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第8部 分かたれる道
2-5例え死んだとしても私は絶対に逃げたりしない
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私は、本館の三階にある『第三ミーティング・ルーム』にいた。百人以上が入れる、とても大きな部屋で、講習会などで使われる。あと、見習い階級は、毎朝ここで、ミーティングが行われる。学校のホームルーム的なものだ。
ミーティングは、九時からだが、私はいつも、八時には部屋に来ていた。当然、一番乗りだ。不測の事態を考え、時間には、常に余裕をもって。時間は、何があっても絶対順守。これが、私のポリシーだ。
それに、私は、物凄く負けず嫌いだ。だから、何でも一番にならないと、気が済まない。学校だって、首席で卒業したし。入社後も、定期考査では、常に一番だ。まぁ、同期の、浮ついた気持ちの連中に、負けるわけがないけど。
あと、私は、朝のこの静かな空気が、大好きだった。誰にも邪魔されないし。ゆっくりと、色んなことを考えるのに、最適な時間だ。一日のスケジュールを立てるのにも、ちょうどいい。
今日の予定を、細かくチェックしていると、ふと、先日の出来事を思い出した。先輩シルフィードに囲まれ、くだらない、言いがかりをつけられた件だ。
たかだか、一、二年、早く入社しただけで。何の実績もないくせに、大きな顔をしている連中たち。なんで、そんな相手を、尊敬しなければ、ならないのだろうか? いくら伝統を大事にする社風とはいえ、この業界は、完全な能力主義なはずだ。
自分より劣った連中に、頭を下げるなど、死んでもお断りだ。だが、彼女に言われた通り『フリ』だけでも、するべきなのだろうか? 毎回、もめ事を起こすのも、面倒だし。
ちなみに、あのあと、彼女のことを、色々と調べてみた。彼女の名前は、ナギサ・ムーンライト。現在、エア・マスター。あの有名な『白金の薔薇』の娘だ。また『深紅の紅玉』の妹でもある。
品行方正、仕事も完璧。聖アルティナ学園を、首席で卒業。入社後も、定期考査は、常にトップ。同期からも、非常に信頼が厚く、リーダー的な存在。絵に描いたような優等生だ。加えて、ヴァーズ家の娘とも、仲がいいらしい。
さらに『ファースト・クラス始まって以来の才女』『上位階級になるのは時間の問題』なんて、言っている人も多い。私の同期の間でも、彼女の名前は、しばしば出ている。後輩にも、非常に人気があるようだ。
流石に、これだけの力があるなら、私より上と、認めざるを得ない。実力・実績・人脈の全てが、私より、はるかに上だ。なら、彼女の忠告は、素直に聴くべきだろう。だが、今のところ、彼女以外に、尊敬に値する人物は、見当たらない。
八時四十分になると、ちらほら、人が集まり始める。八時五十分を回ると、どんどん人が増え、残り五分になると、走り込んでくる者も多い。やがて、残り一分になると、騒がしかった部屋が、急に静まり返る。
ほどなくして、八時五十九分、五十秒。扉が開いて、ミス・ハーネスが入って来た。毎日、一秒の狂いもなく、彼女が講壇の前に立つのが、九時ジャスト。流石は『鉄壁女帝』と、言われるだけあり、正確無比だった。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます、ミス・ハーネス」
全員、大きな声で、ピタリと揃って挨拶した。
こうして、私のシルフィードの一日が始まる……。
******
時間は、午前中の十時少し前。本来なら、練習飛行に出ている時間だが、明日から『華麗祭』があるので、その準備の仕事が、山ほどある。
一人前のシルフィードは、全員、営業に出払っていた。そのため、各種準備や雑用は、全て、私たち見習いだけで、やらなければならない。うちの会社での見習いは、完全に雑用係だ。それ以外のことは、一切やらせてもらえない。
他社も、最初の一年目は、雑用メインらしいので、割り切って考えている。とはいえ、先輩連中は、全く手伝うことも無ければ、見向きもしない。たまに、仕事に文句を付けてくるぐらいだ。頭にくるが、一人前になるまでは、我慢するしかない。
本来なら、割り当ての場所に行って、淡々と作業をするところだ。しかし、私は、敷地の東側にある〈スカーレッタ館〉の裏に来ていた。この時間、社員寮は全員、出払っているので、人の気配はなかった。
普通なら、この時間は忙しいので、誰もこんな場所には来ない。そのため、辺りは静まり返っている。だが、私の周りの空気は、酷くよどんでいた。周囲にいる人間たちが、妙に熱くなっているからだ。
朝の定例ミーティングが終わったあと。『ヴィオレッタ、ちょっと、いいかしら?』と、部屋を出た瞬間、同期の子に声を掛けられた。その子の周囲には、数人がかたまっており、見た瞬間に、だいたいの事情が分かった。
集まっているのは、この見習いクラスの最大派閥『サイモン派』の連中だ。実にくだらないことだが、見習いの中にも『派閥』というものが存在する。
