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12月27日
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[12月27日、火曜日]
普段通り食事していたが、ある区間の時間を跨いだ時、直ぐに違和感に気付いた。
扉から顔を出す筈の譲葉が、まだ起きて来ない。
月裏から声を掛けて眠りを促した時は、応じる形で顔を見せない事はあるが、何も声を掛けない状態で姿を現さない日は、決まって何か良くない事が起こっている時だ。
パターンが見えてしまった事により、禍々しい不安感は膨らみだす。
だとしても¨見ない振りをする¨といった選択は始めから存在しておらず、月裏はそろりと足を踏み出していた。
部屋の前まで来て、咳き込み音が聞こえた。
そこまで精密に想像はしていなかったが、大方予想通りの状況だ。
それなのに、戸惑いが胸を支配する。
「……譲葉くん……入るよ……」
譲葉は床に座り込んだ状態で脱力していた。カーペットに押し付けられた手元には、薬袋から飛び出した錠剤のシートと、蓋が開いたまま立てられたペットボトルがある。
何も言えないまま近付くと、じっとり濡れた髪が目に付いた。狭い背中がどこか不安げだ。
月裏は狭い空間に屈んで、譲葉の背に軽く手を宛てた。
「……辛かったね」
「……月裏さん、俺……昔の……また……」
横顔に見た瞳の潤み具合が、泣いているような錯覚をさせる。もしかすると実際、泣きそうになっているのかもしれない。
目を伏せた譲葉は、座り尽くしたまま動かない。
不図、肩が震えている事に気付いた。暖房の効いた暖かい部屋だ、直ぐに寒さでは無いと分かる。取り巻く恐怖が、身体を震わせているのだ。
「…………譲葉くん、思い出すの辛いなら……」
勢いで大部分を口にしてから、月裏はハッと口を噤んだ。
薬を求めるくらい苦しくなったのには治療が関係していて、中途半端に記憶を見ているからではないかと考えてしまったのだ。
治療が譲葉を不安にするなら、触れさせたくなくなる。
守りたい感情だけが先走り、向き合おうとする気持ちを折りかけてしまった。
「…………ごめん、なんでもない……」
「…………思い出さない方が良いかな……無理に向き合わない方が良いのかな……」
突如吐かれた譲葉の弱音が、心の全部を捉えた。
「…………僕は……」
譲葉の意思を支えたい。なんて建前、結局は人任せな意見が他人行儀過ぎて言えなかった。
辛いなら逃げてもいい、との本音は更に言えない。
その先の未来に何の保障も出来ないのに、自分が物申す資格はない。
薬を服用したからか、落ち着いた雰囲気を取り戻した譲葉は、漸く緩く振り向き月裏を見た。
急に合致した視線を、月裏は何気なく背ける。
直後、合わせた譲葉も斜めに目線を下ろし、力なく単調な声で文字を並べた。
「…………でも、原因も分からず急に苦しくなるのは嫌だ……だからがんばって克服する……。今ちょっと頭真っ白になってた、ごめん……」
自己解決を見せた譲葉に相応しい言葉が見つけられず、月裏は曖昧な答えしか返せなかった。
「……う、ううん。僕もごめん……そうだね……うん……」
湿った服が気持ち悪いのか、譲葉は襟を摘み揺らす。月裏は空気の中に居辛くて、見つけた収束法を早々投下した。
「……お風呂行ってきなよ」
「……あぁ行かせてもらう」
「僕、準備して仕事行っちゃうね」
「あぁ、見送れなくてすまない、行ってらっしゃい」
あっさりと叶った後は、無益な悲しさが月裏を襲った。
終日、譲葉の事が頭から離れなかった。
自分ひとりで懸命に努力する譲葉の中、降り積もる不安や恐怖を思うと居た堪れなくなる。
元よりの性格上、譲葉は無理をしてしまう方が自然体なのだろう。似ているからこそ分かる。
無理をしている相手との付き合い方を、考える必要がありそうだ。相手がどこまで干渉を許し、且つ傷つかないか見極める事が重要になりそうだ。
当然のように灯された明かりのある玄関へ、扉を開き入ろうとすると真っ先に譲葉の姿が飛びこんで来た。
真剣な眼差しで花の絵を描いている。コートと前に貸したままのマフラーを巻き、寒さを凌いでいる様子だ。
「おかえり月裏さん、今日も長い時間お疲れ様」
「……ただいま……」
譲葉は色鉛筆を片付けスケッチブックを閉じると、二つを器用に脇に挟み立ち上がった。
「……もしかして待っててくれたの?」
黒髪が揺れて、譲葉が軽く振り向いた。
そうして、噛み合っていない返答を漏らす。
「…………休みは家で色々な話をしよう……好きな事とかも色々……話したい事とか……じっくりと」
月裏は、譲葉の内側にある物を洞察しようと試みるが、それ容易には見出せなかった。
「それを言おうと思っていた」
だが、締め括りで、これこそが回答なのだと知った。
美しい花の絵と共に残された、突然の手紙を思い出す。知られざる譲葉の本音が分かって、嬉しかったあの日の感情も思い出す。少し客観的に、だったが。
就寝の挨拶を交わした二人は、個々の目的の為、それぞれの部屋に収まった。
月裏は早速、譲葉の手紙に目を通していた。飾った花は今日は静かに咲いていて、心を落ち着かせた。
その日その日で、同じ筈の絵が違った雰囲気を持っているように見える。摩訶不思議だ。
文章から得た感情を、努めて思い返す。次の日に譲葉に残した手紙も、祖母のアドバイスも思い出す。
もう一度、勇気を出して気持ちを伝えてみよう。支離滅裂になっても、纏まりが無くても、自分自身理解できていない気持ちでも、一生懸命言葉に変えてみよう。
譲葉ともっと、距離を縮める為に。
普段通り食事していたが、ある区間の時間を跨いだ時、直ぐに違和感に気付いた。
扉から顔を出す筈の譲葉が、まだ起きて来ない。
月裏から声を掛けて眠りを促した時は、応じる形で顔を見せない事はあるが、何も声を掛けない状態で姿を現さない日は、決まって何か良くない事が起こっている時だ。
パターンが見えてしまった事により、禍々しい不安感は膨らみだす。
だとしても¨見ない振りをする¨といった選択は始めから存在しておらず、月裏はそろりと足を踏み出していた。
部屋の前まで来て、咳き込み音が聞こえた。
そこまで精密に想像はしていなかったが、大方予想通りの状況だ。
それなのに、戸惑いが胸を支配する。
「……譲葉くん……入るよ……」
譲葉は床に座り込んだ状態で脱力していた。カーペットに押し付けられた手元には、薬袋から飛び出した錠剤のシートと、蓋が開いたまま立てられたペットボトルがある。
何も言えないまま近付くと、じっとり濡れた髪が目に付いた。狭い背中がどこか不安げだ。
月裏は狭い空間に屈んで、譲葉の背に軽く手を宛てた。
「……辛かったね」
「……月裏さん、俺……昔の……また……」
横顔に見た瞳の潤み具合が、泣いているような錯覚をさせる。もしかすると実際、泣きそうになっているのかもしれない。
目を伏せた譲葉は、座り尽くしたまま動かない。
不図、肩が震えている事に気付いた。暖房の効いた暖かい部屋だ、直ぐに寒さでは無いと分かる。取り巻く恐怖が、身体を震わせているのだ。
「…………譲葉くん、思い出すの辛いなら……」
勢いで大部分を口にしてから、月裏はハッと口を噤んだ。
薬を求めるくらい苦しくなったのには治療が関係していて、中途半端に記憶を見ているからではないかと考えてしまったのだ。
治療が譲葉を不安にするなら、触れさせたくなくなる。
守りたい感情だけが先走り、向き合おうとする気持ちを折りかけてしまった。
「…………ごめん、なんでもない……」
「…………思い出さない方が良いかな……無理に向き合わない方が良いのかな……」
突如吐かれた譲葉の弱音が、心の全部を捉えた。
「…………僕は……」
譲葉の意思を支えたい。なんて建前、結局は人任せな意見が他人行儀過ぎて言えなかった。
辛いなら逃げてもいい、との本音は更に言えない。
その先の未来に何の保障も出来ないのに、自分が物申す資格はない。
薬を服用したからか、落ち着いた雰囲気を取り戻した譲葉は、漸く緩く振り向き月裏を見た。
急に合致した視線を、月裏は何気なく背ける。
直後、合わせた譲葉も斜めに目線を下ろし、力なく単調な声で文字を並べた。
「…………でも、原因も分からず急に苦しくなるのは嫌だ……だからがんばって克服する……。今ちょっと頭真っ白になってた、ごめん……」
自己解決を見せた譲葉に相応しい言葉が見つけられず、月裏は曖昧な答えしか返せなかった。
「……う、ううん。僕もごめん……そうだね……うん……」
湿った服が気持ち悪いのか、譲葉は襟を摘み揺らす。月裏は空気の中に居辛くて、見つけた収束法を早々投下した。
「……お風呂行ってきなよ」
「……あぁ行かせてもらう」
「僕、準備して仕事行っちゃうね」
「あぁ、見送れなくてすまない、行ってらっしゃい」
あっさりと叶った後は、無益な悲しさが月裏を襲った。
終日、譲葉の事が頭から離れなかった。
自分ひとりで懸命に努力する譲葉の中、降り積もる不安や恐怖を思うと居た堪れなくなる。
元よりの性格上、譲葉は無理をしてしまう方が自然体なのだろう。似ているからこそ分かる。
無理をしている相手との付き合い方を、考える必要がありそうだ。相手がどこまで干渉を許し、且つ傷つかないか見極める事が重要になりそうだ。
当然のように灯された明かりのある玄関へ、扉を開き入ろうとすると真っ先に譲葉の姿が飛びこんで来た。
真剣な眼差しで花の絵を描いている。コートと前に貸したままのマフラーを巻き、寒さを凌いでいる様子だ。
「おかえり月裏さん、今日も長い時間お疲れ様」
「……ただいま……」
譲葉は色鉛筆を片付けスケッチブックを閉じると、二つを器用に脇に挟み立ち上がった。
「……もしかして待っててくれたの?」
黒髪が揺れて、譲葉が軽く振り向いた。
そうして、噛み合っていない返答を漏らす。
「…………休みは家で色々な話をしよう……好きな事とかも色々……話したい事とか……じっくりと」
月裏は、譲葉の内側にある物を洞察しようと試みるが、それ容易には見出せなかった。
「それを言おうと思っていた」
だが、締め括りで、これこそが回答なのだと知った。
美しい花の絵と共に残された、突然の手紙を思い出す。知られざる譲葉の本音が分かって、嬉しかったあの日の感情も思い出す。少し客観的に、だったが。
就寝の挨拶を交わした二人は、個々の目的の為、それぞれの部屋に収まった。
月裏は早速、譲葉の手紙に目を通していた。飾った花は今日は静かに咲いていて、心を落ち着かせた。
その日その日で、同じ筈の絵が違った雰囲気を持っているように見える。摩訶不思議だ。
文章から得た感情を、努めて思い返す。次の日に譲葉に残した手紙も、祖母のアドバイスも思い出す。
もう一度、勇気を出して気持ちを伝えてみよう。支離滅裂になっても、纏まりが無くても、自分自身理解できていない気持ちでも、一生懸命言葉に変えてみよう。
譲葉ともっと、距離を縮める為に。
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