300 / 363
第8部 分かたれる道
2-6彼女はまるで過去の自分を見ているようだ……
しおりを挟む
私は、早足で、東エリアに向かっていた。今日は、会社の敷地内に人が多い。見習い階級は、全員、会社に残っているからだ。明日から『華麗祭』が始まるため、見習いが総出で、準備をしている。
必死に、動き回っている姿を見ると、自分の見習い時代を思い出す。私の時も、直前まで、バタバタしていた記憶がある。かなり大掛かりなうえに、完璧さを求められるので、想像以上に、大変な仕事だった。
今年も、見習いの子が『進行リーダー』を務めている。しかし、ミス・ハーネスから『今年は少し心配だから、念のためチェックをして欲しい』と、頼まれた。
私が、全てやってしまったら、見習いの子たちの、勉強にならない。そのため、表立った行動はせず、影からフォローするのが、私の役目だ。
本来は、全て見習いだけでやるのが伝統だ。しかし、今年は、進行状態が、大幅に遅れており、上手くまとめられる子が、いないようだ。どうも、チームワークに、問題があるらしい。
ミス・ハーネスにしては珍しく、ため息をついていた。今年は、レベルが低いか、問題児が多いのだろうか?
本来、私の仕事ではないし、普通に、営業に行きたかった。しかし、ミス・ハーネスには、何かと目を掛けて貰っている。それに、万一、問題があれば、会社の名に、傷がつきかねない。なので、放っておく訳にもいかなかった。
見た感じ、今年の新人の子たちは、私の時に比べ、明らかに効率が悪い。あたふたと、走り回っている割には、進行が遅かった。声かけや連携も取れておらず、個々にやっている感じだ。こんな状態で、本当に、間に合うのだろうか?
目の前の作業だけで、一杯一杯で、細かいチェックまでは、手が回ってなさそうだ。なので、私は、チェックリストを手に、東エリアにある〈アイリーン館〉と〈スカーレッタ館〉に向かっていた。
『華麗祭』の期間中は、社員寮も、一般公開される。社員のご家族たちが、大勢、見に来るからだ。なので、清掃状態や、破損部分がないか。また、セキュリティーのチェックなども必要だ。
結構、広いので、隅々までチェックするには、かなり時間が掛かる。入り口から、非常階段まで。また、床・壁・窓・天井まで、全てを細かくチェックする。
一点の汚れも問題も、許されない。それが、業界一の品格を持つ〈ファースト・クラス〉なのだ。
私は、チェックリストを確認し、どのルートで回るかを考えながら、社員寮に続く道を、足早に歩いていた。だが、違和感を覚え、ふと足を止める。なぜなら、人気のない敷地のベンチに、人の姿が見えたからだ。
そもそも、この忙しい時間に、こんな場所にいる人間はいない。しかも、その異常な格好に、私は、ぎょっとした。
「ちょっと……あなた、どうしたの?!」
私は、急いで近づくと、彼女に声を掛ける。
ベンチに座っていた人物は、俯いていたが、顔を上げると、見覚えのある子だった。だが、以前、見た時とは、全く違う。先日は、覇気のあふれる表情だったのに、物凄く、憔悴しきった顔をしていた。
加えて、衣服は乱れ、髪もぼさぼさ。頬は赤くはれ、手の甲には、血がにじんでいた。これは、ただ事ではない。
「ナギサお姉様、ごきげんよう」
私に気付くと、彼女は、急に表情が引き締まり、目つきが鋭くなる。律儀にも、先日の約束を守って、ちゃんと挨拶をして来た。
「いや、こんな時に、挨拶はいいから。それより、何があったか、訊いているのよ」
彼女は、しばし無言になったあと、
「準備中に、ちょっと転んだだけです」
感情のこもらない言葉で、淡々と答え、視線をそらす。
「そんな訳ないでしょ? どういう転び方をすれば、そんなになるのよ?」
彼女の言葉が、完全な嘘であるのは、一目瞭然だった。
どう見たって、これは、人為的なものだ。あまり、考えたくはないが、この社内で、暴力事件があったのかもしれない。しかも、この乱れ様は、相手は、複数人だった可能性がある。
だが、彼女は、とんでもなく気丈で、プライドが高い。なので、素直に話すとも思えなかった。無理に、訊き出そうとすれば、余計に、心を閉ざしてしまうだろう。核心には、下手に触れないほうが、いいかもしれない。
私は、少し考えたあと、
「とりあえず、医務室に行きましょう。まずは、治療をしないと」
