造花の開く頃に

有箱

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10月8日

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[10月8日、土曜日]
 あの後からずっと吐き気が止まらず、結局月裏はそのままリビングにいた。
 夜中から降り出した雨も加わり、リセットのタイミングが見出せず、気持ちは暗いままだ。
 それでも、扉の開く音は聞こえてくる。月裏は咄嗟に、普段通りの笑顔を心がけた。

「…おはよう、譲葉君」
「…おはよう」

 譲葉は、いつもは回っているレンジが回って居ない事に気付いたのか、暗いままの電子レンジを不思議そうに見詰めている。

「今日は早く起きたからもう食べたんだ、譲葉君何食べる?」

 本当の所、吐き気の所為で食欲も無く態と抜いているのだが、心配をかけまいと嘘を吐いた。
 譲葉は立ち上がると、開いた冷凍庫の前に立ち、瞳をきょろきょろと移動させ始めた。

 仕事場に居て椅子に座っていても、体がふらふらとする。元々座り仕事が多い為、周りから気付かれ辛い事もあり、月裏は席を外すタイミングを計っていた。
 しかし、いつまで経ってもそれは現れない。それどころかまた上司の苛々が爆発して、八つ当たりをされる破目になってしまった。

 結局席を立てたのは、昼の休憩時間が訪れてからだった。とは言え、実質あるようでないような時間なので、あまりのんびりとは出来ない。
 月裏はトイレに駆け込むと、人が居ない事を確認してから吐いた。

 気持ち悪さに苛まれて、巡るのは死のイメージだけだ。雨の音が、心を突き刺す。
 譲葉を一人には出来ないとの責任感と、死んで楽になりたいとの勝手な願望の間で、板ばさみになり揺れる。
 勿論、時間に追われていては選択できる筈も無く、気分が和らがないまま、月裏はすぐにオフィスへと戻った。

 一日中吐き気がおさまらず、時間を見つけては、トイレにて吐いてしまった。こんな事は、久しぶりだ。
 体の中が空っぽになったような感覚に襲われて、力が湧いてこない。
 それでも、繕う事を止めてしまおうとは思えずに、月裏は笑顔を装い、譲葉の居る玄関扉を開いた。

「ただいま」
「……おかえり、お疲れ様」

 譲葉は、既に元の型に納まった色鉛筆とスケッチブックを手に持ち、立ち上がる。

「…寝る、お休みなさい」

 譲葉なりに倒れてしまった事を気にしているのか、颯爽と奥の部屋へと向かっていってしまう。
 月裏は何時も通り追いかけようとして、視界が歪み、その場で蹲ってしまった。まだ吐き気が収まらず、手で口を押さえつける。
 ――――少しして、すぐ近くから声が聞こえて来た。

「……月裏さん?」

 手の温度が、優しく肩に触れる。
 僅かに視界をあげると、譲葉が心配そうにこちらを見ていた。

「……大丈夫…ちょっと気持ち悪いだけ…」

 形にならない笑顔をどうにか乗せて答えると、譲葉は黙り込み瞼を伏せる。
 そしてから、肩に触れていた手で背を摩り始めた。

 数十分して漸く吐き気が収まり、月裏は大きく深呼吸する。

「………大丈夫か?」

 そこで漸く、摩っていた手が止まった。

「…うん、取りあえず…」

 また、譲葉に見られてしまった。居場所を作ろうと言い聞かせた矢先、また不安にさせる姿を見せてしまった。
 月裏は情けなさに、じわりと瞳を潤ませながらも、零す事はなんとか堪える。

「…………無理はするな…」

 隣から聞こえたか細い声に、月裏は俯いたまま瞬く。まるで心底が読み取られてしまったような台詞に、驚愕する。

「……俺の事は気にしなくて良い、居ない者だと思ってくれても良いから…」

 背中に触れていた温度が、離れた。

「……月裏さんが辛かったら、俺一人暮らしするよ?」

 いや、多分本当に、読み取っていたのだろう。どうやら、ずっと気を張っていると勘付かれてしまっていたらしい。
 ただ、体調を崩したのは、一葉にそれが原因ではない。

「…俺の所為で」
「違うよ譲葉君…よくある事なんだ…、譲葉君のせいじゃないよ……、僕こそごめん…こんな頼りなくて、安定しない大人でごめん…不安にさせてごめん…本当にごめん…」

 やっぱり、譲葉はよく出来ている。そして優しすぎる。表情や声色からはあまり感じられないが、彼は優しすぎるのだ。

「……ごめん…」

 月裏は、気持ちが漏れ出すがままに謝罪を続けた。
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