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次の日も、変わらずいつもの時間に会社に行った。
自部署に向かおうと廊下を歩いていると、暫く先に歩と、いつかに見た丸眼鏡の男性が居るのに気が付いた。
今日も、前のように和気藹々と話をしている。
ゆっくりと通り過ぎながら、失礼のないよう会釈をし挨拶する。
歩が、鈴夜の名を呼んだ。
「鈴夜君、こちら寿ことぶき明灯あかりさんだ。この会社を支えてくれている会社の管理役の方だ」
「はじめまして」
説明を受け偉い人だと分かると、急に恐縮してしまう。
だが、明灯は縮こまる鈴夜に気が付いたのか、にっこりと優しい笑顔を浮かべて見せた。
まるで相手を安心させるかのような柔らかな笑みに、鈴夜は胸を撫で下ろす。
「こちらは水無鈴夜君、私の大切な部下だよ」
「水無さん、ですね」
その微笑には、包容力がある。自分が格下の立場にある人間だと分かっても、全く態度を変えずに、表情も壊さない。
さすが重役を担っているだけあって、対応が立派だな、と鈴夜は感心してしまった。
「これ、名刺です」
「ありがとうございます」
名刺には、よく聞く会社名が記載されていた。
本社との取引相手であって、利益の大部分をこの会社が作ってくれているといっても過言ではない、とても大切な取引先である。
名前部分を見ると¨明灯¨と綴られていた。
特殊な漢字の上に振られたあかりとのルビを見て、鈴夜は明灯の名を強く記憶に刻んだ。
「寿さーん、こんな所に居たんですか」
遠くから聞こえて来た、どこかで聞いた事のある声に目を向けると、いつかに見た人物が歩いてきた。
「高河くん」
姿を見て、直ぐに思い出す。
前に、社長室はどこかと聞いてきた、あの童顔で少し変わったオーラを持つ少年だ。確か名を、勇之といった。
「社長室こっちじゃないですよ」
「知ってるよ、ごめんね」
態度は真逆だが、敬語と私語で会話をしている事から、明灯が勇之の上司であると分かった。
勇之は鈴夜に気付くと、にこりと不気味な笑顔を見せる。
だが、歩も明灯も何も気にしていないのを見ると、あの笑顔は自然な表情なのだろうと思えた。
「では、ここで失礼いたします、歩さん、水無さん」
「ああ、また宜しくな」
名前呼びをされている事からも、やはり二人はただの取引相手ではなさそうだ。
元から知り合いなのか、取引をしているうちにそうなったのかは分からないが、通常の関係よりも随分と親しい事だけは分かった。
鈴夜はかける言葉が無く、ただ去ってゆく二人に向かって会釈した。
にしても、
「なんで僕を紹介したんですか、折原さん」
丁度いい所に現れたから。だとしても、格下の人間を重役に紹介する理由にならない気がする。
「…駄目だったか?」
「緊張してしまいますよ」
「そうか、ごめんな。ついいつもの様にしてしまった」
困り笑う歩の理由を聞いて、単純に納得してしまった。きっと歩は、誰にでも紹介をしているのだろう。
それ程に自分達の事を、ただの部下であるのにも関わらず大切にしてくれているのだと知った。
遅れを取り戻そうと必死に仕事している筈なのに、脳内は違う事を考えている。
内容はやはり、一連の出来事と大智の事ばかりで、考えれば考えるほど心が憂鬱に呑まれそうになる。
そんな横顔を見てか、同僚は時折心配そうに休憩を促してきた。
だが、長きに亘り休んでいた身で、休憩ばかりを貰うのは申し訳ないと断りを入れた。
頑張ろうと決めたのに付いていかない心に対し、無意識に溜め息が零れた。
帰ろうと会社の廊下を歩いていると、歩が声をかけてくれた。後方より呼びかけられたことにより、追いかけてきてくれたのだろうと想定する。
「今日も辛そうだったけれど大丈夫かい?」