静かに話しかけ、そっと手を差し出す。
だが、彼女は、
「結構です。自分で手当てしますから」
あっさりと、拒絶してきた。
まぁ、彼女らしいと言えば、彼女らしい。プライドの問題もあって、医務室には、行き辛いのだろう。だが、このままにしておいては、傷口から菌が入って、悪化する可能性もあるし。傷跡が残っては、大変だ。
まったく、私が言うのも何だが、性格が面倒すぎる。プライドは、とても大切だ。でも、それだけに、こだわっていては、何もできないし。それが、逆に重荷や、自分の首を絞めることもある。
きっと、今回も、彼女のプライドの強さが、こんな事態を、引き起こしたのだろう。私も、プライドは強いが、ここまで、あからさまには出さないし。もめ事を起こすことは、しっかり、避けてきた。
しかし、彼女は、そんなことは、お構いなしだ。常に、周りに敵意を振りまいている。結局は、後先を考えていないだけ。それは、気高いのではなく、ただの、愚か者の行為だと思う。
私は、小さくため息をつくと、彼女の手を握った。
「ほら、行くわよ」
「だから、行かないと、言ってるじゃないですか!」
彼女は、鋭い視線を向けて来る。その目には、明らかに、敵意が籠っていた。
「医務室じゃないわよ。私の部屋で、治療してあげるわ。それなら、誰にも見られないで済むでしょ? あと、言っておくけど、私は、あなたの敵じゃないわよ。敵と味方の見分けぐらい、ちゃんとしなさい」
何か、言っていて、物凄い違和感がある。かつて、私も、周りの人間は全て敵だと、思っていた時期があったからだ。でも、風歌やフィニーツァと、付き合い始めてから、考え方が変わって来た。
例え、立場や会社が違おうとも。同じ頂きを目指す、ライバル同士だったとしても。自分に好意的な人間が、いることを。敵だけじゃなく、味方もいないと、前に進めないことを。
彼女は、まだ、その事実を知らないのだ。真に優れた人間とは、けっして、自分一人の力だけで、生きている訳ではない。常に、全ての人と、手を取り合っている風歌が、そのいい例と言える。
「それに、自分より優れた人間の言うことなら、聴くのでしょ? 今は、先輩の言うことを、素直に聴いておきなさい。絶対に、悪いようにはしないから」
彼女は、しばし沈黙したあと、
「――はい」
とても小さな声で、返事をする。
私は、彼女を立ち上がらせると、手を引いたまま、自分の部屋に、連れて行くのだった……。
******
自室にて。私は、傷だらけの彼女を、椅子に座らせ、治療を行っていた。ひっかき傷だらけで、ずいぶんと、酷い状態だった。傷を念入りに消毒したあと、治療シートを貼り付けていく。
この治療シートは、貼ると、肌の色に変わるので、あまり目立たない。それに、小さな傷程度なら、跡を残さず、綺麗に再生することができる。幸い、どれも浅いので、傷跡は残らないと思う。
治療が終わると、彼女を立ち上がらせ、衣服の乱れを正す。ついでに、髪もとかして、綺麗に整えた。全てが終わると、彼女を、姿見の鏡の前に立たせる。
「どう? ちゃんと、元通りになったでしょ? 傷のほうは、しばらくすれば、消えると思うけど。その顔の腫れは、しばらく残りそうね。大人しくしていれば、完治するので、問題ないわ」
私が、話し掛けると、彼女は、しばらく鏡の前で、ボーッとしていた。あれだけのことが有ったのだから、仕方がない。普通なら、正気を保つことすら、難しいだろう。彼女だからこそ、気丈に、振る舞えているのだ。
「……ありがとうございます。ご面倒をお掛けして、すいませんでした」
彼女は、小さな声で答えた。
「別に、いいわよ。こういうのも、先輩の仕事だから。私も、見習い時代は、お姉さま方に、色々お世話になったから。喧嘩の仲裁も、して貰ったことがあったし」
「えっ――?」
彼女は、意外そうな表情を浮かべ、私のほうに視線を向けた。
「私も、見習い時代は、かなり、ピリピリしていたから。同期の子と、人間関係が上手く行ってなくて。集団に、取り囲まれたことが、何度かあってね。ナギサお姉様が、割って入ってくれなければ、どうなってたか、分からないわ」
「そんなに、完璧なのに……? もっと、クールで、大人しい人だと思ってました」
彼女は『信じられない』という、驚きの表情をしていた。彼女からは、私は、どう見えているんだろうか?
