8 / 11
第7話 魔物 ③
しおりを挟む
人狼とは、暴力の嵐に例えられるほどの膂力と俊敏性を持つが、それを支えるのは魔力ではなく人体から変貌した強力な躰だ。
皮、骨、肉、血管、内臓に至るまで、人狼を構成する全てが狩りのための武器と言って差し支えないほどの性能を誇る。それは、「すぐにでも魔力を補給しなければ死ぬ」という本能故の構造であり、こと通常の戦闘においては打撃・斬撃・魔術を問わず厚い毛皮や筋肉に阻まれ、貫いたとしても再生能力により瞬時に治癒する。
さらに、その爪は魔術を裂く力があり、どんな鎧や防護の呪を纏おうと、人狼の膂力と爪牙の前では無きに等しい。
──まさに、魔術師の悪夢である。
だが、それは『不死殺しの銀』がその身体を穿つまでのこと。
クレインが運び、ハトが人狼を止め、シフが撃ちだした銀の杭は、標的を違えることなく人狼の胸部に突き刺さった。瞬間、人狼の内を巡る治癒の魔力と銀が反応。銀に含まれる毒素が溶け出し、魔力を消滅させていく。
黒い毛皮から多量の血と、肉が焼ける悪臭を振りまきながら、人狼はかつてない痛みと苦しみに悶えた。しかし、肝心要の命は尽きていないのか、その金色の瞳は生への渇望に煌めていた。
「悪いけど、ここで止まってもらうよ!」
ハトは上半身を右後方へ捻り、右拳に力を込める。標的は、突き刺さった銀の杭、その底部。撃鉄が雷管を叩くかのように、拳の打ち込みによって杭を押し込み、杭の先端を心臓まで届かせる。それが彼女の狙いであった。
人狼はそれに気づかない。痛みと恐怖は魔物を獣へと変える。
もはやこれは捕食者と被捕食者の狩りではなく、魔物と魔術師の闘争ではなく。
人による獣の駆除。それと大差ないものへと変わっていた。
ハトの身体を巡る『水属性』が、その拳に重さと速さ、鋭さを与える。
もはや勝利は目前であるかと思われた。
────青色に光る魔力球が、木々を削りながらハトに迫った。
「ッ!?」
ハトは即座に回避行動を取ろうとするが、脚が動かない。
見ると、苦しみに喘ぐ人狼が、その腕でハトの脚を掴んでいた。もはやそんな気力も意思も無いにも関わらず、風邪に苦しむ子供のような表情で、人狼はハトを逃がそうとしなかった。
さらに、彼女を追い込むかのように、人狼の口から ぽつりとその言葉が落ちる。
「……許して……お父さん……」
それは、少女の声だった。
まだ幼い、大人にもなり切れていない、少女の声。
それが人狼の策略故の戯言か、今際の際にこぼれた人間性の残滓か、彼女には判断できない。だが、その思考リソースは確かに裂かれ、迫る攻撃への反応が遅れた。
縋る様な腕を振りほどくこともできず、胸に突き刺さった杭を打ち込むこともできず、彼女は眼前に迫る青の光の中に自身の死を見た。
……木々が弾け、地面が球形に削り取られた後、その場には人狼も女魔術師もいなかった。
魔力光が通った跡は黒々と焼け焦げ、石ですら削り取られるかのように蒸発し、つるりとした断面を晒している。空気は焼け、漂っていた水気は蒸発し、鼻と胸を侵す異臭が辺りに立ち込めた。
その跡に、女魔術師と人狼の姿は無い。
当然だ。魔術師や不死の魔物であろうと、あの球体に巻き込まれれば再生能力や身体能力、魔力の有無に関わらずに蒸発する。
そのことを確認した魔力球の射手にして人狼の主……狐面の男は、さながら散歩でもするかのような気負わない足取りでその跡へ近づいた。
疵のついた白い狐の面。濃紺色の外套。軍服のような黒の装束。
誰にも御せず、己のための「狩り」以外を行うことの無い、魔術世界における寓話の如き存在。
彼は高い草を踏んで歩いていき、眼前に立つ人物を認めてぴたりとその足を止めた。
「やぁ、随分と久しぶりだ。ボクだよ、覚えてる?」
「ああ、せっかく忘れていたが、今思い出してしまった」
男は……シフは、目を細めて ひらひらとその手を振る。