ただの、仲良しグループなら、まだしも。それぞれのグループごとに、格や権力の違いがあるのだ。学生時代にもあった『スクール・カースト』に近い。
サイモン派は、大富豪で政治家の父を持つ、ジュリエッタ・サイモンを、リーダーとしたグループだ。政財界にも、大きな影響力のある父を持つため、目ざとい人間は、早々に、彼女にゴマをすって、取り入っていた。
誰も逆らわないことを知ってか、ジュリエッタは、いい気になって、ずいぶんと尊大な態度をとっている。もっとも、逆らわないのは、一人の例外を除いてだが。
私は、入社直後、彼女のグループに誘われた。私が〈レイアード文武校〉の、首席卒業であることを、どこかで聞きつけたらしい。だが、私は、あっさり断った。その後も、何度か声を掛けられたが、全て突っぱねた。
私は、群れるのは嫌いだ。それに、自分より劣った人間に従うなど、死んでもお断りだ。ジュリエッタの成績は、悪くはない。だが、しょせんは、中の上程度。態度がでかい割には、能力は大したことがなく、私が相手をする価値は、全くなかった。
しかし、誘いを、ずっと断り続けていたせいもあってか、彼女の派閥の人間とは、折り合いが悪い。それでも、今までは、お互いに無視し合って、特に衝突はなかった。
私は、どこのグループにも、参加していない。それに、サイモン派と、敵対していることを知られているので、私には、誰も近寄らなかった。下手に私と関われば、サイモン派に、どんな嫌がらせを受けるか、分からないからだ。
しかし、私は、そのお蔭で、一人で快適に行動できるので、せいせいしている。そもそも、ここは、仕事をする場であって、友達ごっごをする場所ではない。
サイモン派とは、距離を置いていたのだが、先日、ある出来事があった際、つい関わってしまった。見習いクラスでは、皆、大なり小なりの、グループに所属している。だが、私と同様に、どこにも所属していない子が、もう一人いた。
彼女の名は、アンネリーゼ。とても、大人しくて、少しどんくさい子だ。彼女は、サイモン派の子たちに、いいように使われていた。飲み物を買いに行かされたり、雑用を押し付けられたり。
でも、気の小さな彼女は、愛想笑いを浮かべ、その命令に、素直に従っていた。当然、周りの子たちは、見て見ぬふりだ。下手に口出しすれば、自分たちも、巻き込まれかねない。誰もが、怯えながら、遠巻きに見ているだけだった。
私は別に、サイモン派なんて、怖くもなんともない。それに、このようなイジメなんて、どこにだって有るものだ。他のシルフィード会社でも、結構、陰湿なイジメがあると、聴いたことがある。
表では、華麗に見えるこの世界も、その裏では、結構ギスギスしているのだ。完全な能力主義かつ、縦社会。そのストレスは、必然的に、弱者のところに向かう。結局は、弱肉強食の世界なのだ。
イジメをやっている、サイモン派の連中には、物凄く腹が立つ。だが、やられている子のほうにも、イライラしていた。やられっぱなしで、常に、しっぽを振って、従順に振る舞う。あんなの、ただのペットと変わらない。
私が、見て見ぬふりをしていたのは、あまりに、低次元すぎるからだ。だが、先日、ある出来事を目にして、流石に、私も、堪忍袋の尾が切れてしまった。
いつものごとく、アンネリーゼは、使い走りをさせられていた。だが、彼女が買ってきた飲み物が、どうやら、違うものだったらしい。それで、彼女は、サイモン派の一人に、激しく叱責され、さらには、頭から飲み物をかけられたのだ。
いつもは、苦笑いで済ませていたアンネリーゼも、その時は泣いていた。それを見ていた、サイモン派の子たちは、一斉にクスクスと笑っていたのだ。
使い走りだけなら、まだしも。いくら何でも、やり過ぎだ。私は、彼女たちの、不快な笑い声を聴いた時、頭の中で、何かがブチっと切れる音を聞いた。次の瞬間、彼女たちに歩み寄ると、大声で怒鳴り散らしていたのだ。
『黙れっ、このクソ犬どもがっ! ボス犬にへこへこするしか、脳のないクズが、デカい態度をとるな! お前らの、キャンキャン吠える声が、耳障りなのよ!』
私のこの一言で、その場の空気が凍り付いた。周囲にいた子たちは、もちろん。サイモン派の子たちも、一瞬で静まり返った。だが、その直後、彼女たちから、嵐のような暴言の反撃がきた。
しかし、私は、その全てを、論破してやった。全てを、理論的かつ、完璧な正論で。彼女たちは、悔しそうに顔を真っ赤にしていたが、何も言い返せなくなった。
それも、無理はない。こいつらは、いつも、ジュリエッタの後ろに隠れ、権力をかさに着ているだけの、無能な連中だ。実際には、頭がいい訳でも、強い訳でもない。
その場は、一応、収まったが、それで終わりはしなかった。結局、こうして、人気のない場所に、呼び出されたのだから。
相手は八人。今日は、ジュリエッタと、その腰ぎんちゃくの姿が見えない。見たところ、彼女たちの、独断でやっているようだ。
私は、ぐるりと取り囲まれたが、全く恐怖など感じなかった。雑魚が何人集まろうが、雑魚であることに変わりない。ただでさえ無能なのに、ジュリエッタなしで、何をやろうというのだろうか?
