惜別の赤涙

有箱

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第九話

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 リガは個人に宛がわれたロッカーを開け、何かを取り出しポケットに入れると、部屋の中央にあるベンチに腰掛けた。

「…そっか仕事終わりか、大変だったでしょ?」

 血の付いた服でも気にしているのか、リガの口調が奇妙に揺れている。

「別にそうでもないですよ、まぁ疲れますけどね」
「…それ大変って事なんだよ」

 リガの気遣いを受け入れつつ、焦点は別の方へと向いた。
 仕事は確かに疲れる。しかし、大して難しい事はしていない気がする。

「でもリガ達の方がもっと大変でしょう。細かい仕事は多いし、人の相手もしなくちゃいけないし…」

 そう、自分より一般医師の方が大変だろう。特殊な力のない医師の方が、時間はかかるし失敗もあるし。
 数秒間相槌が無く、不思議に思い振り返ると、リガは間の抜けた顔をしていた。そして言う。

「いやぁ、考えた事無かったなぁと思って。普通の事だと思ってたから…」

 確かに普通の人間として考えてみれば、こちらの仕事の方が悲惨かもしれない。そこらじゅうが血に塗れ、喘ぎや叫びが飛び交う職場なんて。
 ただ、客観的に考えたイメージで、実際どう映っているかは分からないが。

「…そうですね」
「いや!シュガのが普通じゃないって言ってる訳じゃなくてさ…!」
「分かってますよ」

 言葉に悪意が無い事は知っている。分かる程度には彼を理解しているつもりだ。

「で、何を取りに来たんですか?」

 急に変えられた話題にも、リガは直ぐに順応を見せた。さすが現場で働く医師だ。

 ポケットから何やら小さな小物を取り出す。その手には、シルバーブルーの四角い携帯があった。
 リガは、にかっと笑いながら嬉しそうに携帯を見せる。

「これだよ」
「あれ、でも今は勤務時間でしょう?」
「え、そうだけど…?勤務時間…」

 言葉に込めた意味を、リガは悟らなかった。
 普通、携帯など仕事に不必要な物は勤務後に取りに来るのが暗黙のルールだ。それなのにリガは勤務中に取りに来た。
 その理由を、シュガは訊ねたかったのだ。

「何か気になる事でも?」

 直接的な言葉で、漸くリガは¨勤務時間¨という語句が出てきた理由を理解した。

「あ、ああ、そっか、確かに勤務中に取りに来るのは可笑しいね」

 恥ずかしそうに笑った、リガの顔付きが少し変わる。映し出されたのは、真剣な眼差しだった。

「…あのねシュガ、俺に妹が出来るんだ――…」

 そしてから、再度優しく微笑む。まるで、まだ見ぬ妹にかけているような凄く温かい微笑だ。

「妹さんですか」
「うん、なんかもう直ぐ生まれるらしくて…」

 リガの表情は喜びに満ちていて、妹の誕生を心待ちにしている気持ちが滲み出ている。

「いつ連絡が来てもいいように取りに来られたのですね」

 シュガも祝福を込めて笑ってみせる。それが嬉しかったのか、リガは再度歯を見せて破顔した。

「うん、凄く楽しみだ。とっても可愛いだろうなぁ」
「そうですね」

 この戦地で、新しい命が生まれる。
 それは希望になる。だが、逆に言えばそれは色々な形で絶望にもなるだろう。

 リガは、楽しみにしている妹に会えるだろうか。
 戦争が幕を閉じるまで、リガか妹かが命を落とさない保障はどこにもないのに。
 この、死ばかりが転がる世界では、ささやかな願いさえ儚いというのに。

「じゃあ!俺戻るね!」

 リガの、戦場に居るとは思えない笑顔に、シュガは一瞬違和感を覚えた。だが、悟られないように繕う。

「はい、連絡早く来るといいですね」
「うん!有り難う!」

 戦場の中に残っていた心からの笑顔を目に、シュガは何故か焦りに近いものを感じた。
 少しでも、一秒でも早く戦争を終わらせなければ。
 改めてそう思った。時間を経るごとに、いつしか心の奥に追い遣られていた感情が蘇ってくる。
 自分がこの場所に立っている理由を、改めて思い出した。
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