狐面の男は仮面の奥から深くため息をついた。
「いやぁ、全く衰えていないな君は。高級セキュリティのZAP銃以上の威力だ」
「…………」
「ああ。もう10年くらい? 野垂れ死にかけてた君を助けたのが最初だったかな。いやぁ、懐かしいなぁ。その頃の君はまだ小さかった。ほんと、ボクのこの腰くらいまでしか背が無くてさぁ、痩せてる割に食が細かったよねぇ」
まくし立てるようにベラベラと話すシフに反応せず、男は何かを探すように辺りを見回す。
「──あの女と私の猟犬をどこへやった」
その問いかけにシフは笑う。大袈裟に、腹を抱えるような素振りまでして、
「はははははは! 何を言うんだか! 君がさっき吹き飛ばしたじゃないか! おかげで、可哀そうに、二人とも蒸発してプラズマ化──」
「どこへやった、と私は聞いている」
再びの問いかけに、シフは声を上げて笑うのをやめた。貼り付けたような笑み。その細められた目の奥にある瞳は、ただ冷たく、何の色も持たない。眼前の存在など、本当は興味もないかのように。
「……うーん、誤魔化すのも無理がありそうだ」
シフは やれやれといった感じに首を振り、身体を見せるかのようにベージュのコートを片側だけ開き、その裏地を見せた。そこには、全ての光を呑むかのような『闇』が広がっている。
すると、その闇からずるりと、色白の女性の腕が伸びたかと思うと、ハトが。
そして、もう一人。滑らかな黒髪を伸ばした齢14ほどの少女が闇の中から姿を現した。その身には、先ほどハトが着ていたジャケット以外何も纏っていない。その鳩尾の少し上の部分には火傷のような傷ができている。
その少女は、先ほどの人狼……その正体であった。
二人は地面に転がされたが、その身体を動かさない。だが死んではいないようで、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてくる。寝ているだけのようだった。
「やはりお前が助けていたか」
男の言葉にシフは返さない。「分かっていただろう?」と言外に表すかのように、微笑むだけだ。
「人狼から人に戻れるなんて、ますます珍しい。この娘、君のかい?」
「答える気は無い。殺されたくなければ、さっさとその猟犬を渡せ」
「おや? 案外ご執心?」
「私の猟犬だから返せと言っているだけだ」
「答える気は無いとか言っておいて答えるの笑うんだけど」
シフは嘲笑を浮かべながら指先に魔力を集め、それを足元で眠る少女の頭部に向ける。狐面の男はすぐさま両手を合わせようとして、やめた。火力では圧倒的に男が上回っていたが、こと魔力を込めて撃つ速度に関してはシフの方に軍配が上がる。それを分かっていた。
「どうする? この魔術資源。ボクはいらないが、君にとっては大事なもののようだ……どうしてほしい?」
狐面の男はそれに対して暫く沈黙し……。
──両手を合わせて魔力球を形成し始めた。
シフはそれを見て指先に集めた魔力の出力を上げ……しかし放たない。
狐面の男も同じく、魔力球を作りはしたが、放たなかった。
「猟犬を殺せば、お前らは全員死ぬ。……だが、そいつは苦労して捕まえた上に『虎の子』まで使った大事なものだ。殺されては困る」
「つまり、どういうことかな?」
「見逃して欲しければそいつを渡せ……今すぐにだ」
その言葉に、シフは大袈裟に噴き出して笑った。
「おいおい、先に襲い掛かってきたのは君んとこの駄犬なんだけど。お陰で、大分消耗させられちゃったんだよねぇ。任務の目的だった魔術師は死んでるわけだし。そこんとこの埋め合わせ、どうするつもり?」
男は仮面の奥で、また一つため息をついた。
「お前らを見逃した後、魔物を獲って届けてやるからそれで補給しろ。死んだ魔術師に関しては、死霊術師を紹介しよう」
「うんうん、ちゃんとやってよ。ちゃんとやってくれたら、今回のことはその娘も含めて『祓除院』には言わないでおいてあげよう。……そういえば、君、何でこんな森で人狼を放し飼いにしてるの?」
