風紋(Sand Ripples)~あの頃だってそうだった~

宗像紫雲

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第六章(十月理事会)

第六章第六節(ブリアン外相)

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                 六

 芳澤は九日、本省からの訓令に基づいてブリアン外相へ面会を求めた。

 今年六十九歳を迎えた老外相は、一九二八年の「ケロッグ・ブリアン協定(パリ不戦条約)」の提唱者の一人であり、名実ともにヨーロッパ外交界の重鎮じゅうちんで通っている。新聞各紙はスペインのレルー外相が国内政局の都合で次回の理事会へは出席しないと報じた。聯盟規約に従うなら、そうした場合に議長の役目は次期議長国のフランスへと回る。もしそうなったら……、果たしてブリアン外相がみずから出席するのか、次席のルネ・マシグリをあてるのか――。探りを入れておきたかった。

 関東軍による錦州爆撃の一報は、フランスの新聞の大見出しにも踊った。ブリアン外相は明らかに浮かない顔をして現れたが、爆撃についてはとくに言及しなかった。
 芳澤は九月の決議に際して日本政府が声明した基本方針に変更がない旨を告げた一方で、満州には未だに敗残兵や馬賊が跳梁跋扈ちょうりょうばっこし、華人住民だろうが日鮮人だろうが見境なく掠奪りゃくだつ、強姦、放火などを繰り返していると、同地の混乱ぶりを高唱こうしょうした。
 それに加えて民国代表は九月理事会において、「日本軍が付属地へ撤退すれば日本側居留民の保護に任ずる」と誓約したが、揚子江流域の情勢は険悪化けんあくか一途いっと辿たどっている。それにもかかわらず民国政府は一向に排日運動を取り締まろうとせず、日本の居留民たちは生命財産の危険にさらされているなど、滔々とうとうと訴えかけた。

「そこで飛行機による爆撃や駆逐艦の派遣に及んだという訳ですな」
 老外相はチクリと皮肉を言って、日本軍の行動を非難した。
「それらはの国に騒乱そうらん騒動そうどうが起こった際に列強諸国がとってきた慣例の範囲を出るものではありません。我が国だけがやり玉に上げられるのはうなけません」
砲艦外交ほうかんがいこうは過去のものです」
 蒋介石の北伐ほくばつにともなって南京に騒乱が発生し、英・米両国が揚子江へ軍艦を派遣したのはつい四年前のこと。しかもこのとき両軍は、南京市街を砲撃している。これに反して日本軍は同ように艦艇を派遣しながら一切の手出しをしなかった。四年前に“”とされたものが、何の前触まえぶれもなく今度は“”とされた。この矛盾を誰か説明して欲しい。

「ところで、十四日の理事会には外相自らご出席されるご予定ですか」
 本日の本題はこれである。芳澤はそれとなく水を向けてみた。
「実はまだ自分が行くべきか否か、決めかねているところなのです。場合によってはマシグリを代理として行かせることも考えております」
 老外相は柔和にゅうわな笑みを浮かべながら答えた。どうやら今日は収穫なしのようだ。芳澤の顔にそう書いてあるのを見て、ブリアン外相は慈悲じひの心からねぎらいを言った。
「ご安心ください。日本のお立場はよく理解しているつもりです」
 
 ブリアン外相はこのとき芳澤に「自分が出るかどうかはまだ決めていない」と語ったが、錦州きんしゅう爆撃事件を深刻に受け止めたドラモンド総長は、英仏をはじめ欧州各国の外相へ次回理事会には是非とも出席するよう働きかけていた。
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