造花の開く頃に

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1月19日

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[1月19日、木曜日]
 利点が増える度に、なぜだか苦しくなっていく。まだ譲葉の答えも聞いていないのに、先が見通せてしまった気がして辛くなる。

「……おはよう月裏さん、大丈夫か?」
「大丈夫、今日も早くに起きただけだよ」

 現在地はリビングだ。そして時刻は朝四字だ。

「昨日楽しかった?」

 気に病んでいると知られては、また煩わせてしまうと思い、月裏は態と問いかけていた。

「………………緊張した……」

 椅子に座した譲葉は、恥ずかしげに目線を落とす。

「だよね、やっぱ緊張するよね、楽しめなかったかな……」
「…………楽しいって感じでは無かったが、良い人たちだって言うのは分かった……。母とは仲の良い同級生だったと聞いた。ただ、成人してから連絡は殆ど取れていなかったらしいが……。俺は覚えていなかったが、向こうは俺の事も知っていたらしい」

 範囲外の話も含めた回答は、月裏の中でパズルのように組まれてゆく。
 相手側にとって譲葉は、ずっと気にかけていた存在だったのだろう。もしかしたら譲葉の母親との間に、知らない一件が存在しているのかもしれない。

「…………そっか…………」

 敵わない。そう勝手に思ってしまう。誰も比較しようとなんてしていないのに、負けた気になってしまう。
 でも今こそ、譲葉の本心を聞く時だ。

「…………譲葉くん。譲葉くんの気持ち、聞いても良い?」

 隠せるだけ隠しはしたが、声が震えてしまってならない。

「…………俺は……」

 呼吸音も心拍も無視して、譲葉の声だけに耳を向ける。

「………………俺は……行っても良いかもしれない…………。治療がちゃんと終わって、高槻さんとも何回も会って、慣れたらの話だけど…………」

 指針は確定した。

「…………うん、そうだね。聞かせてくれて有り難う…………」

 けれど、気持ちが寄り添わない。

「あ、そうだ。昨日言い損ねたけど今日は忙しいから早めに行くんだ、行ってきます」

 月裏は口から零れた虚言に従い、逃げるように立ち上がった。

「ご飯は」
「話せたからいいよ、行ってきます!」
 軽く振り向いて笑ってみせる。
「い、行ってらっしゃい…………!」

 条件をクリアし、本当に譲葉がいなくなるのは、遠い未来での出来事になるだろう。
 それでも、泣きたいくらい胸が痛かった。

 昼頃、感情がついに体調にまで反映し、見兼ねた上司に気遣われ医務室に来ていた。
 狭くて誰もいない一人きりの空間で、薬品の臭いが鼻を突く。劣等感にも寂しさにも似た気持ちが、際限なく溢れ出る。

 想定し、心を固めていた筈なのに。自らも良いと思い、願った道なのに。
 本人の口から聞いた途端に、体が拒絶を始めた。
 随分と性質の悪い性格に、本当に厭きれる。

 自己感情を差し置き、他人ばかり優先しようとする譲葉の事だ、きっと深い理由があって決意したに違いない。
 頭では分かっているのに、明確な理由を聞けていないからか、勝手な解釈をしてしまっている。
 捨てられてしまったなんて、絶対無いと否定しつつも傷ついた。

「ただいまー」
「おかえり月裏さん、お疲れ様」

 開いたスケッチブックを抱える譲葉は、顔を上げて軽い会釈を付けた。

「絵、久しぶりだね」
「そうか?」
「久しぶりに見せて。貰ったやつはいつも見てるけど新しいのあったら……」

 求めると同時に、スケッチブックを胸に寄せ守備体勢を見せる。そして、気恥ずかしそうに少し上目遣いをした。

「…………まだ描きかけだ」

 いつも通り、譲葉の真意を汲み取り引き下がろうと思ったが、下した決意が内側で過ぎる。

「…………途中とか見ちゃ駄目? 描いてるとことかも一回見てみたいなぁって思ってたんだけど」
「……えっ」
「一回で良いんだ、見てみたいなってずっと思ってたから……駄目かな……」

 別れが訪れたら永遠に見られない気がして、この機を逃したくないと思った。
 譲葉も月裏の思いを悟ったのか、気まずそうにスケッチブックを胸から離す。

「…………じゃあ、途中経過を……。描いてる所はすまないが無理だ……恥ずかしくて描けない」

 そのまま、そっと差し出してきた。

「……そっか、うん、ありがとう」

 受け取って見た花は、まだ基本の色と輪郭が描かれている程度だった。それでも軸が確りしているから、どれを描こうとしているのか直ぐ分かる。

「さすがだね、譲葉くん」
「…………え、いや……」
「ありがとう、見れて良かった」

 返却したスケッチブックが譲葉の手に渡って、月裏は目で合図を送り歩き出す。
 無言のまま、横並びに廊下を辿った。
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