「放し飼いにはしていない。ここには餌を食わせに来た。先程の魔術師だな」
シフは眉根を寄せた。
「本当? どっかの組織とかに頼まれて魔術師を始末したとか、ボク達を始末するように言われたとかじゃなく?」
「普通に餌やりだ。私は己のために『狩り』をするだけだからな。私が人を殺すとすれば、それ自体が『狩り』の目標か、『狩り』の邪魔をされた時だけだ。当然、腕と眼を奪っての半殺しにしてからだが……」
シフはうげぇーと、舌を出して「吐きそうだ」と仕草をした。
「半殺しって、大分昔に教えたこと、よく覚えてるね」
▽
かくして、今回の任務は失敗に終わった。
拘束して情報を聞き出すはずの魔術師は死亡。さらには現物の廉価銀も使って消費する始末。『明星』の魔術師全員が『属性』を使用して魔力を大きく消費したが、当然、『祓除院』は『明星』に対して報酬を支払うことは無かった。
だが、狐面の男は約束を守った。
後日、幾つかの組織を通して、贈り人不明の魔物の肉塊が幾つかと、『祓除院』に所属していない死霊術師に関しての情報が『明星』に届いた。
「なんで『祓除院』外の死霊術師なんだって顔をしているねクレイン君」
『明星』の資料室にて、シフはクレインに聞いた。
「……まぁ、疑問には思いましたね。『祓除院』の方にもいるんなら、そっちを頼ればいいんじゃないか、と」
「もっともだ。平常時であればね。だが、今回の廉価銀周りの『祓除院』は何とも怪しいからねぇ。そもそもとして、天下の『祓除院』様がむざむざ密輸を許すなんてこと自体あり得ない。ちょっと調べたいんだ」
クレインはその表情を硬くした。ひやり、と何か薄ら寒いものが背中を這う感覚を覚えたからだ。
それは疑惑だった。ハトの言葉を聞いて以降ではなく、『祓除院』の派閥争いについて知れば知るほどに大きく膨らんでいった、疑惑。恐らくは、シフとクレインが共有している、同じ疑惑。
……──廉価銀を仕入れたのは、『祓除院』内の誰かかもしれない──……。
「……というか、何故そのネク?……魔術師が必要なんです?」
「森の中で死んでる魔術師がいただろう? 彼の魂の情報から、少なくとも『どこが敵で味方なのか』? それを知りたい。……正直なとこ、今回の任務を失敗できたのはラッキーだったかも」
「そう……なんですか?」
「うん。もし仮に成功してれば、どこぞの派閥と『明星』は仲が良いぞ、って変に思われてたかもしれないからね。だったら、任務を失敗する無能だと思われた方が、今は動きやすい」
「なるほど……でも、少し考えすぎでは……?」
「魔術師はみんな、捻くれてるんだ。特に『祓除院』の上層部となれば、そりゃ恐ろしいよ。逆恨みや企みで消えた村や町は一つや二つじゃきかない。彼らの目的は、魔と現の狭間とかじゃなくて、『魔術的な国益の保護』だからね。魔物退治とか呪いの回収とかで、結果として市井の人が助かってるだけだ」
クレインは、その言葉を沈痛な面持ちで聞いた。
確かに、複数の人間から派閥争いを始めとした暗い噂を聞く辺り、『祓除院』は怪しいのかもしれない。仮に『祓除院』の中に廉価銀を仕入れた者……あるいは派閥があったとして、そんな組織の死霊術師を頼ろうとすれば、組織内で『明星』はその派閥に目をつけられ、うまく動けなくなる可能性がある。
最悪、その派閥から刺客が送り込まれる可能性もゼロではない。
そう考えると、こればかりは外部の存在を頼った方が、幾らか安全な気はした。
「まぁ、『祓除院』内部でも捜査というかは行われてるだろうし、この疑惑は近いうちに晴れるだろう。散々に言いはしたが、当然『祓除院』内にも高い志の下に人を守ろう・助けようという人はいるからね」
さらに、と『明星』のトップは続けた。
「魔術師なんて、怪しいやつばかりだから全員分疑ってたら頭が爆発してしまう。ある程度無視して、ある程度疑って、ある程度信じて、ある程度確かめる。これが大事だ。そして今回は、ある程度疑って、ある程度確かめる。そういうターンってこと。てなワケで、連続になるが、この死霊術師にコンタクトをとってみて欲しい」
▽
「死霊術師、ね。トップはまた、何とも面倒な任務を持ってきたな」
資料室で暫くトップと話した後、僕は死霊術師についてをシノさんに聞きに行った。
シノさんはいつも通り、医務室で何かしらのお菓子をつまみながら、人間の文字とは思えない変な書類……暗号化されているらしい……を読んでいた。
「今日もまた、予想だにしない大冒険を繰り広げたようだな。前回は刺客。今回は人狼と『狩人』。で、次は死霊術師と来たか。……お前、案外トラブルを呼び込みやすい体質なのかもしれんな」
「えぇ……嬉しくないですね……いや、まぁ、それを言うなら最初からトラブルに巻き込まれてる気も……」
「例の廃墟だろう? 異界が閉じると共に消えた建物。バスタブみたいな装置。正直、聞いたことも無い代物だ。唯一の手掛かりは、お前が着ていた古い患者服だけ」
持っていた書類を目の前のテーブルに置き、彼女は籠に盛られた菓子を手に取る。それは、チョコミントのようだった。口に入れ、噛み砕き、僅かに微笑む。そして書類を手に取り、眉間にしわを寄せる。彼女はさっきからその動きを繰り返していた。
「むぐむぐ……あの患者服も、調べてみたら既製品だったしな。購入者を辿ろうにも、流石に範囲と年代が広すぎる。行方不明者情報も更新なし。まぁ、そう簡単にいくのなら最初の三日間で事は済んでいる……」
そう言うと彼女は籠にある小さなせんべいを小袋から取り出し、パリパリと食べ始めた。当然、これは彼女のものなので、僕が手を付けて良いものではない。うっかり手を伸ばせば、鋭い平手打ちが襲ってくる。
……僕の失踪に関しての、定期的な会話。
最初は色々と聞いて長くなっていたこれも、今では大分短くなってしまった。
「むぐむぐ……話題が逸れていたな。死霊術師に関してか。まぁ読んで字のごとく、死霊に関する魔術を扱う魔術師を指す言葉だが、そうは言ってもイメージはできないだろう」
僕は頷き、
「まぁ、さっき話したトップの言葉と、死霊ってイメージで言うと……イタコ? とかですかね」
「まぁ、概ね合ってると言えるが……死霊術師はもっと物騒だ。死霊を使役しての呪殺。死の世界との交信。『異界』の存在の呼び出し……召喚等、その能力・役割は『闇』に寄っていて、多岐に渡る」
そう言うと、彼女は僕の方に身を乗り出し、
「いいか? 次は私と、お前とで行く。テスは別任務に行ってるし、ハトは疲労が酷いからな、暫く休める。それに、今回は『祓除院』に目をつけられたくないんだろう? ならトップもお留守番だ」
そして、と彼女は指を立てた。
「今回の任務は、間違いなく厄介だ。危険ではなく、厄介。『祓除院』に属していない在野の死霊術師なんぞ、ハッキリ言って危険人物だ。シンプルに狂人かもしれん。だから、私がその魔術師と話しをつける。お前は私を守れ」
そう言って、またテーブルの書類を読み始めた。
正直なところ、この時はまだ彼女の言葉……忠告を、真に受けてはいなかった。
だからこそ、実際にその死霊術師と出会って……存分に思い知らされた。
魔術師の神髄を。
そして、如何に魔術師が、奇人変人狂人凶人かということを。
皮、骨、肉、血管、内臓に至るまで、人狼を構成する全てが狩りのための武器と言って差し支えないほどの性能を誇る。それは、「すぐにでも魔力を補給しなければ死ぬ」という本能故の構造であり、こと通常の戦闘においては打撃・斬撃・魔術を問わず厚い毛皮や筋肉に阻まれ、貫いたとしても再生能力により瞬時に治癒する。
さらに、その爪は魔術を裂く力があり、どんな鎧や防護の呪を纏おうと、人狼の膂力と爪牙の前では無きに等しい。
