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◆
冬は長い。暦の上では他と変わらないのに、秋や春と比べて随分と長く感じる。
「久しぶりに、外に行きたいなぁ」
カーテンの隙間、灰色の空が姿を見せている。落ちる雫は大粒で、音からも威力が分かる位強い。
「雨降ってるよ」
窓ではなく、カノンの手の甲に付いた傷を見詰めて、上の空でシンが言う。
「春になったらだよ。そうだな、桜を見に行こうよ」
無言になるシンの心情を、読み取ったつもりでカノンは笑った。
舌の先が、甲を伝い刺激する。
「…もちろん、誰も居ない所にね」
シンは、人嫌いだ。それは病院に居る頃からで、明らかに人目を避けているのが、遠くから見ていた当時からでも分かった。
理由は分からない。しかし、知る気もない。
「うん」
誰しも、隠しておきたい事の一つや二つあるだろう。暗い過去を引き摺るなら、尚更だ。
自分がそれに、当て嵌まるように。
◆
「お早うカノン」
「…お早う…よく眠れた…?」
今朝方は、シンが先に起床した。振動で目覚めるカノンに気付き、挨拶したところだ。
「寝れたよ」
カノンの右腕には、血がべったりと付いている。袖は捲くられていたが、流れた血が確りと付着していた。
「………良かった」
「調子、悪い?」
「ちょっとね」
シンはカノンの顔色が悪い事に、朝一で気付いていた。
勿論、原因は分かっている。
カノンは少し身震いすると、何度か咳をした。
「…風邪引いちゃったかな」
弱った笑顔で、再度咳をしたカノンを数秒見詰めて、シンは徐に首元に手を当てて体温を測る。同時に、自分の首にももう片方の手の平を当てた。
「熱ある、エルさん呼ぶ?」
変化の無い表情の中の心配を見抜いて、カノンは嬉しさにまた微笑んだ。
「良いよ、大丈夫」
「お粥作る、食べれる?」
「うーん、まだ寝たいかな」
「…分かった」
シンはカノンの意向を受け容れると、生まれた感情の元一人キッチンへと向かった。
◇
シンは入ってすぐ戸棚の前に直行し、上から3段目の引き出しに手をかけていた。キーと少し高い音を立てて、中身を現す。
そこにはナイフやフォーク、スプーン等が、規則正しく並んでいた。
シンは、袖を肩の辺りまで巻くし上げてから、その中のナイフにそっと手を伸ばす。
刃先は鋭く、煌びやかな輝きを見せ付けてくる。
丁度関節よりも少し上辺りに、ナイフを寝かせる形で添え、その部分を凝視したまま、シンはゆっくりと刃を――――引こうとして止めた。
カノンが駄目だと止めていた時の声を、思い出したのだ。
得体の知れない不安感に襲われながらも、シンは必死に、揺れるナイフの先をこれ以上動かさないように留めた。
◇
カノンは少しだけ眠ったが、咳の所為で目覚めてしまっていた。横になったままで、また何度か噎せ返り呼吸を乱す。
頭がくらくらする。何だか視界も霞んでいて、耳鳴りもする。貧血状態にあると自覚できるくらい、体が重い。
「シンー…」
薬が必要だと感じたカノンは、シンを呼ぼうと努める。だが、声量が出ない。
仕方がなく、自分で向かおうと体を持ち上げたが、直ぐにその場で倒れてしまった。
「……カノン?」
近くにいたのか、直ぐにやってきたシンの声が聞こえた。しかし、なんだかくぐもって聞こえる。
「大丈夫か?」
「……シン、薬…」
短時間で重くなった症状を見て、シンも動揺を隠せないのか数秒間絶句する。
いや、朝の時点で重いと分かってはいたが、いつもの事だと流していた。
やはり最近、カノンが可笑しい。
シンは、何気なくも変化している現実に、僅かに冷や汗を浮かべた。
「持って来る」
そこから逃げるように直ぐさま立ち上がり、リビングへと踵を返した。
◆
その後、薬のお陰で熱は引いたが、体調が万全と言えないまま数日が経過した。
「風邪を引いていたなら、どうして呼んで下さらないんですか…」
目の前ベッドに座り込み、服を上げていたカノンの胸元に聴診器を宛がいながら、愁いを帯びた瞳でエルが見詰めている。
聴診器を下げたのを見計らい、カノンはゆっくりと服を下げた。
「でも大丈夫だよ、もう元気だし」
「ですがね、何かあったらどうするんです」
「何もないよ、いつもの事だって」
「それはそうですがね」
エルの声色は、怒りというより悲しみを強く含んでいる。表情からも、よく分かる。
「傷もまた増えてる」
指摘内容からカノンは、数日の間で感じていた異変を口頭に上らせる。
「そうだ、そう言えば最近シンが素っ気無いんだよ」
「素っ気無い?」
「…うん、なんと言うか…なんだろう、分からないけど、変わらないって言えばそうかもしれないんだけど、前よりも距離取る事が増えたって言うか…」
エルは、そう思わせるシンの行動の原因が何と無く分かった気になって、正直の所嬉しくなってしまった。
アドバイスを、受け容れてくれているのかもしれない。
その割りに、傷の減りは見えないが。
「無理してないか心配になるよ」
「それで良いんですよ、今は自分を大切にしてください」
エルの視線は、新たな傷跡に向けられている。まだ新しく、一日も経過していない傷だ。
「エルさんからは、いつも通りに見える?」
点滴セットを手際よく準備する、エルの背中を見詰める。
エルは振り返らず、変わらない声量のまま答えた。
「私には、変わりないように見えますよ」
「…なら大丈夫か」
「腕、良いですか」
求められて、カノンは細く傷だらけの腕を差し出した。
針を見ながらも脳内に浮かぶのは、シンばかりだった。
シンはリビングにて、罪悪感を募らせていた。
癖になってしまい、傷つける行為が一向に止められない。
かといって自分を傷つければ、カノンが悲しい顔をするのは目に見えている。
血の色が足りない。精神が、安定しない。
――目覚めながら、悪夢の日々が蘇ってくる。
シンは自身の体の異変を感じながらも、気持ちだけでどうにか押さえつけた。
◇
「診察、終わりましたよ」
「……どう?」
振り向いたシンの表情は変わらず単調で、エルにはカノンの言う変化がよく分からなかった。
取りあえず、診察の結果について報告する。
「……正直、今回はあまり良くないです、ひとまず病院に行く事をお薦めしたいですね」
「カノンには?」
「言いましたが、笑顔で拒否されました」
輸血後、提案してみたが、拒否されていた。その理由がいつもと同じ、シンを一人にしたくないとの物で、エルはつい苦笑ってしまった。
「まぁ、よくある事なので、今回も大丈夫だとは思うのですが」
シンの無表情とは対照的な明らかな悄然に、シンは目を向けながら何も言わなかった。
カノンが具合を悪くするのは、生活の中にすっかり溶け込んだ日常の一つだ。
それゆえ、過剰な心配をする必要は無いと、エルも心では分かっているつもりだ。しかし、それでも心配してしまうのだ。
「……また来ます」
部屋を出て行ったエルが、玄関の扉を潜る音を耳で聞き取ると、我慢できず、シンは直ぐにカノンの部屋へと向かった。
「あっ、シン、見てこれ、エルさんが本…」
直ぐに抱きすくめられてカノンは、その背に本を持ったまま腕を回した。
「どうしたのー」
その体は冷たくなり、酷く震えている。
「……傷、付けさせて」
「どうぞ」
カノンは、首筋を襲った痛みに目を瞑りながらも、¨やっぱりいつものシンだ¨と、口元に柔らかな笑顔も浮かべていた。
冬は長い。暦の上では他と変わらないのに、秋や春と比べて随分と長く感じる。
「久しぶりに、外に行きたいなぁ」
カーテンの隙間、灰色の空が姿を見せている。落ちる雫は大粒で、音からも威力が分かる位強い。
「雨降ってるよ」
窓ではなく、カノンの手の甲に付いた傷を見詰めて、上の空でシンが言う。
「春になったらだよ。そうだな、桜を見に行こうよ」
無言になるシンの心情を、読み取ったつもりでカノンは笑った。
舌の先が、甲を伝い刺激する。
「…もちろん、誰も居ない所にね」
シンは、人嫌いだ。それは病院に居る頃からで、明らかに人目を避けているのが、遠くから見ていた当時からでも分かった。
理由は分からない。しかし、知る気もない。
「うん」
誰しも、隠しておきたい事の一つや二つあるだろう。暗い過去を引き摺るなら、尚更だ。
自分がそれに、当て嵌まるように。
◆
「お早うカノン」
「…お早う…よく眠れた…?」
今朝方は、シンが先に起床した。振動で目覚めるカノンに気付き、挨拶したところだ。
「寝れたよ」
カノンの右腕には、血がべったりと付いている。袖は捲くられていたが、流れた血が確りと付着していた。
「………良かった」
「調子、悪い?」
「ちょっとね」
シンはカノンの顔色が悪い事に、朝一で気付いていた。
勿論、原因は分かっている。
カノンは少し身震いすると、何度か咳をした。
「…風邪引いちゃったかな」
弱った笑顔で、再度咳をしたカノンを数秒見詰めて、シンは徐に首元に手を当てて体温を測る。同時に、自分の首にももう片方の手の平を当てた。
「熱ある、エルさん呼ぶ?」
変化の無い表情の中の心配を見抜いて、カノンは嬉しさにまた微笑んだ。
「良いよ、大丈夫」
「お粥作る、食べれる?」
「うーん、まだ寝たいかな」
「…分かった」
シンはカノンの意向を受け容れると、生まれた感情の元一人キッチンへと向かった。
◇
シンは入ってすぐ戸棚の前に直行し、上から3段目の引き出しに手をかけていた。キーと少し高い音を立てて、中身を現す。
そこにはナイフやフォーク、スプーン等が、規則正しく並んでいた。
シンは、袖を肩の辺りまで巻くし上げてから、その中のナイフにそっと手を伸ばす。
刃先は鋭く、煌びやかな輝きを見せ付けてくる。