私は、そんなに、完璧な人間ではない。確実にできることしか、やらないだけだ。それに、素直で大人しい人間でもない。普段は、抑えているだけで、結構、感情的な性格だ。
「私は、クールとは程遠いわよ。まぁ、そう振る舞っているのは、事実だけど。私は、とんでもなく、負けず嫌いで、プライドが強くて。いつだって、心の中では、熱い炎を燃やしているのよ。あらゆる人間に、負けたくないから」
「でも、最近は、だいぶ落ち着いたわ。変なシルフィードに、出会って。その影響かしらね」
私は、静かに話しながら、救急箱を片付ける。
「――変なシルフィード?」
彼女は、不思議そうな表情を浮かべた。
「他社の人間なのに、妙に、慣れ慣れしくて。私のような、面倒な人間だろうと、お構いなしに、踏み込んで来る。しかも、私とは逆で、全ての人間と、仲良くなろうとする。全ての人間と、手を取り合いながら、上を目指しているのよ」
「昔は『なんて甘い人間なんだろう?』と、思ってたけど。あれは、あれで、強いのよ。誰かれ構わず、仲良くしてるくせに。誰よりも速く、前に進んで行くのだから」
私にも、つい最近までは、理解できなかったことだ。自分一人で進んだ方が、速いと思っていたが。実際には、そうではないことに。
「……確かに、甘いですね。本当に、そんなやり方で、上手く行くんですか? 周りの人間を、全て倒さなければ、上には行けませんよね?」
「それも、一つの方法かもしれないわね。でも、彼女は、私たち同期の中で、一番、早く、上位階級に昇進したのよ。〈ホワイト・ウイング〉所属の、如月 風歌。最近、話題になっているから、聴いたことぐらい有るでしょ?」
「えっ!? 異世界人初の上位階級になった『天使の翼』ですか? あの人と、知り合いだったんですか?」
あまり、周りの人間に、興味はなさそうだが。流石に、風歌のことは、知っているようだ。メディアへの露出も多いし、物凄く話題になっている。
「腐れ縁でね。見習い時代からの親友よ。いつも、一緒に、練習飛行していたし。イベントも、よく一緒に参加していたわ」
「他社のシルフィードとまで、交流があったんですか――。ナギサお姉様は、もっと、個人主義な人だと、思っていました」
「私も、最初は、他社の人間と慣れあうなんて、思わなかったわよ。学生時代も、ずっと、一人で行動していたし。そのほうが楽だし、効率もいいから。ただ、やたらと、ぐいぐい距離を詰めて来るから、ついね……」
風歌との出会いは、ただの偶然だった。それに、最初は、ライバル心しかなかったが、いつの間にか、彼女のペースに、巻き込まれてしまったのだ。
でも、そのお蔭で、様々な他社のシルフィードと、知り合いになれたし。同期の子たちとも、上手く付き合えるようになった。認めたくはないが、人間関係が良好になったのは、全て風歌のお蔭だ。
「結局、敵を増やそうが、味方を増やそうが、自分の能力は、変わらないのよ。ただ、たくさんの人に協力して貰え、スムーズに前に進めるから。味方を増やしたほうが、得なのよね」
「何事にも、正面から立ち向かう強さは、必要だけど。毎度毎度、邪魔されたら、大変でしょ? 敵が多ければ、今回みたいなことが、今後も、度々起こる可能性があるわ」
私の言葉を聴いて、彼女は、しばらく沈黙していた。だが、
「――でも、下品な人間と、つるむつもりは有りません。あんな連中と、仲良くするぐらいなら、死んだ方がマシですよ」
あからさまに、不満そうな表情を浮かベながら、気丈に答える。
「どこにだって、いるわよ、そういう低レベルな人間は。なら、せめて、そうじゃない人間と、仲良くしなさい。味方が多ければ、誰も手を出してこないのだから。同期にも、まともな子の、一人や二人、いるでしょ?」
