27 / 46
サンタヤーナの警句(第二十七話)
しおりを挟む
二十七
「いいと思ったのになぁ~」
大手町のツインビルを出た途端、鉾田が溜息をついた。
「何が悪いの? いい青年だったじゃないか」
隆三はフォローしたつもりだったが、失望した“乙女”にはまったく響かなかった。
「途中から何を言っているのか分からなくなっちゃった……。もう幻滅! まるで羽柴さんみたいなんだもん」
「オイオイ! 何を言うんだ」
秋の日のようにコロコロ変わる“乙女心”を前に、ただオロオロするばかりの隆三へ向けて、鉾田はいたずらっぽく笑って見せた。
「金利と実需と投機の3要因だけは分かったから、それで記事をまとめます」
きっぱりという鉾田へ、隆三は「うん、頼むよ」と返した。
「企画の最後、どう締めくくるんですか?」
ふと不安げな表情を浮かべた鉾田がおもむろに尋ねた。
特集のメインテーマは「インフレ」。最初のパートは「値上げラッシュ」で、すでに鉾田が記事をまとめた。これに続くのが円安の行方で、こちらも目鼻が付いた。問題は隆三が担当する最後のパートをどう締めくくるかだ。
締め切りまではあと3日--。
「うん。鉾田さんには不評だったけど、さっきの話は得るものが多かった。イメージだけならすでに頭の中に描いてあるんだ」
隆三はいつものように遠い目をしながらそう言った。
「だ・か・ら、それが羽柴さんの悪いところなんですよ! どうして自分独りの世界で企画を進めようとするんですか?」
鉾田はお尻の「ですか」の語気を強くして、隆三をたしなめた。
「ごめんなさい」
一昨日のことを思い出して二の句を告げなかった。
「そうだな……。あくまで仮の題なんだけど、話の順番的にこんなのどうかなぁ? 『インフレ、円安、そして次にくるもの……』」
隆三は空へ向けて諳んじると、くるりと振り返って鉾田を見た。
「常和プランニング株式会社
代表 春日哲也」
会社へ戻ると高橋からのメールが届いていた。住所は西新橋--。話は通してあるから日程だけ調整すればいいともあった。
すぐさま連絡を入れると、秘書が出てきて翌日の夕方なら時間を取れると言った。
「どうする? 行く?」
無駄とは思ったが、義理立てのつもりで一応鉾田も誘ってみた。
「ワタシ、今回はちょっと遠慮しておきます。今日の原稿を先にまとめなくっちゃ……」
黙って独りで出かけたらつむじを曲げるくせして、今度に限って鉾田は二の足を踏んだ。どうせ怪しい筋の者とみたからだろう。
締め切りが迫ってきた。高橋や井坂の話をベースに記事のイメージは描けたが、決定的な要素が欠けている。最後の取材でそれを得られなければ、中身の薄い原稿になる恐れがある。かと言って、これから他の取材先を当たるなど時間的にも無理がある。ここは一発勝負で臨まねばならない。
教えられた住所には八階建ての古ぼけた雑居ビルが建っていた。入口の脇に張られたプレートに、入居者の社名がはめ込んであった。半ば消えかかった印字を目で追って、常和プランニングが最上階を占めているのを知った。
「本当にここで間違いないだろうか?」
高橋からメールをもらった段階で気づくべきだった。怪しげな建物に怪しげな社名--。いったい何のプランニングをするというのか--? 現場を見るにつけ、これから会いに行く相手の得体に知れなさが実感をともなってひしひしと湧いてきた。すると突き当りのエレベーターが開いて、そそくさと出て行く人物とすれ違った。
「あれっ? 井坂じゃないか……」
「えっ、あっ? おお……、んじゃっ……」
ひょんなところで鉢合わせた井坂は妙に他人行儀な態度で、隆三を振り払うようにして去って行った。
「何だアイツ、いったいどうしたんだろう……?」
つい先日あったばかりなのに、今日はまるで別人のような旧友の態度を訝しく見送りながら、一基しかないエレベーターに乗った。ガタゴト音を立て、今にも落ちそうな頼りなさで上って行ったエレベーターのドアが開くと、真っ赤な消火栓の扉が目に飛び込んできた。所々が剥げかかったピータイルのフロア、薄汚れた壁、低い天井--。建物は外観に劣らず内側も、かなりの年季が入っていた。
ガランとした廊下の中ほどに、このビルの雰囲気と全く溶け込まないマホガニーの重厚な扉があった。その上に金文字で「常和プランニング」のプレートが掲げられていた。インターフォンがないのでノックして「ゴメンください」と中へと入った。
こけおどしのマホガニーの扉の内側は、スチールの什器に積み上げられた書類の山だった。手前の席にいた秘書の女の娘が半立ちで隆三を迎え入れ、「どうぞ奥へ」と取り次いだ。秘書と奥の部屋は1枚の衝立で仕切られているばかりだ。言われるままに衝立をぐるりと回って奥へと進む。
奥の院といた感じのそこには扉と同じマホガニーの大きな机が陣取り、薄くなった頭髪をしっかりなでつけた初老の男性が椅子に深々腰を掛けていた。
「『月刊 ニコニコジャーナル』の羽柴と申します」
「春日です。どうぞよろしく」
慇懃な挨拶を交わした春日は、「ご趣旨は高橋君から大まかに聞いています。アメリカを軸にした世界情勢のお話をすればよろしいのかな?」と、自分から話を切り出した。
「ええ、今回の企画のメインテーマがインフレなものですから、そうした趣旨に結びつくようなお話をいただければありがたいです」
「そうですな……、ご期待に沿えるかどうか分かりませんが、私に話せることをお話ししましょう」
「いいと思ったのになぁ~」
大手町のツインビルを出た途端、鉾田が溜息をついた。
「何が悪いの? いい青年だったじゃないか」
隆三はフォローしたつもりだったが、失望した“乙女”にはまったく響かなかった。
「途中から何を言っているのか分からなくなっちゃった……。もう幻滅! まるで羽柴さんみたいなんだもん」
「オイオイ! 何を言うんだ」
秋の日のようにコロコロ変わる“乙女心”を前に、ただオロオロするばかりの隆三へ向けて、鉾田はいたずらっぽく笑って見せた。
「金利と実需と投機の3要因だけは分かったから、それで記事をまとめます」
きっぱりという鉾田へ、隆三は「うん、頼むよ」と返した。
「企画の最後、どう締めくくるんですか?」
ふと不安げな表情を浮かべた鉾田がおもむろに尋ねた。
特集のメインテーマは「インフレ」。最初のパートは「値上げラッシュ」で、すでに鉾田が記事をまとめた。これに続くのが円安の行方で、こちらも目鼻が付いた。問題は隆三が担当する最後のパートをどう締めくくるかだ。
締め切りまではあと3日--。
「うん。鉾田さんには不評だったけど、さっきの話は得るものが多かった。イメージだけならすでに頭の中に描いてあるんだ」
隆三はいつものように遠い目をしながらそう言った。
「だ・か・ら、それが羽柴さんの悪いところなんですよ! どうして自分独りの世界で企画を進めようとするんですか?」
鉾田はお尻の「ですか」の語気を強くして、隆三をたしなめた。
「ごめんなさい」
一昨日のことを思い出して二の句を告げなかった。
「そうだな……。あくまで仮の題なんだけど、話の順番的にこんなのどうかなぁ? 『インフレ、円安、そして次にくるもの……』」
隆三は空へ向けて諳んじると、くるりと振り返って鉾田を見た。
「常和プランニング株式会社
代表 春日哲也」
会社へ戻ると高橋からのメールが届いていた。住所は西新橋--。話は通してあるから日程だけ調整すればいいともあった。
すぐさま連絡を入れると、秘書が出てきて翌日の夕方なら時間を取れると言った。
「どうする? 行く?」
無駄とは思ったが、義理立てのつもりで一応鉾田も誘ってみた。
「ワタシ、今回はちょっと遠慮しておきます。今日の原稿を先にまとめなくっちゃ……」
黙って独りで出かけたらつむじを曲げるくせして、今度に限って鉾田は二の足を踏んだ。どうせ怪しい筋の者とみたからだろう。
締め切りが迫ってきた。高橋や井坂の話をベースに記事のイメージは描けたが、決定的な要素が欠けている。最後の取材でそれを得られなければ、中身の薄い原稿になる恐れがある。かと言って、これから他の取材先を当たるなど時間的にも無理がある。ここは一発勝負で臨まねばならない。
教えられた住所には八階建ての古ぼけた雑居ビルが建っていた。入口の脇に張られたプレートに、入居者の社名がはめ込んであった。半ば消えかかった印字を目で追って、常和プランニングが最上階を占めているのを知った。
「本当にここで間違いないだろうか?」
高橋からメールをもらった段階で気づくべきだった。怪しげな建物に怪しげな社名--。いったい何のプランニングをするというのか--? 現場を見るにつけ、これから会いに行く相手の得体に知れなさが実感をともなってひしひしと湧いてきた。すると突き当りのエレベーターが開いて、そそくさと出て行く人物とすれ違った。
「あれっ? 井坂じゃないか……」
「えっ、あっ? おお……、んじゃっ……」
ひょんなところで鉢合わせた井坂は妙に他人行儀な態度で、隆三を振り払うようにして去って行った。
「何だアイツ、いったいどうしたんだろう……?」
つい先日あったばかりなのに、今日はまるで別人のような旧友の態度を訝しく見送りながら、一基しかないエレベーターに乗った。ガタゴト音を立て、今にも落ちそうな頼りなさで上って行ったエレベーターのドアが開くと、真っ赤な消火栓の扉が目に飛び込んできた。所々が剥げかかったピータイルのフロア、薄汚れた壁、低い天井--。建物は外観に劣らず内側も、かなりの年季が入っていた。
ガランとした廊下の中ほどに、このビルの雰囲気と全く溶け込まないマホガニーの重厚な扉があった。その上に金文字で「常和プランニング」のプレートが掲げられていた。インターフォンがないのでノックして「ゴメンください」と中へと入った。
こけおどしのマホガニーの扉の内側は、スチールの什器に積み上げられた書類の山だった。手前の席にいた秘書の女の娘が半立ちで隆三を迎え入れ、「どうぞ奥へ」と取り次いだ。秘書と奥の部屋は1枚の衝立で仕切られているばかりだ。言われるままに衝立をぐるりと回って奥へと進む。
奥の院といた感じのそこには扉と同じマホガニーの大きな机が陣取り、薄くなった頭髪をしっかりなでつけた初老の男性が椅子に深々腰を掛けていた。
「『月刊 ニコニコジャーナル』の羽柴と申します」
「春日です。どうぞよろしく」
慇懃な挨拶を交わした春日は、「ご趣旨は高橋君から大まかに聞いています。アメリカを軸にした世界情勢のお話をすればよろしいのかな?」と、自分から話を切り出した。
「ええ、今回の企画のメインテーマがインフレなものですから、そうした趣旨に結びつくようなお話をいただければありがたいです」
「そうですな……、ご期待に沿えるかどうか分かりませんが、私に話せることをお話ししましょう」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる