造花の開く頃に

有箱

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11月7日

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[11月7日、月曜日]
 不思議な気持ちで満ちている。ふわふわして、少し痛くて、でも何だか暖かくて。
 上手く言い表せない、可笑しな心持ち。

「……おはよう、譲葉くん……」

 月裏は起床し、リビングに足を運んでいた。
 結局、昨日泣き腫らした末に体の限界を自覚し、寝室に急行して眠気に誘われるままに眠ってしまった。
 目覚めたら朝日が昇っていて驚いたが、焦る気持ちは何故か生まれなかった。

 結局、会社に連絡は入れられなかった。それはまだ心に引っ掛かったままだ。
 しかしそれでも、涙は出てこなかった。
 本当に、不思議な気分なのだ。世界がどこかぼんやりとしていて、まだ夢の中みたいな。

「おはよう月裏さん。朝食、先貰った」

 譲葉の深色の綺麗な瞳が、またこちらを凝視する。昨晩の出来事等、無かったようにいつも通りだ。

「うん」
「体、大丈夫か?」
「……うん、まぁ」

 頭痛も吐き気も、昨晩より納まったのは事実だ。とは言え、まだ風邪の症状は抜け切っていない。

「無理するなよ」

 数時間前聞いた台詞がリピートされ、月裏は一瞬どきりとしてしまった。
 夢が、少し覚める。

「……月裏さんは、どうしたいんだ」
「……え?」

 唐突に尋ねられ、月裏は拍子抜けした。
 だが一応、答えは探す。しかし答える前に、質問の根底を理解しなければならない。
 どうしたいとは、何をだろうか。

「この先の未来、どうしたいんだ」

 似たような会話を交わした記憶が、急に蘇った。状況はよく思い出せないが、確か同じ質問を譲葉にした覚えがある。

「本当の事を言ってくれても構わない」

 本当の事―――。
 月裏は一気に溢れ出した未来画を、心いっぱいに敷き詰めた。
 色々な色がひしめき合い、鬩ぎ合う。場所を陣取ろうと主張する。

「………………分からない」

 結果、月裏はぽつりと零していた。
 死んで楽になりたいとの願望と、幸せになって素直に笑いあいたいとの希望が、月裏の中で押し合っていた。
 正直な所、幸せになれるならなりたい。けれどその過程が、悲惨な物ならば死にたい。
 極端な二択しか、選択肢に出て来ない。

「そうか、だよな……」

 譲葉は強要一つせず締め括ると、立ち上がって冷蔵庫の前に立った。

「月裏さん、何食べる?」
「……えっと……」

 月裏はすぐさま譲葉の横に移動すると、冷凍庫の中身を確認した。

 昼頃には、呆としていた頭は冴えてきて、夢感覚も抜けてきていた。
 そうなればいつも通り、不安感に襲われる。
 目の前に料理本を立てながらも、月裏は全く別の内容に頭を働かせていた。
 今朝の安定感はなんだったのだと月裏自身もどかしくなったが、これが自分だと理解もしていて半分諦めも悟っていた。

 持ち歩いているのは自分のくせに、携帯電話を視界に映す度に早い決断に迫られ苦しくなる。
 明日から復帰するべき――だろう。
 本当は今日からするべきだったのに、逃してしまったから明日は絶対に。
 けれど怖い。周りの目が、言葉が、かかる重荷が怖い。

「月裏さん」
「なっ、なに?」

 本に集中しているとばかり思っていた譲葉から、話しかけられて意図せず声が上擦る。

「………………ばあちゃんがさ……」

 今朝といい今といい、今日の譲葉は珍しく積極的だ。思うだけで、言わないが。

「……うん」

 月裏は立てて見つめていた本を、ページは開いたままで、そっとその場に横向けた。

「………………月裏さんが心配だからって、ここに来たんだ」
「……へ、へぇ……?」

 理解出来ないながら取り合えず応じたが、疑問は容赦なく膨らむ。
 祖母が心配だから譲葉が来たとは、どういう意味として受け取れば良いのだろう。

「…………ばあちゃん、月裏さんの事よく心配してた。元気にやっててほしいなって言ってた。また命を捨てないか心配だって言ってた」

 月裏の心臓がきゅっと縮まり、早い鼓動をあげだした。見えなかった言葉の意味が、何と無く分かった気がして言葉に詰まる。
 祖母に直接、未遂現場を見られた事は無い。しかし、見つかり病院に運ばれた際、何度か電話してくれたのを思い出す。
 内容は忘れたが、いつも鼻声だった。

「ばあちゃんの為に、生きてくれ」

 率直な申し出に、硬直までしてしまう。こんなに真っ直ぐな視線で、こんなに素直な言葉で、突きつけられると困ってしまう。

「……俺じゃ限度は有るけど、月裏さんのしたい事とかしてほしい事とか、出来るように頑張るから」

 純粋すぎる眼差しに、どう応対するべきか迷ってしまう。

「……俺なんかじゃ、出来る事少ないけど……」

 多分譲葉は祖母に、自分の事を見守って欲しいとでも頼まれたのだろう。
 それか、幸せにしてあげて欲しい、とか。

「…………じゃ、じゃあ、家族になりたい……」

 月裏は放っていた。何か口にしなくてはと急いた結果、自分でも予想しなかった言葉が出てきていた。
 目の前の譲葉は驚くでも嫌な顔をするでもなく、いつもの落ち着いた目で月裏を見ながら黙り込む。

 ――――言ってしまった。

 月裏は、口を塞ぎ赤面する。
 こんな無謀な願い言う積りなど無かったのに、なぜ溢れて来てしまったのか分からない。本音だからだとしても、嘲られる未来しか見えない。

「……ごめん、嘘……」

 月裏は口を塞ぎながら、もごもごと上乗せした。しずには、居られなかった。
 反応が怖くて、瞼を瞑ってしまう。

「………………家族」

 譲葉の口から静かに復唱される単語に、月裏は恥ずかしさと、そして辛さも思い出しかけていた。

「………………ごめん、忘れて……」
「……なれるといいな」

 ぽつり、落ちた同意に目を開くと、譲葉が窓の方を見ていた。笑顔も何もない、これまた普段通りの顔で。
 月裏は、嘘か本音か掴めなくて首を捻る。
 だが、言葉を飲み込もうとしてくれた譲葉の優しさに少し落ち着いた。

「…………ごめん、ありがとう……」

 譲葉は、ゆっくりと視線を戻すと、何も言わずただ遅めに首を横に振った。

 夕方頃、月裏は携帯電話を手に画面を凝視していた。表示されているのは会社の番号だ。
 胸が早鐘を鳴らし、手が激しく震えている。それを、もう数分も続けている。

 因みに譲葉は、絵を描くといって廊下に居り、今は目の前に居ない。
 月裏は緊張感を絶頂にしながらも、意を決して発信ボタンをタップした。
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