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1月9日
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[1月9日、月曜日]
また、気持ちが揺らぎ始める。
譲葉といつもの様に挨拶を交わした時、行ってきますと言って家に残した時、電車に乗って出会った公園を目にした時、部署のある階から下を眺めた時――――。
様々な日常行為が、選択を狂わせる。
結局昨日は、話し合いの時間を設けなかった。問題と真正面から向き合い戦った譲葉に、次なる課題を尽きつける訳には行かないと遠ざけてしまったのだ。
譲葉が落ち着いたら、話し合ってみようと思う。
最近ストレスが極端に減少したからか、明らかにミスが少なくなっている。取り組む姿勢も向上したし、何より息苦しくないのが驚きだ。
仕事とは辛い物だ、との概念が簡単に折れてしまった。
今の自分に、自分だけの大きな壁は無い。不意に陥る不安感も影を潜めており、悪夢もほぼ見ていない。
数年前は、いや数ヶ月は想像もしていなかった事態だ。
こんなにも順調だと、寧ろ今運気を使い切っているのでは無いかと不安に落とされるほどだ。
しかし、そうではない。
過去の自分が、未来は暗いままで変化などないと怖がっていただけだ。逃げていただけだ。
想像していたよりも、未来は怖いものじゃない。だからきっと大丈夫。恐ろしい未来にはならない。
何度目かの結論ではあるが、はじめて確信まで持って来られた気がした。自然と頬が緩んでいた。
「ただいま」
「おかえり月裏さん、お疲れ様」
清々しい顔で返事した譲葉は、コートを身に纏い、決まりつつある場所で本を読んでいた。
「またここで本読んでたんだね、寒くない?」
「寒くない、見てくれ」
栞を挟んだ本を床に置き、両手を広げ差し出す。その両手には、初見の手袋が嵌っていた。
「あっ、新しい手袋! ……買ったの?」
「あぁ、病院行ったついでにな」
「……病院……」
労うべきか考えていると、譲葉自ら口を開いた。
「大丈夫だった、まだ辛いがちゃんと向き合えている」
どこか誇らしげな表情が、子どもらしさを醸している。
「……良かった。譲葉くんは凄いね、心から尊敬するよ」
「そんな事は無い、月裏さんのお陰だ」
譲葉はいつも謙遜するが、本当に尊敬に値する人物だと思っている。同時に、到底なれそうも無い人物でもある。
彼にとっての幸せとは何か。
蘇った論題に向き合うタイミングが選べず、
「……今日も遅くなっちゃったね、寝ようか?」
月裏は極自然体で話を流しさる。
だが、立ち上がった譲葉は軽く首を横に振った。
「月裏さん、もう一度ちゃんと話さないか? あまり先延ばしにはしてはいけないと思うんだ……」
真剣な眼差しの中には、相手方を思いやる気持ちが篭っている。
月裏は、逃げようとしていた自分を情けなく思った。
「……そうだね……」
自然消滅を待てば、勝手に消えてくれる問題ではあるのかもしれない。しかし、自分の性格上絶対に見過ごせないだろう。
いつか答えを出すのなら、早いに越した事は無い。
肯定にせよ否定にせよ、その他の何かであるとしても、早めに伝えておく方が礼儀がある。
「…………お茶でも飲みながらにする?」
「……そうだな……」
意見を譲葉に伝えて、譲葉の意見も聞いて、今日こそ答えを探そう。
上手くやるには、素直な気持ちを伝える事。
月裏は廊下を渡りながら、以前得た教訓を思い起こしていた。
リビングに入りお湯を沸かし、準備完了し緑茶の入った湯飲みを二つ持って席に付く。
食事の時と同じ筈なのに、改まった状態で向かい合うとつい構えてしまう。
譲葉も緊張しているのか、中々第一声が始まらない。
表情を固くする譲葉を目前に、月裏は決意し、深呼吸し心を鎮めた。
「………………考えた事話してもいい?」
「…………あ、あぁ、お願いしたい……」
譲葉を傷つけてしまわないか最後まで懸念したが、どうにか振り切って暴露を開始した。
「………………最後に決めるのは譲葉くんだと思う、けど僕は応じる方が良いと思うんだ…………」
心臓が早鐘を鳴らしている。言いながら溢れ出す矛盾に、追い詰められているみたいだ。
「……し、仕事があって譲葉くんを一人にしてしまうし、経験が足りないからアドバイスも出来ない……寧ろ困らせてばかりだ……それに僕は、譲葉くんにはちゃんとした家族の中で幸せになってほしいと思うんだ……それにおばあちゃんの近くにいてくれたら安心だし……なんてごめん、こんな中途半端な意見でごめん……」
声が消えてから、自分が一方の意見しか突きつけていない事に気付いた。
「……でも治療の事もあるし、正直僕は譲葉くんと離れたくない……折角こんなに仲良くなったんだ……別れたくない……」
段々俯き気味になってゆく中、譲葉が声を作った。
「………………俺は……」
躊躇いながらも、言葉を続けて行く。
「…………俺もまだ迷ってる……話そうって言ってみたけど、やっぱりまだ決められない……」
「…………だよね……僕もはっきりとは言えない……」
それからも二人は話を先送りにしようと告げられず、黙ったままで向かい合った。
自然とやってきた眠気が、意識を朦朧とさせたことでやっと終わった。
また、気持ちが揺らぎ始める。
譲葉といつもの様に挨拶を交わした時、行ってきますと言って家に残した時、電車に乗って出会った公園を目にした時、部署のある階から下を眺めた時――――。
様々な日常行為が、選択を狂わせる。
結局昨日は、話し合いの時間を設けなかった。問題と真正面から向き合い戦った譲葉に、次なる課題を尽きつける訳には行かないと遠ざけてしまったのだ。
譲葉が落ち着いたら、話し合ってみようと思う。
最近ストレスが極端に減少したからか、明らかにミスが少なくなっている。取り組む姿勢も向上したし、何より息苦しくないのが驚きだ。
仕事とは辛い物だ、との概念が簡単に折れてしまった。
今の自分に、自分だけの大きな壁は無い。不意に陥る不安感も影を潜めており、悪夢もほぼ見ていない。
数年前は、いや数ヶ月は想像もしていなかった事態だ。
こんなにも順調だと、寧ろ今運気を使い切っているのでは無いかと不安に落とされるほどだ。
しかし、そうではない。
過去の自分が、未来は暗いままで変化などないと怖がっていただけだ。逃げていただけだ。
想像していたよりも、未来は怖いものじゃない。だからきっと大丈夫。恐ろしい未来にはならない。
何度目かの結論ではあるが、はじめて確信まで持って来られた気がした。自然と頬が緩んでいた。
「ただいま」
「おかえり月裏さん、お疲れ様」
清々しい顔で返事した譲葉は、コートを身に纏い、決まりつつある場所で本を読んでいた。
「またここで本読んでたんだね、寒くない?」
「寒くない、見てくれ」
栞を挟んだ本を床に置き、両手を広げ差し出す。その両手には、初見の手袋が嵌っていた。
「あっ、新しい手袋! ……買ったの?」
「あぁ、病院行ったついでにな」
「……病院……」
労うべきか考えていると、譲葉自ら口を開いた。
「大丈夫だった、まだ辛いがちゃんと向き合えている」
どこか誇らしげな表情が、子どもらしさを醸している。
「……良かった。譲葉くんは凄いね、心から尊敬するよ」
「そんな事は無い、月裏さんのお陰だ」
譲葉はいつも謙遜するが、本当に尊敬に値する人物だと思っている。同時に、到底なれそうも無い人物でもある。
彼にとっての幸せとは何か。
蘇った論題に向き合うタイミングが選べず、
「……今日も遅くなっちゃったね、寝ようか?」
月裏は極自然体で話を流しさる。
だが、立ち上がった譲葉は軽く首を横に振った。
「月裏さん、もう一度ちゃんと話さないか? あまり先延ばしにはしてはいけないと思うんだ……」
真剣な眼差しの中には、相手方を思いやる気持ちが篭っている。
月裏は、逃げようとしていた自分を情けなく思った。
「……そうだね……」
自然消滅を待てば、勝手に消えてくれる問題ではあるのかもしれない。しかし、自分の性格上絶対に見過ごせないだろう。
いつか答えを出すのなら、早いに越した事は無い。
肯定にせよ否定にせよ、その他の何かであるとしても、早めに伝えておく方が礼儀がある。
「…………お茶でも飲みながらにする?」
「……そうだな……」
意見を譲葉に伝えて、譲葉の意見も聞いて、今日こそ答えを探そう。
上手くやるには、素直な気持ちを伝える事。
月裏は廊下を渡りながら、以前得た教訓を思い起こしていた。
リビングに入りお湯を沸かし、準備完了し緑茶の入った湯飲みを二つ持って席に付く。
食事の時と同じ筈なのに、改まった状態で向かい合うとつい構えてしまう。
譲葉も緊張しているのか、中々第一声が始まらない。
表情を固くする譲葉を目前に、月裏は決意し、深呼吸し心を鎮めた。
「………………考えた事話してもいい?」
「…………あ、あぁ、お願いしたい……」
譲葉を傷つけてしまわないか最後まで懸念したが、どうにか振り切って暴露を開始した。
「………………最後に決めるのは譲葉くんだと思う、けど僕は応じる方が良いと思うんだ…………」
心臓が早鐘を鳴らしている。言いながら溢れ出す矛盾に、追い詰められているみたいだ。
「……し、仕事があって譲葉くんを一人にしてしまうし、経験が足りないからアドバイスも出来ない……寧ろ困らせてばかりだ……それに僕は、譲葉くんにはちゃんとした家族の中で幸せになってほしいと思うんだ……それにおばあちゃんの近くにいてくれたら安心だし……なんてごめん、こんな中途半端な意見でごめん……」
声が消えてから、自分が一方の意見しか突きつけていない事に気付いた。
「……でも治療の事もあるし、正直僕は譲葉くんと離れたくない……折角こんなに仲良くなったんだ……別れたくない……」
段々俯き気味になってゆく中、譲葉が声を作った。
「………………俺は……」
躊躇いながらも、言葉を続けて行く。
「…………俺もまだ迷ってる……話そうって言ってみたけど、やっぱりまだ決められない……」
「…………だよね……僕もはっきりとは言えない……」
それからも二人は話を先送りにしようと告げられず、黙ったままで向かい合った。
自然とやってきた眠気が、意識を朦朧とさせたことでやっと終わった。
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