¨今日も¨という出だしに、きっと昨日も自分は不調そうな顔をしていたのだなと考えた。
「…えっと、大丈夫です」
「無理はしないようにね」
ここまで長い事風邪が長引いているとは、流石の歩でも思っていないだろう。
だったらやはり、歩をはじめ会社の人間は、大智が――大切な友人が亡くなった事実を知っているのかもしれない。
だとしても、それに事件が関わっているのは知っているのだろうか。
「…あの…」
「ん、どうかしたかな?」
「あ、いえ、何でもないです」
だが、尋ねた所で何の意味も持たないだろう。余計な心配をかけてしまうだけだ。歩も最近体調が優れないようだし、それは避けなければ。
「…そうか、もし力になれることがあったら何でも言ってくれよ」
歩は、言おうとした何かを詮索する事は無かった。
身近で事件が起こった事で、しかも被害者が大切な大切な友人だったことで、自分は今不安定になっているのだと考えなくても分かる。
だからと言って、その不安感を誰かに押し付けてしまうのは、巻き込んでしまうのは駄目だ。
鈴夜は、次々と湧き上がっては自分を不安定にする不安感を、何度も必死に底へと押し付けた。
「―――兄さん、お兄さん」
鈴夜は、先程から聞こえてきていただろう声に、はっとなり後ろを振り向く。
そこには、落ち着いた美しい黒髪で袴姿の、現代にはそぐわない、まるで武士の様な男性が立っていた。
辺りを見ても誰もいなかったので、自分を呼んでいたのだと漸く理解する。
「あ、えっと、すいません気付かなくて…何ですか?」
「いやいや、こちらこそすみませんね何度も」
時々、この辺りの地方では発声しないようなイントネーションで喋るのを聞いて、関西生まれの人かな?と勝手に想像した。
「この辺りに常葉アパートって知りませんか?」
左手になにやら紙を持って、男は鈴夜の住むアパートの名を口にする。
「あ、ああ知ってますよ」
だが、『自分の家もそこにあるんです』との公言を躊躇った鈴夜は、敢えてそれだけを口にしていた。
行ったら直ぐ分かるだろうけど。
出来事のせいで、警戒心が強まったのかもしれない。
「向かう方向一緒ですし、案内しますよ」
「本当ですか、ありがとうございます」
男は、強気で爽やかな笑みを浮かべ礼をした。
常葉アパートは直ぐ近くにある為、歩く時間は短い。
けれど、隣にいながら無言でいるのも申し訳ないと思い、鈴夜は気になった点を何気なく問いかけてみた。
「あの、関西生まれかなにかなんですか?」
「え?いや、私はここの生まれなのですが、両親ががっつり関西弁使うもんでうつってしまいましたね」
少し照れ笑った表情の中でも、勇ましさは崩れない。整った顔立ちが、袴姿を際立たせる。
「なるほど。その袴は何かの先生だったりするんですか?」
「そうです、一応剣術や武術を教えてます」
情報網の中に、確か一軒だけそのような家があると記憶していた。確か名を、榛原(はいばら)道場といったような、違うような。
「もしかして¨榛原道場¨の方ですか?」
「存じて頂けていましたか。そうなんです、私、榛原志喜と申します」
「あっ、水無…です…」
何気なく、違和感無くその場をやり過ごす。
きっと志喜は、悪い人間ではないだろう。けれど鈴夜の中で¨事件¨は身近な存在になってしまって、出来れば巻き込まれる要素を作りたくは無いと、無意識に防御してしまう。
故に、名は明かさなかった。
話している間に、いつのまにか常葉アパートが姿を見せていた。建物を指差して、常葉アパートの存在を教える。
「ありがとうございます、すごく助かりました」
男は上階に用があるらしく、丁寧に礼を述べると階段を上がって行った。
気付いた小さな違和感の確証を得る前に、志喜は鈴夜の前から姿を消した。
鈴夜はその後ろ姿を見届けて、自分も部屋のある3階へと上がった。
自部署に向かおうと廊下を歩いていると、暫く先に歩と、いつかに見た丸眼鏡の男性が居るのに気が付いた。
今日も、前のように和気藹々と話をしている。
ゆっくりと通り過ぎながら、失礼のないよう会釈をし挨拶する。
歩が、鈴夜の名を呼んだ。
「鈴夜君、こちら寿ことぶき明灯あかりさんだ。この会社を支えてくれている会社の管理役の方だ」
「はじめまして」
説明を受け偉い人だと分かると、急に恐縮してしまう。
だが、明灯は縮こまる鈴夜に気が付いたのか、にっこりと優しい笑顔を浮かべて見せた。
まるで相手を安心させるかのような柔らかな笑みに、鈴夜は胸を撫で下ろす。
「こちらは水無鈴夜君、私の大切な部下だよ」
「水無さん、ですね」
その微笑には、包容力がある。自分が格下の立場にある人間だと分かっても、全く態度を変えずに、表情も壊さない。
さすが重役を担っているだけあって、対応が立派だな、と鈴夜は感心してしまった。
「これ、名刺です」
「ありがとうございます」
名刺には、よく聞く会社名が記載されていた。
本社との取引相手であって、利益の大部分をこの会社が作ってくれているといっても過言ではない、とても大切な取引先である。
名前部分を見ると¨明灯¨と綴られていた。
特殊な漢字の上に振られたあかりとのルビを見て、鈴夜は明灯の名を強く記憶に刻んだ。
「寿さーん、こんな所に居たんですか」
遠くから聞こえて来た、どこかで聞いた事のある声に目を向けると、いつかに見た人物が歩いてきた。
「高河くん」
姿を見て、直ぐに思い出す。
前に、社長室はどこかと聞いてきた、あの童顔で少し変わったオーラを持つ少年だ。確か名を、勇之といった。
「社長室こっちじゃないですよ」
「知ってるよ、ごめんね」
態度は真逆だが、敬語と私語で会話をしている事から、明灯が勇之の上司であると分かった。
勇之は鈴夜に気付くと、にこりと不気味な笑顔を見せる。
だが、歩も明灯も何も気にしていないのを見ると、あの笑顔は自然な表情なのだろうと思えた。
「では、ここで失礼いたします、歩さん、水無さん」
「ああ、また宜しくな」
名前呼びをされている事からも、やはり二人はただの取引相手ではなさそうだ。
元から知り合いなのか、取引をしているうちにそうなったのかは分からないが、通常の関係よりも随分と親しい事だけは分かった。
鈴夜はかける言葉が無く、ただ去ってゆく二人に向かって会釈した。
にしても、
「なんで僕を紹介したんですか、折原さん」
丁度いい所に現れたから。だとしても、格下の人間を重役に紹介する理由にならない気がする。
「…駄目だったか?」
「緊張してしまいますよ」
「そうか、ごめんな。ついいつもの様にしてしまった」
困り笑う歩の理由を聞いて、単純に納得してしまった。きっと歩は、誰にでも紹介をしているのだろう。
それ程に自分達の事を、ただの部下であるのにも関わらず大切にしてくれているのだと知った。
遅れを取り戻そうと必死に仕事している筈なのに、脳内は違う事を考えている。
内容はやはり、一連の出来事と大智の事ばかりで、考えれば考えるほど心が憂鬱に呑まれそうになる。
そんな横顔を見てか、同僚は時折心配そうに休憩を促してきた。
だが、長きに亘り休んでいた身で、休憩ばかりを貰うのは申し訳ないと断りを入れた。
頑張ろうと決めたのに付いていかない心に対し、無意識に溜め息が零れた。
帰ろうと会社の廊下を歩いていると、歩が声をかけてくれた。後方より呼びかけられたことにより、追いかけてきてくれたのだろうと想定する。
「今日も辛そうだったけれど大丈夫かい?」
¨今日も¨という出だしに、きっと昨日も自分は不調そうな顔をしていたのだなと考えた。
「…えっと、大丈夫です」
「無理はしないようにね」
ここまで長い事風邪が長引いているとは、流石の歩でも思っていないだろう。
だったらやはり、歩をはじめ会社の人間は、大智が――大切な友人が亡くなった事実を知っているのかもしれない。
だとしても、それに事件が関わっているのは知っているのだろうか。
「…あの…」
「ん、どうかしたかな?」
「あ、いえ、何でもないです」
だが、尋ねた所で何の意味も持たないだろう。余計な心配をかけてしまうだけだ。歩も最近体調が優れないようだし、それは避けなければ。
「…そうか、もし力になれることがあったら何でも言ってくれよ」
歩は、言おうとした何かを詮索する事は無かった。
身近で事件が起こった事で、しかも被害者が大切な大切な友人だったことで、自分は今不安定になっているのだと考えなくても分かる。
だからと言って、その不安感を誰かに押し付けてしまうのは、巻き込んでしまうのは駄目だ。
鈴夜は、次々と湧き上がっては自分を不安定にする不安感を、何度も必死に底へと押し付けた。
「―――兄さん、お兄さん」
鈴夜は、先程から聞こえてきていただろう声に、はっとなり後ろを振り向く。
そこには、落ち着いた美しい黒髪で袴姿の、現代にはそぐわない、まるで武士の様な男性が立っていた。
辺りを見ても誰もいなかったので、自分を呼んでいたのだと漸く理解する。
「あ、えっと、すいません気付かなくて…何ですか?」
「いやいや、こちらこそすみませんね何度も」
時々、この辺りの地方では発声しないようなイントネーションで喋るのを聞いて、関西生まれの人かな?と勝手に想像した。
「この辺りに常葉アパートって知りませんか?」
左手になにやら紙を持って、男は鈴夜の住むアパートの名を口にする。
「あ、ああ知ってますよ」
だが、『自分の家もそこにあるんです』との公言を躊躇った鈴夜は、敢えてそれだけを口にしていた。
行ったら直ぐ分かるだろうけど。
出来事のせいで、警戒心が強まったのかもしれない。
「向かう方向一緒ですし、案内しますよ」
「本当ですか、ありがとうございます」
男は、強気で爽やかな笑みを浮かべ礼をした。
常葉アパートは直ぐ近くにある為、歩く時間は短い。
けれど、隣にいながら無言でいるのも申し訳ないと思い、鈴夜は気になった点を何気なく問いかけてみた。
「あの、関西生まれかなにかなんですか?」
「え?いや、私はここの生まれなのですが、両親ががっつり関西弁使うもんでうつってしまいましたね」
少し照れ笑った表情の中でも、勇ましさは崩れない。整った顔立ちが、袴姿を際立たせる。
「なるほど。その袴は何かの先生だったりするんですか?」
「そうです、一応剣術や武術を教えてます」
情報網の中に、確か一軒だけそのような家があると記憶していた。確か名を、榛原(はいばら)道場といったような、違うような。
「もしかして¨榛原道場¨の方ですか?」
「存じて頂けていましたか。そうなんです、私、榛原志喜と申します」
「あっ、水無…です…」
何気なく、違和感無くその場をやり過ごす。
きっと志喜は、悪い人間ではないだろう。けれど鈴夜の中で¨事件¨は身近な存在になってしまって、出来れば巻き込まれる要素を作りたくは無いと、無意識に防御してしまう。
故に、名は明かさなかった。
話している間に、いつのまにか常葉アパートが姿を見せていた。建物を指差して、常葉アパートの存在を教える。
「ありがとうございます、すごく助かりました」
男は上階に用があるらしく、丁寧に礼を述べると階段を上がって行った。
気付いた小さな違和感の確証を得る前に、志喜は鈴夜の前から姿を消した。
鈴夜はその後ろ姿を見届けて、自分も部屋のある3階へと上がった。
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