君に咲く花

有箱

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「…顔青いですが、大丈夫ですか?」

 エルの表情は、今日も不安げだ。笑顔でありながら、心配の色がはっきりしている。

「…今週に入って、何回倒れました?」
「うーん、4回位かな?増えてるよね」

 カノンの、控え目な笑顔で思い出す仕草から、見えた事実にエルは軽い溜め息を漏らす。

「……記録してないんですね…」
「うん、もう面倒になってきちゃって、御免なさい」

 当初エルから、不調の具合等を記録するように言われていたのだが、その頻度が多くなり、何時の間にかやめてしまった。

 エルは、白いシャツの腕部分に滲む、濁った赤色を何気なく一瞥した。

「……心配ですねぇ」
「ありがとう、エルさんは優しいね」
「普通ですよ、減らすようにシンくんに言いましょうか?」

 明確な内容は無くともカノンには、何について言及しているのか直ぐに分かった。

「良いの、シンも辛いんだから。僕が出来る事これ位だし」

 カノンは腕を軽く上げて、笑って見せる。

 エルは苦笑いして、何やら記入していた二つ折りのファイルを、折りたたみ鞄へ片付けた。

「じゃあ、行きますね」
「今日も有り難う御座いました」

 後方で静かな息をするカノンの、どこか幸せそうな顔を一瞥して、エルは無意識に眉間の間、皺を寄せた。



「お早うシン、よく眠れた?」

 今日は、カノンの方が早起きだった。
 家事に勤しんでいたのか手の平が濡れていて、白いシャツにも、もこもこしたカーディガンにも水が滲んでいる。

 腹部の布の先、透けて見える傷の色に見惚れてしまう。

「寝れた、カノンは早起きだな」
「今日は早く起きたんだ、それより見て」

 閉じていたカーテンを大きく開くと、眩しい光が差し込めた。反射的にシンは、目を細める。
 しかし、カノンの求める物の理解に努める為、その目を開いた。
 すると窓の外、チラつく雪が見えた。

「今日は雪が降ってるんだよ」
「…寒い訳だ…」

 雪を見たからかシンは寒気を自覚して、かかっていた毛布を纏めて手繰り寄せる。
 そしてから、小さく手招きした。
 カノンは誘われて、毛布の中に入り込む。

「冷えてる、服着替えなきゃ」

 毛布の中で濡れた部分に触れると、既に冷気に冷やされ冷たくなっていた。
 そのまま服を捲くり、直接腹部から胸部へと指先を這わせてゆく。

「この後着替えるよ、それより今日は温かいもの作ってよ、お腹すいた」
「分かった」

 シンは直ぐに手を離すと、毛布を極力揺らさないように外に出た。
 部屋は暖房が付けられて居らず、とても静かだ。しかしその分、部屋内はとても寒い。

「暖房付けようか」
「良いよ直ぐ行くし、キッチンは付けたよ」
「分かった」

 シンが扉を潜り姿を消したのを見て、カノンも着替える為毛布から抜け出た。



 身にしみる寒さから冬を自覚していたが、雪を見ると本格的な深まりを感じる。

 食事すると、対して予定の無かったカノンは、途中だった本を捲くり始めた。
 対してシンは何もせず、カノンをじっと見詰めている。しかし、カノンは気にしない。この過ごし方は、日常的なのだ。