「いませんよ。どうせ、みんな、怯えているだけで。何があったって、見て見ぬ振り。そんな臆病な連中、付き合う価値は、ありませんから」
なるほど。どうやら、新人の子たちの間で、人間関係の、重大な問題があるようだ。これは、放っておく訳にもいかないわね……。
「なら、同期じゃなくてもいいわよ。私も、ツバサお姉様が、よくしてくれたから、無事にやって来れた訳だし」
「いませんよ、そんな人。学校のOGとも、この会社の先輩とも、特に、付き合いはありませんから」
確かに、彼女の性格なら、そうだろう。全てを避け、自分の力だけを信じていた、かつての私と、全く同じなのだから。
「なら、まずは、私を味方にしなさい。そうすれば、手を出して来る人間も、いなくなるわよ。『深紅の紅玉』の妹だし。ミス・ハーネスとも、繋がりがあるから」
「はっ……? なんで――?」
彼女は、懐疑の瞳で、私を見つめて来る。
「別に、私のことを、信頼する必要はないわ。だから、私の名前を出して、好きに利用しなさい。それに、困ったことがあれば、いつでも、相談に乗るわよ」
「一つ、言っておくけど。私は、あなたの味方だから。世の中には、敵もいるけど、味方もいることを、忘れてはダメよ。どんな人間にも、必ず、味方になってくれる人は、いるから。味方は、素直に受け入れなさい」
彼女は、微妙な表情しながら聴いていた。
「何で、私なんかの味方を? って顔をしているけど。最初は、そんなものよ。私も、初めて友人ができた時も、姉ができた時も、そんな感じだったから。もし、どうしても理由が欲しければ、ただの『気まぐれ』と思って貰っていいわ」
「……」
私が、ひとしきり話し終えると、彼女は、完全に黙り込んでしまった。だが、先ほどまであった、鋭い敵意が消えていた。
別に、彼女も、敵を作りたい訳ではない。ただ『強くありたい』という気持ちと、警戒心が、強すぎるだけなのだ。私自身が、そういう性格だから、物凄くよく分かる。
いずれにしても、彼女を、孤立させる訳には、行かないわね。あと、見習いの子たちの間にある、微妙な空気も、何とかしなければ。
少し面倒ではあるけれど。見て見ぬ振りは、気分が悪いし。ここは、私が、一肌脱ぐしかなさそうね……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『私が初めて憧れたのは炎のように強く美しい人だった』
まぶしくて目をつぶってしまう……でも憧れずにはいられない
必死に、動き回っている姿を見ると、自分の見習い時代を思い出す。私の時も、直前まで、バタバタしていた記憶がある。かなり大掛かりなうえに、完璧さを求められるので、想像以上に、大変な仕事だった。
今年も、見習いの子が『進行リーダー』を務めている。しかし、ミス・ハーネスから『今年は少し心配だから、念のためチェックをして欲しい』と、頼まれた。
私が、全てやってしまったら、見習いの子たちの、勉強にならない。そのため、表立った行動はせず、影からフォローするのが、私の役目だ。
本来は、全て見習いだけでやるのが伝統だ。しかし、今年は、進行状態が、大幅に遅れており、上手くまとめられる子が、いないようだ。どうも、チームワークに、問題があるらしい。
ミス・ハーネスにしては珍しく、ため息をついていた。今年は、レベルが低いか、問題児が多いのだろうか?
本来、私の仕事ではないし、普通に、営業に行きたかった。しかし、ミス・ハーネスには、何かと目を掛けて貰っている。それに、万一、問題があれば、会社の名に、傷がつきかねない。なので、放っておく訳にもいかなかった。
見た感じ、今年の新人の子たちは、私の時に比べ、明らかに効率が悪い。あたふたと、走り回っている割には、進行が遅かった。声かけや連携も取れておらず、個々にやっている感じだ。こんな状態で、本当に、間に合うのだろうか?