──まさに、魔術師の悪夢である。
だが、それは『不死殺しの銀』がその身体を穿つまでのこと。
クレインが運び、ハトが人狼を止め、シフが撃ちだした銀の杭は、標的を違えることなく人狼の胸部に突き刺さった。瞬間、人狼の内を巡る治癒の魔力と銀が反応。銀に含まれる毒素が溶け出し、魔力を消滅させていく。
黒い毛皮から多量の血と、肉が焼ける悪臭を振りまきながら、人狼はかつてない痛みと苦しみに悶えた。しかし、肝心要の命は尽きていないのか、その金色の瞳は生への渇望に煌めていた。
「悪いけど、ここで止まってもらうよ!」
ハトは上半身を右後方へ捻り、右拳に力を込める。標的は、突き刺さった銀の杭、その底部。撃鉄が雷管を叩くかのように、拳の打ち込みによって杭を押し込み、杭の先端を心臓まで届かせる。それが彼女の狙いであった。
人狼はそれに気づかない。痛みと恐怖は魔物を獣へと変える。
もはやこれは捕食者と被捕食者の狩りではなく、魔物と魔術師の闘争ではなく。
人による獣の駆除。それと大差ないものへと変わっていた。
ハトの身体を巡る『水属性』が、その拳に重さと速さ、鋭さを与える。
もはや勝利は目前であるかと思われた。
────青色に光る魔力球が、木々を削りながらハトに迫った。
「ッ!?」
ハトは即座に回避行動を取ろうとするが、脚が動かない。
見ると、苦しみに喘ぐ人狼が、その腕でハトの脚を掴んでいた。もはやそんな気力も意思も無いにも関わらず、風邪に苦しむ子供のような表情で、人狼はハトを逃がそうとしなかった。
さらに、彼女を追い込むかのように、人狼の口から ぽつりとその言葉が落ちる。
「……許して……お父さん……」
それは、少女の声だった。
まだ幼い、大人にもなり切れていない、少女の声。
それが人狼の策略故の戯言か、今際の際にこぼれた人間性の残滓か、彼女には判断できない。だが、その思考リソースは確かに裂かれ、迫る攻撃への反応が遅れた。
縋る様な腕を振りほどくこともできず、胸に突き刺さった杭を打ち込むこともできず、彼女は眼前に迫る青の光の中に自身の死を見た。
……木々が弾け、地面が球形に削り取られた後、その場には人狼も女魔術師もいなかった。
魔力光が通った跡は黒々と焼け焦げ、石ですら削り取られるかのように蒸発し、つるりとした断面を晒している。空気は焼け、漂っていた水気は蒸発し、鼻と胸を侵す異臭が辺りに立ち込めた。
その跡に、女魔術師と人狼の姿は無い。
当然だ。魔術師や不死の魔物であろうと、あの球体に巻き込まれれば再生能力や身体能力、魔力の有無に関わらずに蒸発する。
そのことを確認した魔力球の射手にして人狼の主……狐面の男は、さながら散歩でもするかのような気負わない足取りでその跡へ近づいた。
疵のついた白い狐の面。濃紺色の外套。軍服のような黒の装束。
誰にも御せず、己のための「狩り」以外を行うことの無い、魔術世界における寓話の如き存在。
彼は高い草を踏んで歩いていき、眼前に立つ人物を認めてぴたりとその足を止めた。
「やぁ、随分と久しぶりだ。ボクだよ、覚えてる?」
「ああ、せっかく忘れていたが、今思い出してしまった」
男は……シフは、目を細めて ひらひらとその手を振る。
狐面の男は仮面の奥から深くため息をついた。
「いやぁ、全く衰えていないな君は。高級セキュリティのZAP銃以上の威力だ」
「…………」
「ああ。もう10年くらい? 野垂れ死にかけてた君を助けたのが最初だったかな。いやぁ、懐かしいなぁ。その頃の君はまだ小さかった。ほんと、ボクのこの腰くらいまでしか背が無くてさぁ、痩せてる割に食が細かったよねぇ」
まくし立てるようにベラベラと話すシフに反応せず、男は何かを探すように辺りを見回す。
「──あの女と私の猟犬をどこへやった」
その問いかけにシフは笑う。大袈裟に、腹を抱えるような素振りまでして、
