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9 後悔先に立たず
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真っ直ぐ研究室まで戻ったユージーンは、扉をくぐってすぐ、ずるずるとその場に座り込んだ。
「まずい、やってしまった」
歩きながら少しずつ冷静さを取り戻し、研究室へ戻る頃にはしでかしたことの意味を理解していた。
完全なる職務放棄。しかも、王から直々に賜った仕事を。
現王は暴君ではないため一回のやらかしで命を取られることまではあるまいと考えるも、ユージーンが放棄したのはかなり重要な仕事ではなかったか、とぐるぐると考えが巡る。
「牢にぶち込まれるのは勘弁なのだが……」
ヴァイツ達がユージーンの無礼な態度を咎めれば、あり得ないことではなかった。彼らは他国といえども王族で、不敬を問われてもおかしくない。
傷心の上に罪人になるかもしれないとは、全く何が起こるか人生わかったもんじゃないな、と半ばやけくそな気持ちになったユージーンは自嘲する。
子供ならばただの癇癪で済まされる話も、大人はそうではない。
みな、さまざまな人と関わる中で失敗したり、己を省みたりしたりして精神を成熟させて大人になっていく。
けれど、ユージーンは人との関わりを避け続けて成長の機会を潰してきたため、精神面が幼いままだった。自分の感情をうまくコントロールできず、年齢を重ねた今でも癇癪を起こしてしまう。
ユージーンは自分のそういう性質を自覚していなかったわけじゃない。
けれど、直す必要性を感じていなかったのだ。ほぼ引きこもりの研究者で、人と深く関わることなどなかったから。
研究棟の研究者達はクセの強い者ばかりで、だからこそいちいち他人の性格的な問題を指摘する者もいなかった。研究棟では、研究結果が全てだった。
ユージーンが知らないところでは権力闘争があったりもしたのだが、一研究員に過ぎず、出世欲のないユージーンには関係のないことだった。
「はぁ……」
大きくため息をついたユージーンはのろのろと立ち上がってすっかり座り慣れた椅子に腰掛ける。
木でできたそれは、さっきまで座っていた柔らかな質の良いソファの座り心地とは比べるべくもない。ユージーンは、今はただの研究者だ。10歩もあれば端から端まで行けてしまう小さな部屋の主でしかない。
吹けば飛ぶような、そんな立場でしかない。
「戻って……謝る?」
今ならまだ取り返しがつくかもしれない。今すぐ彼らの元へ戻り、行動を深く謝罪すればお咎めがなくなるかもしれない。
そう考えても、足は鉛のように重かった。
結局ユージーンは何もできず、その日はずっと研究室に引きこもっていた。
まんじりともせず迎えた翌日。研究室の窓から差し込む光で朝が来たことに気付いたユージーンは、いつ昨日の失態に対する沙汰がくるかと怯えていた。
何もないわけがない。あの場には宮の侍従達も控えていた。ユージーンの粗相はしっかり上に伝わっているはずだった。
コンコン。
扉を叩く音が部屋に鳴り響き、ユージーンはごくりと唾を飲み込んだ。まだ何の覚悟もできていなかった。
けれど、無視するわけにもいかないため、緩慢な動きで扉を振り返ったユージーンは、どうぞと掠れた声を出す。
そして扉の向こうからやってきたのは眉間に深い皺を刻んだ宰相だった。
「……暇なのか、宰相のくせに」
すぐに謝って媚びでもすれば多少お目溢しがあるかもしれないのに、ユージーンの口は相変わらずだった。
「お前は! ……いくら私の甥だといっても、庇えないことだってあるんだぞ」
ユージーンはぐっと唇を噛む。そんなことはユージーンにもわかっていた。わかっていたのにやらかしてしまったことが気まずくて、なにも言えずに俯く。
この国の宰相であるマリウス・ルトファガーはユージーンにとって伯父に当たる。今回の件でユージーンが抜擢された理由の一つには、マリウスの甥であるという部分も考慮されていた。
マリウス自身は、ユージーンの壊滅的な対人コミュニケーション能力を知っていたのでこの話があったときは反対したが、ヘンリックがユージーンなら人間に無礼を働いても獣人には礼を尽くすはずだと太鼓判を押したため最後は頷いたのだ。
学生時代多少なりとも交流があって、人の采配が得意なヘンリックがそう言うのならば大丈夫だろうと。
ところが、昨日宮から来た報告は無礼どころか職務放棄であって、とても許されることではなかった。だからこそ何らかの処罰をするはずだったのだが。
「だが、今回は救われたな。ヴァイツ殿下がお前の失態は不問にするようにおっしゃった」
信じられない、というような顔をして面を上げたユージーンを見てマリウスは息をつく。
「なんでかは私にもわからん。だが、殿下方は引き続きお前の通訳を希望している。続けられるな?」
否やは許さない言い方に、ユージーンはこくりと頷く。
「私からはそれだけだ。この後ここに衣装係を呼んでいるから身なりを整えて二刻後に昨日の部屋まで来い。これ以上がっかりさせるなよ」
そう言ってマリウスが部屋を出て行ったのを確認してからユージーンは大きく息を吐いて項垂れた。
「まずい、やってしまった」
歩きながら少しずつ冷静さを取り戻し、研究室へ戻る頃にはしでかしたことの意味を理解していた。
完全なる職務放棄。しかも、王から直々に賜った仕事を。
現王は暴君ではないため一回のやらかしで命を取られることまではあるまいと考えるも、ユージーンが放棄したのはかなり重要な仕事ではなかったか、とぐるぐると考えが巡る。
「牢にぶち込まれるのは勘弁なのだが……」
ヴァイツ達がユージーンの無礼な態度を咎めれば、あり得ないことではなかった。彼らは他国といえども王族で、不敬を問われてもおかしくない。
傷心の上に罪人になるかもしれないとは、全く何が起こるか人生わかったもんじゃないな、と半ばやけくそな気持ちになったユージーンは自嘲する。
子供ならばただの癇癪で済まされる話も、大人はそうではない。
みな、さまざまな人と関わる中で失敗したり、己を省みたりしたりして精神を成熟させて大人になっていく。
けれど、ユージーンは人との関わりを避け続けて成長の機会を潰してきたため、精神面が幼いままだった。自分の感情をうまくコントロールできず、年齢を重ねた今でも癇癪を起こしてしまう。
ユージーンは自分のそういう性質を自覚していなかったわけじゃない。
けれど、直す必要性を感じていなかったのだ。ほぼ引きこもりの研究者で、人と深く関わることなどなかったから。
研究棟の研究者達はクセの強い者ばかりで、だからこそいちいち他人の性格的な問題を指摘する者もいなかった。研究棟では、研究結果が全てだった。
ユージーンが知らないところでは権力闘争があったりもしたのだが、一研究員に過ぎず、出世欲のないユージーンには関係のないことだった。
「はぁ……」
大きくため息をついたユージーンはのろのろと立ち上がってすっかり座り慣れた椅子に腰掛ける。
木でできたそれは、さっきまで座っていた柔らかな質の良いソファの座り心地とは比べるべくもない。ユージーンは、今はただの研究者だ。10歩もあれば端から端まで行けてしまう小さな部屋の主でしかない。
吹けば飛ぶような、そんな立場でしかない。
「戻って……謝る?」
今ならまだ取り返しがつくかもしれない。今すぐ彼らの元へ戻り、行動を深く謝罪すればお咎めがなくなるかもしれない。
そう考えても、足は鉛のように重かった。
結局ユージーンは何もできず、その日はずっと研究室に引きこもっていた。
まんじりともせず迎えた翌日。研究室の窓から差し込む光で朝が来たことに気付いたユージーンは、いつ昨日の失態に対する沙汰がくるかと怯えていた。
何もないわけがない。あの場には宮の侍従達も控えていた。ユージーンの粗相はしっかり上に伝わっているはずだった。
コンコン。
扉を叩く音が部屋に鳴り響き、ユージーンはごくりと唾を飲み込んだ。まだ何の覚悟もできていなかった。
けれど、無視するわけにもいかないため、緩慢な動きで扉を振り返ったユージーンは、どうぞと掠れた声を出す。
そして扉の向こうからやってきたのは眉間に深い皺を刻んだ宰相だった。
「……暇なのか、宰相のくせに」
すぐに謝って媚びでもすれば多少お目溢しがあるかもしれないのに、ユージーンの口は相変わらずだった。
「お前は! ……いくら私の甥だといっても、庇えないことだってあるんだぞ」
ユージーンはぐっと唇を噛む。そんなことはユージーンにもわかっていた。わかっていたのにやらかしてしまったことが気まずくて、なにも言えずに俯く。
この国の宰相であるマリウス・ルトファガーはユージーンにとって伯父に当たる。今回の件でユージーンが抜擢された理由の一つには、マリウスの甥であるという部分も考慮されていた。
マリウス自身は、ユージーンの壊滅的な対人コミュニケーション能力を知っていたのでこの話があったときは反対したが、ヘンリックがユージーンなら人間に無礼を働いても獣人には礼を尽くすはずだと太鼓判を押したため最後は頷いたのだ。
学生時代多少なりとも交流があって、人の采配が得意なヘンリックがそう言うのならば大丈夫だろうと。
ところが、昨日宮から来た報告は無礼どころか職務放棄であって、とても許されることではなかった。だからこそ何らかの処罰をするはずだったのだが。
「だが、今回は救われたな。ヴァイツ殿下がお前の失態は不問にするようにおっしゃった」
信じられない、というような顔をして面を上げたユージーンを見てマリウスは息をつく。
「なんでかは私にもわからん。だが、殿下方は引き続きお前の通訳を希望している。続けられるな?」
否やは許さない言い方に、ユージーンはこくりと頷く。
「私からはそれだけだ。この後ここに衣装係を呼んでいるから身なりを整えて二刻後に昨日の部屋まで来い。これ以上がっかりさせるなよ」
そう言ってマリウスが部屋を出て行ったのを確認してからユージーンは大きく息を吐いて項垂れた。
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