目の前の作業だけで、一杯一杯で、細かいチェックまでは、手が回ってなさそうだ。なので、私は、チェックリストを手に、東エリアにある〈アイリーン館〉と〈スカーレッタ館〉に向かっていた。
『華麗祭』の期間中は、社員寮も、一般公開される。社員のご家族たちが、大勢、見に来るからだ。なので、清掃状態や、破損部分がないか。また、セキュリティーのチェックなども必要だ。
結構、広いので、隅々までチェックするには、かなり時間が掛かる。入り口から、非常階段まで。また、床・壁・窓・天井まで、全てを細かくチェックする。
一点の汚れも問題も、許されない。それが、業界一の品格を持つ〈ファースト・クラス〉なのだ。
私は、チェックリストを確認し、どのルートで回るかを考えながら、社員寮に続く道を、足早に歩いていた。だが、違和感を覚え、ふと足を止める。なぜなら、人気のない敷地のベンチに、人の姿が見えたからだ。
そもそも、この忙しい時間に、こんな場所にいる人間はいない。しかも、その異常な格好に、私は、ぎょっとした。
「ちょっと……あなた、どうしたの?!」
私は、急いで近づくと、彼女に声を掛ける。
ベンチに座っていた人物は、俯いていたが、顔を上げると、見覚えのある子だった。だが、以前、見た時とは、全く違う。先日は、覇気のあふれる表情だったのに、物凄く、憔悴しきった顔をしていた。
加えて、衣服は乱れ、髪もぼさぼさ。頬は赤くはれ、手の甲には、血がにじんでいた。これは、ただ事ではない。
「ナギサお姉様、ごきげんよう」
私に気付くと、彼女は、急に表情が引き締まり、目つきが鋭くなる。律儀にも、先日の約束を守って、ちゃんと挨拶をして来た。
「いや、こんな時に、挨拶はいいから。それより、何があったか、訊いているのよ」
彼女は、しばし無言になったあと、
「準備中に、ちょっと転んだだけです」
感情のこもらない言葉で、淡々と答え、視線をそらす。
「そんな訳ないでしょ? どういう転び方をすれば、そんなになるのよ?」
彼女の言葉が、完全な嘘であるのは、一目瞭然だった。
どう見たって、これは、人為的なものだ。あまり、考えたくはないが、この社内で、暴力事件があったのかもしれない。しかも、この乱れ様は、相手は、複数人だった可能性がある。
だが、彼女は、とんでもなく気丈で、プライドが高い。なので、素直に話すとも思えなかった。無理に、訊き出そうとすれば、余計に、心を閉ざしてしまうだろう。核心には、下手に触れないほうが、いいかもしれない。
私は、少し考えたあと、
「とりあえず、医務室に行きましょう。まずは、治療をしないと」
静かに話しかけ、そっと手を差し出す。
だが、彼女は、
「結構です。自分で手当てしますから」
あっさりと、拒絶してきた。
まぁ、彼女らしいと言えば、彼女らしい。プライドの問題もあって、医務室には、行き辛いのだろう。だが、このままにしておいては、傷口から菌が入って、悪化する可能性もあるし。傷跡が残っては、大変だ。
まったく、私が言うのも何だが、性格が面倒すぎる。プライドは、とても大切だ。でも、それだけに、こだわっていては、何もできないし。それが、逆に重荷や、自分の首を絞めることもある。
きっと、今回も、彼女のプライドの強さが、こんな事態を、引き起こしたのだろう。私も、プライドは強いが、ここまで、あからさまには出さないし。もめ事を起こすことは、しっかり、避けてきた。
しかし、彼女は、そんなことは、お構いなしだ。常に、周りに敵意を振りまいている。結局は、後先を考えていないだけ。それは、気高いのではなく、ただの、愚か者の行為だと思う。
私は、小さくため息をつくと、彼女の手を握った。
「ほら、行くわよ」
「だから、行かないと、言ってるじゃないですか!」
彼女は、鋭い視線を向けて来る。その目には、明らかに、敵意が籠っていた。
「医務室じゃないわよ。私の部屋で、治療してあげるわ。それなら、誰にも見られないで済むでしょ? あと、言っておくけど、私は、あなたの敵じゃないわよ。敵と味方の見分けぐらい、ちゃんとしなさい」
何か、言っていて、物凄い違和感がある。かつて、私も、周りの人間は全て敵だと、思っていた時期があったからだ。でも、風歌やフィニーツァと、付き合い始めてから、考え方が変わって来た。
例え、立場や会社が違おうとも。同じ頂きを目指す、ライバル同士だったとしても。自分に好意的な人間が、いることを。敵だけじゃなく、味方もいないと、前に進めないことを。
彼女は、まだ、その事実を知らないのだ。真に優れた人間とは、けっして、自分一人の力だけで、生きている訳ではない。常に、全ての人と、手を取り合っている風歌が、そのいい例と言える。
「それに、自分より優れた人間の言うことなら、聴くのでしょ? 今は、先輩の言うことを、素直に聴いておきなさい。絶対に、悪いようにはしないから」
彼女は、しばし沈黙したあと、
「――はい」
とても小さな声で、返事をする。
私は、彼女を立ち上がらせると、手を引いたまま、自分の部屋に、連れて行くのだった……。
******
自室にて。私は、傷だらけの彼女を、椅子に座らせ、治療を行っていた。ひっかき傷だらけで、ずいぶんと、酷い状態だった。傷を念入りに消毒したあと、治療シートを貼り付けていく。
この治療シートは、貼ると、肌の色に変わるので、あまり目立たない。それに、小さな傷程度なら、跡を残さず、綺麗に再生することができる。幸い、どれも浅いので、傷跡は残らないと思う。
治療が終わると、彼女を立ち上がらせ、衣服の乱れを正す。ついでに、髪もとかして、綺麗に整えた。全てが終わると、彼女を、姿見の鏡の前に立たせる。
「どう? ちゃんと、元通りになったでしょ? 傷のほうは、しばらくすれば、消えると思うけど。その顔の腫れは、しばらく残りそうね。大人しくしていれば、完治するので、問題ないわ」
私が、話し掛けると、彼女は、しばらく鏡の前で、ボーッとしていた。あれだけのことが有ったのだから、仕方がない。普通なら、正気を保つことすら、難しいだろう。彼女だからこそ、気丈に、振る舞えているのだ。
「……ありがとうございます。ご面倒をお掛けして、すいませんでした」
彼女は、小さな声で答えた。
「別に、いいわよ。こういうのも、先輩の仕事だから。私も、見習い時代は、お姉さま方に、色々お世話になったから。喧嘩の仲裁も、して貰ったことがあったし」
「えっ――?」
彼女は、意外そうな表情を浮かべ、私のほうに視線を向けた。
「私も、見習い時代は、かなり、ピリピリしていたから。同期の子と、人間関係が上手く行ってなくて。集団に、取り囲まれたことが、何度かあってね。ナギサお姉様が、割って入ってくれなければ、どうなってたか、分からないわ」
「そんなに、完璧なのに……? もっと、クールで、大人しい人だと思ってました」
彼女は『信じられない』という、驚きの表情をしていた。彼女からは、私は、どう見えているんだろうか?
私は、そんなに、完璧な人間ではない。確実にできることしか、やらないだけだ。それに、素直で大人しい人間でもない。普段は、抑えているだけで、結構、感情的な性格だ。
「私は、クールとは程遠いわよ。まぁ、そう振る舞っているのは、事実だけど。私は、とんでもなく、負けず嫌いで、プライドが強くて。いつだって、心の中では、熱い炎を燃やしているのよ。あらゆる人間に、負けたくないから」
「でも、最近は、だいぶ落ち着いたわ。変なシルフィードに、出会って。その影響かしらね」
私は、静かに話しながら、救急箱を片付ける。
「――変なシルフィード?」
彼女は、不思議そうな表情を浮かべた。
「他社の人間なのに、妙に、慣れ慣れしくて。私のような、面倒な人間だろうと、お構いなしに、踏み込んで来る。しかも、私とは逆で、全ての人間と、仲良くなろうとする。全ての人間と、手を取り合いながら、上を目指しているのよ」
「昔は『なんて甘い人間なんだろう?』と、思ってたけど。あれは、あれで、強いのよ。誰かれ構わず、仲良くしてるくせに。誰よりも速く、前に進んで行くのだから」
私にも、つい最近までは、理解できなかったことだ。自分一人で進んだ方が、速いと思っていたが。実際には、そうではないことに。
「……確かに、甘いですね。本当に、そんなやり方で、上手く行くんですか? 周りの人間を、全て倒さなければ、上には行けませんよね?」
「それも、一つの方法かもしれないわね。でも、彼女は、私たち同期の中で、一番、早く、上位階級に昇進したのよ。〈ホワイト・ウイング〉所属の、如月 風歌。最近、話題になっているから、聴いたことぐらい有るでしょ?」
「えっ!? 異世界人初の上位階級になった『天使の翼』ですか? あの人と、知り合いだったんですか?」
あまり、周りの人間に、興味はなさそうだが。流石に、風歌のことは、知っているようだ。メディアへの露出も多いし、物凄く話題になっている。
「腐れ縁でね。見習い時代からの親友よ。いつも、一緒に、練習飛行していたし。イベントも、よく一緒に参加していたわ」
「他社のシルフィードとまで、交流があったんですか――。ナギサお姉様は、もっと、個人主義な人だと、思っていました」
「私も、最初は、他社の人間と慣れあうなんて、思わなかったわよ。学生時代も、ずっと、一人で行動していたし。そのほうが楽だし、効率もいいから。ただ、やたらと、ぐいぐい距離を詰めて来るから、ついね……」
風歌との出会いは、ただの偶然だった。それに、最初は、ライバル心しかなかったが、いつの間にか、彼女のペースに、巻き込まれてしまったのだ。
でも、そのお蔭で、様々な他社のシルフィードと、知り合いになれたし。同期の子たちとも、上手く付き合えるようになった。認めたくはないが、人間関係が良好になったのは、全て風歌のお蔭だ。
「結局、敵を増やそうが、味方を増やそうが、自分の能力は、変わらないのよ。ただ、たくさんの人に協力して貰え、スムーズに前に進めるから。味方を増やしたほうが、得なのよね」
「何事にも、正面から立ち向かう強さは、必要だけど。毎度毎度、邪魔されたら、大変でしょ? 敵が多ければ、今回みたいなことが、今後も、度々起こる可能性があるわ」
私の言葉を聴いて、彼女は、しばらく沈黙していた。だが、
「――でも、下品な人間と、つるむつもりは有りません。あんな連中と、仲良くするぐらいなら、死んだ方がマシですよ」
あからさまに、不満そうな表情を浮かベながら、気丈に答える。
「どこにだって、いるわよ、そういう低レベルな人間は。なら、せめて、そうじゃない人間と、仲良くしなさい。味方が多ければ、誰も手を出してこないのだから。同期にも、まともな子の、一人や二人、いるでしょ?」
「いませんよ。どうせ、みんな、怯えているだけで。何があったって、見て見ぬ振り。そんな臆病な連中、付き合う価値は、ありませんから」
なるほど。どうやら、新人の子たちの間で、人間関係の、重大な問題があるようだ。これは、放っておく訳にもいかないわね……。
「なら、同期じゃなくてもいいわよ。私も、ツバサお姉様が、よくしてくれたから、無事にやって来れた訳だし」
「いませんよ、そんな人。学校のOGとも、この会社の先輩とも、特に、付き合いはありませんから」
確かに、彼女の性格なら、そうだろう。全てを避け、自分の力だけを信じていた、かつての私と、全く同じなのだから。
「なら、まずは、私を味方にしなさい。そうすれば、手を出して来る人間も、いなくなるわよ。『深紅の紅玉』の妹だし。ミス・ハーネスとも、繋がりがあるから」
「はっ……? なんで――?」
彼女は、懐疑の瞳で、私を見つめて来る。
「別に、私のことを、信頼する必要はないわ。だから、私の名前を出して、好きに利用しなさい。それに、困ったことがあれば、いつでも、相談に乗るわよ」
「一つ、言っておくけど。私は、あなたの味方だから。世の中には、敵もいるけど、味方もいることを、忘れてはダメよ。どんな人間にも、必ず、味方になってくれる人は、いるから。味方は、素直に受け入れなさい」
彼女は、微妙な表情しながら聴いていた。
「何で、私なんかの味方を? って顔をしているけど。最初は、そんなものよ。私も、初めて友人ができた時も、姉ができた時も、そんな感じだったから。もし、どうしても理由が欲しければ、ただの『気まぐれ』と思って貰っていいわ」
「……」
私が、ひとしきり話し終えると、彼女は、完全に黙り込んでしまった。だが、先ほどまであった、鋭い敵意が消えていた。
別に、彼女も、敵を作りたい訳ではない。ただ『強くありたい』という気持ちと、警戒心が、強すぎるだけなのだ。私自身が、そういう性格だから、物凄くよく分かる。
いずれにしても、彼女を、孤立させる訳には、行かないわね。あと、見習いの子たちの間にある、微妙な空気も、何とかしなければ。
少し面倒ではあるけれど。見て見ぬ振りは、気分が悪いし。ここは、私が、一肌脱ぐしかなさそうね……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『私が初めて憧れたのは炎のように強く美しい人だった』
