サンタヤーナの警句

宗像紫雲

文字の大きさ
34 / 46

サンタヤーナの警句(第三十四話)

しおりを挟む
                三十四

 もう何年も味わうことのなかった徹夜明けのだるい身体にむくんだ顔、充血した目、そして何より重い頭--。
 何だかんだで春日に借りた書籍や資料の大半に目を通した。いずれも第二次大戦後の国際通貨体制に関するものだった。
 それらの内容を概括すれば、こうなる。

 第二次大戦中期の1943年3月、イギリスのジョン・メイナード・ケインズ卿は、崩壊した為替市場を立て直し著しく縮小した世界貿易の再興を図るためにある構想を打ち出した。その4カ月後、今度はアメリカの財務次官補ハリー・デクスター・ホワイトがこれへの対抗案を公表し、有名な「ケインズ=ホワイト論争」へと発展する。

 ケインズは世界中央銀行的な性格を持つ「国際清算同盟」を設立し、加盟各国はそこへ「バンコール勘定」を設け、各国間の決済尻は同勘定の相互振替で行うという制度を提案。もしバンコール勘定が不足した場合は当座貸越で賄うこととし、アメリカによる「金不胎化政策」が再建金本位制崩壊の元凶だったことに鑑み、経常赤字国と黒字国が同等の負担を担う仕組みを描いた。
 これに対するホワイトは各国からの基金拠出を前提とし、必要に応じて基金を貸し付けることで国際流動性を円滑に担保するとした。ケインズ案が金に対する各通貨の交換率に一定の幅を許容し、弾力性をもって適宜変更できるものと設計したのに対し、ホワイトは変動を厳しく制限する強い固定平価主義を主張するなど経常赤字国により厳しい内容を訴えた。
 この相違は当時のイギリスとアメリカの台所事情を色濃く反映していた。二度の大戦の戦場となり満身創痍の状態にあったイギリスは、何を置いても疲弊した経済の立て直しが優先課題だったため、より拡張的な経済政策を念頭に置いた。片や戦争を通じて著しく工業生産力の増したアメリカは、何より安定と秩序を重んじた。

 翌44年の7月、連合国代表がアメリカ北東部ニューハンプシャー州のブレトン・ウッズ・ホテルへ集まり、英米2つの構想を基に戦後通貨秩序の在り方を協議した。議論は白熱したが、両者の構想そのものよりモノを言ったのは豊富な経済力に支えられた“発言力”だった。程度の差はあれいずれの国も、戦後復興にアメリカの協力を仰がざるを得なかったという事情もあって、流れは自然とホワイト案へと傾いた。
 こうしてホワイト案を基調とする「国際通貨基金(IMF)」と「国際復興開発銀行(IBRD)」が設立され、今日の通貨体制の基礎が築かれた。

 ブレトン・ウッズ体制は「IMF体制」とも呼ばれ、「為替相場の安定と競争的為替切り下げの回避」および「多角的支払い制度の確立と外国為替制限の除去」を理念に掲げ発足した。この体制は短期的な経常収支の不均衡には基金で対応するが、根本的にはアメリカ主導型の体制であった。このため協定第4条第1項に「各加盟国の通貨の平価は共通尺度たる金により、または1944年7月1日現在の量目および純分を有する合衆国ドルにより表示する」と規定し、ドルのみを基軸通貨とする金為替本位制とした。金との交換率は34年4月の「金準備法」に定めた「金1オンスにつき35ドル」の平価をそのまま適用し、以後変えることはなかった。

 戦争の痛手は大きく、アメリカを除いて戦勝国も敗戦国も単独での復興は覚束なかった。そこで合衆国国務長官のジョージ・マーシャルは1947年6月に欧州復興計画、いわゆる「マーシャル・プラン」を提唱。ヨーロッパに対する大規模な復興援助を供与する計画を声明した。これに対してソ連は不参加を表明し、却って「モロトフ・プラン」で対抗したため、東西の分断が加速した。
 援助を受けた各国は、経常収支の均衡を取り戻すため管理貿易を強いられた。IMF体制は「外国為替制限の除去」を理念に謳ったが、逆に言えば最初の15年間は中南米の一部諸国を除く各国とも、為替制限を課していたのである。

 1950年代に入ると西ヨーロッパの国々の復興も軌道に乗って、対米輸出が徐々に増えた。すると49年時点で60億ドル近くあったアメリカの経常黒字は徐々に縮小し、52年には対西ヨーロッパで一時赤字へ転落する。この結果、兌換請求に基づく金の流出が相次ぎ、49年時点で約245億ドルあった金準備高は59年6月に200億ドルを割り込んだ。翌60年には対外債務残高が金準備を上回ることとなり、アメリカは債務国へ転落した。
 その危機感は50年代後半から高まり、しばしば「ドルの危機」が叫ばれた。1959年の3月と6月、イェール大学のロバート・トリフィン教授は、IMFを改組してケインズ案同様に国際的な中央銀行の機能を持たせる案を公開。61年には元フランス銀行副総裁のジャック・リュエフがアメリカの赤字は現行通貨制度の欠陥によるものだとし、「金の平価を2倍に引き上げれば対外債務は解消する」と提案したが、金に対するドルの価値を引き下げるこの提案は、「金産出国のソ連と南アフリカを利する」という感情的な抵抗にあって見送られた。

 その一方で、61年に就任したジョン・F・ケネディ大統領は種々のドル防衛策を打ち出すが、どれも弥縫策に終わり、事態の根本的な解決を見ないまま借金はジョンソン、ニクソンへと引き継がれていった。この間、自由金市場では金の投機が起こり、ロンドンの市場では1オンス40・6ドルまで高騰。時代が下るにつれて資本取引の自由化が進み、経常収支に占める貿易収支の割合よりも資本収支の割合が増大していったため、金利に引き寄せられる短資の動きが活発化したのも、ドルにとっては不利に働いた。
 それでもこれらの政権は、いずれも「国際(経常)収支の均衡を図る」というIMF協定の精神を受け継ぎ、何とか赤字を減らそうと努力した。しかし“貧すれば鈍する”である--。袋小路へと追い詰められたアメリカは、「ビナイン・ネグレクト」なる通貨ナショナリズムを唱え始めて国際協調に背を向ける。こうしたアメリカの態度は「ケインズ=ホワイト論争」の頃とは180度変わっていた。
 実際のところドルは1968年3月17日に金の二重価格制が採用された段階で、ドルは事実上の交換停止に追い込まれていたが、71年8月15日、ニクソン政権は公式に金とドルの交換を停止する声明を発し、名実ともに世界の通貨と金のリンクは断ち切られることとなった。

 フランス財務大臣のヴァレリー・ジスカール・デスタンはこれを、「(ブレトン・ウッズ協定の)規則自体のためというより、むしろこのような規則や精神を踏みにじった、きわめて遺憾な行為--このような違反行為に誰一人として異議を唱えることができず、また唱えようともしなかった--があったためであった」と怒りを露わにした。

 それでもドル体制の再建へ向けた様々な提案や提言が各国の通貨当局者や識者から出されたが、アメリカはそのいずれもがえんぜず、むしろ各国へジョン・ミード、ミルトン・フリードマン、ゴッドフリート・ハーバラーら経済学者が推す変動為替相場制を採用するよう誘導した。
 経済学の教科書や参考書はドルの兌換停止後の通貨の混乱を、「こうして世界は変動相場制へ移行した」と記述する。移行したことが良かったのか、混乱は終息したのか、それとも混乱はさらに激しくなったのか、その判断は読み手に“丸投げ”された。
 少なくともこの当時は変動相場制を、「海図なき航海」と呼んだことだけ覚えておきたい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

まなの秘密日記

到冠
大衆娯楽
胸の大きな〇学生の一日を描いた物語です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...