「あんた最近、いい気に、なり過ぎじゃないの?」
「そうよ。いくら何でも、態度がデカすぎよ」
「ちょっと、成績がいいぐらいで、大きな顔するんじゃないわよ」
彼女たちは、がなり立てる。だが、相変わらず、そのセリフからは、頭の悪さが、にじみ出ている。
「は? ちょっと、じゃないでしょ? 私は、トップなのよ。あんたらの上なんだから、見下ろして、何が悪いの? そんなことも分からないぐらい、馬鹿なの? デカイ態度ってのは、無能な癖に、人を見下す人間を言うのよ。あんたらみたいに」
私が、サラッと正論を言うと、ますます、周囲の空気が熱くなった。
「ふっ、ふざけるな! それが、デカイ態度って、言ってるのよ!」
「そうよ! だいたい、ジュリエッタさんの、再三の誘いも無視して!」
「サイモン家に逆らって、ただで済むと思ってるの?」
彼女たちは、顔を真っ赤にして、必死に反論する。
もう、低レベル過ぎて、怒る気にもなれない。結局、出てくるのは『ジュリエッタ』と『サイモン家』の名前だ。自分の実力がないから、他人の名前を語る。クズも、ここまでくると、笑えない。
「あんたらみたいな、低レベルな集団に、私が入るとでも? 死んでも、お断りだわ。自分の品位を、落とすだけだもの」
「はっ?! 何ですって!!」
「ただの、庶民の分際で! サイモン家が、どれだけ凄いか知らない訳?」
「うちのグループは、このクラスで、最もハイレベルなのよ!」
「無能は、あんたのほうでしょ! 少しは、身の程を知りなさい!」
一人が言うと、次から次へと、非難の声があがる。だが、結局は、周りに仲間がいるから、強気になって、追従しているだけだ。しかも、感情的なだけで、全く筋が通っていない。
「はっ、笑わせるわね。同期の子を、使い走りにしたり。挙句の果てに、頭から、飲み物を掛けたり。大した、ハイレベルだわ。ミス・ハーネスが知ったら、さぞ、褒めてくださるでしょうね」
私は、口元を上げ、小さく微笑んだ。
その途端、取り囲んでいた子たちの威勢が、急に弱くなる。ミス・ハーネスの噂は、誰もが知っていた。今まで、何人もの見習いが、クビにされたと。
他人の名前を出して、自分を有利にしようとは思わない。だが、あまりに、彼女たちが滑稽だったので、ちょっと、名前を借りて、からかっただけだ。
「あんた、告げ口するつもりなの……?」
目の前にいた子が、怒りと不安の混じった、微妙な表情で尋ねてくる。
「まさか。私は、あなたたちみたいに、下劣な行為をする趣味はないから。それに、誰が誰に何をしようと、知ったことじゃないわ。あなたたちにも、アンネリーゼにも、一ミリも興味ないから」
「だけど、私のいるところで、キャンキャン吠えるのは、やめて貰える? 物凄く、耳障りで、不快なのよ。恥ずかしい行為をするなら、せめて、誰もいない所でやったら?」
そう、私は、周りの人間に興味がない。デカイ顔をしている、この連中は、もちろん。他の同期の人間たちも。私が興味があるのは、真に優れた人間だけ。私の、ライバルにふさわしい、レベルの高い人間だけだ。
「あんた、いい加減にしなさいよ!」
「その舐めた口のきき方、こっちこそ、耳障りなのよ!」
「恥ずかしい行為ですって?! そんなこと、やる訳ないでしょ!」
彼女たちは、さらに一歩、詰め寄って、怒鳴り散らして来る。
「やれやれ、自覚なしとは、救いようがないわね。イジメってのは、滅茶苦茶、下品で、この世で、最悪に恥ずかしい行為よ。しかも、そんな、恥ずかしい行為をして、笑ってられる人間の神経が、理解できないわ」
「まぁ、下品な人間に、下品と言っても、通じる訳ないわよね。恥も外聞も、ないんだから。よく、そんな下品な人間が、うちの会社に受かったわね。あなたたちは、存在そのものが〈ファースト・クラス〉の恥なのよ」
私が話し終える前に、連中の一人が、飛び掛かってきた。
「このぉぉーー! 言わせておけばっ!!」
顔を真っ赤にして、私の襟首を掴んでくる。
「その汚い手を、離しさいよ。あと、臭い息を、吹きかけないで」
「ぐっ、もう、許さないわっ!!」
まったく、許さないのは、こっちだってのよ。こんなに低レベルで、意味のない会話に、付き合わされる身にも、なって欲しいものだわ。
私は、呆れて、冷めた目で、彼女を見つめる。だが、その直後、私の左頬に、衝撃が走った。『バシッ!!』と、音が響き渡る。彼女の振り上げた手が、私の頬を、平手打ちしたのだ。
彼女は、息を荒げて、異常に興奮していた。きっと、今まで、人を殴ったことなんて、ないのだろう。まぁ、この会社に入る、お嬢様連中なんて、そんなもんだ。
私は、頬をはたかれた瞬間、条件反射的に、殴り返していた。平手打ちではなく、拳を固めて、正面から殴り飛ばしてやった。私の拳は、鼻に直撃し、彼女は、後ろに倒れ込んだ。
「血が――血がぁ……」
彼女の鼻からは、血が流れ出していた。彼女は、手に付いた自分の血を見て、気を失った。一応、手加減はしたし、命に別状はないはずだ。
目の前の連中は、今の一撃で、腰が引けたようで、顔が青ざめていた。見かけだけ強がってる連中なんて、しょせんは、その程度だ。
だが、その中の一人が、
「うあぁぁーー!!」
果敢にも、飛び掛かってきた。
服を掴まれたので、私も相手の服を掴んで、取っ組み合いになる。しばらくもみ合っていたが、私は、後ろから羽交い絞めにされた。いつの間にか、後ろから、近付いていたようだ。
私が、身動き取れなくなったところに、取っ組み合っていた子の、平手打ちが飛んでくる。『パシーン!!』と音が響くが、それとほぼ同時に、私は、相手に腹に、蹴りを入れていた。彼女は、腹部を押さえながら、うずくまった。
立て続けに、私を押さえていた子の腕に、思い切り噛みついた。その瞬間、大きな悲鳴が上がる。私は、即座に振り向くと、その子に飛びかかって、地面に押し倒した。
馬乗りになると、容赦なく、拳で頭を殴り付ける。彼女は、腕で顔を守るが、お構いなしに殴り続けた。
「や――止めて……。お願いだから――もう、許して……」
彼女は、弱々しい声で懇願する。だが、私は止めなかった。
「あなたたちは、アンネリーゼが、そう言った時、止めたわけ? 彼女が、どれだけ、体にも心にも、痛みを負ったか、分かってんの?」
彼女が、いつも、苦笑いを浮かべている姿。こないだの、飲み物を掛けられて、泣いている姿。それらを思い出すと、心の底から、怒りが沸き上がって来る。
別に、彼女のことなんて、どうでもいいのに。物凄く、イライラする。私は、その怒りを拳に籠めて、目の前の相手を、殴り続けた。だが、数人が寄ってきて、私を、無理矢理、彼女から引きはがす。
その後は、再び、取っ組み合いになった。髪を引っ張られたり、ひっぱたかれたり。もちろん、こっちは、倍返しで殴り返す。
最初は、凄く冷静だったのに、いつの間にか、私も熱くなっていた。正直、途中からは、何をやっているのか、自分でも、分からなかった。ただ、感情の赴くままに、激しく暴れ回る。
しばらく、やりあったあと、周囲の子たちの動きが、急に止まった。遠巻きに、こちらを見ている。私は、息を荒げながらも、毅然とした態度で、全員を睨みつけた。
何があったって、たとえ死んだとしても、引くつもりはない。こんな、クズどもに、絶対に負けるんもんか!
周りにいた子たちは、みんな、完全に引いていた。最初の時とは違って、怒りの表情が、恐怖に変わっている。そんな中、一人の子が、ボソッと呟いた。
「も、もう――これぐらいにしようよ。あの子、頭おかしいよ……」
「――そうね。大きな、問題になっても、困るし……」
「と、とにかく、けが人を医務室に――」
皆、ぞろぞろと、静かに立ち去って行った。その際に、一人が『覚えておきなさいよ』と、小さく捨て台詞を吐いていた。だが、私が睨みつけると、サッと視線をそらし、逃げ去ってしまった。
来るなら、いつだって来ればいい。何度だって、返り討ちにしてやる。誰が、あんな口ばかりで、何もできないクズどもに、負けるもんか。
私は、息を整えながら、壁に寄り掛かった。ポケットから手鏡を出して、のぞきこむと、酷い姿になっていた。
服はよれよれで、土ぼこりが付き、髪もぼさぼさになっている。頬は、赤くはれているし、手には、ひっかき傷が無数にあり、血がにじみ出ていた。
「とても、淑女の格好ではないわね……」
私は、苦笑した。
まったく、何やってるんだか、私。余計なことに、顔を突っ込むから。こんな面倒事に、なるんじゃない――。
一瞬、目頭が熱くなるが、私は、ぐっとこらえた。
負けるもんか、絶対に。私は、負けない、折れない、屈しない。どんなことが有ろうとも。どんな不幸に見舞われようとも。例え、世界中の人間が、全員、敵になろうとも。私は、絶対に負けない! 絶対に逃げない!!