まぶしくて目をつぶってしまう……でも憧れずにはいられない
0
あなたにおすすめの小説
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
『辺境伯一家の領地繁栄記』序章:【動物スキル?】を持った辺境伯長男の場合
鈴白理人
ファンタジー
北の辺境で雨漏りと格闘中のアーサーは、貧乏領主の長男にして未来の次期辺境伯。
国民には【スキルツリー】という加護があるけれど、鑑定料は銀貨五枚。そんな贅沢、うちには無理。
でも最近──猫が雨漏りポイントを教えてくれたり、鳥やミミズとも会話が成立してる気がする。
これってもしかして【動物スキル?】
笑って働く貧乏大家族と一緒に、雨漏り屋敷から始まる、のんびりほのぼの領地改革物語!
「キヅイセ。」 ~気づいたら異世界にいた。おまけに目の前にはATMがあった。異世界転移、通算一万人目の冒険者~
あめの みかな
ファンタジー
秋月レンジ。高校2年生。
彼は気づいたら異世界にいた。
その世界は、彼が元いた世界とのゲート開通から100周年を迎え、彼は通算一万人目の冒険者だった。
科学ではなく魔法が発達した、もうひとつの地球を舞台に、秋月レンジとふたりの巫女ステラ・リヴァイアサンとピノア・カーバンクルの冒険が今始まる。
『異世界ごはん、はじめました!』 ~料理研究家は転生先でも胃袋から世界を救う~
チャチャ
ファンタジー
味のない異世界に転生したのは、料理研究家の 私!?
魔法効果つきの“ごはん”で人を癒やし、王子を 虜に、ついには王宮キッチンまで!
心と身体を温める“スキル付き料理が、世界を 変えていく--
美味しい笑顔があふれる、異世界グルメファン タジー!
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。
よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。
そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜
奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。
パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。
健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。
おっさん武闘家、幼女の教え子達と十年後に再会、実はそれぞれ炎・氷・雷の精霊の王女だった彼女達に言い寄られつつ世界を救い英雄になってしまう
お餅ミトコンドリア
ファンタジー
パーチ、三十五歳。五歳の時から三十年間修行してきた武闘家。
だが、全くの無名。
彼は、とある村で武闘家の道場を経営しており、〝拳を使った戦い方〟を弟子たちに教えている。
若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
が、ある日。
「お久しぶりです、師匠!」
絶世の美少女が家を訪れた。
彼女は、十年前に、他の二人の幼い少女と一緒に山の中で獣(とパーチは思い込んでいるが、実はモンスター)に襲われていたところをパーチが助けて、その場で数時間ほど稽古をつけて、自分たちだけで戦える力をつけさせた、という女の子だった。
「私は今、アイスブラット王国の〝守護精霊〟をやっていまして」
精霊を自称する彼女は、「ちょ、ちょっと待ってくれ」と混乱するパーチに構わず、ニッコリ笑いながら畳み掛ける。
「そこで師匠には、私たちと一緒に〝魔王〟を倒して欲しいんです!」
これは、〝弟子たちがあっと言う間に強くなるのは、師匠である自分の特殊な力ゆえ〟であることに気付かず、〝実は最強の実力を持っている〟ことにも全く気付いていない男が、〝実は精霊だった美少女たち〟と再会し、言い寄られ、弟子たちに愛され、弟子以外の者たちからも尊敬され、世界を救って英雄になってしまう物語。
(※第18回ファンタジー小説大賞に参加しています。
もし宜しければ【お気に入り登録】で応援して頂けましたら嬉しいです!
何卒宜しくお願いいたします!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる