桜の記憶

有箱

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はじまりの記憶(1/3)

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“『サク、今年もまた記憶をなくしたんだね……』”
 
 私には、お兄ちゃん――だった人がいた。もう顔も思い出せないけれど、確かに存在していた。
 お兄ちゃんはいつも、帰宅してすぐ私の部屋へ来てくれていたらしい。確実なことが言えないのは、今の私に当時の記憶が残っていないからだ。
 私の部屋は二階にあり、指定席は今と同じく桜が景色を埋める場所だった。そこから一年中景色を眺めていた。そうはっきり記述がある。
 
“私が謝ると、お兄ちゃんは笑って言ってくれた。
『何で謝るの。仕方ないでしょ、そういう病気なんだから』”
 
 書き殴られた文章を便りに、お兄ちゃんの笑顔を形作った。描写の乏しい中で、精一杯映像へと変換してみる。

 私はこの時から、既に希有な病を抱えていた。それこそが桜が散るにつれ、記憶を失うという病だ。最終的には、満開になる頃までの記憶が消滅する。
 と言っても、体に染みた感覚は綺麗に残った。お陰で日常生活は送れたし、料理だって出来た。

 失われるのは、思い出やそれに伴う感情などだ。自分がどう過ごして、どう感じたか。それから関わった人間の個人情報なんかも全て桜と共に散ってしまう。
 だから、知人に会っても反応出来ないどころか、隣にいたお兄ちゃんのことまで忘れてしまった。

 そんな状態で臆病になっていたのも理由の一つだろう。しかし、恐らくは誘導された結果、当時は桜に守られた家だけが私の全世界になっていた。私は外出をお兄ちゃんに任せ、家に籠りきっていたようだ。

 その頃、日記の習慣はなかった。だから、それ以前の暮らしについては透明だ。加えて、お兄ちゃんの存在は最初の日記にしかいない。けれど綴られた文から、愛を察するのに技術は要らなかった。
 
“『サク見て、ケーキだよ。新発売なんだって!』
『サクって綺麗な黒髪だよね。僕も黒が良かったな』
『サクが好きって言ってた本、僕も好きな話だったよ』
『サク、今日職場の人に飲み会誘われちゃってさ、断るの大変だったよ』
『サク、どんどん綺麗になっていくね』
『サク、大好きだよ』”
 
 本当に私は、心の底からお兄ちゃんが大好きだったのだと思う。それにきっと、幸せでもあった。
 幸せなままでは、終れなかったようだけど。
 
“燃えていく家と桜が全部連れ去っていく。ごめんね、ごめん、お兄ちゃん。”
 
 記録の末路を眺め、再び始まりの一文に戻る。日記は基本、一年につき二冊あった。でも最初だけは丸一冊分にも満たない。なぜなら、散る桜に急かされ綴ったものだからだ。
 ただ、悲しみの記憶は濃かったのか、明確な文章で残されている。問題は幸福な記憶だ。細かい部分が穴だらけになっており、豊かな想像力が試された。
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