あの人は私を名前で呼ばない

某千尋

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食事とコーヒー2

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 デザートも食べすっかり胃を満たした私たちは、勅使河原さんの案内でレトロな雰囲気のあるコーヒー専門店に入った。
 店に入った瞬間にふわりと香ばしい香りに包まれた。それだけでこの店が確かにコーヒーの美味しい店なのだとわかる。
 たくさんの種類のコーヒーからマスターのおすすめを聞いて選ぶ。勅使河原さんは慣れているのか、あまり悩まずに選んでいた。

「さて、流石に話を聞かなきゃダメだよね」

 思っていた以上に美味しいコーヒーに驚きながら、いつ切り出すべきか迷う私を知ってか、勅使河原さんから切り出された。私は少し息を吐いて背筋を伸ばした。

「私、高校の時から好きな人がいるの」

「高校?結婚してた相手ではないよね」

 勅使河原さんは目を少し見開いて言った。想像と違ったのだろう。

「……うん。私、告白しないまま卒業しちゃって。大学で離れるから、きっと気持ちが落ち着くと思ってたし、実際落ち着いたと思ってた。だから結婚もした。……けど、気持ちはずっと残っていたみたい。無理矢理忘れたと思い込んでいただけだった。夫はそれに気付いて、離婚を切りだしたの。それで、離婚したあとに久しぶりにその相手に会って確信することになった。全く気持ちが変わってないって。多分、私この先もその人が好きなままだと思う。勅使河原さんは素敵だと思うし、きっと好意は抱くと思う。けど、その人を忘れられる自信がない。私が夫にしたことは本当に不誠実で、酷いことだった。だから、同じことを繰り返したくない」

 言いたいことを言い切って勅使河原さんを見据える。黙って聞いていた勅使河原さんの表情に変化はなく、何を考えているかわからない。
 しばらく見つめ合う形になり、居心地の悪さを感じ始めたとき、勅使河原さんの口が動いた。

「……うん。なるほどね。言いたいことはわかったよ。けど、先のことなんてわからないよね。少なくとも一時は気持ちが落ち着いたと思って結婚までしたんでしょ?結婚相手のことはどうでもいい人ではなかったんでしょ?」

「……それは、そうです。一時はもう好きじゃなくなったと思っていたし、結婚相手だって大事でした。……でも、離婚した後に会った時、驚くくらい気持ちが溢れて……」

「大学の頃はその人と会ってなかったの?」

「いや、たまに何人かで集まって遊んだりもしてましたけど……」

「その時は落ち着いてたんじゃないの?」

「それは……」

 勅使河原さんの指摘に口籠る。言われてみればそうだった。確かに気持ちが落ち着いていた時期もあったのだ。

「でも、そのときは多分好きじゃないって思い込もうとしていたんだと思うんです……」

「うーん……気になるから聞いちゃうけど、なんでそう思い込もうとする必要があったの?大学が別になっても会うくらいには仲良かったんなら、告白してもうまくいったかもしれないのに」

「……それは……私は相手の恋愛対象に絶対ならないと思っていて……」

「それはどうして?」

 私は好きな相手がゆうきであることも女性であることも言わないでおこうと思っていた。勅使河原はゆうきの同僚だし、女性だと言ってしまえば、勘のいい勅使河原はゆうきに結びつけるのではないかと思ったから。
 ゆうきに迷惑をかけることだけはしたくない。

「……それは言いたくないのですが…………」

「ああ、ごめんね。無理に言わせるつもりじゃないよ。ちょっと不思議だなって思っただけ。……でも、この先もその相手とうまくいく見込みがないんだとしたら、他に目を向けてもいいと思うんだけど……俺たちまだ二十五だよ?」

「それはそうなんですけど……。あの……離婚した夫は私が言うのもおかしいけど、本当に素敵な人で……。私にはもったいないくらいだった。なのに、結局彼をそういう意味で好きになれなかった。だから……他の人を好きになる自分が想像できなくて……」

「一生その相手を思い続けるの?これから先何十年も?」

「……わからないです。けど、今は他の人を好きになれないです」

「うん、それはわかった。けど、それは今の話でしょ?先はわからないのにそんなにシャットアウトしてしまうのはもったいない気がするけどね」

 勅使河原さんの指摘は正論で、反論が思いつかない。確かに、私のゆうきへの思いがずっと続くかはわからない。でも、本質はそこではない。

「……私、怖いんです。他の人に目を向けて好意を抱いてうまくいっても、何かの拍子にやっぱり好きなのはその人だって気付いてしまうことが。それで相手の時間を奪ったり、傷つけてしまうことが怖いんです。離婚した夫は、私のせいで二年間を無駄にしたんです」

