サンタヤーナの警句

宗像紫雲

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サンタヤーナの警句(第七話)

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                 七

「そういえばインフレの話を聞くの忘れてた……」
 自宅の玄関のノブに手をかけた途端、思い出した。井坂との会話の本題はインフレだったはずだ。円安の話は本題へ入る前の前振りに過ぎなかったはずだ。しかし隆三はそれだけでもう“おなか一杯”になってしまった。深堀すれば話は単純でなくなる。話が拡散するのを覚悟の上で深堀りするか、あらかじめ範囲を限定するか--。
 それが問題だ。

「ああっ、そう言えばあっちも……」
 昨日は企画を練るのに時間がかかってドラッグストアに間に合わなかった。今日は井坂と吞んで帰ったから、立ち寄ることすら忘れてしまった。サプリメントの残りが気になる。まあ、飲まなかったからといって健康に支障のあるものではないが、こうしてズルズル忘れていって後になって後悔する--の繰り返し。その度に思い起こす、「継続は力なり!」

「お父さん、お風呂最後だよ」
 リビングの入り口で鉢合わせた下の娘が濡れた髪をバスタオルで拭きながらそういうと、ソファの背もたれから後頭部を突き出している妻のもとへ走り寄った。
「あ~、どこまで行ったぁ?」
「びっくりしちゃったぁ、愛子が二股かけてたなんて……。すごい展開! すっかりイメージ変わっちゃったぁ」
「この間も亮二が美咲にモーションかけたりさぁ、何かドロドロ感満載よね、このドラマ……」
 妻ときたら亭主の帰りなんかに一向気づかず、母娘して撮りだめたテレビドラマのストーリーに打ち興じている。トレンディドラマなんて言葉も今は昔、テレビ界に中高年のオヤジなんか用はないのだろう。もうあといくつか年を重ねれば、朝や昼の情報番組のお得意様になる。それまでは視聴率稼ぎに役立たないし番組スポンサーのターゲット層にもならない、ただの“通りすがり”の関係にある。

 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、立ったままプルトップを開けた。「プシュッ」という音にようやく気付いた妻が振り向いた。
「あら、帰ってたの?」
 まるでどこかのドラマで聞いたようなセリフだった。「うん」と軽く返したら、「外で吞んできたんでしょ?」ととがめだてるような口調で突っ込んできた。
 子どもがまだ小さかった頃は、多少のこと深酒をしても何も言わなかった。それだけ自分も妻も若かったのだろう。ひとつまたひとつと年を経るに従って、妻の監視も厳しくなった。まあ、それだけ亭主の身体を気遣ってくれているのだろうと善意に捉え、有難くお小言を頂戴することにした。

 缶ビールを片手に遠くからテレビの画面を眺めていたが、イケメン俳優がやたらと熱くなって叫んでいるだけで、話の流れがまったく入ってこなかった。ドラマ自体を見るより、母娘の論評を聞いていた方が大体の展開をつかめるようだ。要はいろんな伏線が複雑に絡み合い、どんでん返しに次ぐどんでん返し、ハラハラドキドキ……の繰り返し。リアリティなんかどうでもよくって、とにかく刺激を満たすのが目的のようだ。
 それにしても構成作家というのはよくこうも思いつくものだと感心する。だが半面、作り手も視聴者もそこから何ら得るものはない。だから記憶に残るドラマにも映画作品にも、とんとお目にかかる機会がなくなった。これら映像作品も小説も、ただその場でうっぷんを浄化させ、消費されるためだけに続々と生み出されているように見える。
 ジャン・コクトーがどこかで、「影響力を持つためには、まず何より死ぬことが第一だ。生きている間より死んだ後の方が、言った言葉の影響力は強まる」と言っていた。昔の詩人の言葉は息が長かった。自分が死んだ後のことまで考えながら言葉を綴っていた。ゴッホの絵だって世間に評価されたのは本人が死んだ後のことだった。それが当たり前なのか、今のような消費社会が普通なのか--。それは分からないものの、時代はクルクル回るものだから、今の“当たり前”が一本調子で未来へ続くとは限らない。いつか死者たちの声が、墓場の中から蘇ってくる日を迎えるのかも知れない。
 妻と娘の後姿を眺めながら、隆三は自分に言い聞かせるように、そんなことを思っていた。--。
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