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9月24日
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[9月24日、土曜日]
譲葉を可哀想に思う。しかし思うだけで、何も出来ない自分がもどかしい。
成り行きとは言え、折角家に来たのに何一つしてあげられない。
こんな場所に来てしまって、譲葉は不幸だ。
慣れない場所で慣れない人間と住むのは、とても窮屈だろう。気持ちが休まらないのは、苦痛だろう。
月裏が、今まさにそういった心境ゆえ、気持ちだけは分かるつもりだった。
我が家でこれだけ気を張るのだ、譲葉が張っていない訳が無い。
しかし、どうすれば良いのかよく分からないのだ。何度考えても、譲葉の幸せが分からない。
――――それが、現実だ。
家に居ても辛い、かと言って、仕事場の方がましだとはこれっぽっちも思えない。
毎日の罵声が日常の一部だと、割り切れる人間が羨ましい。
毎日毎日、心に大穴を開けて傷ついているのに、それに気付かない上司は、多分これから先も、同じ日々をループさせ続けるのだろう。
変わらない未来が簡単に描けて、生まれたのはもう何度目か知れない絶望感だった。
帰宅すると、今日も譲葉は背を向け伏せていた。着ていた服は恐らく、洗濯機横の籠の中だ。
その代わり、数日に亘り何枚か残したメモが丁寧に重ねられて、枕元の携帯の下に置かれている。
譲葉は、一度教えた事は全て完璧にやってみせる。とは言え、変な行動を仕出かしている気配も無く、印象通りとことん手がかからない。
本当に居るだけだ。家に、居るだけ。
それで良いのだろうか。
月裏は疲れきった脳内で、まだ距離感の掴めない譲葉との、明日の一日を乗り切る方法を考えていた。
――――声が聞こえる。
何をやっても駄目だとか、使えない奴だとか、鬼の形相を浮かべた上司が、心無い言葉を羅列する。
自分は、只管謝罪を目前に並べ立てる。その場から走り去ってしまいたい気持ちを押し殺して、延々と続く言葉の暴力に耳を貸し続ける。
誰か助けて。
そっと呟いた直後、直ぐに気付いた。
自分が孤独である事に。助けてくれる人なんて、どこにも居ない事に。
はっと目を開くと、豆電球が点すだけの薄暗い景色が目に入った。いつも見ている景色なのに、禍々しく感じる。
じわりと汗が滲み、呼吸も速くなっている。
直ぐに吐き気が喉元まで立ち上り、月裏はキッチンへと走っていた。
吐いても吐いても、気持ち悪さが納まらない。手の震えも止まらない。
身体の不調から来るシンプルな苦痛に加えて、精神ストレスから来る苦痛が重なり、苦しくて苦しくて涙まで出てきた。
心臓も、精神状態を反映して早い鼓動をあげる。
心を支配するのは、形のない不快な恐怖だ。
永遠に変わらなさそうな未来への恐怖。自分が壊れてゆく事への恐怖。それらが混ざり合った、得体の知れない恐怖。
押し潰される。どうして良いか分からずに、苦痛の中溺れもがくしか出来ない。
月裏は呆とする脳内で、解き放たれる為の術を浮かべる。
常に支配しているその感情が、行動を促す。
――――気付けば月裏は、手に包丁を持っていた。
「……月裏さん?」
月裏が、扉の音に我に返った時、包丁は地に落ちていた。カラカラと、軽い音を立てて振動している。
「…えっと、譲葉、くん」
恐る恐る振り向くと、落ちた包丁を真直ぐに見詰める譲葉の姿が確認できた。
意識的に、笑顔を作り出す。
「えっと、眠れなくて、料理でも、しようかなって、でも落としちゃって、うるさかったね、ごめんね、起こしたね、本当ごめん」
我ながら、可笑しな言い訳だ。
しかし譲葉は、何も言わない。唯々、包丁を凝視するだけだ。
月裏は、見られていたかもしれない、と広がる不安感から、一秒でも早く逃げる方法を模索する。
「……つ、次は静かにするから、もう一回寝てきなよ」
「…分かった」
譲葉は浅く頷くと、部屋を出て行った。
笑顔が落ちる。無意識に控えていた呼吸を解き放つ。また涙が溢れてきた。
時々、こう言う事がある。不安感が形で体に現れて、自分を酷く苦しめる時がある。
頭痛や嘔吐、震え、止まらない涙が、容赦なく襲ってくるのだ。
不眠は毎日の事で、加えて症状が出ると、いつも以上に不安で仕方が無くなる。
死にたいとの思いは、毎日持っている感情だ。別に、今日に限ったことではない。
実際月裏には、自殺経験がある。
もちろん未遂に終わっているが、既に何度も実行していた為、体には傷や痣が多数ある。
リストカット痕も甚だしく残っているが、どれも実際死のうとしてつけたものであり、相当くっきりと残ってしまっている。
両腕の傷は、絶対に見られたくない箇所の一つだ。
譲葉が家に来ると分かった際、一番に浮かんだのはこの事だった。
不安定な状態で、譲葉を世話できるか。答えは明らかにノーだ。分かってはいた。
それでも拒否する訳には行かずに、成り行き任せで引き受けてしまったが、今更強い後悔に陥る。
やはり、無理だ。
譲葉には悪いが、一緒に過ごせる自信が無い。祖母に謝って、譲葉が暮らしてゆく別の方法を探して、離れる選択をしよう。
譲葉を可哀想に思う。しかし思うだけで、何も出来ない自分がもどかしい。
成り行きとは言え、折角家に来たのに何一つしてあげられない。
こんな場所に来てしまって、譲葉は不幸だ。
慣れない場所で慣れない人間と住むのは、とても窮屈だろう。気持ちが休まらないのは、苦痛だろう。
月裏が、今まさにそういった心境ゆえ、気持ちだけは分かるつもりだった。
我が家でこれだけ気を張るのだ、譲葉が張っていない訳が無い。
しかし、どうすれば良いのかよく分からないのだ。何度考えても、譲葉の幸せが分からない。
――――それが、現実だ。
家に居ても辛い、かと言って、仕事場の方がましだとはこれっぽっちも思えない。
毎日の罵声が日常の一部だと、割り切れる人間が羨ましい。
毎日毎日、心に大穴を開けて傷ついているのに、それに気付かない上司は、多分これから先も、同じ日々をループさせ続けるのだろう。
変わらない未来が簡単に描けて、生まれたのはもう何度目か知れない絶望感だった。
帰宅すると、今日も譲葉は背を向け伏せていた。着ていた服は恐らく、洗濯機横の籠の中だ。
その代わり、数日に亘り何枚か残したメモが丁寧に重ねられて、枕元の携帯の下に置かれている。
譲葉は、一度教えた事は全て完璧にやってみせる。とは言え、変な行動を仕出かしている気配も無く、印象通りとことん手がかからない。
本当に居るだけだ。家に、居るだけ。
それで良いのだろうか。
月裏は疲れきった脳内で、まだ距離感の掴めない譲葉との、明日の一日を乗り切る方法を考えていた。
――――声が聞こえる。
何をやっても駄目だとか、使えない奴だとか、鬼の形相を浮かべた上司が、心無い言葉を羅列する。
自分は、只管謝罪を目前に並べ立てる。その場から走り去ってしまいたい気持ちを押し殺して、延々と続く言葉の暴力に耳を貸し続ける。
誰か助けて。
そっと呟いた直後、直ぐに気付いた。
自分が孤独である事に。助けてくれる人なんて、どこにも居ない事に。
はっと目を開くと、豆電球が点すだけの薄暗い景色が目に入った。いつも見ている景色なのに、禍々しく感じる。
じわりと汗が滲み、呼吸も速くなっている。
直ぐに吐き気が喉元まで立ち上り、月裏はキッチンへと走っていた。
吐いても吐いても、気持ち悪さが納まらない。手の震えも止まらない。
身体の不調から来るシンプルな苦痛に加えて、精神ストレスから来る苦痛が重なり、苦しくて苦しくて涙まで出てきた。
心臓も、精神状態を反映して早い鼓動をあげる。
心を支配するのは、形のない不快な恐怖だ。
永遠に変わらなさそうな未来への恐怖。自分が壊れてゆく事への恐怖。それらが混ざり合った、得体の知れない恐怖。
押し潰される。どうして良いか分からずに、苦痛の中溺れもがくしか出来ない。
月裏は呆とする脳内で、解き放たれる為の術を浮かべる。
常に支配しているその感情が、行動を促す。
――――気付けば月裏は、手に包丁を持っていた。
「……月裏さん?」
月裏が、扉の音に我に返った時、包丁は地に落ちていた。カラカラと、軽い音を立てて振動している。
「…えっと、譲葉、くん」
恐る恐る振り向くと、落ちた包丁を真直ぐに見詰める譲葉の姿が確認できた。
意識的に、笑顔を作り出す。
「えっと、眠れなくて、料理でも、しようかなって、でも落としちゃって、うるさかったね、ごめんね、起こしたね、本当ごめん」
我ながら、可笑しな言い訳だ。
しかし譲葉は、何も言わない。唯々、包丁を凝視するだけだ。
月裏は、見られていたかもしれない、と広がる不安感から、一秒でも早く逃げる方法を模索する。
「……つ、次は静かにするから、もう一回寝てきなよ」
「…分かった」
譲葉は浅く頷くと、部屋を出て行った。
笑顔が落ちる。無意識に控えていた呼吸を解き放つ。また涙が溢れてきた。
時々、こう言う事がある。不安感が形で体に現れて、自分を酷く苦しめる時がある。
頭痛や嘔吐、震え、止まらない涙が、容赦なく襲ってくるのだ。
不眠は毎日の事で、加えて症状が出ると、いつも以上に不安で仕方が無くなる。
死にたいとの思いは、毎日持っている感情だ。別に、今日に限ったことではない。
実際月裏には、自殺経験がある。
もちろん未遂に終わっているが、既に何度も実行していた為、体には傷や痣が多数ある。
リストカット痕も甚だしく残っているが、どれも実際死のうとしてつけたものであり、相当くっきりと残ってしまっている。
両腕の傷は、絶対に見られたくない箇所の一つだ。
譲葉が家に来ると分かった際、一番に浮かんだのはこの事だった。
不安定な状態で、譲葉を世話できるか。答えは明らかにノーだ。分かってはいた。
それでも拒否する訳には行かずに、成り行き任せで引き受けてしまったが、今更強い後悔に陥る。
やはり、無理だ。
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