丁度関節よりも少し上辺りに、ナイフを寝かせる形で添え、その部分を凝視したまま、シンはゆっくりと刃を――――引こうとして止めた。
カノンが駄目だと止めていた時の声を、思い出したのだ。
得体の知れない不安感に襲われながらも、シンは必死に、揺れるナイフの先をこれ以上動かさないように留めた。
◇
カノンは少しだけ眠ったが、咳の所為で目覚めてしまっていた。横になったままで、また何度か噎せ返り呼吸を乱す。
頭がくらくらする。何だか視界も霞んでいて、耳鳴りもする。貧血状態にあると自覚できるくらい、体が重い。
「シンー…」
薬が必要だと感じたカノンは、シンを呼ぼうと努める。だが、声量が出ない。
仕方がなく、自分で向かおうと体を持ち上げたが、直ぐにその場で倒れてしまった。
「……カノン?」
近くにいたのか、直ぐにやってきたシンの声が聞こえた。しかし、なんだかくぐもって聞こえる。
「大丈夫か?」
「……シン、薬…」
短時間で重くなった症状を見て、シンも動揺を隠せないのか数秒間絶句する。
いや、朝の時点で重いと分かってはいたが、いつもの事だと流していた。
やはり最近、カノンが可笑しい。
シンは、何気なくも変化している現実に、僅かに冷や汗を浮かべた。
「持って来る」
そこから逃げるように直ぐさま立ち上がり、リビングへと踵を返した。
◆
その後、薬のお陰で熱は引いたが、体調が万全と言えないまま数日が経過した。
「風邪を引いていたなら、どうして呼んで下さらないんですか…」
目の前ベッドに座り込み、服を上げていたカノンの胸元に聴診器を宛がいながら、愁いを帯びた瞳でエルが見詰めている。
聴診器を下げたのを見計らい、カノンはゆっくりと服を下げた。
「でも大丈夫だよ、もう元気だし」
「ですがね、何かあったらどうするんです」
「何もないよ、いつもの事だって」
「それはそうですがね」
エルの声色は、怒りというより悲しみを強く含んでいる。表情からも、よく分かる。
「傷もまた増えてる」
指摘内容からカノンは、数日の間で感じていた異変を口頭に上らせる。
「そうだ、そう言えば最近シンが素っ気無いんだよ」
「素っ気無い?」
「…うん、なんと言うか…なんだろう、分からないけど、変わらないって言えばそうかもしれないんだけど、前よりも距離取る事が増えたって言うか…」
エルは、そう思わせるシンの行動の原因が何と無く分かった気になって、正直の所嬉しくなってしまった。
アドバイスを、受け容れてくれているのかもしれない。
その割りに、傷の減りは見えないが。
「無理してないか心配になるよ」
「それで良いんですよ、今は自分を大切にしてください」
エルの視線は、新たな傷跡に向けられている。まだ新しく、一日も経過していない傷だ。
「エルさんからは、いつも通りに見える?」
点滴セットを手際よく準備する、エルの背中を見詰める。
エルは振り返らず、変わらない声量のまま答えた。
「私には、変わりないように見えますよ」
「…なら大丈夫か」
「腕、良いですか」
求められて、カノンは細く傷だらけの腕を差し出した。
針を見ながらも脳内に浮かぶのは、シンばかりだった。
シンはリビングにて、罪悪感を募らせていた。
癖になってしまい、傷つける行為が一向に止められない。
かといって自分を傷つければ、カノンが悲しい顔をするのは目に見えている。
血の色が足りない。精神が、安定しない。
――目覚めながら、悪夢の日々が蘇ってくる。
シンは自身の体の異変を感じながらも、気持ちだけでどうにか押さえつけた。
◇
「診察、終わりましたよ」
「……どう?」
振り向いたシンの表情は変わらず単調で、エルにはカノンの言う変化がよく分からなかった。
取りあえず、診察の結果について報告する。
「……正直、今回はあまり良くないです、ひとまず病院に行く事をお薦めしたいですね」
「カノンには?」
「言いましたが、笑顔で拒否されました」
輸血後、提案してみたが、拒否されていた。その理由がいつもと同じ、シンを一人にしたくないとの物で、エルはつい苦笑ってしまった。
「まぁ、よくある事なので、今回も大丈夫だとは思うのですが」
シンの無表情とは対照的な明らかな悄然に、シンは目を向けながら何も言わなかった。
カノンが具合を悪くするのは、生活の中にすっかり溶け込んだ日常の一つだ。
それゆえ、過剰な心配をする必要は無いと、エルも心では分かっているつもりだ。しかし、それでも心配してしまうのだ。
「……また来ます」
部屋を出て行ったエルが、玄関の扉を潜る音を耳で聞き取ると、我慢できず、シンは直ぐにカノンの部屋へと向かった。
「あっ、シン、見てこれ、エルさんが本…」
直ぐに抱きすくめられてカノンは、その背に本を持ったまま腕を回した。
「どうしたのー」
その体は冷たくなり、酷く震えている。
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