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◆
長い長い、冬が去ろうとしている。しかし春に近付いた所で、直ぐに寒さが緩和する訳ではない。
やはり、三人の脳内に定着したその通り、風邪は一時的だったらしく、それからも何ら変わらない日々を送っていた。
◇
「お早う、よく眠れた?」
「うん、寝れた」
「良かった」
シンの視線は今日も、腕に出来た傷口に向いている。血が滴り落ち、赤く染まったシーツも交互に見詰める。
「ご飯作る、待っててくれ」
少し枚数が減り軽くなった毛布から、するりと抜け出しベッドを降りる。
「あ、僕も起きる」
その行動を、カノンも追いかけた。
廊下を歩きながら―――横目にチラついたのか、シンがカノンの腕元をじっと見詰めはじめた。
カノンは視線に気付くと、にっこりと微笑み腕を上げる。
「舐めて良い?」
シンは、頷いたカノンの手を取り袖を捲くると、その場で止まり、少し屈んで傷口を舐めた。
しかしそれは、長い時間続く事は無かった。
「もう良いの?」
「うん」
付着していた血を少し舐め取った所で、直ぐにやめてしまったのだ。気分でも変わった、と言わんばかりに。
「何食べたい?」
「そうだなぁ、今日はまだ温かい物かな!」
カノンも最近、シンからの血の要求が減少していることに気付いていた。それでも、勿論頻繁にあるが。
だが、イコールで調子が良いのだと捉える事で、喜びへと転換させていた。
「まだまだ寒いよね~…」
フワフワと髪を揺らして、一歩前に進もうとしたカノンの体が、大きく前のめりに動く。シンは反射的に、細い体を支えた。
「…ごめん」
「ううん」
最近も、こういう事が連続して起こっている。
とは言え、立ち眩みやふら付きを起こしても、カノンの表情は直ぐに柔らかく戻る。
その為、よくある事だと大して気にしないようにしていた。それは本人であるカノンも、横で見ていたシンも同じだ。
「まだ、ちょっと寝る?」
「うん、ご飯食べたら寝る」
これまでも続いてきたように、日々はまだまだ、変化の無い日常を続けてゆく筈だ。
少しずつ、何気なく、壊れている部分はあれど、それなりには。
◇
食後、カノンは寝室に来ていた。どさりとベッドに横になる。
シンの前では気付かれないようにしていたが、ここ最近また体が重い。
と言っても、昔から、長期間に渡り体調を崩し続ける事は大して珍しくない。
その為、シンの前でもエルの前でも、簡単に取り繕う事が出来た。
何気ない寝返りにより、傷口が擦れて痺れる。しかし、その痛みは不快ではなかった。
寧ろ、心地良い。決して痛みに強い訳ではなく、傷をつけられている時もまだ表情は歪む。痛みに対する、恐怖もまだある。
だが心が、傷つけられる行為に満足もしているのだ。
この行為でシンを守れていると思えば、この膨大な傷口も勲章に見える。
――――もう絶対に、誰の死も見たくはないから。
忌まわしい過去の記憶を引き出しながら、カノンは傷跡を、袖の上からそっと撫でた。
◇
シンはリビングにて、カノンの座っていた席を眺めていた。
柔らかい髪も細く白い体も、その白さに映える痛々しい傷跡も、美しい顔立ちで作られる純粋なその笑顔も、シンの心を埋め尽くす。
もう、カノン無しでは生きられない。それは、とうに気付いている。
居なくなってしまったら、また自分は一人ぼっちで苦しむ事になるだろう。
シンは降りてきた想像から逃げる為、ポケットに忍ばせておいた小型のカッターナイフを取り出し、そっとズボンの裾をあげた。
足首には、薄くなった傷跡に紛れて、新しい傷跡が幾つもあった。
◇
夜は何時もの様に、カノンから傷を作り見せてくれる。その行動を、止めようという気にはまだなれない。
血が流れる様子を見ていると安心感が包むし、誘われるように味も求めてしまう。
カノンがどんな表情をしているのかは、シンからは見えない。しかし少なくとも、嬉しいなんて事は無いだろう。
「…じゃあ、お休みなさい」
「おやすみ」
同棲する前、カノンが自分に言い放った言葉から、好きで傷を受け容れている訳ではないと知っている。
あの時、どうして自分が受け容れたのか。
改めて考えた時、当時カノンのしていた――泣いてしまいそうな――顔を思い出した。
◆
「シンは?」
「買い物に行ってるよ」
「そうですか」
前回の訪問と、ほぼ日を隔てずにやってきたエルは、また増えた傷口を見ていた。
そしてから、苦しげな息遣いに耳を澄ます。
「…調子悪そうですね」
「うん、いつも通りだけどね」
冗談交じりの笑い声が、エルの心に靄々とした感覚を植えつける。
「手当てしますね」
「えっ、大丈夫だよ」
カノンの拒絶を擦り抜けて、エルは鞄から消毒液とガーゼ、そしてピンセットと包帯を取り出す。
「今日のは何時もより深いので」
「そう、かな」
「そうですよ」
淡々と言い放つ、エルの纏う雰囲気が何だか禍々しい。俯き気味の真剣な眼差しが、傷口を睨んでいるように見える。
「…エルさん、怒ってる?」
「…そう見えますか?」
だが、顔を上げたエルに、怒りの色は見えなかった。やんわりと、情けなさげに首を傾げる。
「怒ってなさそうだね」
「…怒るというよりは、やっぱり心配ですね」
当初から、少しも薄れないまま向けてくれるエルの優しい気遣いに、カノンは純粋に喜びを抱いた。
「大丈夫だよ、実際やっていけてるんだし」
しかしエルは正直、受け容れて行動へ映してもらえないのを、もどかしく思っていた。
いつも上手い事流されてしまい、結局改善一つ無く、異常な一日がリピートするだけだ。
「………カノンくんはシンくんの事、どう思っているのですか?」
「どうって…うーん…大事な人?守りたい人?そうだ、言うなれば¨家族¨みたいな?」
「…そうですか、兎に角大事な人なんですね」
だが何度尋ねても、カノンはシンに対しての見方を変えず、大事だと言い張る為、直接な言葉で制止をかける事は出来ないのだ。
「うん」
「でも、自分を犠牲にしすぎるのも考えものですからね」
「うん、分かってる、大丈夫だよ」
「なら、よし」
エルは、顔面蒼白にしながらも幸せそうに笑うカノンの頭を、自身も笑顔で何度かぽんぽんと撫でると、静かに部屋を出て行った。
――しかし玄関の扉を潜った直後、表情が崩れるのを我慢する事が出来なかった。
何時しか、エルの中に満ちていた感情が色を混じらせ、得体の知れない渦を湧き上がらせる。
「エルさん?」
エルの目の前に居たのは、普段ではあまり目にしない、顔色を変化させたシンだった。
「…シンくん…」
エルは直ぐに繕った物の、シンは厳しい顔付きに気付いていた。
追い詰められた心の中で、自然とカノンの悪い状態が浮かび、勝手に事態を大きくしていく。
エルは、見るからに不調そうなシンに対して発言を躊躇ったが、一言だけ期待を沿えて残した。
「………多分、このままでは駄目になります」
長い長い、冬が去ろうとしている。しかし春に近付いた所で、直ぐに寒さが緩和する訳ではない。
やはり、三人の脳内に定着したその通り、風邪は一時的だったらしく、それからも何ら変わらない日々を送っていた。
◇
「お早う、よく眠れた?」
「うん、寝れた」
「良かった」
シンの視線は今日も、腕に出来た傷口に向いている。血が滴り落ち、赤く染まったシーツも交互に見詰める。
「ご飯作る、待っててくれ」
少し枚数が減り軽くなった毛布から、するりと抜け出しベッドを降りる。
「あ、僕も起きる」
その行動を、カノンも追いかけた。
廊下を歩きながら―――横目にチラついたのか、シンがカノンの腕元をじっと見詰めはじめた。
カノンは視線に気付くと、にっこりと微笑み腕を上げる。
「舐めて良い?」
シンは、頷いたカノンの手を取り袖を捲くると、その場で止まり、少し屈んで傷口を舐めた。
しかしそれは、長い時間続く事は無かった。
「もう良いの?」
「うん」
付着していた血を少し舐め取った所で、直ぐにやめてしまったのだ。気分でも変わった、と言わんばかりに。
「何食べたい?」
「そうだなぁ、今日はまだ温かい物かな!」
カノンも最近、シンからの血の要求が減少していることに気付いていた。それでも、勿論頻繁にあるが。
だが、イコールで調子が良いのだと捉える事で、喜びへと転換させていた。
「まだまだ寒いよね~…」
フワフワと髪を揺らして、一歩前に進もうとしたカノンの体が、大きく前のめりに動く。シンは反射的に、細い体を支えた。
「…ごめん」
「ううん」
最近も、こういう事が連続して起こっている。
とは言え、立ち眩みやふら付きを起こしても、カノンの表情は直ぐに柔らかく戻る。
その為、よくある事だと大して気にしないようにしていた。それは本人であるカノンも、横で見ていたシンも同じだ。
「まだ、ちょっと寝る?」
「うん、ご飯食べたら寝る」
これまでも続いてきたように、日々はまだまだ、変化の無い日常を続けてゆく筈だ。
少しずつ、何気なく、壊れている部分はあれど、それなりには。
◇
食後、カノンは寝室に来ていた。どさりとベッドに横になる。
シンの前では気付かれないようにしていたが、ここ最近また体が重い。
と言っても、昔から、長期間に渡り体調を崩し続ける事は大して珍しくない。
その為、シンの前でもエルの前でも、簡単に取り繕う事が出来た。
何気ない寝返りにより、傷口が擦れて痺れる。しかし、その痛みは不快ではなかった。
寧ろ、心地良い。決して痛みに強い訳ではなく、傷をつけられている時もまだ表情は歪む。痛みに対する、恐怖もまだある。
だが心が、傷つけられる行為に満足もしているのだ。
この行為でシンを守れていると思えば、この膨大な傷口も勲章に見える。
――――もう絶対に、誰の死も見たくはないから。
忌まわしい過去の記憶を引き出しながら、カノンは傷跡を、袖の上からそっと撫でた。
◇
シンはリビングにて、カノンの座っていた席を眺めていた。
柔らかい髪も細く白い体も、その白さに映える痛々しい傷跡も、美しい顔立ちで作られる純粋なその笑顔も、シンの心を埋め尽くす。
もう、カノン無しでは生きられない。それは、とうに気付いている。
居なくなってしまったら、また自分は一人ぼっちで苦しむ事になるだろう。
シンは降りてきた想像から逃げる為、ポケットに忍ばせておいた小型のカッターナイフを取り出し、そっとズボンの裾をあげた。
足首には、薄くなった傷跡に紛れて、新しい傷跡が幾つもあった。
◇
夜は何時もの様に、カノンから傷を作り見せてくれる。その行動を、止めようという気にはまだなれない。
血が流れる様子を見ていると安心感が包むし、誘われるように味も求めてしまう。
カノンがどんな表情をしているのかは、シンからは見えない。しかし少なくとも、嬉しいなんて事は無いだろう。
「…じゃあ、お休みなさい」
「おやすみ」
同棲する前、カノンが自分に言い放った言葉から、好きで傷を受け容れている訳ではないと知っている。
あの時、どうして自分が受け容れたのか。
改めて考えた時、当時カノンのしていた――泣いてしまいそうな――顔を思い出した。
◆
「シンは?」
「買い物に行ってるよ」
「そうですか」
前回の訪問と、ほぼ日を隔てずにやってきたエルは、また増えた傷口を見ていた。
そしてから、苦しげな息遣いに耳を澄ます。
「…調子悪そうですね」
「うん、いつも通りだけどね」
冗談交じりの笑い声が、エルの心に靄々とした感覚を植えつける。
「手当てしますね」
「えっ、大丈夫だよ」
カノンの拒絶を擦り抜けて、エルは鞄から消毒液とガーゼ、そしてピンセットと包帯を取り出す。
「今日のは何時もより深いので」
「そう、かな」
「そうですよ」
淡々と言い放つ、エルの纏う雰囲気が何だか禍々しい。俯き気味の真剣な眼差しが、傷口を睨んでいるように見える。
「…エルさん、怒ってる?」
「…そう見えますか?」
だが、顔を上げたエルに、怒りの色は見えなかった。やんわりと、情けなさげに首を傾げる。
「怒ってなさそうだね」
「…怒るというよりは、やっぱり心配ですね」
当初から、少しも薄れないまま向けてくれるエルの優しい気遣いに、カノンは純粋に喜びを抱いた。
「大丈夫だよ、実際やっていけてるんだし」
しかしエルは正直、受け容れて行動へ映してもらえないのを、もどかしく思っていた。
いつも上手い事流されてしまい、結局改善一つ無く、異常な一日がリピートするだけだ。
「………カノンくんはシンくんの事、どう思っているのですか?」
「どうって…うーん…大事な人?守りたい人?そうだ、言うなれば¨家族¨みたいな?」
「…そうですか、兎に角大事な人なんですね」
だが何度尋ねても、カノンはシンに対しての見方を変えず、大事だと言い張る為、直接な言葉で制止をかける事は出来ないのだ。
「うん」
「でも、自分を犠牲にしすぎるのも考えものですからね」
「うん、分かってる、大丈夫だよ」
「なら、よし」
エルは、顔面蒼白にしながらも幸せそうに笑うカノンの頭を、自身も笑顔で何度かぽんぽんと撫でると、静かに部屋を出て行った。
――しかし玄関の扉を潜った直後、表情が崩れるのを我慢する事が出来なかった。
何時しか、エルの中に満ちていた感情が色を混じらせ、得体の知れない渦を湧き上がらせる。
「エルさん?」
エルの目の前に居たのは、普段ではあまり目にしない、顔色を変化させたシンだった。
「…シンくん…」
エルは直ぐに繕った物の、シンは厳しい顔付きに気付いていた。
追い詰められた心の中で、自然とカノンの悪い状態が浮かび、勝手に事態を大きくしていく。
エルは、見るからに不調そうなシンに対して発言を躊躇ったが、一言だけ期待を沿えて残した。
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