再び、全身に力を入れると、少しふらつく足で、歩き始めるのだった……。
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次回――
『彼女はまるで過去の自分を見ているようだ……』
一刻も早く過去の失敗は終わりにしなきゃって
ミーティングは、九時からだが、私はいつも、八時には部屋に来ていた。当然、一番乗りだ。不測の事態を考え、時間には、常に余裕をもって。時間は、何があっても絶対順守。これが、私のポリシーだ。
それに、私は、物凄く負けず嫌いだ。だから、何でも一番にならないと、気が済まない。学校だって、首席で卒業したし。入社後も、定期考査では、常に一番だ。まぁ、同期の、浮ついた気持ちの連中に、負けるわけがないけど。
あと、私は、朝のこの静かな空気が、大好きだった。誰にも邪魔されないし。ゆっくりと、色んなことを考えるのに、最適な時間だ。一日のスケジュールを立てるのにも、ちょうどいい。
今日の予定を、細かくチェックしていると、ふと、先日の出来事を思い出した。先輩シルフィードに囲まれ、くだらない、言いがかりをつけられた件だ。
たかだか、一、二年、早く入社しただけで。何の実績もないくせに、大きな顔をしている連中たち。なんで、そんな相手を、尊敬しなければ、ならないのだろうか? いくら伝統を大事にする社風とはいえ、この業界は、完全な能力主義なはずだ。
自分より劣った連中に、頭を下げるなど、死んでもお断りだ。だが、彼女に言われた通り『フリ』だけでも、するべきなのだろうか? 毎回、もめ事を起こすのも、面倒だし。
ちなみに、あのあと、彼女のことを、色々と調べてみた。彼女の名前は、ナギサ・ムーンライト。現在、エア・マスター。あの有名な『白金の薔薇』の娘だ。また『深紅の紅玉』の妹でもある。
品行方正、仕事も完璧。聖アルティナ学園を、首席で卒業。入社後も、定期考査は、常にトップ。同期からも、非常に信頼が厚く、リーダー的な存在。絵に描いたような優等生だ。加えて、ヴァーズ家の娘とも、仲がいいらしい。
さらに『ファースト・クラス始まって以来の才女』『上位階級になるのは時間の問題』なんて、言っている人も多い。私の同期の間でも、彼女の名前は、しばしば出ている。後輩にも、非常に人気があるようだ。
流石に、これだけの力があるなら、私より上と、認めざるを得ない。実力・実績・人脈の全てが、私より、はるかに上だ。なら、彼女の忠告は、素直に聴くべきだろう。だが、今のところ、彼女以外に、尊敬に値する人物は、見当たらない。
八時四十分になると、ちらほら、人が集まり始める。八時五十分を回ると、どんどん人が増え、残り五分になると、走り込んでくる者も多い。やがて、残り一分になると、騒がしかった部屋が、急に静まり返る。
ほどなくして、八時五十九分、五十秒。扉が開いて、ミス・ハーネスが入って来た。毎日、一秒の狂いもなく、彼女が講壇の前に立つのが、九時ジャスト。流石は『鉄壁女帝』と、言われるだけあり、正確無比だった。
「みなさん、おはようございます」
「おはようございます、ミス・ハーネス」
全員、大きな声で、ピタリと揃って挨拶した。
こうして、私のシルフィードの一日が始まる……。
******
時間は、午前中の十時少し前。本来なら、練習飛行に出ている時間だが、明日から『華麗祭』があるので、その準備の仕事が、山ほどある。
一人前のシルフィードは、全員、営業に出払っていた。そのため、各種準備や雑用は、全て、私たち見習いだけで、やらなければならない。うちの会社での見習いは、完全に雑用係だ。それ以外のことは、一切やらせてもらえない。
他社も、最初の一年目は、雑用メインらしいので、割り切って考えている。とはいえ、先輩連中は、全く手伝うことも無ければ、見向きもしない。たまに、仕事に文句を付けてくるぐらいだ。頭にくるが、一人前になるまでは、我慢するしかない。
本来なら、割り当ての場所に行って、淡々と作業をするところだ。しかし、私は、敷地の東側にある〈スカーレッタ館〉の裏に来ていた。この時間、社員寮は全員、出払っているので、人の気配はなかった。
普通なら、この時間は忙しいので、誰もこんな場所には来ない。そのため、辺りは静まり返っている。だが、私の周りの空気は、酷くよどんでいた。周囲にいる人間たちが、妙に熱くなっているからだ。
朝の定例ミーティングが終わったあと。『ヴィオレッタ、ちょっと、いいかしら?』と、部屋を出た瞬間、同期の子に声を掛けられた。その子の周囲には、数人がかたまっており、見た瞬間に、だいたいの事情が分かった。
集まっているのは、この見習いクラスの最大派閥『サイモン派』の連中だ。実にくだらないことだが、見習いの中にも『派閥』というものが存在する。
ただの、仲良しグループなら、まだしも。それぞれのグループごとに、格や権力の違いがあるのだ。学生時代にもあった『スクール・カースト』に近い。