 暖房の力で、部屋は適温になっている。温度保持の為、カーテンは締め切られて雪景色は見えない。



 暫くして、読み終わったカノンが本を閉じた。表紙に外国の風景が使われている、旅行記録を少し誇張し壮大に描いた小説だ。

「終わり?」
「もう何回かめだから、内容覚えちゃって」

 カノンは、苦笑いする。

「エルさんにお願いしようか」
「そうだね」

 本屋は遠くにあり、ネット通販の方法も知らない無知な二人は、本の購入をエルに頼んでいる。

「そう言えば、この間写真集買って来てもらったんだけど、まだ見せてないよね」
「何の?」
「今回は自然現象集めたやつだよ」

 カノンは、好んで旅行記や写真集など、現実に近い内容を扱った本を好んだ。
 自然的に作られる美しい風景や、それを見た人々の感動する姿が堪らなく好きなのだ。

 カノンは写真集を置いた場所を、思い出して立ち上がる。
 するとその体が揺れ、シンの目の前から消えた。
 直ぐに状況を理解したシンは、椅子から立ち直ぐに駆け寄る。

「カノン」
「……はは、大丈夫…」

 抱え上げられたカノンは、力なく笑う。しかし、意識はあっても力は無いのか、抱えられるままだ。

「具合悪い?」
「うーん、そうは思わなかったんだけど、何時ものだよ」
「そうか、ベッドに行こう」

 カノンを両腕に抱いたままシンは立ち上がり、抱え上げ、寝室へと爪先を向けた。



≪エルさん、最近カノンが変≫

 仕事の合間、入っていた電話に対応したエルは、繋がって早々淡々と告げられて声を失う。

「変とは?具体的には何があって思ったんです?」

 正直の所、動揺がエルを襲っていた。しかし、医師をしてきて培った冷静さで、己を静める。

≪よく倒れる≫

 どうやら、シンも気付いたらしい。エルはその事実を知り、心のどこかで安心感を生み出していた。

「……原因、分かってるでしょう?」
≪……うん≫
「少し、減らした方が良いですよ」
≪……うん≫

 しかし彼は、何を考えているのかよく分からない部分がある。それを言ってしまえば、カノンも同じだが。

 二人の過去には一体何があり、どういった経緯があって今に至っているのか、エルは全く想像も出来ない世界に焦点を向ける。
 しかし、考えた所で分かる筈もないので流した。



 数日間、雪は降り続いた。この地域は、よく雪が降る。そして降った際には、よく積もる。
 だがそんな事は、この家には関係ない。
 カーテンで隔てられた部屋は暗くて、景色など見えないのだから。

 寝室のベッドにて、横から細かな息遣いが聞こえ、カノンは目を覚ましていた。
 昨日も、夕方倒れてそれっきりだ。

「…シン…?」

 横を見ると、顔を半分ほど毛布に埋めて、呼吸を荒げるシンの姿が見えた。
 この時ばかりは、普段表情の無いシンも素直に苦痛を見せる。

「大丈夫?シン、シン…!」
「…カノン…怖い…」

 悪夢でも、見たのだろう。恐らく昨夜、日常行為を疎かにしたからだ。
 震えが触れた指先から伝わり、深刻さを物語る。

「ちょっと待って」

 カノンはすぐさま、ベッド脇の小棚の、一番上の引き出しを引いた。
 カッターナイフの刃を数センチ押し上げ、袖を落とした手首に宛がう。

「見て」

 促され、ぎゅっと瞑った瞳を見開くと、ぽたぽたと落ちてくる血液が見えた。直ぐに、傷のある手首を両手で包み、視線の先へと引き寄せる。

 切れ切れの傷から漏れ出す血が流れ出す前に、シンは無心で舐め取り続けた。



「…落ち着いた?…夜、起こしてくれれば良いのに」
「……うん…」

 どちらへの肯定か分からなかったが、カノンは追求を無しにした。

 目の前のシンは、手の平や口元に血を付けながらも、いつも通りの無表情を浮かべている。状態としては、少し額が湿っている程度だ。

「変な夢でも見た?」
「…ちょっとね…」

 何気ない台詞の中に、隠したい気持ちが垣間見え、カノンは直ぐに話を放棄した。

「今何時?」

 シンは、枕元に置いておいた携帯を手繰り寄せ、電源を入れる。すると直ぐに、画面に文字が現れた。

「………えっと、7時24分…・・・」
「そっかー、うーん、もう一眠りしようかな」

 血を見せていた時間を除けば、起床したのはそれより前になる。

 カノンは軽く欠伸して、手当てもなしに再度鼻元まで毛布を被った。
 シンは一連の行動を、唯々じっと見詰めていた。





 ――――血の色は、安らぎの色。

 シンの中でその定義が出来たのは、ずっとずっと昔の話だ。
 思い出したくもない残酷な日々の最後、解放の日に見た真っ赤な血の海を、今も鮮明に思い出す。

 シンは、悪夢の内容を再度思いだしたものの、安らいだ心が傷に泣くことは無かった。
 余程眠かったのか、すっかり熟睡してしまったカノンの白い髪を救っては落とす。

「……綺麗……」

 髪に隠れた傷跡に目を止めて、シンは一人呟いた。
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