あの人は私を名前で呼ばない

某千尋

文字の大きさ
22 / 28

原因と結果 ※ゆうき視点

しおりを挟む
 私が田中を好きになったのはいつだったか。

 最初から印象は良かった。華やかなタイプより素朴なタイプが好みだったから、田中は好みのタイプだった。
 でも、きっと田中は私とは違うから、好きになっても辛いだけだとも思った。

 そう思っていても、好きになることはコントロールできない。
 笑顔が可愛いな、とか、控えめだけど芯はしっかりしてるな、とか、意外とストイックだな、とか。知れば知るほど、惹かれていった。たまにちょっとドジなところなんて、たまらなく可愛いと思った。

 叶わないとわかっていても、十五そこそこの子供は夢を見てしまう。田中から向けられる視線の中に、友情以上のものがあるような気がしていた。もしかして、もしかするんじゃないかと期待していた。
 けれど、私の浮かれてのぼせあがった頭はあっという間に冷やされることになった。

 テスト前の部活禁止期間の放課後のことだったな、と思い出す。
 ななと田中と三人で勉強する予定だった。私は日直だったため、日誌を職員室に持っていき、待ち合わせていた教室に向かった。
 ちょうど教室に入ろうとしたとき、中から二人の話が聞こえてきた。その内容が、どうやら恋愛の話らしいことに気付き、私は入るのをためらった。
 今、中に入ったら、私も恋愛の話をしないといけない。また、嘘をつかないといけない。そう思うと、足を踏み出せなかった。

 私は話題が変わるまで待とうと、教室の外でしばらく待つことにした。
 すると、中からななのはしゃいだ声が聞こえた。

「みずきはどんな人がタイプなのー?」

 私はどきりとした。この時はまだ浮かれた頭を持っていたから、淡い期待があった。けれど、その答えは私に現実を突きつけた。

「うーん……。好きなタイプっていまいちわからないんだけど、私変わった名字の人がいいんだよね。ほら、私の名字って田中じゃん。どこにでもいるし、地味であんまり好きじゃないんだよね。でも変わった名字の人と結婚したら地味名字脱却できるじゃん」

 私は頭が冷えていくのを感じた。だって結婚できるのは異性だから。田中が想定している相手は男なんだと思い知らされ、なんで期待なんてできたんだろうと自分の愚かさを呪った。

 そりゃそうだ。田中は私と違って普通なんだ。
 浮かれていた分、私はひどくショックを受けた。
 自分が普通じゃないことなんてとっくに知っていたはずなのに、愚かな子供は田中の親しい友人に向ける視線を都合よく捉えていたのだ。

 大丈夫、わかっていたはずだ。そう自分に言い聞かせて、自分を落ち着かせた。でもこれ以上田中と男との恋愛の話なんて聞きたくなかった。だから、深呼吸してから、何事もなかったかのように教室に入った。
 私が戻ってきたことに気づいた二人にテストの話を振り話題を変えた。私は今後、田中に恋愛の話は振らないようにしようと決意していた。

 その後ファミレスで勉強をして休憩している時、ななが名前で呼び合うことを提案してきた。
 教室での話を聞いていなかったら、私は田中のことも名前で呼ぶようになっていただろう。
 けれど、その時の私は、田中という名字にこだわった。

 田中と呼べる間は、田中は誰のものにもなっていないということだ。ずっと、田中でいてほしい。

 今思えばよくわからない理由だけど、当時は真剣にそう思っていた。
 ななのことは名前で呼ぶのに、田中のことは頑なに名字で呼び続ける私に田中が違和感を持っていることには気付いていた。でも田中本人がはっきりと聞いてくることはなかった。ななや他の友人には聞かれたが、それには田中って呼ぶのに慣れちゃって、と答えていた。

 それからしばらくして、田中には同級生の彼氏ができた。
 一度自分は対象じゃないことを思い知らされたくせに、この時も大きなショックを受けた。期待していたわけじゃなかったのに、心が張り裂けそうだった。
 でも、これが普通なんだと自分に言い聞かせて、田中にはなんとかおめでとう、という言葉を贈った。多分、笑えていたはずだ。

 この気持ちは、別の大学に進んで物理的な距離ができれば治るものだと、それまでの辛さだと、自分に言い聞かせて高校生活を送った。
 実際、大学に入り、高校の頃より行動範囲が広がってからは、自分と同じ類の人と出会う場に行くことができたから、田中への気持ちはだんだん薄れていった。恋人ができたこともあった。

 けれど、高校の友人の集まりで田中に会う度に、気持ちが治ってないことに気付かされた。

 不毛だ、と思った。

 田中を好きでいても報われることはない。わかっていても、好きだと思う気持ちをなくすことはできなかった。
 他にも魅力的な人はいくらでもいるはずなのに、私の心はずっと田中に奪われたままだった。
 いい加減どうにかしないといけない、さすがに社会人になれば、とうだうだしていたら、田中はあっさりと結婚した。

 私は、田中と呼べなくなった事実に打ちのめされた。田中ではなくなった彼女に会うことが辛くて、私は彼女を避け続けた。
 避け続けて二年経った頃、ななから連絡があった。

「みずきがさー、離婚したんだって。慰める会開くからゆうきもきてね。絶対だよ」

 その時の私の感情は複雑だった。嬉しい、とは違った。二年間諦めようとして、少しずつ気持ちが落ち着いてきていた。もう少し時間が経てば、なんの憂いもなく田中に会えると思っていた。だから、何で今なんだ、と思った。田中が誰のものでもなくなって、またむくむくと気持ちが膨らんできてしまった。

 離婚したからって、田中の恋愛対象が男である以上、私の出番なんてないのに。
 言い聞かせても、心のどこかは間違いなく歓喜していた。
 二年ぶりに会った田中は何も変わっていなかったし、やっぱり私は彼女が好きだった。

 けれど、私は自分の気持ちを打ち明けるつもりはなかったし、レズビアンであることを告げるつもりもなかった。
 なかったのに、バレてしまった。咄嗟に田中は対象ではない、と主張した。田中に私を否定されるのが怖かった。気持ち悪いと思われるのが怖かった。

 だって、私は普通じゃない。
 ずっと、ずっとコンプレックスだった。みんなと同じではないことが。
 世間で受け入れられつつあることは知っていても、それは身近にいないからだと思っていた。我が身に降りかかることがないから、平然と受け入れられるのだ。
 そう思っていた。ななに説教されるまでは。

 私が一番私を差別していた。普通でないことを受け入れられなかったのは、私だった。
 そんな自分から脱却したい。きっと断られるだろう。すぐには立ち直れないだろう。でも、これ以上どうすることもできない自分の性質にうじうじするのは嫌だ。
 私はスマートフォンを取り出し、田中の連絡先をタップした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

お好きになさって下さい、私は一切気にしませんわ

Kouei
恋愛
婚約者のクレマンド様は、いつも私との約束を破ってばかり。 理由は決まって『従妹ライラ様との用事』 誕生日会にすら来なかった彼に、私はついに告げた。 「どうぞ、私以外のご令嬢をエスコートするなり、お出かけするなり、関係を持つなり、お好きになさって下さい。私は一切気にしませんわ」 二人の想いは、重なり合えるのだろうか …… ※他のサイトにも公開しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

幼馴染を溺愛する旦那様の前からは、もう消えてあげることにします

睡蓮
恋愛
「旦那様、もう幼馴染だけを愛されればいいじゃありませんか。私はいらない存在らしいので、静かにいなくなってあげます」

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

処理中です...