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オルフェウスVSスチュピディティ
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白徽警衛団の最奥廊下。
燭台の火が揺れるたび、金将の護衛官オルフェウス=マクレインの重厚な盾型紋章が、鈍く光を返す。
隊列の最後尾。
殿を務める彼の、すぐ背後に――音もなく、“それ”が立っていた。
スチュピディティ。
真白な髪は長さがバラバラで短い、瞳は開いているのに焦点を結ばない。
ゆるいストライプのパジャマの裾から、白い紙片が雪のように零れ落ちていた。
半径三メートル。
その領域に踏み込んだ瞬間、オルフェウスの思考に、薄い靄がかかる。
「……侵入者か」
声は出た。
だが、その先の戦術が浮かばない。
頭の奥で、何かがぽっかりと抜け落ちる。
スチュピディティが、ゆっくりと右手を上げた。
掌に載った白紙のスクリプトが、ふわりと宙に舞い、オルフェウスの顔へと滑るように迫る。
カチン。
盾が鳴った。
オルフェウスは反射で左腕の巨大な盾を構え、白紙を弾き飛ばす。
紙は空中で粉々に砕け、霧のように消えた。
同時に――彼の脳裏から「盾の構え方」の記憶が、一瞬だけすっぽり抜け落ちる。
(……今、僕は何を……?)
隙は一瞬。
だが、それで十分だった。
スチュピディティの唇が、ぼんやりと動く。
声というより、ただの吐息のような音が、廊下の空気を震わせた。
《ノウリッジ・シャットダウン》
世界が、白くなる。
オルフェウスの視界に、無数の白紙が降り注いだ。
それは紙ではない。彼自身の知識だ。
剣術の型。防御陣形。隊長や仲間達の顔。
自分の名前。
すべてが空白の紙に書き換えられ、皮膚から剥がれ落ちていく。
膝が崩れる。
盾が重い。持ち方がわからない。
――そもそも、なぜ立っていなければならないのかも、わからない。
スチュピディティが一歩、また一歩と近づいてくる。
パジャマの袖が擦れる音だけが、異様に大きく響いた。
(……ダメだ。考えるな。考えたら負ける)
オルフェウスは、歯を食いしばる。
思考を捨てる。
訓練で叩き込まれた“条件反射”だけを、最後の頼み綱として呼び起こした。
白徽警衛団近衛の誓い、第三条。
「隊長に危害を加える者を、たとえ自我を失おうとも討て」
――自我を、失え。
瞬間、オルフェウスの瞳から光が消えた。
代わりに、全身の筋肉が別の生き物のように蠢く。
考えるな。感じるな。
ただ、守れ。
ズン。
盾が地面を叩き、振動が廊下を駆け抜ける。
純粋な防御陣形《不動鉄壁》が、無意識下で展開される。
白紙の嵐が盾にぶつかり、弾かれ、霧散した。
スチュピディティの足が、初めて止まる。
ぼんやりとした表情に、かすかな“違和感”だけが浮かんだ。
オルフェウスは、もはや人間ではなかった。
ただの“守るための機械”。
思考を捨てた代償として、防御本能だけが極限まで研ぎ澄まされている。
盾を振り上げ、そのまま突進。
白紙の嵐を真正面から割り裂き、愚鈍の胸元へと肉薄する。
スチュピディティの白紙スクリプトが、反射的に無数展開される。
触れれば、すべてを空白に塗り潰すはずの紙――だが、オルフェウスの盾に触れた瞬間、逆に弾かれた。
なぜなら、今のオルフェウスには、“触れる思考”そのものが存在しないからだ。
鈍い衝撃音。
盾の縁がスチュピディティの顎を打ち上げ、その身体を吹き飛ばした。
白い体が壁に叩きつけられ、パジャマから大量の白紙が爆ぜるように散る。
「……あ……?」
初めて、スチュピディティが声を上げた。
それは驚愕ではなく、意味を失ったただの空白の響きだった。
オルフェウスは立ち止まらない。
機械仕掛けの兵器のように歩み寄り、再び盾を振り上げる。
最後の一撃で、愚鈍の頭部を叩き潰そうとした、その瞬間――
ふ、と動きが止まった。
空白の奥から、かすかに蘇る記憶。
隊長の声。
「オルフェウス、君に“考えるな”と言ったことはない。“感じろ”とだけ言った」
……感じる?
盾が、わずかに震える。
機械だった身体に、人間の痛覚がじわりと戻ってくる。
思考が戻る。
同時に、スチュピディティの白紙が、再び彼の頭の中を狙って迫った。
今度は――防げない。
思考が戻った瞬間、その思考ごと空白に喰われる。
それでも、オルフェウスは笑った。
今度は、はっきりと。
「悪いな。僕は“考える”のも“感じる”のも、両方やる主義でね」
盾を、捨てた。
両手を広げ、そのままスチュピディティを抱きしめるように組みつく。
白紙が全身に張り付き、知識が、記憶が、名前が――すべてが剥がれ落ちていく。
その刹那。
オルフェウスの胸の紋章が、眩い光を放った。
白徽警衛団の誓約紋。
「我らに与えられたるは、守るべきもののために命を賭す権利」
光が爆ぜる。
圧倒的な意志の輝きが、スチュピディティの内側にまで流れ込み、空白を焼き払う。
白紙が燃え落ち、黒い灰に変わってゆく。
愚鈍の瞳に、初めて“理解”に似た色が宿った。
「……あ……ああ……?」
自分に欠けていたものの輪郭だけを、ようやく掴んだような、そんな声。
オルフェウスは倒れながら、最後にかすれた声で呟く。
「考えすぎるな。……たまには、馬鹿になれよ」
廊下に、静寂が戻る。
倒れた二人の周囲に、白い灰だけが、雪のように降り積もっていた。
金将の護衛官は、最後まで隊長を守り抜いた。
思考を捨て、思考を取り戻し――そして、愚鈍を抱きしめることで。
燭台の火が揺れるたび、金将の護衛官オルフェウス=マクレインの重厚な盾型紋章が、鈍く光を返す。
隊列の最後尾。
殿を務める彼の、すぐ背後に――音もなく、“それ”が立っていた。
スチュピディティ。
真白な髪は長さがバラバラで短い、瞳は開いているのに焦点を結ばない。
ゆるいストライプのパジャマの裾から、白い紙片が雪のように零れ落ちていた。
半径三メートル。
その領域に踏み込んだ瞬間、オルフェウスの思考に、薄い靄がかかる。
「……侵入者か」
声は出た。
だが、その先の戦術が浮かばない。
頭の奥で、何かがぽっかりと抜け落ちる。
スチュピディティが、ゆっくりと右手を上げた。
掌に載った白紙のスクリプトが、ふわりと宙に舞い、オルフェウスの顔へと滑るように迫る。
カチン。
盾が鳴った。
オルフェウスは反射で左腕の巨大な盾を構え、白紙を弾き飛ばす。
紙は空中で粉々に砕け、霧のように消えた。
同時に――彼の脳裏から「盾の構え方」の記憶が、一瞬だけすっぽり抜け落ちる。
(……今、僕は何を……?)
隙は一瞬。
だが、それで十分だった。
スチュピディティの唇が、ぼんやりと動く。
声というより、ただの吐息のような音が、廊下の空気を震わせた。
《ノウリッジ・シャットダウン》
世界が、白くなる。
オルフェウスの視界に、無数の白紙が降り注いだ。
それは紙ではない。彼自身の知識だ。
剣術の型。防御陣形。隊長や仲間達の顔。
自分の名前。
すべてが空白の紙に書き換えられ、皮膚から剥がれ落ちていく。
膝が崩れる。
盾が重い。持ち方がわからない。
――そもそも、なぜ立っていなければならないのかも、わからない。
スチュピディティが一歩、また一歩と近づいてくる。
パジャマの袖が擦れる音だけが、異様に大きく響いた。
(……ダメだ。考えるな。考えたら負ける)
オルフェウスは、歯を食いしばる。
思考を捨てる。
訓練で叩き込まれた“条件反射”だけを、最後の頼み綱として呼び起こした。
白徽警衛団近衛の誓い、第三条。
「隊長に危害を加える者を、たとえ自我を失おうとも討て」
――自我を、失え。
瞬間、オルフェウスの瞳から光が消えた。
代わりに、全身の筋肉が別の生き物のように蠢く。
考えるな。感じるな。
ただ、守れ。
ズン。
盾が地面を叩き、振動が廊下を駆け抜ける。
純粋な防御陣形《不動鉄壁》が、無意識下で展開される。
白紙の嵐が盾にぶつかり、弾かれ、霧散した。
スチュピディティの足が、初めて止まる。
ぼんやりとした表情に、かすかな“違和感”だけが浮かんだ。
オルフェウスは、もはや人間ではなかった。
ただの“守るための機械”。
思考を捨てた代償として、防御本能だけが極限まで研ぎ澄まされている。
盾を振り上げ、そのまま突進。
白紙の嵐を真正面から割り裂き、愚鈍の胸元へと肉薄する。
スチュピディティの白紙スクリプトが、反射的に無数展開される。
触れれば、すべてを空白に塗り潰すはずの紙――だが、オルフェウスの盾に触れた瞬間、逆に弾かれた。
なぜなら、今のオルフェウスには、“触れる思考”そのものが存在しないからだ。
鈍い衝撃音。
盾の縁がスチュピディティの顎を打ち上げ、その身体を吹き飛ばした。
白い体が壁に叩きつけられ、パジャマから大量の白紙が爆ぜるように散る。
「……あ……?」
初めて、スチュピディティが声を上げた。
それは驚愕ではなく、意味を失ったただの空白の響きだった。
オルフェウスは立ち止まらない。
機械仕掛けの兵器のように歩み寄り、再び盾を振り上げる。
最後の一撃で、愚鈍の頭部を叩き潰そうとした、その瞬間――
ふ、と動きが止まった。
空白の奥から、かすかに蘇る記憶。
隊長の声。
「オルフェウス、君に“考えるな”と言ったことはない。“感じろ”とだけ言った」
……感じる?
盾が、わずかに震える。
機械だった身体に、人間の痛覚がじわりと戻ってくる。
思考が戻る。
同時に、スチュピディティの白紙が、再び彼の頭の中を狙って迫った。
今度は――防げない。
思考が戻った瞬間、その思考ごと空白に喰われる。
それでも、オルフェウスは笑った。
今度は、はっきりと。
「悪いな。僕は“考える”のも“感じる”のも、両方やる主義でね」
盾を、捨てた。
両手を広げ、そのままスチュピディティを抱きしめるように組みつく。
白紙が全身に張り付き、知識が、記憶が、名前が――すべてが剥がれ落ちていく。
その刹那。
オルフェウスの胸の紋章が、眩い光を放った。
白徽警衛団の誓約紋。
「我らに与えられたるは、守るべきもののために命を賭す権利」
光が爆ぜる。
圧倒的な意志の輝きが、スチュピディティの内側にまで流れ込み、空白を焼き払う。
白紙が燃え落ち、黒い灰に変わってゆく。
愚鈍の瞳に、初めて“理解”に似た色が宿った。
「……あ……ああ……?」
自分に欠けていたものの輪郭だけを、ようやく掴んだような、そんな声。
オルフェウスは倒れながら、最後にかすれた声で呟く。
「考えすぎるな。……たまには、馬鹿になれよ」
廊下に、静寂が戻る。
倒れた二人の周囲に、白い灰だけが、雪のように降り積もっていた。
金将の護衛官は、最後まで隊長を守り抜いた。
思考を捨て、思考を取り戻し――そして、愚鈍を抱きしめることで。
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