サイモン派は、大富豪で政治家の父を持つ、ジュリエッタ・サイモンを、リーダーとしたグループだ。政財界にも、大きな影響力のある父を持つため、目ざとい人間は、早々に、彼女にゴマをすって、取り入っていた。
誰も逆らわないことを知ってか、ジュリエッタは、いい気になって、ずいぶんと尊大な態度をとっている。もっとも、逆らわないのは、一人の例外を除いてだが。
私は、入社直後、彼女のグループに誘われた。私が〈レイアード文武校〉の、首席卒業であることを、どこかで聞きつけたらしい。だが、私は、あっさり断った。その後も、何度か声を掛けられたが、全て突っぱねた。
私は、群れるのは嫌いだ。それに、自分より劣った人間に従うなど、死んでもお断りだ。ジュリエッタの成績は、悪くはない。だが、しょせんは、中の上程度。態度がでかい割には、能力は大したことがなく、私が相手をする価値は、全くなかった。
しかし、誘いを、ずっと断り続けていたせいもあってか、彼女の派閥の人間とは、折り合いが悪い。それでも、今までは、お互いに無視し合って、特に衝突はなかった。
私は、どこのグループにも、参加していない。それに、サイモン派と、敵対していることを知られているので、私には、誰も近寄らなかった。下手に私と関われば、サイモン派に、どんな嫌がらせを受けるか、分からないからだ。
しかし、私は、そのお蔭で、一人で快適に行動できるので、せいせいしている。そもそも、ここは、仕事をする場であって、友達ごっごをする場所ではない。
サイモン派とは、距離を置いていたのだが、先日、ある出来事があった際、つい関わってしまった。見習いクラスでは、皆、大なり小なりの、グループに所属している。だが、私と同様に、どこにも所属していない子が、もう一人いた。
彼女の名は、アンネリーゼ。とても、大人しくて、少しどんくさい子だ。彼女は、サイモン派の子たちに、いいように使われていた。飲み物を買いに行かされたり、雑用を押し付けられたり。
でも、気の小さな彼女は、愛想笑いを浮かべ、その命令に、素直に従っていた。当然、周りの子たちは、見て見ぬふりだ。下手に口出しすれば、自分たちも、巻き込まれかねない。誰もが、怯えながら、遠巻きに見ているだけだった。
私は別に、サイモン派なんて、怖くもなんともない。それに、このようなイジメなんて、どこにだって有るものだ。他のシルフィード会社でも、結構、陰湿なイジメがあると、聴いたことがある。
表では、華麗に見えるこの世界も、その裏では、結構ギスギスしているのだ。完全な能力主義かつ、縦社会。そのストレスは、必然的に、弱者のところに向かう。結局は、弱肉強食の世界なのだ。
イジメをやっている、サイモン派の連中には、物凄く腹が立つ。だが、やられている子のほうにも、イライラしていた。やられっぱなしで、常に、しっぽを振って、従順に振る舞う。あんなの、ただのペットと変わらない。
私が、見て見ぬふりをしていたのは、あまりに、低次元すぎるからだ。だが、先日、ある出来事を目にして、流石に、私も、堪忍袋の尾が切れてしまった。
いつものごとく、アンネリーゼは、使い走りをさせられていた。だが、彼女が買ってきた飲み物が、どうやら、違うものだったらしい。それで、彼女は、サイモン派の一人に、激しく叱責され、さらには、頭から飲み物をかけられたのだ。
いつもは、苦笑いで済ませていたアンネリーゼも、その時は泣いていた。それを見ていた、サイモン派の子たちは、一斉にクスクスと笑っていたのだ。
使い走りだけなら、まだしも。いくら何でも、やり過ぎだ。私は、彼女たちの、不快な笑い声を聴いた時、頭の中で、何かがブチっと切れる音を聞いた。次の瞬間、彼女たちに歩み寄ると、大声で怒鳴り散らしていたのだ。
『黙れっ、このクソ犬どもがっ! ボス犬にへこへこするしか、脳のないクズが、デカい態度をとるな! お前らの、キャンキャン吠える声が、耳障りなのよ!』
私のこの一言で、その場の空気が凍り付いた。周囲にいた子たちは、もちろん。サイモン派の子たちも、一瞬で静まり返った。だが、その直後、彼女たちから、嵐のような暴言の反撃がきた。
しかし、私は、その全てを、論破してやった。全てを、理論的かつ、完璧な正論で。彼女たちは、悔しそうに顔を真っ赤にしていたが、何も言い返せなくなった。
それも、無理はない。こいつらは、いつも、ジュリエッタの後ろに隠れ、権力をかさに着ているだけの、無能な連中だ。実際には、頭がいい訳でも、強い訳でもない。
その場は、一応、収まったが、それで終わりはしなかった。結局、こうして、人気のない場所に、呼び出されたのだから。
相手は八人。今日は、ジュリエッタと、その腰ぎんちゃくの姿が見えない。見たところ、彼女たちの、独断でやっているようだ。
私は、ぐるりと取り囲まれたが、全く恐怖など感じなかった。雑魚が何人集まろうが、雑魚であることに変わりない。ただでさえ無能なのに、ジュリエッタなしで、何をやろうというのだろうか?
