・グレー・クレイ

くれいん

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第6話 魔物 ②

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 魔物。
 それは『異界』と呼ばれる世界から来る存在であり、かつては人跡未踏の地における支配者であった。だが、『異界』よりやって来た「何者か」の手によって人の手に魔術が渡った時、彼らは無敵の超生物から、打倒可能な困難・障壁と化した。その時代には倒せなかった魔物も、時が経ち、魔術の練度と文明が上がるにつれて滅びていった。
 
 だが、地上に住まう魔物の大半が滅び、魔術資源のほとんどを浪費し、まともに魔力を補給できなくなった時代があった。その時代を生き延びた魔術師は今でこそ少なくなったが、誰もがその時代に戻ることを拒否するだろう。

 魔術師は皆、「魔性」と呼ばれる「何か」を宿している。
 それは魔術師が魔力と魔術を扱える理由であり、只人が魔の存在を正しく認識できない理由であり、魔術師が『異界』より授かった、「かつての希望」だった。
 
 だがその魔性が、最悪な事態を引き起こしたのが、「人食いの時代」だった。
 魔性を満足させられる餌を与えられなくなった魔術師は、その半分が魔性に取り殺され、その半分が人から姿を変えた。
 それらは魔力を補給するため、人を食らい始めた。
 魔力を認知するには魔性が必要だったが、古の縁と血筋によって只人にも魔力はあった。それはごく僅かなものであり、例え100人を食らおうとも満たされることの無い……否、より渇きは強くなるばかりの悪循環。

 魔物が、人を脅かす時代が再びやって来た。
 魔術師達はその頃には既に「原初の大義」など忘れていたが、彼らもまた生き延びるには魔物が必要であった。彼らは魔物を殺し、喰らうことで命をのちに繋いだ。それは、原点回帰的な食物連鎖の地獄であった。
 それによって、魔を正しく認識できる只人によって、魔術師は人知らぬ英雄として当時の貴族・華族に優遇され、現代まで続く魔術師の家系を築き上げた。

 そして、現代。
 今や魔力を補給する手段は幾つか確立された。
 その内の一つが『異界』の存在と結界術の応用によって成された「工房ラボ」の魔術であり、今ではほぼ全ての組織がこれによって十分な魔力を得ている。

 ……つまり、現代において魔術師となった人間は、何かしらの組織、あるいは師や仲間による庇護……魔物の供給等を受けなければ、魔性によって死ぬか、魔物へとなり果てるのである。
 当然、『祓除院』や他の魔導組織が、そういった魔術師を拾っては各目的のための尖兵として育てるため、人を失うことは少ないが……時たまに、取りこぼされる不幸な魔術師がいることがある。

 そうして生まれた魔物には、共通する点があった。

 それは、ただひたすらに強いこと。
 それは、不死であること。
 それは、魔術を裂くこと。

 魔術師にとって、それら魔物……「人狼」とは悪夢であり、逃れがたい死である。


 シノさんから教わった知識が脳内でリフレインする。
 人狼。魔術師の天敵。不死の魔物。その爪は魔術を構成する魔力を「破壊」する、文字通りの「魔術師殺し」。その攻撃が今、僕に向けて振り下ろされている。
 
 「最初の最期」が脳内に想起する。僕が終わった死んだとも、始まった生まれ変わったとも言えない、あの廃墟の夜を思い出す。そこから今に至るまでの、幸いな時が一瞬に圧縮される。
 そのフラッシュバックが、僕の意図に関わらず功を奏した。
 死の恐怖を押し流すように溢れた記憶が手足の痺れを解き、身体をオートで動かす。

 左側頭部から降りぬくように迫る爪を、脚を粘土のように崩し、跪く形で回避する。髪の数本が爪に裂かれる。だが、それで攻撃は終わらない。もう一本の腕が、僕を脳天から潰そうと既に振り下ろされていた。空が斬れる独特な音が耳に届く。崩れた脚の再構築まで時間がかかる。
 確かな死を予感して、内臓が冷たく、重く、低く沈むような感覚を覚え──。

「フッ!」
「ガアッ……!?」
 ──視界の端で、ハトさんが人狼に脇腹へ掌底を当てる姿が見えた。

「クレイン君! 急いで離れて! 私が囮になっておくから、トップと合流して!」

 彼女は銀の髪を絹のように揺らしながら、鮮やかな、さながら流れる水のようなしなやかさで打撃を打ち込んでいく。膝、脇腹、鳩尾、股間。人狼の肉体構成が人間のそれと同じであるのかは定かではないが、弱点と思しき部位をひたすらに狙う。
 彼女の拳が、蹴りがぶつかる度、骨と骨がぶつかり合っての音か、魔力と魔力が衝突しての音か、金属音のような甲高い音が響き渡る。人狼は、驚異的な再生能力を有する不死の魔物。であるはずにも関わらず、ハトさんによる攻撃を受けるたびにその顔を苦悶に歪ませ、ガチガチと牙を鳴らした。

「アァッ──!!」
 人狼は標的を僕から彼女に移し、その頭部を掴もうと腕を伸ばす。人間の頭などすっぽりと掴み、潰せてしまいそうなほどに大きな手。しかし、彼女はそれを最低限の脚運びと体の動き、頭の動きで回避し、逆に踏み込んで人狼の懐に潜り込む。
 そして、その毛皮をさながら道着を掴むかのように握る──。

 ──瞬間、人狼は宙を舞った。
 常人の倍はあろうかという巨躯が、その身体を回転させながら飛び、数本の木々をへし折って飛んだ。
 彼女が行ったその動きが何だったのか、僕には判別できない。だが、柔道技やプロレス技ではないだろう。得体の知れない古武術、あるいは魔術と言うべきかもしれない。
 兎も角として、離れる隙はできた。

 実際に戦ったから分かる。それに関しては舐めようがない。
 彼女は強い。今僕がすべきことは、彼女を心配して共に戦うことではなく、トップと合流すること。

 僕は素早く首を回してトップの姿を探し、見つけた。
 瞬間、人間の限界を超えた力を込めてトップの元へ駆ける。
 その過程で骨が砕け、肉が爆ぜるが、次の一歩を踏み出すころには既に治っている。
 
 トップは、二人が戦闘を繰り広げる少し遠くに立っていた。
 素早くその近くに立つと、トップは少し首を傾げて驚いたような仕草を見せた。

「ああ、来たか。クレイン君。マズイことになったね」
「トップ! あれ、人狼ですよね!?」
「うん、そうだね。君もハト君も私も、爪でちょっと引っかかれたら死んでしまう。しかし、今時人狼とは珍しい。欲しいところ……だが、首輪を見るに既に誰かのイヌのようだ」
「何か手は!?」
「あるとも。この森には、アレを倒す手段がある」
 トップはハトさんと人狼が交戦するその向こう……人狼が何かしらを食していた場所を指さした。よく目を凝らして見ると、赤い肉が飛び散った凄惨な光景が見えた。それに強い不快感を覚えたが、何とか喉にクるものを飲み下す。
「あれは、人……ですか?」」
 バラバラにされたのだろうか。大量の血だまりと肉片の中に、まだ僅かに肌色を残した腕の部位が地面に散らばっている。……その傍らに、中身不明のアタッシュケースが置かれていた。
 それを見た瞬間、人狼を打ち倒す手段に思い至る。
「『不死殺しの銀』! あの死体は回収しに来た魔術師ですか!」
「うん。どうやら、ボク達が知らされた時間よりも早く来ていたようだ。銀を探し当て、後は持ち帰るだけのタイミングで人狼に殺されたのか。時間通りに来ていれば殺されなかったかもしれないのに……不幸な存在というのは、どこにでもいるものだね」

 それは、この場にいるボク達もだけど。

 その言葉に、僕はトップの顔を見た。困ったように眉を下げ、口をへの字に歪めている。やはり、この数日間で分かったことではあったが、この人の表情といい言動といい、どこか演技臭い・胡散臭いのは「素」なのだろうか。少なくとも、その表情は初めて見る「困り顔」だった。

「あの銀は、廉価版……。その効果は半分以下、強度も足りていない。武器として使うなら、杭とか弾頭に鋳造して超高速で撃ち込まなければ大した効果が出ない」
「……つまりは、銀をどうにか形にして撃ちだせば、勝機がある?」
 トップは、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべるた。
「その通りだ。そして形を変える道具・撃ちだす武器が無くても、ボクの『属性』でどうにかできる。だが、銀がある向こうへ行くには、人狼の傍を通らなければならない。そこでだ、クレイン君。君、何とか死なないように向こうに行って、銀をこちらに投げて寄越してくれないか?」
「……あの爪、僕でも死にますよね?」
「君の再生能力は魔術によるものだからね。死ぬよ」
 そう言うと、トップは僕の肩をガシリと力強く掴んだ。

「人の進化は試行錯誤と窮地にて成される。君は既に訓練を経て、自身の『属性』に対する試行錯誤を終えただろう? ならば、後は窮地、つまり今だ。……ここで一段ステージを上げていこうじゃないか」


 ──致死の一撃を避ける。内臓破壊を狙って打撃を放つ。
 ……ダメージ無し。
 ──致命の攻撃を躱す。脳震盪狙いで顎を打つ。
 ……少し怯むが、ダメージ無し。

 ハトは人狼の攻撃と気迫に怯むことなく、攻撃を続けていた。狙う箇所は、人体と同じ弱点部位。毛皮と厚い筋肉による装甲をくには、彼女の強化した膂力と技術、速度では火力不足であった。そのため、効くかどうか分からないが、少しでもダメージ痛みを与えるために急所があると思われる箇所を攻撃し続けていた。
 人狼の元が人間である。
 であれば、弱点も人間の頃とそう変わってないはず。
 僅かな希望。それに縋るかのように、拳を、掌底を、手刀を、蹴りを、足刀を、投げを繰り返す。その顔は真剣そのもので、普段見せる余裕のある笑みや喜色は存在しない。それは、普段の彼女を知る者からすれば、信じがたい光景に映ったかもしれない。

 命の取り合い。死合しあい。何も知らぬものからすればそう見えただろう。だが、彼女には人狼を殺す手段わざは無く、人狼の攻撃を僅かでも受ければ彼女は死ぬ。体力と魔力に関しても、極限状態で全身に魔力を漲らせて動き続ける彼女に対して、人狼は僅かな魔力でも埒外の攻撃性能を発揮できる上に、その体力は一向に尽きる気配が無かった。
 自然の摂理、魔の道理によって編まれた不平等の闘争。同じステージに立つことさえ許されないそれに、一番適した言葉は「狩り」であっただろう。狼による鳩狩り。

 だが、彼女もまたトップと同様に、目の前の大敵を殺し得る可能性に気づいていた。

(攻撃を抜けて打撃! 怯んだ隙に銀を取りに──行けない! やっぱり不死! どんなに打ち込んでも、骨にも肉にも内臓にも疲労・損傷なし! 構わず攻撃を続けてくる! いや、うまく銀を取ったところで、その時点では命は絶てない!)

 少しの迷い、恐怖が死に繋がる窮地にて、彼女は判断を迫られていた。
 『属性』の『表出』を行うべきか否か。

 その場合、刃は手に入る。鎧も手に入る。動きはさらに加速し、銀を取りに行ける可能性は上がる。ただ、魔力消費の速度は比にならないほどに加速する上、此方が人狼を引きつけにせず、銀へ手を伸ばしに動いた場合──。

(標的が私から、狩りやすいと判断したクレイン君に移るかもしれない! 最初に攻撃を仕掛けたのも、クレイン君に対してだった! 一応トップと一緒にいるとはいえ、接近戦ではあの二人に勝ち目はない! 一度向かわせてしまえば、その時点で終わり! 二人に動いて取りに行ってもらうのは無理!)
 
 でもきっと、トップなら、状況を察して「逃げ」に舵を切ってくれるはず!
 そうすれば、この場で死ぬのは私だけで済む!

 覚悟を決め、彼女は百何回目の打撃を繰り出そうとして、
「え……」

 此方に駆けてくるクレインの姿を視界に入れた。

 一歩踏み込むたび、飛ぶような速度で前方へと進む。それは文字通り、限界を超えた動き。だが、その速度が人外の。それも人狼の最高速度を上回ることは無い。ハトは自身の横を抜け、前に踏み出そうとする彼を
 
 瞬間、人狼は「待っていた」と言わんばかりに一瞬の隙を見せたハトによる打撃を抜け、ほとんど瞬間移動のような速度で地面を蹴る。敢えて隙を見せたハトではなく、クレインに標的を移したのは、そのままハトに攻撃を仕掛けたとて命をとるまでに至らないと判断したためだった。
 百を超える打撃を食らって、人狼は彼女の実力を見切るに至った。

「クレイン君っ……!」
 その声が届く前に、事は済んだ。

 人狼は腕を振り被り、クレインの首元を裂いた。
 瞬間、真剣に切られたかのようにとその頭部が落ちる。
 胴体はそのことに気づかないかのように走り続け、

「………?」
 人狼は、奇妙な手ごたえを感じていた。
 確かに首を裂いた。にも関わらず、血が噴き出していない。肉を裂いた感触が無い。避けた?あり得ない。首は落ちた。それを確認した。確実に殺した。

 死んだ者は動かない。動くはずがない。生きていないのだから、それは当然だ。
 人狼魔性の中にある当然、自然の摂理が、眼前の光景を「理解できないもの」として処理し、その動きを止めていた。

 、その光景を人狼は理解できなかった。理解できないがために、恐れた。それは、人から変性した魔物故の、半端な知性から来る恐怖であり、「人食いの時代」に人狼が魔術師達に敗れ去った理由であった。

 クレインの胴体は手にしたアタッシュケースを投げた。ケースは弧を描いて人狼の上空を飛び、その向こう側にいる一人の魔術師……『明星』のトップ、シフの手に渡った。

「見事だ、クレイン君。『属性表出』による、肉体の粘土化……。シノ君が君の天職は魔術師と言っていたが、間違いないな」

 『明星』最強の魔術師は、アタッシュケースの中から廉価銀の延べ棒を取り出し、『属性』を通した魔力の放出を始める。

「『属性放出 闇』」

 途端、手にした銀の延べ棒は手から生じた「球形の闇」の中に取り込まれる。
「闇の中は不可視の空間。故に、闇の中では。フフッ、どんな可能性も許容する魔力様様だな」

 人狼はしばらく何が起きたのか分からずに混乱していたが、眼前の魔術師達の中で最も危険性……自分を殺し得る可能性が高い相手が「闇を手にした男」であると判断し、すぐさま殺しにかかろうと動く。
 だが、それを阻むようにハトが立ち塞がる。
「クレイン君、生きてるんだよね!?」
 その言葉に、生首だけとなったクレインが応える。
「……はい。でも、首だけで転がるのはもうゴメンですね」

 ハトは安堵したように微笑み、急激にその身体に纏う魔力量を引き上げる。魔力は青色の光を帯び、それが彼女の脚に、腕に、顔に、水の流れを思わせる青色の紋章を刻んでいく。
 それは、ハトの有する唯一の属性……『水の属性表出』であった。

「やっと戦いになったね!」

 人狼は絶叫し、ハトを排除しようと襲い掛かるが、さながら水の上を滑るかのようなハトのスピードと動きに対応できず、ほとんど倍の威力と攻撃速度となった打撃を全身で受けた。ハトの魔力を通して肉体に浸透する打撃は、人狼の体内の血液や内臓にまで影響を与え始める。
 当然、人狼はそれを再生能力により治癒させるが、身体の奥深くまで影響を与えるその攻撃の全てを帳消しにすることはできず、斜面を滑る濁流のように加速するハトの攻撃に対応できなくなっていった。

「よし、ハト君。そのままだよ。合図したら──」
「こっちで勝手に判断して避ける! 好きにやって!」

 それに呼応するように、球形の闇の中から黒い稲妻を纏って、一本の銀色の杭が姿を現す。シフは、その杭にコートの袖から取り出した一枚の呪符を取り出し、貼り付ける。朱色の墨がどす黒く滲み、纏いつく黒色の稲妻をバチバチと強化した。

「『仮想銃身、暗中構築……装填セット……発射ファイア』!」

 本来は存在しないはずの「杭撃ち銃」により、銀の杭は射出される。
 本来であれば、その速度で飛来する杭を避けること等、人狼にとっては容易いこと。しかし、眼前のハトによる攻撃を凌ぐことに集中する人狼は、自身に向かって飛んでくる銀の杭を防ぐこともできず──、

 シフが撃ちだした銀の杭は、人狼の胸部に深々と突き刺さった。
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