2/2の音色

有箱

文字の大きさ
9 / 9

最終話

しおりを挟む
 胸がざわめく。しかし、これは良い方のざわめきだ。嬉しそうに感謝をくれたうめだが、感謝するのは私の方だろう。それほど私は救われていた。

 両手で弾けなくとも、喜ぶ顔は見られると気付かせてくれたのだから。あの講演が、演奏の記憶の最後になると思っていたのに。

「戻れない場所を見続けても意味がない……か……」

 コンサートホールを諦めたい訳じゃない。会場に響くあの音を吹っ切った訳でもない。けれど、再び手に入れることは出来ないと、私が一番分かっているのだ。だから、私がちゃんと別れを告げなければ、きっと何も変わらないーー。

***

「先生! 中々来られなくてすみません!」

 勢いのいい入室を受け、岸が入ってくる。部屋にはうめもいた為、これが初めての三者対面となった。胸に抱いたある一件のせいで、一瞬気まずさがよぎる。だが切り替えた。

 岸はうめの正体に気づかないらしく、関係性を問ってきた。友人だと告げると嬉しそうにしてくれた。
 空気を読んでかうめが立ち上がる。反射的に裾を掴み、次の動作を止めた。

「出来ればここにいてほしいんだけど……」
「分かった」

 やり取りを不思議そうに見る岸に向け、真剣さを整える。あの日から数週間、私はずっと彼の訪れを待っていた。

「岸さん、早速で申し訳ないのですがお話があります」
「えっ……まさか悪い知らせとかじゃ……」

 狼狽える岸を前に、少しばかり決意が引っ込みそうになる。だが、うめの頷きで留めた。

 あれから何度かうめと連弾した。子ども向けの簡単な曲中心ではあるが、メロディを紡ぐ喜びは変わらなかった。笑顔を向け合う度、私の居場所は何も会場だけじゃないーーとの気持ちになった。

「岸さんにとっては悪い知らせかもしれないです。でも、聞いて下さいますか?」
「……ってことは、先生にとってはいいお話なんですね」 

 私の穏やかさを受けてか、岸も穏やかに笑う。腰かけたのを見計らい、告げた。

「私はもう、ピアニストには戻りません。岸さんや待っていて下さる皆様には申し訳ないですが……。でも悲観的に言っているわけではありません。私は私の為に戻らないと決めたのです」

 凪のように静かに、恐れを悟らせないように。繕って伝えるも、内心では返答を怖がっている。岸は顔面を強ばらせ、数秒黙っていたが突如として泣き出した。

「すみません僕、何も知らないで勝手に期待をぶつけて……先生もお辛いのに」
「い、いいんですそれは! 私を想ってのことだと分かってますし、岸さんには本当に感謝してるので」

 意外にすんなり受け入れられて、拍子抜けしそうだった。蟠りが突然解け、不意な笑みまで零れてくる。それを見て、うめも大きく笑った。

「でも、これで本当に先生のピアノ聴けなくなっちゃうんですね……寂しいけど、先生が前を向こうとしてるなら私も応援を……!」
「あ、そのことなんですが……」

 うめと見合う。先を思うと緊張したが言い切った。きっと彼なら大丈夫だ。

「一度、遊戯室に来て下さいませんか?」
 
 これが今の私だと。彼女と二人、笑って音を奏でよう。
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

柚木ゆず
2023.02.10 柚木ゆず

投稿スタート、おめでとうございます。

体調不良の影響で今日は1話で止まっておりまして……。続きは明日、体調がまだわるければ明後日に明後日にお邪魔させていただきます。

2023.02.11 有箱

柚木ゆずさん、お久しぶりです!
まずは作品に気付き、読んで下さりありがとうございます!更には体調が優れないのにも関わらず、嬉しいお言葉まで残して下さり喜びが込み上げております…!
続きを読もうと思って下さるだけで嬉しいので、どうかご無理はなさらず…。お時間と力の余っている時にでも覗いてやって下さいませ( ´∀`)

実は今は執筆活動自体をお休み中でして。下書きの状態で放置したままの作品があることに気付き、投稿しに戻った次第です^^;

長らく間を空けていたのに私を覚えていて下さり、しかも投稿を祝福までして下さり、大変大きなエネルギーを頂きました!チャージして、本当に執筆を再開した時に充てさせて頂きたいと思います!

毎度長々お返事すみません💦いつも嬉しい気持ちをありがとうございます!
柚木さんの体調が少しでも早く回復することをお祈りしています。寒い日が続いていますので、温かくしてお過ごし下さいね( ´ ▽ ` )

解除

あなたにおすすめの小説

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

麗しき未亡人

石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。 そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。 他サイトにも掲載しております。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。