きさらぎ行きの電車に乗って

よもつひらさか

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十二番線

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 あの女の泣き顔は最高だった。あたしは今でもあの時の優越感を思い出すと、喜びに打ち震える。


 あの日はちょうど今頃と同じ梅雨時期で、雨が降っていた。あたしは、その頃、会社の上司と付き合ってて、上司は週末になると何かと仕事付けて奥さんに嘘をついてあたしの部屋に入り浸るようになっていた。
 最初は、若手ホープでイケメン、しかも、最近結婚したばかりで愛妻家で有名な彼を何とか射止めようと彼に近づいたのだ。すると、いとも簡単に彼は、あたしに堕ちた。


 やっぱり女は顔とスタイルよね。あたしは、自信に満ち溢れていた。一度だけ奥さんと彼が腕を組んで幸せそうに街を歩いていたのを見たのがきっかけだった。はっきり言って、普通の女だった。あたしのほうが、よほど綺麗。彼は何故、あんな地味な女と結婚したのだろう。そう思うと、あたしの悪い虫がうずいた。


 あの女が泣きわめくところを見たい。


 その日からあたしの彼への猛アタックが始まった。飲み会があれば、必ず彼の隣に座り、さりげないボディータッチから始まり、意味深なアイコンタクト、仕事で疲弊している彼にそっと小さなメモにお疲れ様でしたと書いてパソコンの下に忍ばせる。
 自然と彼は、あたしを意識し始めて、頃合いを見計らって告白。そして、深い仲になった。
仕掛けはベタで、ポケットにピアスを忍ばせたり、わざと長い髪の毛を仕込んだり、わざと奥さんと一緒に過ごしているであろう時間に電話したり、メッセージを送ったりした。


 そして、彼がたまたま家に携帯電話を忘れた時に、知っていてわざとメッセージを送ったのだ。
「今夜、うち来るでしょ?あなたの好きな料理作って待ってるから期待してて♡」
そのメッセージの後にわざと、自分の名前を入れた。たぶん、彼は名字だけで登録して会社の同僚を装っているだろうから。
 
 このメッセージを見たのなら、きっと調べるはず。一番あやしいのは、会社の女だって。案の定、疑心暗鬼になっていた奥さんが決定的な証拠をつかんだのだ。
「どうしよ。嫁にバレた。」
「ごめんね。あたし、あなたがあの日、携帯忘れてるなんて知らなくて。」
あたしは知っていて、健気な女を演じ、泣いて見せた。
「いや、俺が悪いんだ。ロックもかけずに、携帯を放置していたから。」
「あたしたち、もうお別れなの?」
潤んだ瞳で彼を見上げると、彼はあたしを抱きしめた。
「そんな訳ないだろう?嫁には上手く誤魔化しておくから。」
そう言うと彼はあたしを押し倒した。
 そんな時、あたしの部屋のチャイムが押された。あたしと彼は動きを止めた。彼は荒い息を吐きながら、裸でインターホンを確認した。
「嘘だろう?佳奈が来た!」
「えっ?奥さん。」
「ヤバイ。どうしよう。」
二人で息を殺していると、チャイムが連打された。
「あなた!居るんでしょ?出てきなさいよ!」
それでも息を殺していると、今度はドアがドンドンと叩かれた。
「女と一緒なんでしょ?早く開けなさいよ!開けろ!」
あたしは笑い出しそうになるのを堪えて、彼を見上げて泣き顔で懇願した。
「あたし、怖いよ。奥さんに帰ってもらって。」
そう言うと彼は慌てて下着と服を着てドアを開けた。
「おい、止めろよ。近所迷惑になるだろ?」
彼は観念してドアを開けた。
「女!どこに居るの?女と話をさせてよ!」
「そんなの居ないよ。ここは同僚の部屋だよ。」
「嘘!同僚って女でしょう?私、見たんだから。メッセージにユキって書いてあったのよ?」
「いやいや、その同僚男で由紀(よしのり)だから、俺が勝手にユキって呼んでるんだよ」
「へえ~、じゃあ同僚のよしのりがあなたの好きな料理作って待ってるわけ?」
「あ、あれはあいつがふざけて・・・」
あたしはそのタイミングで一糸まとわぬ姿で玄関に立った。
奥さんはあたしを驚愕の目で見ると、ようやく彼が気付いて振り向いた。
どう?あたしの体。あなたとは比べ物にならないくらい綺麗でしょ?
彼女の腹は膨れていた。妊娠6か月くらいだろう。彼女の顔は見る見るくしゃくしゃになって、涙が次から次へと頬を伝って醜かった。
「まさかとは思っていたけど、本当に浮気してたなんて。最後まで、信じたかった。」
赤い傘の所為か、彼女の顔は真っ赤に染まっていた。泣きながら彼女は走り出した。
「ま、待って!佳奈!」
彼は彼女を追った。これで全て終わっても良かった。あたしはこの瞬間の為に、あなたと付き合ってきたのだから。


 いつ経験しても、この勝利の瞬間の興奮はたまらない。あたしに手に入らないものは無い。友人の彼氏を寝取った時もみんな同じ顔をして泣いたけど、今回が一番最高だった。最高に醜く泣いてくれてありがとう。あたしはその日を境に会社を辞めた。元々地味な会社だったので何の未練もない。


 その後、あたしは今のIT企業に就職し、すでに二年が経過した。女にとっての二年と言うのは重要なもの。二年もたてばあたしは、会社の中ではおばさんになってしまうのだ。いまだに男というのは、女の価値を年で決める。あたしも以前ほど、会社ではちやほやされることがなくなった。あたしはそれを理解している。そろそろあたしも年貢の納め時かしら?


 あたしは適当なその会社の有望株の男に近付いた。男ってバカな生き物だから、騙すのなんてチョロいわ。あたしの悪い噂にも耳を貸さずに、少し健気な女を演じただけでコロっと騙されてくれて、結婚まで漕ぎつけたのだから。


 顔はイマイチだったけど、仕事はそこそこできたし、高身長、高収入、そしてあたしの願いは何でも叶えてくれる良き夫。あたしも悪い気持ちを起こそうにもすでに年をとりすぎたので、あとは余生と思いながら、平和に幸せに暮らすの。


 そして、過去に泣かせてきた数々の女の顔を思い出しながら。
ご近所さんと優雅に駅前のカフェでお茶をしながら、あたしはぼんやりと雨の雫が滴るガラス越しに外を眺めていた。
「あ、あれ、ご主人じゃない?」
お向かいの奥様に言われて、はっと我に返ると、駅の改札口で困ったように空を見上げる夫を見つけた。
ああ、傘を忘れたのね。どんくさい人。
「本当だわ。傘、忘れたのかしら、あの人。」
その直後、赤い傘を持った女が夫に近付いて行った。
何事か少し話をした後に、その女の赤い傘に夫が入って、どこかへ行ってしまった。
あたしと奥様は、その様子を唖然と見ていると奥様があたしに気を使った。
「あは、やっぱり人違いみたいね?」
そう言うとそそくさとお茶の場を切り上げて帰ってしまった。
許せない。よくもあたしに恥をかかせてくれたわね。
イマイチな顔のくせに。


あたしはまんじりともせずに、イライラしながら夫の帰りを待った。
「ただいま~。」
夫が玄関のカギを開けて帰ってきた。いつもなら駆け寄ってカバンを所定の位置まで持って行き、彼からスーツの上着を受け取り、ハンガーにかけるのが常だが、あたしはダイニングの椅子に腰かけて腕を組んで彼を睨みつけた。
「浮気者!」
あたしは彼にクッションを投げつけた。
「はぁ?いきなり何だよ。浮気者って。意味わかんないよ。」
「見たのよ?駅で。あなた、女の傘に入ってどこか行ったでしょ?」
「何のことだよ。女?今日は同僚とちょっと一杯飲んできただけだけど?」
「嘘!赤い傘の女よ。あなた、駅で雨に降られて困ってたでしょ?」
「ああ、確かに傘は忘れたけど?見てたの?」
「偶然ね。駅前のカフェから。」
「でも、あの後、偶然同僚に会って、止むまでどこかで飲まないかって誘われて。」
「赤い傘の女?同僚って。」
「違うって言ってるだろ?赤い傘の女なんて見てねえよ。しかも同僚は男だし。」
「じゃあ、赤い傘のおかまの同僚?」
「いい加減にしろ!見間違いだろ?もう寝るわ。飯もいらない。」
「あなたに食べさせるご飯なんて作ってるわけないじゃん。」
夫はあたしを睨みつけると、自室の部屋のドアを乱暴に閉めて閉じこもってしまった。
何よ、あたしが奥様の前でどんなに恥をかいたかわかってるの?絶対に許さない。
このあたしが、浮気された女の烙印を押されるなんて。あの女、絶対に正体突き止めてやる。
あの女の生活をめちゃくちゃにしてやらないと気が済まないわ。


 その後も赤い傘の女の影はちらついた。夫の携帯電話の画像、家の近くのコンビニ、そしてついに自宅前にその女は現れた。あたしが、息を巻いてすぐに玄関に出るも、その女の姿はなかった。夫の帰りは徐々に遅くなり、午前様になることも多くなった。


「あの女と会ってるに違いない。いったいどこの女なの?」
あたしはこっそり興信所に女の身辺調査を依頼した。ところが、興信所からは、夫は全くの白だと報告が入った。
「そんなわけないでしょ?あの人、絶対に赤い傘の女と浮気してるんだから!」
役立たずの興信所への依頼は打ち切った。


 いまに見てなさいよ。興信所がダメなら、あたしが突き止めてやるんだから。
そして、あたしは今、決定的な瞬間を目にした。駅で張り込むあたしの目の前にあの赤い傘の女が現れたのだ。あたしは、その女に一言文句を言ってやろうと近付いた時、ちょうど夫が駅の改札口に現れたのだ。すると赤い傘の女は夫に駆け寄り、傘を差したまま、彼にキスをした。
 あたしは目の前が真っ赤になった。許せない。人の夫に、何をしているの?それはあたしのものなのよ?あたしは泣いていた。自尊心はズタズタに引き裂かれてあたしは我を失っていたのだ。


 あたしはバッグに用意していた果物ナイフを、赤い傘の女の背中に突き立てた。女は驚いて振り向いた。赤い傘が宙を舞い、倒れた女越しに驚愕に目を見開いた夫が見えた。
「あたしのものを奪うなんて、絶対に許さないんだからあああああ!」
さらに襲い掛かろうとすると、夫に手を掴まれた。
「何やってんだよ、お前は!」
力いっぱい握られて握力を失った手は刃物を取り落としてしまった。
「わあああああああああん」
あたしはその場に崩れて泣いた。


※※※
男は妻の凶行の参考人として、任意同行を求められ、いかつい男の前に座らされていた。
「妻は病んでいました。」
男はぽつりぽつりと話し始めた。
「妻は、私に愛人が居ると、妄想を抱いていたのです。」
「あなたに心当たりはないのですね?」
「もちろんです。調べていただいたらわかりますが、妻に殺された女性ともまったく面識がありませんし。」
「しかしですね、奥さんは、あなたがその女性とキスしていたところを目撃したと。」
「だから、それが妄想なんです。あの女性は、たまたま私の前を通り過ぎた女性ですし、防犯カメラを見ていただければわかります。私がその女性と、キスしていたか。」
「確かに。駅前の防犯カメラには、その様子はありませんでした。彼女はあなたの前を通り過ぎただけのように見えました。」
「妻は、ずっと赤い傘の女のことばかり言うもので、私はもう、家に帰るのが嫌になってきて、最近ではほとんど彼女の顔も見ずに過ごしてきました。もっと彼女と向き合っていれば、こんなことに・・・。」
男は項垂れた。


※※※
 女は一人、独房で泣いていた。
「なんであたしがこんな目にあわなくちゃならないのぉ?」
高い独房の窓には鉄格子が嵌っている。ひどく惨めな気分になった。ふと、その窓が赤く染まった。
「えっ?」
女が驚いて見上げると、黒い髪の毛が窓にベッタリと貼り付いてきた、
「キャア!」
女は驚いて腰を抜かした。黒い髪の毛の隙間から、確かに目が見えたのだ。
「どうしました?」
独房に刑務官が近付いてきてドア越しにたずねた。
「女、女がいる。赤い傘の女が、窓から覗いてる!」
「そんな、バカな。ここ、三階ですよ?」


※※※
「次のニュースです。昨日午後6時頃、〇〇駅前で通り魔と思われる事件が発生しました。被害者は30代の女性で、犯人の女とは面識はありませんでした。犯人の女は夫の目の前で犯行に及び、赤い傘を差した被害者女性を、浮気相手と勘違いして刺したもようです。女には妄想癖があり、夫と赤い傘の女が浮気をしていると思い込んでおり、現在女は精神鑑定の結果、心神耗弱が認められ医療刑務所に収容される予定です。」


昼休み、女の元の会社の同僚は口々に噂し合っていた。
「嘘、これ、ユキ先輩のことじゃない?」
「うんうん、白石 由紀って、ユキ先輩結婚して白石になったって聞いてたから。間違いない。」
「ねえねえ、これ、赤い傘って言ってるじゃん?やっぱ、呪いかな?」
「まさか・・・」
「だってさ、係長の奥さん、妊娠6か月で自殺しちゃったんでしょ?ユキ先輩が辞めたあとに。」
「うん、確か、大好きだった赤い傘を差して、電車に飛び込んだって聞いた。」
「まさか、恨んで、ユキ先輩のところに出たとか!」
「やだあ、こわーい。」
「でもさあ、ユキ先輩も、自業自得ってところあるよねえ。」
「そうだよね。人の彼氏とか旦那さんばっかりちょっかい出してたもんねえ。」
一際大きな声で、食堂は賑わっていた。


※※※
由紀は一人、電車の中で揺られていた。
あれ?あたし、確か刑務所に居たんじゃなかったっけ?
電車の振動が心地よい。
車窓は雨。
ああ、このままどこか遠くへ、誰も知らない場所へ行きたい。
そして、人生のすべてをやり直したいの。
あたしの人生は、こんなことで終わるはずない。
そうでしょ?
もっともっと華やかな未来があったはず。


「そうね。そして、私と赤ちゃんにも未来はあったはず。」
女の声にはっとして顔をあげると、その女は笑った。
畳んだ赤い傘からは、雫が流れ落ちて、その雫が赤く染まりながら由紀の足元に流れて来た。
震える手で唇を押さえた。
そこには、彼女が立っていた。赤い傘から雫が流れているわけではなかった。
マタニティー服のスカートの中から足を伝って赤い血が流れ落ちて傘を伝って由紀の足元を濡らす。
「次は~きさらぎ~終点きさらぎ駅です。お忘れ物のないようご用意願います。」
車内アナウンスが流れる。
由紀は声も出せずに、目の前の女を見つめている。
すると女は握った掌から小さな飴を彼女の目の前に差し出した。
「食べて?」
たぶん、これは食べてはいけない。
由紀が首を横に振る。
すると女は鬼のような形相になり、無理やり由紀の口をこじ開けて飴をねじ込んで飲み込ませた。
「ねえ、あなた。よもつへぐいって知ってる?あの世の物を食べると、二度と現世に戻れないの。」
由紀は電車に揺られながら、遠のく意識の中、女は赤い傘を差して満面の笑みを浮かべた。


※※※
朝、女は冷たくなっていた。
死因は不明。
ただ、女の口の中からは、あたえたはずもない、赤い小さな飴が見つかった。
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