サンタヤーナの警句

宗像紫雲

文字の大きさ
6 / 46

サンタヤーナの警句(第六話)

しおりを挟む
                  六

「おまちどうさま。のどぐろの炭火焼でございます」
 店の女将が本日のメインディッシュを運んできた。
 別名アカムツと呼ばれるこの魚は、かつて飲食店には見向きもされず食卓にすら上ることもなく、地元の漁師は海に放り捨てていたという話を聞いたことがある。それがいつの頃か、誰の仕掛けか知らないが、名前を変えて再起を図ったら突然スターダムに上り詰めた。今ではスポットライトを浴びながら颯爽と赤じゅうたんを闊歩する“高級魚”として鎮座している。
 北海道では熊の餌にしかならなかったほっけが大衆酒場でもてはやされ、いつも間にか高級品まで現れたのを思い起こさせる。

「そうだな、何から話そうか……」
 井坂はほろ酔い気分の頭を奮い起こすように、しばし考えを巡らした。
「うん……。先ず“円安”ってやつだけど……。ドルはユーロに対してもポンドや人民元に対しても上がっているから、これはあきらかに“ドルの独歩高”だよ」
 円安はすなわち、円に対してドルが上がるのだからドル高だ。理屈上はそうなる。
「へぇー、じゃ何でそう言わないの?」
「何でだかね……。ホント、こっちが聞きたいよ。俺なんか会社ン中でそう言ってもさ、みんな苦笑いして『ジジイがまた何か言ってるぜ』って顔されるんだよな!」
 井坂は日頃の鬱憤を同期にぶつけるような顔をしてみせた。にもかかわらず、次の瞬間には表情を変え、自分に言い聞かすようにつぶやいた。
「まあ、いろいろあるんだろうなぁ……」
「いろいろって、何が?」
 極めて素朴な問い返しだが、腹に何かを抱えている人物に話を促すための、重要な触媒である。こうした掛け合いが会話に潤いをもたらす。
「例えば、黒田降ろしとか……」
「へぇっ、そんなのあんの?」
「例えばだよ、例えばっ……。俺が知る訳ないじゃん。そんなの……」
 井坂ははずみで口走ったのを悔いるように、慌てて打ち消した。
「たださ……」
 狼狽した彼は落ち着きを取り戻すと、今度はまたしんみりとした顔つきで考え深げに話はじめた。
「普通に考えてさ……、今後の景気後退が懸念される局面で自国の通貨高を喜ぶ国なんて、まず聞いたことがないね。そういう意味では、本当に困っているのは日銀じゃなくて、アメリカの方なんじゃないかな」
 井坂はアメリカの誰が困っているとまでは言わなかったが、隆三も「なるほど。確かにそれはそうだろう」と請け合った。

「だけど、何でそれで“ドル高”が“円安”になるの?」
 話が横道に逸れかけた。雰囲気に乗ってこのままはぐらかされないよう、隆三は話の筋を元に戻した。
「まあ、単純にドル円が一番うま味があるからじゃないかな。ところがそれにかこつけて日本ダメダメ論を言い散らかして、自分だけいい気になる奴っているじゃん……」
 自分が日本人であることなんかすっかり脇へ置いて、まるで外人気取りで上から目線の物言いをしてくる連中を、井坂は極度にさげすんだ。それこそ“島国根性”丸出しではないか--、というのが井坂の弁だった。
「 あくまで憶測なんだけどね……」

 そこで井坂は話を区切った。自分なりの考えはあるが、それを他人に披露するには少し勇気が要る。その敷居をまたぐか否かで迷っている様子だった。
「長い目で見れば為替は“実質金利”に寄せてくるって話、聞いたことないか?」
「いや、ゴメン」
 そう言われると、隆三は過去の自分の経験がいかに怪しかったかを反省させられる。やはり“餅は餅屋”だ。餅屋になれた井坂を羨ましく思った。 
「実際、今年の3月からドル円相場はアメリカの5年もの実質金利にきれいに連動してきたんだ。そういうときは市場参加者がみんなでトレンドに追随するから、金融当局が介入したところで効果は期待できない」
「……」
 井坂は相手かまわず一気にまくしたてるような口調で、金融記者らしい知見を語り始めた。
「意外に思えるかもしれないけど、為替の市場が金利で動いている間は相場が荒れているとは言わないんだ。むしろ“なご”なんだよね。凪の間はマスコミがなんと騒ごうと、日銀は沈黙を守っていた……」
 話はだんだん難しい方へ向かっている。隆三はなんとか波から振り落とされないようにしがみついた。
「8月に“サマーラリー”と呼ばれる株高があってリスクマネーの動きが活発化したから、ドル円レートもやや円安方向へ下ぶれた。それでもこの基調には沿っていたんだ。流れが変わったのは9月に入ってからなんだよ……」
 井坂は頭の中に実質金利や為替レートの動きを思い描きながら持論を展開している。隆三の中にはそれがないから、付いていくのに難渋した。
「実質金利が下降へ転じたにもかかわらず、円安基調がさらに進んだ。ここに“投機”の動きを見て取ったから、すかさず介入を匂わせはじめたんだと思うね。ここから先はかなり神経質な展開になると思うよ……」

「何かさ、今の話を裏付ける資料とかないの? あるなら分けてくれないか」
「フンっ、ただでか?」
 そういわれれば二の句も告げない。湯水のごとく取材費を使えればいいが、恐らく無理だろう。そんな会社の体質を熟知しているからこそ、井坂は悪びれもせずに隆三を突き放した。
「そのくらい自分でつくれよ。ネットにいろんなデータが上がっているから、自分で拾うんだよ。楽していいなんか記事書けると思うな!」
 隆三は苦笑いするしかなかった。確かに昔はそれが当たり前だった。しかし井坂が今でも職場の部下や後輩に同じような“指導”をしていたとするなら、さぞやパワハラ上司扱いされていることだろう。ひょっとしたら彼もまた、職場に持て余されている身なのかもしれない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

処理中です...