「はははははは! 何を言うんだか! 君がさっき吹き飛ばしたじゃないか! おかげで、可哀そうに、二人とも蒸発してプラズマ化──」
「どこへやった、と私は聞いている」
再びの問いかけに、シフは声を上げて笑うのをやめた。貼り付けたような笑み。その細められた目の奥にある瞳は、ただ冷たく、何の色も持たない。眼前の存在など、本当は興味もないかのように。
「……うーん、誤魔化すのも無理がありそうだ」
シフは やれやれといった感じに首を振り、身体を見せるかのようにベージュのコートを片側だけ開き、その裏地を見せた。そこには、全ての光を呑むかのような『闇』が広がっている。
すると、その闇からずるりと、色白の女性の腕が伸びたかと思うと、ハトが。
そして、もう一人。滑らかな黒髪を伸ばした齢14ほどの少女が闇の中から姿を現した。その身には、先ほどハトが着ていたジャケット以外何も纏っていない。その鳩尾の少し上の部分には火傷のような傷ができている。
その少女は、先ほどの人狼……その正体であった。
二人は地面に転がされたが、その身体を動かさない。だが死んではいないようで、すぅすぅと穏やかな寝息が聞こえてくる。寝ているだけのようだった。
「やはりお前が助けていたか」
男の言葉にシフは返さない。「分かっていただろう?」と言外に表すかのように、微笑むだけだ。
「人狼から人に戻れるなんて、ますます珍しい。この娘、君のかい?」
「答える気は無い。殺されたくなければ、さっさとその猟犬を渡せ」
「おや? 案外ご執心?」
「私の猟犬だから返せと言っているだけだ」
「答える気は無いとか言っておいて答えるの笑うんだけど」
シフは嘲笑を浮かべながら指先に魔力を集め、それを足元で眠る少女の頭部に向ける。狐面の男はすぐさま両手を合わせようとして、やめた。火力では圧倒的に男が上回っていたが、こと魔力を込めて撃つ速度に関してはシフの方に軍配が上がる。それを分かっていた。
「どうする? この魔術資源。ボクはいらないが、君にとっては大事なもののようだ……どうしてほしい?」
狐面の男はそれに対して暫く沈黙し……。
──両手を合わせて魔力球を形成し始めた。
シフはそれを見て指先に集めた魔力の出力を上げ……しかし放たない。
狐面の男も同じく、魔力球を作りはしたが、放たなかった。
「猟犬を殺せば、お前らは全員死ぬ。……だが、そいつは苦労して捕まえた上に『虎の子』まで使った大事なものだ。殺されては困る」
「つまり、どういうことかな?」
「見逃して欲しければそいつを渡せ……今すぐにだ」
その言葉に、シフは大袈裟に噴き出して笑った。
「おいおい、先に襲い掛かってきたのは君んとこの駄犬なんだけど。お陰で、大分消耗させられちゃったんだよねぇ。任務の目的だった魔術師は死んでるわけだし。そこんとこの埋め合わせ、どうするつもり?」
男は仮面の奥で、また一つため息をついた。
「お前らを見逃した後、魔物を獲って届けてやるからそれで補給しろ。死んだ魔術師に関しては、死霊術師を紹介しよう」
「うんうん、ちゃんとやってよ。ちゃんとやってくれたら、今回のことはその娘も含めて『祓除院』には言わないでおいてあげよう。……そういえば、君、何でこんな森で人狼を放し飼いにしてるの?」
「放し飼いにはしていない。ここには餌を食わせに来た。先程の魔術師だな」
シフは眉根を寄せた。
「本当? どっかの組織とかに頼まれて魔術師を始末したとか、ボク達を始末するように言われたとかじゃなく?」
「普通に餌やりだ。私は己のために『狩り』をするだけだからな。私が人を殺すとすれば、それ自体が『狩り』の目標か、『狩り』の邪魔をされた時だけだ。当然、腕と眼を奪っての半殺しにしてからだが……」
シフはうげぇーと、舌を出して「吐きそうだ」と仕草をした。
「半殺しって、大分昔に教えたこと、よく覚えてるね」
▽
かくして、今回の任務は失敗に終わった。
拘束して情報を聞き出すはずの魔術師は死亡。さらには現物の廉価銀も使って消費する始末。『明星』の魔術師全員が『属性』を使用して魔力を大きく消費したが、当然、『祓除院』は『明星』に対して報酬を支払うことは無かった。
だが、狐面の男は約束を守った。
後日、幾つかの組織を通して、贈り人不明の魔物の肉塊が幾つかと、『祓除院』に所属していない死霊術師に関しての情報が『明星』に届いた。
「なんで『祓除院』外の死霊術師なんだって顔をしているねクレイン君」
『明星』の資料室にて、シフはクレインに聞いた。
「……まぁ、疑問には思いましたね。『祓除院』の方にもいるんなら、そっちを頼ればいいんじゃないか、と」
「もっともだ。平常時であればね。だが、今回の廉価銀周りの『祓除院』は何とも怪しいからねぇ。そもそもとして、天下の『祓除院』様がむざむざ密輸を許すなんてこと自体あり得ない。ちょっと調べたいんだ」
クレインはその表情を硬くした。ひやり、と何か薄ら寒いものが背中を這う感覚を覚えたからだ。
それは疑惑だった。ハトの言葉を聞いて以降ではなく、『祓除院』の派閥争いについて知れば知るほどに大きく膨らんでいった、疑惑。恐らくは、シフとクレインが共有している、同じ疑惑。
……──廉価銀を仕入れたのは、『祓除院』内の誰かかもしれない──……。
「……というか、何故そのネク?……魔術師が必要なんです?」
「森の中で死んでる魔術師がいただろう? 彼の魂の情報から、少なくとも『どこが敵で味方なのか』? それを知りたい。……正直なとこ、今回の任務を失敗できたのはラッキーだったかも」
「そう……なんですか?」
「うん。もし仮に成功してれば、どこぞの派閥と『明星』は仲が良いぞ、って変に思われてたかもしれないからね。だったら、任務を失敗する無能だと思われた方が、今は動きやすい」
「なるほど……でも、少し考えすぎでは……?」
「魔術師はみんな、捻くれてるんだ。特に『祓除院』の上層部となれば、そりゃ恐ろしいよ。逆恨みや企みで消えた村や町は一つや二つじゃきかない。彼らの目的は、魔と現の狭間とかじゃなくて、『魔術的な国益の保護』だからね。魔物退治とか呪いの回収とかで、結果として市井の人が助かってるだけだ」
クレインは、その言葉を沈痛な面持ちで聞いた。
確かに、複数の人間から派閥争いを始めとした暗い噂を聞く辺り、『祓除院』は怪しいのかもしれない。仮に『祓除院』の中に廉価銀を仕入れた者……あるいは派閥があったとして、そんな組織の死霊術師を頼ろうとすれば、組織内で『明星』はその派閥に目をつけられ、うまく動けなくなる可能性がある。
最悪、その派閥から刺客が送り込まれる可能性もゼロではない。
そう考えると、こればかりは外部の存在を頼った方が、幾らか安全な気はした。
「まぁ、『祓除院』内部でも捜査というかは行われてるだろうし、この疑惑は近いうちに晴れるだろう。散々に言いはしたが、当然『祓除院』内にも高い志の下に人を守ろう・助けようという人はいるからね」
さらに、と『明星』のトップは続けた。
「魔術師なんて、怪しいやつばかりだから全員分疑ってたら頭が爆発してしまう。ある程度無視して、ある程度疑って、ある程度信じて、ある程度確かめる。これが大事だ。そして今回は、ある程度疑って、ある程度確かめる。そういうターンってこと。てなワケで、連続になるが、この死霊術師にコンタクトをとってみて欲しい」
▽
「死霊術師、ね。トップはまた、何とも面倒な任務を持ってきたな」
資料室で暫くトップと話した後、僕は死霊術師についてをシノさんに聞きに行った。
シノさんはいつも通り、医務室で何かしらのお菓子をつまみながら、人間の文字とは思えない変な書類……暗号化されているらしい……を読んでいた。
「今日もまた、予想だにしない大冒険を繰り広げたようだな。前回は刺客。今回は人狼と『狩人』。で、次は死霊術師と来たか。……お前、案外トラブルを呼び込みやすい体質なのかもしれんな」