「……みずきさんの別れた相手は、自分の時間が無駄だったって言ってたの?」

「いや、そうではないんですけど……でも、このままじゃ同じこと繰り返すんじゃないかって言われて、確かにそうだなって……」

「そこまで好きでなくても結婚する人なんていくらでもいるし、大事だったって言えるんだからそれはそんなに後ろめたく思う必要ないような気もするんだけど……みずきさんはそれを不誠実だと感じちゃうってことか」

「……はい」

「うーん、ごめんね。全く納得できないや。好きな人がいて、付き合うならその人じゃなきゃ考えられない、とかならわかるけど、みずきさんその相手に告白するつもりないんでしょ。俺に全く興味ないっていうなら、これ以上は何も言えないけどさ」

 勅使河原さんがふぅっとため息をつく。

「……告白…….」

「そうだよね?さっきの話だと脈がないなら今まで告白しなかった、みたいに聞こえたけど」

「……うん、それはそうなんだけど……何らかの形でけじめはつけないといけないと思って」

「忘れよう、と思って忘れられなかったから引きずってるんだよね?そうしたら、けじめの付け方って告白するしかないんじゃないかなあ」

「……振られるのわかってるのに?」

「けじめをつけるなら、それしかない気がするけど。もしくはもう二度と会わないようにする、とか?でも高校からの友人なんだとしたら、共通の友人も多いだろうし、それは難しいよね」

 勅使河原さんの言うことは何から何まで正しくて、何も反論ができない。私に残された道は玉砕することだけなのか。

「……今まで友人として築いた関係を崩してしまうのが……こわくて」

「あー、なるほどね。けど、みずきさんが十年も好きな相手って、実は好きでしたって言ったことでみずきさんとのこれまでの関係も否定してくるような人なの?もしそうなら俺の方がおすすめなんだけど」

「いえっ!すごく優しい人だから、そんなことは……」

「だったら気持ちを伝えてもいいと思うけどね。ダメでもともとでもさ、すっきりするんじゃないかな。」

 そうかもしれない。
 実のところ、私はグダグタ理由をつけているけれど、結局想いを伝えてはっきり断られることがこわいだけなのだ。臆病なだけなのだ。

 もちろん、これまでの関係が壊れるのが嫌だ、という気持ちがあるのも事実だ。けれど、そんなのは時間が解決してくれるだろうし、なんならななちゃんあたりが上手いこと間に入ってくれるだろう。そんなこと、とうにわかっていた。
 そう考えると、やはりけじめの付け方は一つしかない。隆哉に会ってから色々考えて、けじめをつけるために私の取れる手段がこれしかないことは薄々気付いていた。もう、いい加減決めないといけない。

「……そうですね。告白、してみます」

 そう言うと勅使河原さんはちょっと驚いたような顔をしてから微笑んだ。

「そしたら、もし振られて気持ちが変わったらまたデートしてくれる?」

 思ってもない提案にぎょっとする。

「えっ……でもそんなのいつになるかわからないし、期待させて時間を無駄にさせたくもないし……」

「無駄かどうか判断するのは俺だよ。それに、いつまでも待つ、みたいなことを言うつもりもない。みずきさんの気持ちが変わる頃には俺の気持ちも変わってるかもしれない。けど、今の俺の気持ちとしては、また会いたいなって思ってるからさ、その可能性を残しておくくらいしてもいいんじゃないかな」

「……薄々気付いてたけど、勅使河原さん押し強いよね。合コンのとき、ななちゃんに触発されたみたいなこと言ってたけど嘘でしょ」

 私がそう言うと、勅使河原さんはバレたいたずらを誤魔化す子供のような笑みを浮かべる。

「そりゃ、これでも営業マンですから。押すべきとこは押していかないと、ね」

「何だか騙された気分……」

「みずきさんの話をうんうん聞いてるだけじゃ、このまま二度と会わない、ってここで確定するでしょ。それはまだ保留でいいと思うなぁ」

 覚悟を決めて来たはずなのに、結局勅使河原さんのペースを崩すことはできなかった。
 でも、思っていることは言えたから、勅使河原さんに対して後ろめたさを感じることはもうないだろう。私の話を聞いた上でどういう行動をとるかは勅使河原さんに委ねられるべきことで、私が決めることではない。

 せっかくの美味しいコーヒーをじっくり味わうことなく飲んでしまったことだけ残念に思いつつ、晴れやかな気持ちで勅使河原さんと別れた。
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