サンタヤーナの警句

宗像紫雲

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サンタヤーナの警句(第五話)

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                 五

 その晩、隆三は古い友人とカウンターに並んだ。
 友人の名は井坂忠雄--。隆三と同期入社だったが二年半ほどで転職し、今は金融方面の業界紙で働いている。今では昔話と笑い飛ばせるが、常々「上司と合わない」とこぼしていた果ての転職だった。当時は「ハラスメント」などという言葉も概念もなかったし、転職すれば確実に給料は下がった。それでも辞めざるを得なかった彼の境遇を、今でも哀れに思っている。

「どう? ご家族は、お元気にしてる?」
 ビールで乾杯。一気に飲み干した井坂は、会ったこともないはずの隆三の家族の様子を気に掛けた。
「元気なんだか何だかね……。知らせがないから無事にやってるんだろうけどさ……」
「なんだよ知らせもないって--。お前んとこ、同居だろ?」
「子どもも大きくなれば銘々勝手さ……。それでいておっかさんとはうまくやってるようなんだがな……」
 被害妄想なんだか哀愁なんだか、哀れな中高年の自虐ネタに憂き身をやつす。それでいて家族がいることに、こそばゆい安堵を感じている自分をズルいと思った。井坂は確か隆三より三つ年下だが、それでも五十の半ばを過ぎてまだ独身のはずだ。本人がどういうつもりでいるのか聞いたことがないから、当たり障りのない話へ逸らした。

「どう? 仕事……? あっちは大丈夫?」
「結構出てるよ、感染者……」
 今日は暑いですね、寒いですね--。天気の話は万能だ。今ではパンデミックがそれにとって代わっている。テレワークがどうした、時差通勤がどうした……。気のない話の繰り返し。だがそれを通じてひとつはっきりしたことがある。日本中、誰もかもが結構こっそりサボってるんだな--ってことだ。

「ところで今回、うちの雑誌でインフレを特集することになったんだ」
「へぇ~、そりゃおめでとさん」
 井坂は何か言わなきゃ口寂しいとでもいうように合いの手を入れた。
「それで……だ。インフレを語ろうとすると、どうしても為替の問題にぶち当たる。そこで、井坂さんのお知恵を借りたいと思った訳よ」
 二人が席を並べていた頃は、未だバブルの余韻も消えやらず、日本はまだまだ世界へ出ていく気勢を見せていた。バブル期の花形と言えば、ドル円為替のディーラーだ。そんなこともあって、隆三や井坂のような駆け出しですらアメリカ経済がどうたらこうたら、ドル円の予想はなんじゃかんじゃと、得意げに語ったものだった。
 だがそれから月日は経ち、すっかり錆びついた頭で“昔取った杵柄きねづか”を振り上げるのはあまりに心許ない。そこで現職と思わしき旧友の介添かいぞえを頼りにしたのだった。
隆三は本題を切り出すと井坂のコップにビールを継ぎ足し、自分の残りを飲み干した。

「そりゃ随分な大役を仰せつかりまして、誠に栄ですな」
 隆三の依頼を快く引き受けた井坂は、いったん緩めた頬を再び引き締め、真顔で尋ねてきた。
「ところでお前さん、今回のインフレの火付け役を誰だと思ってるの?」
 井坂の反問は意表を突いてきた。そんなの分かり切っているじゃないか。
「そりゃあ、原油価格の上昇と円安が相まって原材料価格が高騰したからだろ?」
 みんなそう言ってるじゃないか。鈍ったといってもそのくらいのたしなみは持ち合わせているつもりだ。まさかそんなところから瀬踏みされるのかと、井坂の問いをいぶかしく思った。
「フン……」
 井坂はそんな隆三の返しを予期していたような視線を向けて、あらかじめ用意したセリフのごとく、こう重ねた。
「違うね」--。
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