「えぇ……嬉しくないですね……いや、まぁ、それを言うなら最初からトラブルに巻き込まれてる気も……」
「例の廃墟だろう? 異界が閉じると共に消えた建物。バスタブみたいな装置。正直、聞いたことも無い代物だ。唯一の手掛かりは、お前が着ていた古い患者服だけ」
持っていた書類を目の前のテーブルに置き、彼女は籠に盛られた菓子を手に取る。それは、チョコミントのようだった。口に入れ、噛み砕き、僅かに微笑む。そして書類を手に取り、眉間にしわを寄せる。彼女はさっきからその動きを繰り返していた。
「むぐむぐ……あの患者服も、調べてみたら既製品だったしな。購入者を辿ろうにも、流石に範囲と年代が広すぎる。行方不明者情報も更新なし。まぁ、そう簡単にいくのなら最初の三日間で事は済んでいる……」
そう言うと彼女は籠にある小さなせんべいを小袋から取り出し、パリパリと食べ始めた。当然、これは彼女のものなので、僕が手を付けて良いものではない。うっかり手を伸ばせば、鋭い平手打ちが襲ってくる。
……僕の失踪に関しての、定期的な会話。
最初は色々と聞いて長くなっていたこれも、今では大分短くなってしまった。
「むぐむぐ……話題が逸れていたな。死霊術師に関してか。まぁ読んで字のごとく、死霊に関する魔術を扱う魔術師を指す言葉だが、そうは言ってもイメージはできないだろう」
僕は頷き、
「まぁ、さっき話したトップの言葉と、死霊ってイメージで言うと……イタコ? とかですかね」
「まぁ、概ね合ってると言えるが……死霊術師はもっと物騒だ。死霊を使役しての呪殺。死の世界との交信。『異界』の存在の呼び出し……召喚等、その能力・役割は『闇』に寄っていて、多岐に渡る」
そう言うと、彼女は僕の方に身を乗り出し、
「いいか? 次は私と、お前とで行く。テスは別任務に行ってるし、ハトは疲労が酷いからな、暫く休める。それに、今回は『祓除院』に目をつけられたくないんだろう? ならトップもお留守番だ」
そして、と彼女は指を立てた。
「今回の任務は、間違いなく厄介だ。危険ではなく、厄介。『祓除院』に属していない在野の死霊術師なんぞ、ハッキリ言って危険人物だ。シンプルに狂人かもしれん。だから、私がその魔術師と話しをつける。お前は私を守れ」
そう言って、またテーブルの書類を読み始めた。
正直なところ、この時はまだ彼女の言葉……忠告を、真に受けてはいなかった。
だからこそ、実際にその死霊術師と出会って……存分に思い知らされた。
魔術師の神髄を。
そして、如何に魔術師が、奇人変人狂人凶人かということを。
0
あなたにおすすめの小説
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
勇者の隣に住んでいただけの村人の話。
カモミール
ファンタジー
とある村に住んでいた英雄にあこがれて勇者を目指すレオという少年がいた。
だが、勇者に選ばれたのはレオの幼馴染である少女ソフィだった。
その事実にレオは打ちのめされ、自堕落な生活を送ることになる。
だがそんなある日、勇者となったソフィが死んだという知らせが届き…?
才能のない村びとである少年が、幼馴染で、好きな人でもあった勇者の少女を救うために勇気を出す物語。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
アラフォーおっさんの週末ダンジョン探検記
ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。
【魔物】を倒すと魔石を落とす。
魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。
世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる