でもやりますよ!」
体力が余っている原因の一つが、朝の掃除をしていないからだ。足を怪我する前は、毎朝じっくり時間を掛けてやっていた。掃除も、結構いい運動になるんだよね。
「何だ、唐突に? 言っとくが、やっても何も出ないぞ」
「構いません。単に、私がやりたいだけですから」
「なら、好きにしな」
「はい、ありがとうございます」
私は、一階の廊下の奥の、用具入れのロッカーに行くと、ほうきと塵取りを取り出した。そのまま、小走りで庭に向かうと、はき掃除を始める。隅から丁寧にはいて行く。アパートの庭掃除は、初めてだけど、会社でやる時と、基本は変わらない。
庭掃除が終わると、今度はモップを取りに行き、廊下の端から端まで、モップ掛けをする。廊下が長いので、中々やりごたえがあった。こんなに、やりごたえのある掃除は、中学以来だ。
最初は、ゆっくりだったけど、段々のってくると、早足になってきた。思いっ切り走りたいけど、まだ、足の包帯が取れてないので、そこはぐっと我慢。一階が終わると、二階に移動する。どんどん上の階に移動しながら、廊下の掃除を続けていった。
結構、時間は掛かったけど、ちゃんと五階の廊下まで、全てモップ掛けを終わらせる。私は、とてもスッキリした気分になり、満足しながら一階に降りて来た。
いやー、いい仕事だったー。体も動かせて、満足満足。
掃除の充実感に浸っていると、ノーラさんが、外から入って来るところに、ちょうど出くわした。
「お前、全部の階の掃除をしたのか?」
「はい、バッチリです! 隅々まで、綺麗になりましたよ」
「ふむ。じゃあ、片付けが終わったら、手を洗って表に来な」
そう言うと、再び庭に出て行った。
なんだろう? 掃除の行き届いてないところでも、あったのかな? ちゃんと、隅から隅まで、やったはずだけど――。
私は、モップをかたずけ、手を洗って庭に向かう。すると、青色のエア・カートが停まっていた。中には、ノーラさんが乗っている。これって、以前『ノア・マラソン』の当日に、送って行ってもらった時の機体だ。
「さっさと乗りな」
私は、言われるままに、助手席に乗り込んだ。
「どこに行くんですか?」
「朝飯にいくぞ。流石に、あれだけやらせて、タダって訳にも行かないからな」
「別に、そんなつもりで、やった訳では……。でも、助かります」
実は、結構、お腹が空いていた。凄く集中してたし、会社よりも、はるかに掃除する部分が広いので。
私が乗り込むと、スーッと機体が上昇していく。そのまま、北のほうに向かって飛んで行った。
「ノーラさんも、外食するんですね? 自炊しか、しないんだと思ってました」
「まぁ、自炊が多いが、外食だってするさ。今は、ずっと家にいるから、自炊が多いが。昔は、外食のほうが、多かったからな」
「大人気のシルフィードだと、忙しいですもんね」
「別に、そういうんじゃなくて。仕事で、あっちこっちに移動するから、見つけた店で済ませたほうが、早いんだよ」
毎日、リリーシャさんを見ていれば、よく分かる。忙しくて、食事がとれないことも有るぐらいだ。スカイ・プリンセスで、あの忙しさなんだから。シルフィード・クイーンともなれば、とんでもなく忙しかったと思う。
ほどなくして、大きな駐車場に、機体がゆっくりと降りて行く。メインストリートを脇にそれた、細い道の先にある場所だ。まだ、朝早いので、駐車場には、他の車は停まっていない。
大きな敷地の中には、ポツンと小さな建物があった。看板には『定食 風見鶏』と書かれている。でも、店内には、お客さんが誰もいないし、灯もついていない。まだ、八時前なので、さすがに、やってないと思う。
「まだ、営業してないんじゃないですか? 普通は、九時か十時に、開店ですよね?」
「店は九時からだが、仕込みは、早朝からやってるんだよ」
ノーラさんはそう言うと『準備中』の札が下がっている扉を、何の迷いもなく開けて中に入る。私も少し後ろから、恐る恐るついて、中に入って行った。
「じいさん、いるかー?」
「あぁ、ノーラちゃんか。なんだい、今日は、偉く早いな」
ノーラさんは、マナ・イルミネーションのスイッチを勝手に押し、店内の照明をつけた。そのあと、カウンターの、中央の席に座る。
「って、営業前に、いいんですか?」
「いいんだよ。お前も、早く座れ」
私が小声で尋ねると、ノーラさんに、すぐ横の席に座るように指示された。
「じいさん、あれ作れるか?」
「まぁ、材料はあるから、作れるけど。朝っぱらから、食べるのか?」
「こいつが、先日、事故っちまって。ちょいと、景気づけにさ」
「あぁ、そういう事かい。なら、ちょっと待ってな。まだ、仕込み中だから、ちょっと時間が掛かるぞ」
二人のこなれた会話を見ていると、かなり親しい感じだ。営業時間前に、勝手に入って来るぐらいだから、相当な常連だよね?
「こんな所に、お店があるとは、全く知りませんでした。ノーラさんは、よく来るんですか?」
「昔は、割と来てたな。最近は、たまにだが」
店の厨房からは、食材を切る、トントンという、軽快な音が聞こえてくる。
「学生時代は、ほとんど毎日、来てたよな」
「学生時代からって、超常連じゃないですか?」
「たまたま、家から近かっただけだ」
大将の言葉に、ノーラさんは、ぶっきらぼうに答えた。
「物凄くやんちゃで、豪快に飯を食う姿は、今でもよく覚えてるよ」
「えっ、やんちゃって――?」
「たまに、体にあざを作って来たりとかさ。まさか、そんな子が、シルフィードになるとは、ビックリさ」
「体にあざって……?」
私がそっと、ノーラさんの顔を見ると、
「時には、体を張る必要があるんだよ」
険しい表情で、睨み返して来た。
ひえっ?! 凄い眼力で、一瞬ひるんだ。
怖い人だとは思ってたけど、十代のころって、どんな感じだったんだろう? やんちゃって、アレだよね。レディースとか、ヤンキーみたいな?
しばらくすると、揚げ物の匂いと、甘い香りが漂ってきた。大将は、無駄のない動きで、手際よく厨房内を動いている。
うーん、すっごくいい香り。でも、どことなく、懐かしい感じのする匂いだ。なんか昔、実家のそばの定食屋で、こんな匂いをかいだ記憶がある。
そういえば、何を頼んだのか聴いてなかったけど、揚げ物かな? 匂いをかいでいたら、すっごくお腹がすいてきた。ノーラさんは、ただ黙って、ジッと厨房のほうを眺めている。
ほどなくして、
「はいよ、お待ちどう。付け合わせは、ちょっと待ってな」
目の前に、ふたの付いた、陶器のどんぶりが置かれた。
続いて、みそ汁のおわんと、漬物の小皿が置かれる。いかにも、定食屋のメニューといった感じだ。
「ところで、これって何ですか?」
「開けりゃ、分かるだろ」
私は言われるままに、そっとふたを開けてみた。すると、ブワーっと白い湯気が立ち昇る。
「おぉー-!! これはっ!」
感動のあまり、思わず大きな声が出てしまった。見慣れた料理だけど、物凄く久しぶりだったからだ。
「こっちの世界にも、かつ丼って、あったんですね」
「じいさんは、向こうの世界の料理が、大好きだからな。それより、さっさと食え」
「はい、いただきますっ!」
味噌汁を一口飲んだあと、丼の上の、トロトロの半熟卵が絡んでいるかつを、箸でつかむ。物凄く厚切りの肉だ。ガブっとかみつくと、口の中一杯に、タレと卵と肉のうまみが、一気に広がった。
うーん、肉柔らかっ!! タレも甘くて美味しい! 衣にも玉ねぎにも、タレがよくしみ込んでる。これって、私がよく知っている、かつ丼の味だ。しかも、向こうで食べたのよりも、ずっと美味しい!
あまりの美味しさに、夢中になって、手が止まらなかった。肉とご飯を交互に、どんどん口に放り込んで行く。
「どうだ、ちっとは、元気が出たか?」
「はい、お陰さまで。滅茶苦茶、元気が出ました! 事故で、ちょっと落ち込んでたんで、助かります」
無事に講習も終わり、ライセンスも復活したけど。やっぱり、事故に遭ったショックは、まだ引きずっていた。でも、美味しい物を食べると、今の状況に関係なく、凄く元気が出て来るよね。
「事故なんて、空飛んでりゃ、付きものだ。そんな、つまんないことで、一々くよくよすんな」
「ノーラちゃんは、常連だもんな」
大将は、笑いながら声をかけて来る。
「えぇっ?! ノーラさんでも、事故に遭ったりするんですか? あんなに操縦が上手いのに」
「昔は、地元の若いもんと、スピードを競い合って、よくぶつけてたよな。で、むしゃくしゃすると、うちに飯食いに来てたんだ」
さっき言ってた『体を張る』って、そういう意味だったんだ。
「じいさん、余計なこと言うなよ。それより、デービスって、まだ〈飛行教練センター〉にいるのか?」
「あぁ、センター長さんですよね? 最終日の講師でした。超厳しかったですよ。お知り合いですか?」
「昔、安全講習を受けに行った時も、あいつが最終日でよ。うるさいのなんの」
あぁー、そっか。ノーラさんも『安全飛行講習』に、行ってたんだ。色んな意味で、私の大先輩だよね。
どんなに上手い人でも、最初から上手かったわけじゃないし。事故だって、遭う時は遭うよね。まぁ、ノーラさんの場合、相当、無茶な運転してたみたいだけど。
でも、自分だけが、事故に遭ったんじゃないと知って、少し安心した。遭わないに越したことないけど、起きちゃったこと、くよくよしてても、しょうがないよね。
かつ丼食べて、元気も出たし。気持ちを入れ直して、胸を張って仕事に復帰しよう。
よし、これからもシルフィードの仕事、全力で頑張りまっしょい!
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次回――
『ありがとうを伝えるのって意外と照れくさいよね』
生きていたい…ありがとうを言うために…
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パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
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