北畠の鬼神

小狐丸

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23 六角左京大夫の焦り

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 天文二十三年(1554年)三月

 出雲守殿から六角家に不穏な動きありと報告があった。

 六角左京大夫義賢が北伊勢勢力の総大将と言われている千種信濃守殿の千種城を攻める準備をしているという。

 軍勢を率いるのは、重臣蒲生定秀の三男、小倉三河守定隆。

「左京大夫は。どのくらい動員しそうですか?」
「おそらく三千は堅いかと。左京大夫、焦っておるのか、ひょっとすると五千の動員もあるやもしれません」

 千種信濃守殿は千集めるのが精一杯だろう。

 俺の屋敷の一室で、望月出雲守殿からの報告を聞いていた。

 北勢四十八家と呼ばれる北伊勢の国人や豪族勢力は、その殆どが多くても兵千騎程度の小勢力の集まりだ。

「左京大夫殿が焦っていると?」
「はい。北畠家が長野・工藤家を降し中伊勢より南の支配を盤石にしています。これ以上北畠が北へと進出するのを許容できぬのでしょう」

 俺は前世で歴史は好きだった方だけど、北伊勢の小競り合いまでは把握していない。この時期に六角家が北伊勢に侵攻していたのかどうかなんて分からない。

「千種家はうちと同じ村上源氏、しかも同盟しているのを知っている筈だよね」
「千種城は山城とはいえ規模は大きくありません。北畠家の介入前に落としてしまう積もりでしょうな」
「これは舐められているのか?」
「これまでを考えれば、力の差は歴然ですからな」
「父上!」
「落ち着け千代女。これまでを考えればと言うておるのだ」

 出雲守殿からの報告を受けているこの場には、俺と出雲守殿以外に出雲守殿の娘の千代女と、俺の形ばかりの護衛として六郎が居た。

「そうだ落ち着け千代女。現実問題、六角家が本気になれば二万の兵を動かす事が出来るだろう。北畠家を下に見るのは理解できる」
「ですが……」
「まぁ落ち着け千代女。まだ中伊勢の開発も始まったばかりだ。北畠家が侮られるのも仕方ない。千種城を落とされる訳にはいかんが、北伊勢の諸勢力を削りたいのは、六角も北畠も同じ気持ちだろう」
「……この機に六角寄りの勢力を潰すのですね」
「正解だ千代女。出雲守殿、煽って動く家は幾つかあるかな」
「幾つかございます。この際、北畠家に益にならぬ勢力は潰してしまいましょう」

 俺の問いに、出雲守殿がニヤリと笑って言った。

「小倉三河守が兵を進めたら教えて下さい。それで十分間に合うでしょう」
「殿達だけで動かれるのですな」
「ああ、どうせ大軍を展開できる地でもないですからね。それと出雲守殿、信濃守殿にもお願いします」
「救援の要請ですな」

 同盟関係とはいえ、要請もなく戦さに介入する訳にはいかないからな。出雲守殿には信濃守殿から救援要請を出すよう動いて貰う。

 北畠家と同盟関係の千種家に仕掛けるのだから、小倉三河守には地獄を見てもらう。

 俺の他に、大之丞(大宮景連)、六郎(大嶋新左衛門親崇)、小次郎(芝山秀時)、久助(滝川一益)、慶次郎(滝川利益)、岩正坊虎慶の七人に、うちの精鋭騎馬兵十騎も居れば大丈夫だろう。

 馬鹿げた戦力比だけど、俺達なら全く問題ない。

 俺達は文字通り一騎当千なのだから。

「六角側の戦さ目付けと間者の始末は我等八部衆にお任せ下され」
「ああ、頼むよ出雲守殿。百地丹波守殿と藤林長門守殿にも宜しくと伝えて下さい」
「承知しました」

 そこで話が終わった筈なのだが、ここで千代女がとんでもない事を言い出した。

「殿、此度の戦さに私もお連れ下さい」
「千代女! 女子おなごの身で何を言う! 控えぬか!」
「いいえ、私と楓なら男にも負けませぬ。二人で殿の身の回りのお世話を致します」
「気でもふれたのか千代女。此度の戦さは三倍以上を相手するのだぞ。女子連れで戦さ場へなど、殿が侮られるわ」
「戦さ場でなら父上にも負けませぬが?」
「くっ、殿も千代女と楓を鍛え過ぎるから増長して」

 突然始まった親子喧嘩に六郎と二人苦笑いする。

 鈴鹿御前の生まれ変わりだと言われている楓は、その才能を遺憾なく発揮し、剣術、薙刀、体術、氣の運用と忍びの技にと、戦さ場に出てもその武勇をみせる事間違いないだろう。

 それを見て負けず嫌いの千代女は頑張った。氣の運用に関しても一人前と言えるだろう。
 仕事が忙しい出雲守殿と違い、常に俺達と共に鍛錬している成果は確実に実り、八部衆の実戦部隊である道順や小南、佐助達と遜色ない実力を身につけていた。

「うーん、小南を付けるか」
「いえ、それはなりません。小南には伊賀組の指揮を任せていますので」
「殿、千代女殿と楓の面倒は某が見よう」

 何を言ってもついて来そうな千代女に、仕方なく俺が小南を護衛に付けようかと言ったが、出雲守殿はそれを否定した。
 すると気配を消して影守りをしていた道順の声がした。

 此処には道順の気配を察知出来ない者は居ないので、驚く者は居ないが、道順も氣の運用(練気術)を会得してから、その忍びの技も格段に向上している。八部衆以外の間者ではその気配を捉える事は出来ないだろう。

「道順か……そうだな、頼めるか?」
「千代女殿も楓も、ゆくゆくは殿の側室ですからな。その警護を任されるは光栄でござるよ」
「忝い道順殿」

 道順に将来の側室と言われて千代女の頬が赤くなる。どうやら千代女と楓が側室にあがるのは確定らしい。







 近江 観音寺城 麓の居館

 観音寺城の麓に建てられた居館の一室では、六角家当主、六角左京大夫義賢と重臣で日野城城主の蒲生下野守定秀、同じく重臣で甲賀五十三家の一つ三雲城城主、三雲対馬守定持の三人が密談していた。

「中伊勢では各所で大規模な開発が行われています。長野家の所領だった場所でも領民に飯を食わせ、僅かながら銭を与えて賦役に人を集めておるようです」
「……銭や飯を食わせねば賦役も出来ぬ愚か者と思うていたが、これ程の効果があるとはな……」

 ここ数年、志摩から南伊勢が大湊や宇治・山田を中心に経済が発展し、治安が安定し人口も増える一方だと間者からの報告で知っていた。

 そこに中伊勢の長野工藤家が北畠家に敗れ、その大部分が北畠家の直轄地となり、大々的な開発があちこちで始まっている。

「広く真っ直ぐな街道の整備と橋を架けるなど、正気を疑ったものですが……」
「見事に商いが活発になったの」
「はい。北畠領内の関所を整理した事も効果に輪を掛けているのでしょう」

 下野守や左京大夫も同じ様に、北畠家の政策を馬鹿にしたクチだ。それが対馬守が言うように、六角家を嘲笑うように全てが上手くいっている。間者に頼らずとも、北畠領内の関所が整理されているのは直ぐに分かった。ただ、何の為なのかは誰にも分からなかったのだ。
 街道の整備や架橋に関しても、わざわざ攻められやすくするなど、北畠家が馬鹿な事を始めたと蔑む者が多かったし、それがこの時代の常識なのだから。

 それがどうだ。軍の即応体制が整っているのは寧ろ北畠家であり、素早く大量の兵を動かせるのは北畠軍だった。

「鬼神が赤い鬼の兵を率いて来ると、北伊勢の六角家と関係の深い国人衆が怖れているようです」
「北畠の四男は本当に鬼神なのか。長野工藤家の雑兵や足軽の中には、二度と戦さ場に出れなくなった者が多いなどと、全く笑えぬ話じゃ」

 北畠家の軍の話になると、長野工藤家との戦さで馬鹿げた戦果をあげた「北畠の鬼神」の話になった。

 対馬守は、子飼いの素破が何人もその光景を目にしていた。そしてそれを対馬守は後悔していた。何故なら北畠家の四男とその軍勢の戦さぶりを見た素破達は、逃げ出した長野工藤家の雑兵や足軽と同じように、北畠家に近付く事に恐怖を覚えるようになってしまった。

「くそっ! 北畠家など、ずっと南伊勢で燻っていたではないか! どうして儂が当主の代に、あの様な化け物が生まれるのだ!」

 偉大だった父六角定頼を亡くし、左京大夫は家内に存在感を示さねばならなかった。

 六角家は良くも悪くも重臣達の力が強い。

 此処に居る蒲生や三雲以外にも後藤・平井・高畑・小倉・進藤・青地などの有力な家臣に対して、父の跡を継ぐに足る器だと認めさせる必要があった。

 畿内を制した三好家相手では、六角家だけでは勝つのも難しい。

 そう考えた左京大夫が目を付けたのが、北伊勢の千種忠治だった。

 千種忠治は北畠家と同盟関係ではあるが、居城の千種城と北畠領との間には、北伊勢の有力豪族で六角側の関盛信が居る。北畠家の介入を受ける前に、千種城を落としてしまえばいいと考えていた。

 因みに、関盛信の妻は蒲生定秀の娘だった。

 更に、地形的にも北畠家が千種城へ、直ぐに救援に駆けつけるのは無理だと左京大夫を始め、蒲生下野守や三雲対馬守も考えていた。

 小さな平山城一つ、城兵の三倍の兵で落とす事など造作もないと考えた左京大夫。

 六角家の衰退が始まる。



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