君に咲く花

有箱

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 翌朝、先に目覚めたのはシンだった。第一に、赤く乾いた手首に目を遣る。
 カノンは美しい顔で、まだ眠っている。

 カノンの起床時間は、不規則だ。シンは何時も9時頃に目覚めるが、カノンは体調の変化が著しく、一律していない。

 しかしシンが動くと、気配にカノンが目覚めた。白過ぎる位白い肌は、いつもと同じ位病的だ。

「……お早うシン、よく眠れた?」

 優しい声色の中の弱さに、シンは気付いた。起床時間も重なって、直ぐに悟る。

「ありがとう、体調悪い?」
「ちょっとね」

 カノンはベッドに体を委ねたまま、目線だけをシンへ向ける。

「ご飯は?」
「少しだけ欲しいな」
「じゃあ作ってくる」

 シンはベッドに付着した、少し褪せた血を横目に、キッチンへと向かった。



 食事を終えて暫くすると、チャイムが鳴った。

 カノンは再度シーツに埋まっていて、眠っていたため、シンはリビングにて一人で居た。
 備え付けのインターホンにて、相手を伺う。

『はい』
『お早うございます』

 声色だけで、相手が誰か分かった。
 その為すぐに、来客を部屋に招いた。





 玄関を跨いだのは、医師服を来た男だった。茶髪で楕円の眼鏡をかけたこの男は、エルという。

「カノンくんは?」
「寝てる」
「…寝室ですね」

 エルは医師だ。通院していた時に、知り合った。カノンやシンの携わっていた科とは違う所属の医者だが、知識は豊富で頼りになる。

 シンの要望で、こうして定期的に家に訪れては、カノンの容態を確認していた。

「入りますよー」

 小さな、声をかけてから入室する。因みにシンは、リビングにて待機している。

「エルさん、おはよう」
「お早うございますカノンくん、調子はどうですか?」
「平気だよ」

 エルは、まだ真新しい染みや傷に目を遣りながらも、指摘一つ入れなかった。

 勿論はじめは咎めたが、これが二人の有り方だと知ってから止めなくなった。何より、合意の下である事は大きい。

「起き上がれます?」
「うん」

 エルは鞄から聴診器を取り出し、装着する。カノンは、言われずとも服を捲くった。

 細い体に、幾多の傷が目立つ。エルは、新しい傷が無い事だけを確認すると、聴診器を軽く当てた。

「問題ないですね、じゃあ輸血しますか」
「はい」

 カノンは、常に貧血を患っている。それなのに構わず血を流す為、輸血は必須になる。

 かと言って、二人のサイクル自体を止めなければ、いつかは命に危険が及ぶと、医者であるエルだけは知っていた。

「最近また増えてます?」
「そう?普通だよ」
「…苦しくなったら、言って下さいね」
「ありがとう、でもシンが自分傷つけちゃうのは見たくないから」

 カノンはシンを恐怖から守る事が出来れば、それで良いと思っていた。血を流し続ける一生となっても、構わないと覚悟していた。
 寧ろ、救えるならば、それで満足だ。



 二人の住む家は、兎に角音が無い。アパートに住んでいる事から、必然的に聞こえてくる音はあるが、テレビもラジオもなく、携帯も常にマナーモードで窓も締め切ってある為、極力音は遮断されている状態にある。
 その為、音だけで、居場所や動きが大方把握できる。



 エルが帰宅した後、シンはすぐにカノンの元へと行った。少し離れているだけで何だか物寂しくなってしまい、直ぐに体が向かってしまうのだ。

「シン」

 やって来たシンの次なる行動を見据えて、カノンはゆっくりと両手を広げた。

 シンはその胸に、自分を委ねる。背中には、大きく腕を回した。
 密着したまま、その耳元へ言葉を落とす。

「どうだって?」
「問題ないって」
「そうか」

 そのまま言葉も交わさずに、体温を分かち合った。



 朝起きて共に食事し、同じ場所で無言のまま、時だけを共にする。それが二人の日常だ。

 食料や日用品が切れたら、その時だけ外に出て、時々エルがやってきては、カノンを見てくれる。



 秋の季節はとても短く、気が付けば冬だと自覚する位、気温の低い日が続いていた。
 昨日からの暴風が、まだ続いている模様だ。  

「寒い」

 同じ毛布の中にいて、既に抱きつかれたままの体勢で、カノンが呟く。

「カーディガン取って」

 頼まれシンが動くと、何枚も重ねた毛布の中に、容赦なく冷たい風が入り込んできた。つい身震いしてしまう。シンも寒さを感じて、両肩を抱き摩った。

 オレンジ色のカーディガンが優しく、起き上がったカノンに乗せられる。まるで、その場所だけに色が宿ったかのような錯覚に陥りそうな、濃い色だ。

「ありがとう」
「…今日寒いね」
「暖房付けようか」

 眠っている間は、風を沸かせる音を気にし、空調機器は稼動させないようにしている。出来るだけ熟睡出来るようにと、二人で決めた。

「良いよ、直ぐご飯行くし」
「分かった、じゃあ付けない」
「にしても、冬だなー」

 シンは寒さを主張するカノンの為に、携帯で天気予報を見てみたが、最近の気温の平均自体知らない事に気付き、直ぐに画面を閉じた。

 しかし桁が一つしかなく、それだけで低いのだろうとは理解できた。



「買い物行ってくる、何かいる?」

 食後、冷蔵庫に視線を合わせたシンが問いかける。
 食料が底を尽きそうになっていた為、昨日の時点で買い物に行こうと決めていた。それはカノンも、了解済みだ。

「薬の予備、買っておいて欲しいかも」

 故に、薬の残り数を、昨夜数えておいた。

「分かった」

 用件を聞き終わるなりシンは、直ぐに外へと行ってしまった。

 一人家に残ったカノンは、久しぶりに景色でも見ようと寝室へと向かった。

 寝室には小さいがベランダがあり、そこから――少し遠くにあるが―――青々しい海が見える。
 自力で遠くにいけないカノンは、こうして時々遠くの景色に思いを馳せるのだ。

 しかし、立ち上がろうとして眩む。反射的に、机を支えに踏み止まったが、頭がぐらぐらしてしまい、足元もどこか覚束ない。
 そのまま、カノンは気を失ってしまった。



 シンは行き付けのスーパーで、一人肩を窄め歩いていた。
 このスーパーには薬品売り場も備わっており、今はカノンが普段使っている薬品を探していた。

 周りの視線が気になる。どこからか聞こえてくる話し声や、笑い声が気になる。ありふれた音も、緊張状態に更に追い討ちをかけてくる。

 殆どの客が食材売り場へと流れていて、薬品売り場にはほんの1,2人の影しかないのに、それでも安心して歩けない。

 シンは目的の薬を見つけると、数箱買い物籠に放り込みレジへと早歩きした。



 目覚めると、景色が低くなっていた。だが、場所に変化は無いと、直ぐに理解する。
 カノンは至って冷静に立ち上がり、寒さから無意識にカーディガンの袖を伸ばす。

 恐らく、僅かな時間であったが、冷えてしまったらしく寒気が止まらない。カノンは、小さな溜め息をついた。

 最近、倒れる頻度が明らかに増えた。シンと知り合う前や知り合った後も、こうして急に倒れる事があり、慣れてはいる。けれど、自覚できるほど増えた。

 原因は、明白だ。

 カノンは裾に隠れた傷跡を、見透かすように見た。



 帰宅時は地獄だ。どこからとも無く大きな物音が聞こえてきて、心を揺さ振る。皿が落ちて割れる音、風に植木鉢が押されて倒れる音。今日は特に酷い。

 車は、免許自体を取得しておらず、自転車にも乗れなかった為、必然的に移動は徒歩になる。

 シンはまだはっきりと残っている、昔の出来事を思い出して、苦しさに息を早くしてゆく。
 手首に勢いよく噛み付きたくなる衝動に襲われたが、カノンの言葉を思い出して留まる。

 その代わりに、集中力を¨帰宅¨の一点に向け、シンは走った。



 カノンは貧血状態から抜けるため、薬を服用しベッドに横になっていた。
 シンが帰宅するまでに、少しでも体を元に戻せるように――――。

 考えていると、バタバタと忙しげな足音が耳に届いた。その勢いのまま、寝室の扉もせわしく開く。

「おかえり」

 返事もないままシンは、横になるカノンの、首の後ろに手を回し抱いた。着たままの、コートの羽根が頬を擽る。

「…今日も大変だったね、ありがとう」

 シンは震えている。しかし、寒さからではない。また恐怖しているのだ。
 原因を、カノンは知らない。けれどそれでも、求める物さえ知っていればカノンは十分だった。

「良いよ、シン」

 承諾されシンは、無心で耳に噛み付く。僅かに広がる血の味が、少しずつ心を満たしてゆく。



「…熱くない?」

 思考を放棄して天井を見詰めていたカノンは、平常通りの声色に我に返った。

「落ち着いた?」

まだ傷を舐めているシンの顔も見えないまま、微笑んでみせる。そこで漸く、シンが顔を上げ首肯した。

「……風邪引いたか?」
「熱出てる?」
「熱い、気がする」

 額同士を合わせたり、首筋に触れたりして、シンは体温を確認する。

「辛い?」
「ううん大丈夫、多分いつものだよ」
「そうか」

 いつもの。と言われて、シンは体調不良を浮かべる。平然と見過ごせるようになるくらいには、カノンは頻繁に体調を崩すのだ。
 寧ろ、万全の時の方が少ない位だろう。

「薬持ってくる、熱下げるやつ」
「ありがとう」

 二人の間には何時だって不安要素があり、それを互いが拭う形を続けている。

 ――――この先も、ずっと。
 なんて、シンもカノンも、そんな安易な想像は一度もした事は無かった。
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