造花の開く頃に

有箱

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12月28日

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[12月28日、水曜日]
 譲葉は今日も、決まった時間に顔を出さなかった。
 その為月裏の方から赴いたが、起きようと葛藤した形跡が皺として布団に残っていて、ただ単に寝過ごしているだけだと分かった。
 睡眠を妨げないよう、ずれた布団を直す事はせず、快適に眠り続けられるよう暖房の設定を少し触った。

 だが、玄関を跨ごうとした所で、名を呼ばれ振り向く。譲葉は急いで出てきたのか、距離を詰める足が急いている。

「おはよう、起きたんだね」
「……おはよう……すまない、寝過ごしてしまった」

 手を伸ばせば届く距離まで近付いてから、譲葉は寒気がしたのか身震いした。暖房の部屋から、そのままの格好で抜けてきていて寒そうだ。

「仕方ないよ、薬飲んで寝てるんでしょ」

 キッチン脇のゴミ箱に、空のシートを見た日がある。その前日に無かった事から、捨てた時間帯を把握した。

「……そうだが……」
「じゃあ行ってくるね、譲葉くんは早く部屋に戻りなよ」

 出来るだけ譲葉の体を冷やさないようにテキパキと挨拶を済ませ、振り切ったと誤解されないよう大きく手を振って家を出た。

 約束厳守、いや約束していなくとも日課や決まりを守ろうとするのが譲葉だ。
 その譲葉が起床できない程なのだ、相当疲れているか、薬に弱いに違いない。

 譲葉の為に何が出来るか。
 質問に辿り着く度に、纏まらない考えに無力感が重なる。
 もし消えられたら考えなくても良いのにな、なんて身勝手な事まで考えてしまう。
 付き物の感情に自己嫌悪しつつも、前向きになろうと懸命に自分に言い聞かせた。

 残り2日だというのに、上司の態度は以前と何ら変わらない。文句の種類が若干変わった気もするが、声量にも語調にも改善は無い。
 最近は「居なくなったら」や「次の」と言った言葉が連投されていて、転勤を間近に感じるようになった。

 環境の変化を恐れつつも、解放の可能性に喜ぶ。鋭い言葉が刺さるのも、あと2日だけだと思うと我慢できる。
 残る課題は、譲葉の件一つだけ。はっきりと自覚した時、先が見えた気がした。

 だが、もっと踏み込んだ瞬間、また嫌な性格が姿を見せてきた。
 終わった先に何がある? それ以前に終わりなんてある?
 新たな問題が浮上しなかった事なんてないのに、安心してもいいのか? 終わりだと言っていいのか?

 ――多分、生きている限り、悩みが尽きる事も問題が消える事も、ましてや性格が変わる事もない。
 死んで楽になりたい。何もかもから逃げ出したい。確実じゃない人生が怖いから逃げてしまいたい。

 弱すぎる心に、捻じ曲がった思考回路に、月裏は涙が出そうになった。
 どうしてこうも素直に受け入れられないのか自分でも分からない。もっと気楽に受け止めれば良いだけの話なのに。
 デスクに向けて僅かに形作った唇の上、月裏はそっと¨がんばる¨の四文字を唱えた。

 所々を、外灯の灯りが照らす暗い帰り道。四つに分かれた交差点、先の見えない曲がり道。明るい時間は見える、周りの景色が全く見えない。
 上がったり下がったり、不安定に揺れる心。センチメンタルに侵されて、直ぐに悲観を引き寄せてしまう頭。
 客観的に分析できるくらい、己の性格は把握済みだ。

 様々な性格の人間が入り混じる中で、こんな性格に生まれてしまった自分はなんて不幸なのだろう。
 もっと別の人間になれていたら幸せだったろうと何度思った事か。

「おかえり月裏さん」
「た、ただいま」

 玄関にて迎え入れてくれた、譲葉の手にはミトンが嵌っていた。料理中の気配がしたものの、時間帯が時間帯だ、何をしていたのだろうと首を傾げてしまう。

「何してたの?」
「焼き菓子を作っていた」

 リビングから小さく聞こえてきたレンジの音に、譲葉は素早く反応し踵を返す。いつも使っているレンジはオーブンレンジなので、無論音は一緒だ。
 月裏も完了を見守る為、譲葉について歩いた。

 部屋に入ると、甘い香りがふわりと漂ってきた。
 譲葉は、開いて置いていたお菓子の本を睨んでから、レンジの中身を確認しだす。
 始めて見る本だ、恐らくスーパーで購入したのだろう。

「珍しいね、どうしたの?」
「気分転換だ。それに、前に甘いものが好きだと言っていただろう」

 材料選びに迷って遅くなっただとか、気を紛らわせたくなっただとか、夜間に取り組んでいる理由を想像しながらも確認は止めた。

「ありがとう、覚えててくれたんだ」

 追求したい気持ちを上回るほど、何気なく零した筈の一言が譲葉の記憶に刻まれていた事が嬉しかった。
 譲葉は、カップに入った菓子の一つに菜箸を突き刺し、熱が通っているか確認する。
 菜箸の先についた生地と本を何度か交互に見て、首を傾げてから焼き時間を数分追加した。

 慣れない手付きで新しい事に踏み込む譲葉の背は、小さいのにとても立派に見える。
 やはり怖くとも、その体に抱える全てを受け止めてあげたい。何も出来ないと分かっていても、無力な自分が嫌になる恐れがあっても、それでも寄り添いたい。譲葉に報いたい。

「……譲葉くん、明日行ったら5日間仕事休みだよ、そしたらいっぱい話そうね」
「そうだな、何を聞かれてもいいように考えておく」
「……な、なんだか質問大会でもするみたいだね……」
「そう考えていた。でも大丈夫だ、変な事は聞かない」

 ふわりと浮いて、沈む。漂うお菓子の香りみたいに、揺蕩って心を満たしては消えてゆく。

「……ありがとう譲葉くん、ありがとう」
「……月裏さん?」

 譲葉の華奢な背中を包み込んで、やんわりと体を抱いた。譲葉は戸惑い気味に振り向こうとするが、悟ったのかレンジに視線を戻した。

「……一人だったら感情に飲み込まれていたかもしれない、色々と諦めていたかもしれない……。こんな可笑しな僕に付き合ってくれて、一緒に住んでくれてありがとう。何も言わずに、全部受け止めてくれてありがとう……」

 紙面で告げたことだが、あえて口にすると改めて恥ずかしくなる。
 しかし、今伝えたかったのだ。
 罪悪感は全て隠して、肯定的な気持ちのみを進んで声にした。

「……頑張っているのは譲葉くんだけど僕も頑張るね。譲葉くん、家に来てくれてありがとう……」

 レンジの音が可笑しなタイミングで鳴って、二人の間に沈黙が流れた。

「…………ごめん、取れないね……」

 月裏が腕を解いて数歩下がる。譲葉は絶句したままで、レンジから天板ごと中身を取り出した。

「……月裏さん、俺…………」

 両手を塞ぎ振り向いた譲葉は、幾粒もの涙を落としていた。

「……嫌われると思ってた、いつかは追い出されると思ってた……だから嬉しい」

 始めて見る嬉し泣きに、胸が熱くなる。

「…………泣くなんて可笑しいな……嬉しいのに変だ……ここは普通、そうだ」

 潤んだ瞳が少し細くなり、ほんの僅かだが口角が上がった。優しくて美しくて、儚い彼の始めての笑顔。
 言葉から予想はしていたが、衝撃は大きい。嬉しさに頬が濡れるほどに。
 だが、譲葉を見習って笑った。
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