「あんた最近、いい気に、なり過ぎじゃないの?」
「そうよ。いくら何でも、態度がデカすぎよ」
「ちょっと、成績がいいぐらいで、大きな顔するんじゃないわよ」
彼女たちは、がなり立てる。だが、相変わらず、そのセリフからは、頭の悪さが、にじみ出ている。
「は? ちょっと、じゃないでしょ? 私は、トップなのよ。あんたらの上なんだから、見下ろして、何が悪いの? そんなことも分からないぐらい、馬鹿なの? デカイ態度ってのは、無能な癖に、人を見下す人間を言うのよ。あんたらみたいに」
私が、サラッと正論を言うと、ますます、周囲の空気が熱くなった。
「ふっ、ふざけるな! それが、デカイ態度って、言ってるのよ!」
「そうよ! だいたい、ジュリエッタさんの、再三の誘いも無視して!」
「サイモン家に逆らって、ただで済むと思ってるの?」
彼女たちは、顔を真っ赤にして、必死に反論する。
もう、低レベル過ぎて、怒る気にもなれない。結局、出てくるのは『ジュリエッタ』と『サイモン家』の名前だ。自分の実力がないから、他人の名前を語る。クズも、ここまでくると、笑えない。
「あんたらみたいな、低レベルな集団に、私が入るとでも? 死んでも、お断りだわ。自分の品位を、落とすだけだもの」
「はっ?! 何ですって!!」
「ただの、庶民の分際で! サイモン家が、どれだけ凄いか知らない訳?」
「うちのグループは、このクラスで、最もハイレベルなのよ!」
「無能は、あんたのほうでしょ! 少しは、身の程を知りなさい!」
一人が言うと、次から次へと、非難の声があがる。だが、結局は、周りに仲間がいるから、強気になって、追従しているだけだ。しかも、感情的なだけで、全く筋が通っていない。
「はっ、笑わせるわね。同期の子を、使い走りにしたり。挙句の果てに、頭から、飲み物を掛けたり。大した、ハイレベルだわ。ミス・ハーネスが知ったら、さぞ、褒めてくださるでしょうね」
私は、口元を上げ、小さく微笑んだ。
その途端、取り囲んでいた子たちの威勢が、急に弱くなる。ミス・ハーネスの噂は、誰もが知っていた。今まで、何人もの見習いが、クビにされたと。
他人の名前を出して、自分を有利にしようとは思わない。だが、あまりに、彼女たちが滑稽だったので、ちょっと、名前を借りて、からかっただけだ。
「あんた、告げ口するつもりなの……?」
目の前にいた子が、怒りと不安の混じった、微妙な表情で尋ねてくる。
「まさか。私は、あなたたちみたいに、下劣な行為をする趣味はないから。それに、誰が誰に何をしようと、知ったことじゃないわ。あなたたちにも、アンネリーゼにも、一ミリも興味ないから」
「だけど、私のいるところで、キャンキャン吠えるのは、やめて貰える? 物凄く、耳障りで、不快なのよ。恥ずかしい行為をするなら、せめて、誰もいない所でやったら?」
そう、私は、周りの人間に興味がない。デカイ顔をしている、この連中は、もちろん。他の同期の人間たちも。私が興味があるのは、真に優れた人間だけ。私の、ライバルにふさわしい、レベルの高い人間だけだ。
「あんた、いい加減にしなさいよ!」
「その舐めた口のきき方、こっちこそ、耳障りなのよ!」
「恥ずかしい行為ですって?! そんなこと、やる訳ないでしょ!」
彼女たちは、さらに一歩、詰め寄って、怒鳴り散らして来る。
「やれやれ、自覚なしとは、救いようがないわね。イジメってのは、滅茶苦茶、下品で、この世で、最悪に恥ずかしい行為よ。しかも、そんな、恥ずかしい行為をして、笑ってられる人間の神経が、理解できないわ」
「まぁ、下品な人間に、下品と言っても、通じる訳ないわよね。恥も外聞も、ないんだから。よく、そんな下品な人間が、うちの会社に受かったわね。あなたたちは、存在そのものが〈ファースト・クラス〉の恥なのよ」
私が話し終える前に、連中の一人が、飛び掛かってきた。
「このぉぉーー! 言わせておけばっ!!」
顔を真っ赤にして、私の襟首を掴んでくる。
「その汚い手を、離しさいよ。あと、臭い息を、吹きかけないで」
「ぐっ、もう、許さないわっ!!」
まったく、許さないのは、こっちだってのよ。こんなに低レベルで、意味のない会話に、付き合わされる身にも、なって欲しいものだわ。
私は、呆れて、冷めた目で、彼女を見つめる。だが、その直後、私の左頬に、衝撃が走った。『バシッ!!』と、音が響き渡る。彼女の振り上げた手が、私の頬を、平手打ちしたのだ。
彼女は、息を荒げて、異常に興奮していた。きっと、今まで、人を殴ったことなんて、ないのだろう。まぁ、この会社に入る、お嬢様連中なんて、そんなもんだ。
私は、頬をはたかれた瞬間、条件反射的に、殴り返していた。平手打ちではなく、拳を固めて、正面から殴り飛ばしてやった。私の拳は、鼻に直撃し、彼女は、後ろに倒れ込んだ。
「血が――血がぁ……」
彼女の鼻からは、血が流れ出していた。彼女は、手に付いた自分の血を見て、気を失った。一応、手加減はしたし、命に別状はないはずだ。
目の前の連中は、今の一撃で、腰が引けたようで、顔が青ざめていた。見かけだけ強がってる連中なんて、しょせんは、その程度だ。
だが、その中の一人が、
「うあぁぁーー!!」
果敢にも、飛び掛かってきた。
服を掴まれたので、私も相手の服を掴んで、取っ組み合いになる。しばらくもみ合っていたが、私は、後ろから羽交い絞めにされた。いつの間にか、後ろから、近付いていたようだ。
私が、身動き取れなくなったところに、取っ組み合っていた子の、平手打ちが飛んでくる。『パシーン!!』と音が響くが、それとほぼ同時に、私は、相手に腹に、蹴りを入れていた。彼女は、腹部を押さえながら、うずくまった。
立て続けに、私を押さえていた子の腕に、思い切り噛みついた。その瞬間、大きな悲鳴が上がる。私は、即座に振り向くと、その子に飛びかかって、地面に押し倒した。
馬乗りになると、容赦なく、拳で頭を殴り付ける。彼女は、腕で顔を守るが、お構いなしに殴り続けた。
「や――止めて……。お願いだから――もう、許して……」
彼女は、弱々しい声で懇願する。だが、私は止めなかった。
「あなたたちは、アンネリーゼが、そう言った時、止めたわけ? 彼女が、どれだけ、体にも心にも、痛みを負ったか、分かってんの?」
彼女が、いつも、苦笑いを浮かべている姿。こないだの、飲み物を掛けられて、泣いている姿。それらを思い出すと、心の底から、怒りが沸き上がって来る。
別に、彼女のことなんて、どうでもいいのに。物凄く、イライラする。私は、その怒りを拳に籠めて、目の前の相手を、殴り続けた。だが、数人が寄ってきて、私を、無理矢理、彼女から引きはがす。
その後は、再び、取っ組み合いになった。髪を引っ張られたり、ひっぱたかれたり。もちろん、こっちは、倍返しで殴り返す。
最初は、凄く冷静だったのに、いつの間にか、私も熱くなっていた。正直、途中からは、何をやっているのか、自分でも、分からなかった。ただ、感情の赴くままに、激しく暴れ回る。
しばらく、やりあったあと、周囲の子たちの動きが、急に止まった。遠巻きに、こちらを見ている。私は、息を荒げながらも、毅然とした態度で、全員を睨みつけた。
何があったって、たとえ死んだとしても、引くつもりはない。こんな、クズどもに、絶対に負けるんもんか!
周りにいた子たちは、みんな、完全に引いていた。最初の時とは違って、怒りの表情が、恐怖に変わっている。そんな中、一人の子が、ボソッと呟いた。
「も、もう――これぐらいにしようよ。あの子、頭おかしいよ……」
「――そうね。大きな、問題になっても、困るし……」
「と、とにかく、けが人を医務室に――」
皆、ぞろぞろと、静かに立ち去って行った。その際に、一人が『覚えておきなさいよ』と、小さく捨て台詞を吐いていた。だが、私が睨みつけると、サッと視線をそらし、逃げ去ってしまった。
来るなら、いつだって来ればいい。何度だって、返り討ちにしてやる。誰が、あんな口ばかりで、何もできないクズどもに、負けるもんか。
私は、息を整えながら、壁に寄り掛かった。ポケットから手鏡を出して、のぞきこむと、酷い姿になっていた。
服はよれよれで、土ぼこりが付き、髪もぼさぼさになっている。頬は、赤くはれているし、手には、ひっかき傷が無数にあり、血がにじみ出ていた。
「とても、淑女の格好ではないわね……」
私は、苦笑した。
まったく、何やってるんだか、私。余計なことに、顔を突っ込むから。こんな面倒事に、なるんじゃない――。
一瞬、目頭が熱くなるが、私は、ぐっとこらえた。
負けるもんか、絶対に。私は、負けない、折れない、屈しない。どんなことが有ろうとも。どんな不幸に見舞われようとも。例え、世界中の人間が、全員、敵になろうとも。私は、絶対に負けない! 絶対に逃げない!!
再び、全身に力を入れると、少しふらつく足で、歩き始めるのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『彼女はまるで過去の自分を見ているようだ……』
一刻も早く過去の失敗は終わりにしなきゃって
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